『河伯と鍾馗』 ID:71700

『河伯と鍾馗』
AS-17
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︻あらすじ︼
おそらく、これは三平ファイターが作られるきっかけとなった物語
││
第一節﹁魔を祓う鬼神﹂ │││││││││││││││││
目 次 第二節﹁にとりと戦争﹂ │││││││││││││││││
1
最終節﹁水神少女﹂ │││││││││││││││││││
第三節﹁八坂の神風﹂ ││││││││││││││││││
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19
第一節﹁魔を祓う鬼神﹂
早朝、玄武の沢近く。森がちな幻想郷でも、ここは珍しく視界が開
けて地質も硬かった。とはいえ河童のアジトも近く、別段用事もなけ
﹂
れば人も訪れることのない場所である。だが今日は太陽が顔を見せ
て間もない頃だというのに誰かの声が聞こえてきた。
﹁いい天気じゃないか。絶好の飛行日和だと思わないかい
そう親しげに話しかけるのは河童の河城にとり。
﹁心配するなって。私の腕を信用しなよ﹂
﹁違う
見えない
ああ、そりゃ済まなかったね。今シートをどける
て話しかけていた。
しかし肝心の相手の姿はなく、声もしない。にとりは虚空に向かっ
?
﹂
?
こんな美味い燃料飲んだことないって
ンプで飛行機の燃料タンクに移しはじめる。
﹁ど う だ い。何
スキマ妖怪に奮発した甲斐があるってもんだよ﹂
?
顔は誰が見ても﹁気持ち悪いほど満足気﹂と答えるに違いない。そう
快活な笑い声を上げポンプを動かす手に力を込めるにとり。その
かった
そりゃよ
そう言うと彼女は近くの小屋から運んできたドラム缶の中身をポ
﹁さあ、お前と私の二人で大空への門出を祝おうじゃないか﹂
ていた。
磨き上げられた排気管が手入れの程度を物言わずとも静かに誇示し
絞られたシルエットを持つ低翼単葉の全金属製飛行機。錆一つなく
は、巨大な機首に三翅のプロペラを装着し尾部に向かうにつれて細く
にとりの手によってシートが取り払われると下から姿を現したの
前さんも私に操縦の仕方を教えてくれたんだろ
﹁ほら、今日のために念には念を入れて整備してきたんだ。だからお
のシートを被せられた巨大な物体に向かってかけられている。
いや、にとりが話しかけているのは虚空ではない。彼女の声は水色
から少し待っておくれよ﹂
?
?
1
?
!
しているうちに一人の人間、守矢神社の風祝、東風谷早苗が空から訪
﹂
れた。彼女はにとりと飛行機の近くの地面にふわりと降り立ち話し
かけてくる。
﹁何していらっしゃるんですか、にとりさん
﹁見りゃ分かるだろ、燃料補給だよ﹂
﹁まあね﹂
﹂
﹁お話しできるんですか
﹂
﹁お前そういうことは教えてくれなかったよな﹂
それを聞いたにとりは飛行機に向かって話しかける。
まさに抜群。インターセプターとして申し分ありません﹂
制式機と比べれば運動性能で劣りますが、上昇力と加速力においては
﹁キ44。旧陸軍の制式採用戦闘機、二式単座戦闘機ですよ。当時の
山の住民の一般的な認識だった。
この上ない。変な知識に限って妙に詳しいというのが早苗に対する
ん﹂という擬音が聞こえてきそうだが、にとりからすれば鬱陶しい事
そう言って彼女は胸を張る。唇の両端が吊り上り、今にも﹁えっへ
﹁知ってるも何も﹂
﹁知ってるのかい
﹁へえ、二式戦ですか﹂
のに触れていく。そのうち、はたと気付いたように声を上げた。
を歩き回り、物珍しげに胴や翼、引き込み式の車輪や主脚といったも
にとりにそう言われた早苗は改めて飛行機を眺めると機体の周囲
?
﹂
ニックネームみたいなもんかい
﹁この方に名前はあるんですか
﹁愛称
﹂
﹁ああ、そういえば二式戦には愛称もあるんですよ﹂
をしていた。
油作業を続けるにとり。その顔は悟りを開いた高僧のような仏頂面
河童ってつくづく変な生き物ですねぇと漏らす早苗を無視して給
?
?
る早苗にも、二式戦の愛称が気になって仕方ないにとりは素直に答え
た。
2
?
その話題には興味を引かれたにとりが話に乗る。逆に質問してく
?
?
﹁トージョーって言ってたよ。一番最初に教えてくれた。自分の名前
はトージョーだって﹂
にとりの答えに早苗は片手を額に当て呆れてみせる。
﹁それ米軍側のコードネームじゃないですか。意外と意地の悪い飛行
﹂
しょ
う
き
機みたいですねぇ、まあいいですけど⋮⋮二式戦、またの名を﹂
﹁またの名を
﹁またの名を〝鍾馗〟といいます﹂
﹂
それを聞いたにとりは思わず足を滑らせて翼の上から転げ落ちそ
うになった。
﹁し、ししし、鍾馗さまだってぇ
﹂
!
﹂
知ってたらもう少し丁重に扱ったっていうのに⋮⋮﹂
?
いますよ
﹂
んし⋮⋮それに、それで扱いを変えたりしたら、この方も悲しむと思
﹁まあ名前がそうだからと言って、必ずしも神格が宿るとは限りませ
にとりは操縦席の縁を掴んでなんとか体勢を立て直す。
﹁知らないよ
道教の神様の名前なんてつけたんでしょう
なんて名乗ったんでしょうね。それにしても、なんで陸軍の戦闘機に
﹁この方もきっと、にとりさんが腰を抜かすと思って〝トージョー〟
﹁鍾馗さまって、あの髭面のおっかない方じゃないかぁ
早苗にはにとりがこういう反応を示すことが分かっていたらしい。
﹁ああ、やっぱりこうなりますか﹂
!?
二式戦に慰められているらしいにとりを見て早苗は奇妙な面持ち
になった。何が起きるか分からない幻想郷とはいえ、意識を持った飛
行機が河童と会話するとは、とんだ常識外れもあったものだとしみじ
み思う。
﹁そ れ は そ う と、山 の 上 の 巫 女 様 は な ん で こ ん な と こ ろ に い ら っ
しゃったのさ﹂
にとりに問いかけられて早苗は用事を思い出したようだ。
﹁そうです、それです。なんでも河童が何か企んでいるから見てくる
ようにと神奈子様に仰せつかりまして﹂
3
?
!
﹁ああ、うん⋮⋮うん⋮⋮お前、良い奴だな⋮⋮﹂
?
﹁ふーん、それでか﹂
﹁ですが飛行機を飛ばそうとしているなんて、思いもよりませんでし
た。ここでは皆さん、なんとはなしに飛んでいますから﹂
二式戦のカウリングに手を当てながら話す早苗。それを聞いたに
とりは風防によりかかりながら﹁ふふん﹂と得意げに鼻を鳴らす。
﹁飛べない奴は何につけても飛ぼうとしないからだ、なんて言う奴も
いるかもしれんがね。世の中の人間、もちろん妖怪だって、何でもで
﹂
私がそれを証明してやろうってわけさ﹂
きるわけじゃない。でもこうやって機械を使えば、誰だって自由に空
を飛べるだろう
﹁⋮⋮本当にそれだけですか
訝しむ早苗に、にとりは表に向けた手の親指と人差し指で円を作っ
ていかがわしい笑顔を浮かべる。
﹁航空ショーを開いて曲芸飛行でもやれば、いい稼ぎになりそうじゃ
ないか﹂
早苗は思わずため息をついて空を仰ぐ。だがその眼に映るものが
﹂
あったので、彼女はにとりに聞いてみた。
﹁あれもにとりさんのお仲間で
﹁なんです
﹂
けどあれは││﹂
﹁いや、山で飛行機といえば私んとこのトージョ⋮⋮こいつだけだ。
翼と尾翼を持ち、胴体先端にはプロペラが備わっていた。
体。地上から観察すると米粒一つほどの大きさにしか見えないが主
にとりも早苗の指差す先を見上げる。そこには空中を飛行する物
?
飛来した飛行機が気になって里に下りた早苗だが、玄武の沢に戻っ
てくるのに時間はそれほどかからなかった。彼女は戻ってくるなり
﹂
地上を滑走している二式戦を見つけ、主翼の上に降り立って操縦席の
にとりに話しかける。
﹁何してるんですか、にとりさん
!
4
?
?
﹁││あれはよくないモノだな、きっと﹂
?
奇しくも今朝の第一声と同じだが語気は荒く、切羽詰まった調子に
なっている。にとりの機嫌も悪く、有体に言って彼女は不貞腐れてい
た。
﹁見りゃ分かるだろ。タキシング、離陸の練習だよ。誰だか知らんが
﹂
あの飛行機、あれは軍の戦闘機です
私たちより先に飛行機なんざ飛ばしやがって﹂
﹂
﹁それどころじゃありませんよ
﹂
﹁二式戦だって戦闘機だろ
す。
﹁あれは旧海軍の主力戦闘機、零式艦上戦闘機です
爆弾も機関砲も
!
早苗の話を聞くために、にとりはようやく操縦席から身を乗り出
﹁うるさいなぁ、要件だけ言いなよ﹂
に適さないほど劣化が著しかったからだ。
り外されていた。にとりが二式戦を発見したとき、それらは既に使用
よって降ろされている。それどころか戦闘に必要な機材は大半が取
早苗の言うように、二式戦に積まれていた機関砲はにとりの手に
﹁爆弾も機関砲も積んでないくせに何が戦闘機ですか
!
﹂
!
そんなもん六十年以上前にとっくに終わったんじゃな
里で聞かれて自分からそう言ったとか
積んであって、しかも向こうのパイロットはさっきまで本物の戦争を
戦争
していた正真正銘の軍人
﹁はあ
!
﹂
﹂
?
りは確かに、はっきりと答えを聞くことができた。
うに問いかける。普通なら答えなど返ってこないだろう。だがにと
早苗は操縦席の計器盤を睨みつけ、まるでそこに誰かがいるかのよ
年経ちましたか
﹁次はあなたに聞きます。今は昭和何年⋮⋮いえ、戦争が終わって何
﹁二、三か月くらい前だったかな。それから私が修理を始めて││﹂
﹁にとりさん、この飛行機を見つけたのはいつですか﹂
冷たく言い放った早苗が低い声で質問する。
ね﹂
﹁ええ、確かに。外の世界ではそうでした。幻想郷でもそうでしょう
かったのか
?
?
?
5
!
?
!
﹁十年か、少なくとも十五年は経ってない⋮⋮だって
早苗がにとりの言葉に深く頷く。
﹁じゃあその軍人ってのは
﹂
﹂
で保存されていたなんて、どう考えてもありえないことです﹂
﹁だと思いました。戦闘機が五十年以上も腐食せずに修理できる状態
?
た。
﹂
﹁そいつは今どこにいる
﹂
髪を押さえ、身体が飛ばされないよう風防の枠を掴む手に力を込め
を端に向かって走らせる。一段と激しさを増した風圧に早苗は長い
にとりは二式戦のプロペラピッチを変化させ、滑走路代わりの原野
たかったってね﹂
﹁こいつが言ってるのさ。いけ好かない海軍野郎を一度ぶん殴ってみ
﹁どういうつもりです
早苗の顔つきが険しくなった。
たよ﹂
﹁面白いじゃないか。ますますそいつの面を拝んでやりたくなってき
そんな早苗の意見を、にとりは鼻で﹁ふん﹂と笑う。
来人、ということになるでしょうね﹂
暇がありませんよ。ですが恐らく、時を超えて迷い込んでしまった外
﹁神隠しとか戦闘中行方不明とか、いちいち例を出していたら枚挙に
?
と聞いた途端に血相を変えて。どこに行くつもりかは知りませんが﹂
森の手前でラダーペダルを踏み込みギアブレーキを使って方向転
換、制動を掛けつつエンジンの回転数を上昇させる。
﹂
﹁もう止めるつもりもないですけど⋮⋮いきなり飛び立ったりして、
着陸とか平気なんですか
?
﹁いえ、そうではなくて⋮⋮﹂
﹂
﹁私は良くても自分がよくない
い
機械が壊れることを怖がるんじゃな
﹁私は妖怪だし、最悪不時着しても死にはしないから問題ないよ﹂
?
6
?
﹁とっくに飛び立ったそうですよ。ここが日本で日本じゃない場所だ
?
そう言ってにとりが計器盤の上を叩くと、エンジンが一瞬だけぐず
!
﹂
ついた。早苗が不安そうに聞く。
﹁見つけてどうするつもりです
﹁さあね、とりあえず挨拶でもしてみるかな﹂
早苗が機体から離れていくのを確認したにとりは帽子が飛んでい
かないようバンド付きの防寒イヤーマフで押さえつけてゴーグルを
かける。スロットルを操作してエンジンの回転数を限界寸前まで上
げるとギアブレーキを解除、二式戦は前に向かって動き出した。
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?
第二節﹁にとりと戦争﹂
機体は一度動き出せば物凄い勢いで加速、景色が背後に流れ去って
いく。出足の軽快さは重戦闘機の見た目からは想像もつかない。エ
ンジンとプロペラの生み出す推進力は、にとりがこれまでに体験した
こ と の な い ほ ど 強 烈 な も の だ。速 度 が 増 す に つ れ て 視 界 が 狭 ま る。
二式戦の合図に合わせ両手で操縦桿を引いた瞬間、車輪から伝わって
いた振動が消えてなくなった。首が両肩の間にめり込み、それまで背
中に感じていた加速度がお尻へと移動していく。
﹁飛んだ⋮⋮﹂
当たり前だ。整備されて、訓練を受けた者の乗り込んだ飛行機が飛
んで何が悪い。この大空はお前の物だ││二式戦はにとりにそう返
8
した。脚を胴体に引き込むと機体はさらに増速。飛行特性は極めて
﹂
安定し、直線的できびきびとした動きは癖になる。上半身一杯に風を
受けながら、にとりは大声で叫んでいた。
﹁これがお前の泳ぐ世界か、気に入ったよ私は
が航跡をなぞって薄気味悪い尾を引いている。それは東に向かって
なものだが、件の飛行機を発見するのは容易かった。厄神じみた痕跡
正式な搭乗員試験を受けたわけではないため、にとりの視力は平凡
﹁見つけた﹂
立ったという海軍の飛行機を背面のまま捜索する。
あ る の に 重 力 も 頭 上 に 感 じ る と い う 不 思 議 な 感 覚。そ の 中 で 飛 び
を曳きながら機体を捻り天地を反転させると水平飛行、輝く雲が上に
同じ。雲を突き抜けると目前に太陽、上昇角六十度。翼端から白い尾
快だ。操縦桿を通して二式戦の想いが伝わってくる。その逆もまた
驚き慌てふためいて逃げ惑う。にとりの﹁ははは﹂という高笑い。愉
ラスを水滴が伝い、雲海を泳ぐ幻想的な存在が突如出現した飛行機に
ね上がるように空を向いて雲の高さまで駆け登った。風防の強化ガ
スロットルを開放し操縦桿を引くと機関が咆哮、二式戦の機体は跳
!
いた。
﹁まるで空中百鬼夜行だ﹂
機体の姿勢を順に戻してから軽くバンク、スロットルを絞って緩降
下。二式戦の加速性能を活かして零戦の後方から接近する。後方占
位を維持して追跡を開始、にとりは視界の中にいる飛行機に呼びかけ
た。
﹁あー、おい。そこの飛行機、聞こえるか﹂
それに対する応答が相手から迅速に返ってくる。
﹁聞こえている。そちらはどこの所属機か、官姓名を述べよ。即答求
む﹂
さすがのにとりも困り果てた。強いて所属を言えば妖怪の山だろ
うが、どう答えればいいものか分からない。そんな途方に暮れる彼女
に二式戦が援護を申し出ると、にとりはそれを快諾した。
私
﹁││軍隊なんか関係ない、所属も階級もへったくれもない。知った
﹂
なった。獰猛な笑みを浮かべるにとり。彼女は一瞬だけ操縦桿を前
﹂
に倒すと鍾馗の高度を落とし再度上昇、後下方からぶつけるような勢
いで零戦に肉薄する。
﹁言いたくなければ不時着させて聞いてやる
空中衝突を嫌った零戦は回避運動。ロール、引き起こし、急旋回、バ
レルロールで高度を落として増速、低空飛行。高さを速さに変換する
ことでにとりと鍾馗を振り切ろうとし、にとりも零戦に追随しようと
したが、鍾馗がそれをやめさせた。
﹁運動性能では分が悪い⋮⋮格闘戦を避けて上昇、たとえ引き離され
たとしても││﹂
││追いつくことは可能だ。
﹁わかったよ、鍾馗﹂
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ことか。今さら戦争だの勝ち負けだの、どうなろうと構うものか
らは、谷カッパのにとりと二式戦・鍾馗だ
今度は返答までにやや間が空く。
﹁ならばこちらも何も言うことはない﹂
!
そんな零戦の態度を二式戦が﹁気に入らない﹂と呟いたのが合図に
!
!
にとりは機体を水平に戻す。前下方に零戦。やや離されているが、
⋮⋮使いこなせそうもないな、たぶん失速するよ。格闘
鍾馗もまだ全力を出していない。
﹁フラップ
戦は無理か﹂
にとりは鍾馗の助言を元に技術者らしく自分にできること、できな
いことを洗い出していく。零戦は目下、東進を続けていた。もしも空
中戦が始まるとしたら、それはこちらが向こうの進路妨害に成功して
からだろう。戦闘を仕掛けるタイミングはこちらが握っている。考
える時間は充分にあった。
﹁格闘戦をしたがるあいつから逃げ続け、高速で一撃離脱を繰り返し
て操縦ミスか燃料切れを狙う、それしかないか﹂
操縦技術や飛行経験の浅さは整備と燃料の質で補える。武装して
重くなった零戦と装備を外し軽量化された鍾馗、互いの飛行機として
の特性と装備の有無で戦局は膠着状態に陥るだろう。だが零戦はど
こかに帰還せねばならない。こちらは向こうの足止めさえできれば
よく、戦略目標の達成条件において遥かに有利だ。重圧をかけ続けれ
ば、博打に打って出た零戦はいずれどこかで必ず挽回不可能な失敗を
犯す。
﹁つまり私たちの目的は、とにかく生き残るということでいいんだな
﹂
﹂
﹁どの道、奴さんはこっから出られやしないんだ。それを分からせて
やる
﹁次は撃つ﹂
度零戦の後方を占位する。
ネルギーを失って速度を下げた。にとりは鍾馗を大きく旋回させ、再
鍾馗が突出。進路を妨害された零戦はさらに回避を強要され運動エ
の時、上昇機動によって速度を落とした零戦の前に下方を潜り抜けた
抜けるように躱すが、鍾馗もそのまま機体を裏返して零戦を追尾。こ
に襲いかかる。それに対して相手も増速、上昇して鍾馗の目前をすり
にとりは鍾馗を加速させ、機体を上下反転させて零戦に被さるよう
!
10
?
その通りだ、と鍾馗。
?
零戦から最後通牒が寄せられるが、にとりは煽るように言い返し
た。
﹁撃ちたきゃ撃ちな。今のでどれだけ燃料を消費したか知らないが、
撃てるもんなら撃ってみろ﹂
﹁なぜ邪魔をする﹂
挑発の効果があったのか、相手は苛立たしげに会話に乗ってくる。
﹁貴様も皇国の臣民なら、勝利のため挙国一致して我らに協力すべき
ではないか﹂
その高圧的な物言いに、にとりがキレた。
﹂
﹁古臭いんだよ﹂
﹁なに
﹂
﹁忠君愛国だの、七生報国だの⋮⋮戦争も何もかも終わったこと全部
古臭いんだ
想郷のこと、河童の技術、最近何があったか、昔は何があったか││
作業の合間、にとりはトージョーに様々なことを語って聞かせた。幻
や が て に と り の 手 に よ っ て ト ー ジ ョ ー 再 生 の 作 業 が 開 始 さ れ る。
とりの最初の仕事になった。
面に書かれた﹁武運長久﹂の文字を消し去ること││最後の一つはに
は、機体から武装を降ろすこと、いずれ空に還すこと、そして機体側
委ねることを、いくつかの条件と引き換えに承諾した。その条件と
が﹁自分はトージョーだ﹂と言う。そして、にとりの手に自分の身を
うから話しかけられた。にとりが﹁お前はなんだ﹂と問うと、飛行機
それでも飛行機を再生させようと足しげく通っているうちに、向こ
た。
腐食が甚だしく、とても使用に適さないと思えたことが始まりだっ
ると、どうも奇妙なことが分かり始める。機体の状態に反して武器の
つかるのは稀だからだ。さっそく機体によじ登っていろいろ調査す
が高鳴った。あれほど良好な保存状態で外の機械が、それも丸ごと見
の中、草木に覆われながら眠っている飛行機を見つけた時は興奮で胸
にとりは鍾馗を見つけた時のことを思い出す。玄武の沢近くの森
!
特に外の歴史を聞かせるとき、にとりはとても慎重になった。トー
11
?
ジョー自身が聞きたがっていたとはいえ、にとりも聞きかじりである
上に、場合によってはトージョーの機嫌を損ねてしまう可能性もあっ
たからだ。
結果として、その心配は杞憂に終わった。トージョーは外の戦争で
負けたことをある程度の冷静さを持って受け止めたらしく、むしろそ
の後の外の発展に深い安堵を覚えていたようにすら思えた。いや、負
け た こ と な ら 最 初 か ら 分 か っ て い た の か も し れ な い。最 初 に ト ー
ジョーが出した条件、武装解除││それは一種、諦観や自棄の念にも
似ていたのだから。
今朝、燃料を移し替えた時﹁こんなに美味いものを飲んだのは初め
てだ﹂とトージョーは言った。﹁本当にいい時代になったものだ﹂と。
戦争に負けた時、トージョーにとっては世界の全てが一度終わった
ことになったのだ。それが今もこうして世界は続いている。前より
ずっと豊かになって。ならば、自分が世界から忘れ去られたとしても
零戦がものすごい剣幕で急旋回をしてやってくる。左旋回。にと
りも相手の背後に付こうとして左にバンク、巴戦になりかけているこ
そうか右旋回だな﹂
とに気付いた鍾馗が警告を発した。
﹁左捻りこみ
鍾馗に注意を促されたにとりはスロットルを全開にして離脱を図
?
12
悔いはない。むしろ、あの戦争が人々を貧しくさせていたのだとした
ら、忘れてならないものは別として、忘れ去られたほうが良いもの
だって、きっとある。多分燃料の質の問題ではない。味わい方の心境
が変わったのだ。だから、にとりはトージョーを空に還してやりたく
なった。
だがいざ空に還ってみれば、そこには戦争の亡霊が我が物顔で飛ん
でいた。それが鍾馗にはどうしようもなく許せなかった。悲しみよ
り先に怒りが込み上げ、それがにとりに伝播した。
お前
!
みんなが全部古臭いん
銃後のためとか言いながら
!
独りよがり
!
﹁国に尽くすとか、国のためとか
﹂
らはなんにも見えちゃいない
だ
!
﹁言うな、黙れ非国民め。殺してやる、殺してやるぞ﹂
!
る。バンク反転、零戦の苦手な右方向旋回。だがバンクを交わす一瞬
の隙で鍾馗の背後に付いた零戦は自らの死角に回り込まれる前に搭
載機銃を一連射。7.7mmと20mmが同時に放たれるが初速の
﹂
低い20mmは外れ、7.7mmは鍾馗の13mm防弾板によって阻
まれた。
﹁う、撃たれたのか
背後に感じた衝撃でにとりはパニックを起こしかけるが鍾馗は落
ち着くように言う。20mmは旋回戦で極端に命中率が落ちる。装
弾数も概して多くなく、よくて三連射もすれば弾が尽きた。逆に7.
7mmの弾道特性は良好だが防弾装備の充実した重戦闘機相手には
威力不足を否めず、燃料タンクに漏出防止機能まで有する二式戦なら
想定内の損傷に過ぎない。
﹁つくづく鏡合わせじゃないか。お前らを設計した技師は互いに何を
思ったんだろうな﹂
一つだけ確かなことがある。零戦は妥協の産物だが、二式戦は生み
わたし
の親をして最高傑作と言わしめた戦闘機。これ以上はないという自
負が寄る辺となって、鍾馗を確固たるステージに押し上げている。恨
みがましい泣き言と言い訳ばかりの零戦とでは立っている舞台が違
うのだ。自らの境遇、己の演じる悲劇に酔った湿っぽい役者ほど惨め
で滑稽なものはない。
とはいえ離陸時に燃料を満載した重戦闘機と、ある程度消費した運
動性重視の格闘戦闘機では操縦桿の軽さが違う。もし主兵装の12.
7mm機関砲があれば一切の防弾装備を持たない零戦など木端微塵
にするのは容易いが、照準に捉え続けることが可能かどうかは別問題
だ。だがそこにも付け目がある。
再度の銃撃。7.7mmが鍾馗の翼を穿ち、20mmの曳光弾が胴
体のすぐ近くを掠めて抜けた。だが今度はにとりも恐怖におびえる
ようなことはない。零戦が叫喚する。
﹁洋上に出れば仲間の航空隊がいる。この地の所在を彼らに報せて誘
﹂
導し、同胞に本土の土を踏ませてやりたい﹂
﹁だったらなんだってんだ
!
13
?
一般的な零戦乗りはその運動性能に過剰な自信を抱く傾向がある。
航空機の運用に柔軟な理解と知識を備えていた陸軍でさえ格闘戦性
能至上主義が幅を利かせていたのだから、それ以上に硬直した海軍な
ど推して知るべしといったところだろう。結局、彼らは時代の変化に
わたし
ついていくことができなかった。そして現在も、硬直した思考のまま
鍾馗の眼前を飛んでいる。鍾馗にとって、まさに打ち砕くべき過去の
亡霊の形象だ。
﹁この地に根を張り力を蓄え、いずれ艦隊と航空隊を再建して鬼畜米
やってみろよ
﹂
英に復讐し、帝国海軍の威光を世に知らしめる﹂
﹁ああ
は実際に六十年以上もの間、玄武の沢の近くで眠り続けていたのだろ
タイムスリップに関しては二式戦も同様だった。というより、鍾馗
者であれとにとりは願う。
いるのか、それとも単なる思い込みなのかは分からない。できれば後
は航空隊などと口走っていたが、似たようなものが隊伍を組めるほど
もないが、幻想の存在からしてみれば迷惑極まりない話だった。あれ
い。ああいうものが外の世界で生まれる原因があったかなど知る由
のが、年月を経るうち悪辣なものに変質してしまったのかもしれな
なって今頃現れたものなのだろう。もしかしたら元は精霊だったも
けない、彼女はそう考えていた。あれは大方、外の世界の邪念が形と
零戦を観察したにとりが言う。人間がタイムスリップなどするわ
﹁やっぱり怨念の類だったか﹂
な黒い靄が炎のように噴き出ていた。
う。破孔から燃料が漏れ出ることはなく、代わりに地底の怨霊のよう
したのか致命的な破壊は免れたようだが、もはや帰還は不可能だろ
を起こし、翼の付け根に大穴をあけた。残弾が少なかったことが幸い
強引に発砲。だが発射中に制限Gを超えた20mm砲弾が筒内爆発
一方、零戦は持ち前の運動性能を活かし交差直前の鍾馗に狙いをつけ
縦系統と横系統に分離された操縦特性が効果を発揮した瞬間だった。
鍾 馗 と 零 戦 が 交 差。高 速 の 二 式 戦 は に と り の 操 縦 に 良 く 応 え る。
!!
う。孤独と喪失が時間の感覚を奪ったものの、再び空に上がりたいと
14
!?
いう気力が一心となって原型を保ち続けさせたに違いない。装備さ
れていた機銃は年月相応に朽ち果てていたのが何よりの証拠だ。あ
の若い風祝には思いもよらない不思議なことが、幻想郷には溢れるよ
うに満ちている。
その半世紀以上風雨に耐え続けた機体も、今や見る影もないほどの
傷痕を刻まれ墜落寸前になっていた。至近距離で20mm砲弾の暴
発に巻き込まれたのだから無理もない。狙ってやったのだとしたら
大したものだが、恐らくは偶然の産物だろう。ただいかなる理由であ
ろうと執念が原動力になったならば、容易に侮るべきではないことも
また事実だった。亡霊とは執念の具現であり、絶対に当たるはずのな
い砲弾が事実こうして命中したのだから。
散々迷った末、にとりは鍾馗を棄てる決意をする。垂直尾翼は半分
以上がなくなり、まともな操舵を期待できる状態ではない。頻繁に咳
き込むエンジンはカウルの隙間からオイルが漏れ、玄武の沢まで保つ
15
という保証もなく、安全に着陸できる要素はほぼ失われていた。鍾馗
によると片脚が出しっぱなしになって車輪は脱落、もう片脚は下ろせ
そうにないらしい。非常に口惜しいが、どうやらここまでのようだっ
た。
﹁すまんなぁ、盟友。私の力が及ばなかったばっかりに⋮⋮﹂
気にする必要はない、こちらこそ済まなかったと鍾馗は言う。最後
にもう一度空を飛べたばかりか、あの生意気な海軍に一矢報いること
﹂
お前に礼を言われたのは初めてだよ⋮⋮あの
ができたのだから存外悪くない余生だった、と。
﹁ありがとう、だって
時消してもらった〝武運長久〟の字に替えて、この言葉を贈る
〝平穏無事〟を祈る。
﹁鍾馗││﹂
に向かって戻ってきていた。姿勢はふらついてとても真っ直ぐに飛
その時、背後から、爆音。翼の付け根に破孔の開いた零戦がこちら
り空中に白い花を咲かせた。その状態で鍾馗を見送る。
操縦席から落下する。背中のナップザックから伸びた落下傘が広が
言葉をつづける前に鍾馗が一八○度バンク、にとりは重力に従って
?
?
べていないが、確実ににとりの方へと近づいてきている。
︵あいつはまだやる気なのか︶
にとりは青ざめた顔で零戦の風防を見据えるが、反射する光のせい
で中を覗くことは出来なかった。
16
第三節﹁八坂の神風﹂
零戦の気配に気づいた鍾馗は必死に機体を立て直そうとするが、姿
勢を水平に戻したところで限界を迎えて力尽きた。搭乗員もおらず
微妙な調整の利かない状態で急旋回など行えば確実に失速、墜落する
ことは免れない。だが誰もいないはずのコックピットで操縦桿に触
れる者があった。鍾馗が機内に注意を向けると、そこに一匹の白蛇が
いる。まるで操縦桿を掴むように絡まる白蛇。そこにいるのが当然
というかのような面持ちのそれは、実体を持たないだろう半透明の身
体ながら不思議な力で生身の人間以上に逞しく鍾馗を操って見せる。
﹃やはり早苗に見に行かせて正解だったか﹄
その言葉で鍾馗は思い出す。そういえば、あの深緑色の髪をした巫
女も髪の一房に蛇を絡ませていた。操縦桿が横に倒され、直角バン
ク。そこから機首を引き上げて一八○度旋回。鍾馗だけでは手に余
らせていた飛行特性が何者かの手によって甦り遺憾なく発揮される。
その操縦はどこか神がかったものを感じさせた。
﹃お前の武運、私がしかと見届けてやろう。そして平穏無事の祈願、我
は確かに聞き届けたぞ││﹄
気が付けば咳き込んでいたはずのエンジンが快調な唸りを上げて
いる。これを奇跡と呼ぶことは容易いだろう。蝋燭が燃え尽きる寸
前の一際激しい輝きすら思わせるが、構うものか。鍾馗の想いに答え
るようにスロットルが一杯まで開かれる。オーバーブースト。排気
管が炎を吐きオイルに着火、限界を超えて稼働するエンジンが異常振
動と共に獰猛な肉食獣の鳴き声に似た咆哮を轟かせた。
にとりの目は全てを捉えていた。零戦が7.7mmを射撃すると
きの発射炎、回転するプロペラの一枚一枚までもはっきりと映すこと
ができた。直後、視界に飛び込んできたのは燃え盛る鍾馗。にとりの
17
すぐ脇をすり抜けるように身を挺した二式戦の機体を7.7mmが
貫くことは叶わなかった。そして極めて安定した鍾馗の飛行特性が
空対空特攻に有利に働く瞬間も、にとりは見た。見たくはなかった
﹂
が、見ないわけにはいかなかった。
﹁鍾馗
爆装した艦上戦闘機と燃料を満載して飛び立った重戦闘機。それ
が空中で交差し爆発と炎に包まれる直前、互いのプロペラが接触し激
しい火花が散った後、鍾馗の主翼前縁が零戦のカウリングを叩き潰
し、付け根の膨らみがコックピットを深く抉った。直後に、閃光。空
中で重なり合った二機が火球に飲み込まれ散華する。血のように滴
り落ちる赤い炎が枝垂れ柳を宙に描いた。
﹁馬鹿野郎⋮⋮﹂
溶けた金属の破片が飛散する空。にとりが落下傘で降下しながら
呟く中、彼女の目の前を赤丸の描かれた緑の板、零戦の主翼らしき残
骸が風にあおられ落ちていく。発生した火球が消えた後も黒煙は天
を衝くように昇り続けたが、鍾馗の機体は跡形もなくなり、どこにも
その姿を探すことはできなかった。
18
!
最終節﹁水神少女﹂
後日。早苗が玄武の沢を通りかかると、にとりが川辺に座ってい
た。流れる水に足をつけ、手には何かを抱えている。早苗は彼女に気
づかれないよう背後に忍び寄ると、囁くように話しかけた。
⋮⋮なんだ、山の上の巫女様じゃないか﹂
﹁何してらっしゃるんですか、にとりさん﹂
﹁うん
早苗の予想に反して、にとりは突然の闖入者に驚きもしなければ邪
険にもしなかった。ただ角が取れたような、それでいて物怖じしない
大人びた雰囲気を纏っている。機械いじりに没頭していた腕白な少
女という先日までの印象は、どこか置き去りにされたように鳴りを潜
めていた。
﹁別に何かをしてたわけじゃないんだ。ちょっと考え事をしてただけ
で﹂
﹁考え事、ですか﹂
早苗はにとりが手に持っている物を見る。胴体に主翼と尾翼、先端
にプロペラを備えた飛行機模型。あの騒動、事件を記事にしてバラ撒
いた天狗たちによって仰々しく〝バトル・オブ・ミストレイク〟と名
﹂
付けられた戦闘機同士の一大空中戦で失われた機体が思い浮かんだ。
﹁もしかして、二式戦を復元するおつもりですか
﹁うん、そう思ってた﹂
にとりは頷く。ただし、過去形で肯定した。
作ったら、あいつはきっと私を叱るに決まってる。だから、やめた。
で作られた、これ以上ない存在だって。そんなあいつの模造品なんか
自分は生みの親の最高傑作だって。設計者の持てる全てを注ぎ込ん
﹁そうじゃない。そうなんだけど、違うんだ。あいつが言ってたんだ、
早苗の言葉を遮るように、にとりが言う。
﹁なぜ⋮⋮にとりさんは二式戦のことを﹂
﹁あいつの身体を、私が作り直してやろうと思ってた。でもやめた﹂
?
19
?
いつまでも自分の面影を追ったりして、過去に囚われ続ける必要なん
てない⋮⋮私の中で、あいつがそう言ってる気がするんだ﹂
そこで何か思い出すものがあったのか、にとりは手の中の模型に視
線を落とす。
﹁こまごまとしたところに手間のかかる奴だった。それが影も形も残
さずなくなっちまうなんて、まるで妖怪みたいな消え方しちゃってさ
⋮⋮﹂
いつか私は作って見せる
あいつに
彼女はしばらくそれを眺めて弄んでいたが、やおら立ち上がると早
苗に向き直って宣言した。
﹁だけど諦めたわけじゃないぞ
!
た。
﹂
だが、二式戦・鍾馗が守りたかったものは皆、今もここで息づいてい
笑顔、叶えられた願い、全ては数か月の間に起こった夢の名残り。
﹁だから見ていてくれよ、鍾馗﹂
れもない事実として胸中にいつでも蘇る。
は漠然とした感触だが、あの瞬間を思い出せば一度味わった高揚は紛
る。目には見えないが、耳には残響││この大空はお前の物だ││今
にとりは空を見上げ、腕を伸ばして雲をつかむようなしぐさをす
﹁そうしたら、あいつとはまた会える。多分そんな気がするんだ﹂
帰ってきた。
た。戻 っ て き た の だ。つ か の 間 の 二 式 戦 と の 旅 を 経 て、彼 女 は 再 び
そこには早苗が見る限り、以前と同じく朗らかで活発なにとりがい
言ってやる
負けない飛行機を設計して、これが私の最高傑作だって胸を張って
!
﹃河伯と鍾馗﹄ 終
20
!