印度學佛敏學研 究第三十六巻第 一號 昭和 六十 二年十 二月 凝 然 の華 厳 十重 唯 識 の考 察 陳 永 (2) 唯 識 を 用 い て注 釈 し た 一節 で あ る。 そ の ﹃探 玄 記 ﹄ の中 で の文 を、 法 蔵 が ﹃探 玄 記﹄ (正蔵三五 二二四 七 上) の 中 で 十 重 品 の第 六現 前 地 の ﹁三界 虚 妄 但 是 心 作 ﹂ (正蔵 九 ・五五八下) 目 さ れ る。 これ ら 三 部 作 の基 に な った の は、 ﹃華 厳 経 ﹄ 十 地 十 重 唯 識 円 鑑 記 ﹄、﹃華厳 十 重 唯 識獲 鑑 章 ﹄ な ど の三 部 作 が 注 特 に華 厳 十 重 唯 識 に つい て の ﹃華厳 十 重 唯 識 蝋 鑑 記 ﹄、﹃華厳 説 の典 拠 とな る経 論 ・章 疏 を改 め て引 用 し 詳 釈 し て い る。 残 つ、簡 単 に注 釈 す る に留 ま る が、 ﹃円鑑 記 ﹄ で は、 十 重 唯 識 ら れ る。 そし て、 ﹃慶 鑑 章 ﹄ は ﹃探玄 記﹄ の原 文 を 引 用 し つ あ る が、 ﹃円鑑 記﹄、﹃慶 鑑 章 ﹄ も 同 時 に筆 を進 め た こ と が 知 いる。 日 付 か ら見 る と、 最 初 に書 き始 めた の は ﹃彌 鑑 記 ﹄ で 代 に つい て見 る と、 同 じ正 応 五年 (三 一 九 二)に著 作 を 始 め て が あ った こ とを 自 ら 明 か し て い る。 また、 三 部 作 の著 作 の年 と記 し て い る。 この よ う に、 三部 作 に は それ ぞ れ 著 述 の趣 旨 裕 は、 経 典 の随文 解 釈 に す ぎ な か った も の を、 凝 然 は ﹃瑞 鑑 部を並存し、通 じて十巻を成す。 記﹄、﹃円鑑 記 ﹄、﹃境 鑑 章 ﹄ な ど と名 称 を 改 め な が ら、 次第 に る ﹃瑞 鑑 記 ﹄ は三 部 作 の中 で、 一番 中 心 と な る大 作 と し て、 凝 然 (三 一 四〇- 三三 三) は多 数 の著 作 を 残 し て い る が、 ま と ま った大 作 に増 広 し て い る。 こ の こ と に 対 し て、 ﹁凝 然 主 に問 答 の形 式 を 取 り な が ら、 ﹃円 鑑 記 ﹄ で経 論 を 引 用 す る 注 釈 した こと が、 ﹃瑞 鑑 記 ﹄ を大 部 な も の に し た原 因 で あ る。 (3) の著 述 の中 には、 参 考 用 あ る い は予 習 用 に書 い た も のが多 く 場 合、 ﹁繁 を恐 れ て引 か ず﹂ と述 べ た と こ ろ を、 更 に 補 って (1) て、 こ の十重 唯 識 の 三部 作 も そ の例 であ る﹂ と言 わ れ て いる が、 ﹃瑞 鑑 記﹄ 七 巻 の奥 書 を見 る と、 厳 法 界 義鏡 ﹄ と が あ る。 こ こ で指 摘 し た い こと は、 ﹃慶 鑑 章 ﹄ るも のは、 こ の三 部 作 の外 に、 ﹃華 厳 探 玄 記 洞 幽 鋤 ﹄ と ﹃華 と ころ が、 凝 然 の著 作 の中 で、 こ の十 重唯 識 説 が説 か れ て い では旨帰を備え尽 くし、中容 (円鑑記) の二巻 で は 精 要 を 現 わ 私は十重唯識を 三回にわた って解釈 した。広記 (瑞鑑記) の七巻 し、そして略章 (環鑑章) の 一巻 では大宗 を総括 した。それら三 -224- の十 重 唯 識 の文 と、 ﹃法 界 義 鏡 ﹄ の文 とが ほ とん ど 同 じ 文 章 る こと は、 十 重 唯 識 を通 し てそ れ を繋 げ る ことが 可 能 で あ っ 別 教 二乗 と澄 観 の四種 法 界 を 一つ の流 れ の中 で取 り上 げ て い また、 中 国 で の著 作 の外 に、 十 重 唯 識 を 取 り上 げ て いる書 物 て いた 三部 作 の中 か ら そ れ ぞ れ挿 入 した も の と考 え ら れ る。 と ﹃洞 幽 鋤﹄ は 三部 作 の後 の著 作 で あ る か ら、 既 に著 述 さ れ 三〇 四)の凝 然 晩 年 の著 作 で あ る。 し た が って、 ﹃法 界 義 鏡 ﹄ 永 仁 三年 (三 一 九五)の著 作 で あ り、﹃洞 幽 砂 ﹄ は嘉 元 二年 (一 こと であ る。﹃法 界 義 鏡 ﹄ は 三部 作 を 著 述 し てか ら 三 年 後 の 観 は境 に託 し て以 て自 心 を 陳 べ、唯 識 観 は心 に約 し て 以 て万 三聖 円 融 観 で あ り、 も う 一つは唯 識 観 であ る。 そ し て、 三 聖 そ れら の中 で精 要 を陳 ぶ る と、 二種 の観 があ る。 そ の 一つは た 後 で、 ﹁これ ら ら 十 種 は世 に流 行 す る観 門 の枢 要 であ る が、 問 い、 そ の答 え と し て十種 の観 門 を挙 げ る。 そ の十 種 を 示 し と、 ﹁別 教 一乗 の普 賢 法 界 は心 観 の要 門 は 何 で あ ろ う か﹂ と 中 で、 十 重 唯 識 が唯 識 観 と し て扱 わ れ て い る。 そ の文 に よ る た と思 わ れ る。 ま た、 ﹃法 界 義 鏡 ﹄ の第 五 の ﹁ 観 行 状 貌﹂ の (7) であり、 ﹃円 鑑 記 ﹄ と ﹃洞 幽 鋤 ﹄ とが ほぼ 同 じ であ る と い う とし て は、 青 丘 沙 門 見 登 の ﹃起 信 論 同 異 集 ﹄ の中 で も見 る こ 境 を尽 く す ﹂ と言 う。 そ の唯 識観 と いう の が、 即 ち華 厳 十 重 (4) とが でき る。 し か し、 そ こで は ﹃探 玄 記 ﹄ か ら の引 用 に す ぎ 唯 識 の こと で あ る。 凝 然 は、 華 厳 観 行 の 二 つの柱 の中 で、 十 重 唯 識 を 内 容 と す る唯 識 観 を、 重 要 な柱 の 一つと し て位 置 づ (8) る、 凝然 の強 い勢 いを感 じ さ せ る。 な いが、 そ れ に比 べ る と、 三部 作 の著 述 は、 十 重 唯 識 に対 す 法 蔵 の十 重 唯 識 は、 慈 恩 基 の ﹃大 乗 法 苑 義 林 章 ﹄ の五重 唯 視 した 理 由 は 何 であ った のか。 当 時、 貞 慶 ・良 遍 に よ る 一乗 関 わ りを 持 って い る と は いえ、 凝 然 が そ れ ほ ど十 重 唯 識 を重 然 で あ る と指 摘 さ れ て いる。 し か し、 凝 然 の華 厳 教 学 が 法 蔵 観 の路 線 を持 って 正系 と し、 そ の正統 性 を 確 立 した のは、 凝 態 度 を見 る こと に し よ う。 華 厳 宗 の相 承 の系 譜 を、 法 蔵 ・澄 次 は、 こ の十 重 唯 識 の三 部 作 を通 し て、 凝 然 の華 厳 教 学 の け て い る こと が知 ら れ る。 化 さ れた 法 相 教 学 の興 隆 と いう 時 代 背 景 の中 で、 華 厳 学 の優 と澄 観 の教 学 を そ のま ま 踏襲 し て いる と いう 指 摘 で は な い と り上 げ た も の であ る。 唯 識 と華 厳 と は、 教 学 の上 で 不 可分 の 識 (正蔵 四五 ・二五八申)に基 い て、 華 厳 の十 重 唯 識 と し て 作 越 性 を 現 わ す た め の学 説 と し て、 十 重 唯 識 を 重 ん じた の で は で に指 摘⋮ さ れ て いる こと か ら し て、 そ こで、 凝 然 は誰 れ の思 思 わ れ る。 中 国 に お い ても、 法 蔵 と澄 観 の思 想 の同 ・異 は す 想 を ど れぐ ら い受 け 入 れ て、 凝 然自 身 の華 厳 教 学 を 形 成 し て (9) な か った だ ろ う か。 三 部作 及 び ﹃洞 幽 砂﹄ の中 で、 頻 り に慈 (5) 恩 基 の五重 唯 識 と対 比 を行 い、 五重 唯 識 は 不 備 の唯 識 説 であ (6) ると 指 摘 し て い る。 更 に、 凝 然 が 十 重唯 識 の終 り に、 法 蔵 の 凝 然 の華 ⋮ 厳十 重 唯 ⋮ 識 の考 ・ 察 (陳) -225- げ て い る こと は、 澄 観 か ら の影 響 で あ る と 言 え よ う。 し か わ れ る。 前 にも 言 った よう に、 凝 然 が常 に 四種 法 界 を取 り 上 いる のか と いう確 認 が、 凝 然 教 学 を 研究 す る基 本 に な る と思 じ レ ベ ル で 扱 お う と し た の で は な い か と 思 わ れ る。 こ の 十 重 説 を 取 り、 円 教 の中 で の 同 教 と 別 教 を、 全 収 全 棟 を 用 い て 同 は、 凝 然 が 法 蔵 の同 ・別 二 教 の考 え よ り も、 む し ろ、 宗 密 の い い、 諸 宗 を 全 収 す る を 同 教 と 言 う の が 注 目 さ れ る。 こ れ 凝然 の華厳十重唯識 の考察 (陳) し、 ここ では 断 片 的 では あ るが、 法 蔵 ・澄 観 と は異 った考 え は、 法 蔵 ・澄 観 は 勿 論 の こ と、 更 に、 宗 密 や そ の他 の 人 々 の 唯 識 の解 釈 か ら も 伺 わ れ る よ う に、 今 後 の 凝 然 教 学 の 研 究 十 重 唯 識⋮ の説 明 の最 後 に、 法 蔵 は 十 重 唯 識 を、 初 教 ・終 方 を、 彼 の三 部 作 の中 か ら 上 げ て見 る こと に し よ う。 2 1 瑞 鑑 記 巻 一正 応 五 年 三 月 二 六 日。 巻 二 同年 四月 十 七 日。 巻 四 大 日本 仏 教 全 書 13、 四 一六頁。 島 地大 等 ﹃日 本 仏 教 教 学 史 ﹄ 四 一〇 頁。 思 想 を も 視 野 に 入 れ て 進 ま な け れ ば な ら な い と 思 わ れ る。 唯 識 のみ を 円教 中 別 教 の説 であ ると 明 か す (正蔵 三五 ・三四七 3 教 ・頓 教 ・円 教 中 別 教 に 配 し て、 十 重唯 識 の中 で、 後 の三 重 中)。ま た、 澄 観 は ﹃華厳 経 疏 ﹄ の中 で、 同教 と別 教 を 論 じ、 8 7 6 5 大 日 本 仏 教 全書 13、 二 八 八 下。 鎌 田茂 雄 ﹁日本 華 厳 に お け る 正 統 と異 端 ﹂ (思 想 五 九 三 号)。 右 同、 二 八 一下- 二 八 二 上。 右 同、 二 八 八 下、 三 三 〇 下。 大 日 本 仏 教 全 書 13、 四 〇 九 下、 三七 五 上 そ の他。 山 崎 慶 輝 の諸 論 文。 大 日本 続 蔵 経 一- 七 一- 四、 三 七 三頁。 記 下 巻 同 年 五 月 十 八 日。 墳 鑑 章 同 年 潤 六 月十 一日。 同 年 五月 三 日。 巻 五 同 年 五 月 十 日。 巻 七 同年 七月 十 八日。 円鑑 ﹁同 教 二乗 と は同 頓 ・同実 であ り、 別 教 一乗 の み が円 融 具 徳 であ って、 別 を 以 て同 を該 ね る か ら皆 な 円 教 の摂 で あ る﹂ (正蔵 三五 ・五 一四上)と説 く。 これ ろ両 師 の説 に対 し て、 凝 し具 足 義 理 分斉 に 約 す るな ら ば ﹂ な ど の前 提 を つけ、 十 重 唯 9 右 同、 三 三 一下。 4 識 の中、 前 の七重 唯 識 も、 別 教 一乗 の ﹁所 同 の法﹂ と し て扱 10 然 は まず、 法 蔵 の 五教 の配 釈 に従 い な が ら、 更 に、 ﹁若 し 前 って、 円教、 あ る いは 別 教 三栞 の中 に 入 れ よ う と す る。 ま 11 右 同。 (11) の七 重 が別 教 二乗 の所 同 の法 で あ る な らば ﹂、あ る いは、 ﹁若 (10) た、 凝 然 は澄 観 の ﹁同頓 同実 ﹂ の同 教 の説 を引 用 し て、 それ 12 (12) ( 駒 沢 大 学 大 学院) 大 日本 続 蔵 経 一- 七 - 五、 四 〇 〇 右。 大 日 本 仏教 全書 13、 三 三 二 上。 ︿キ ー ワー ド﹀ 凝 然、 華 厳、 十 重 唯 識 13 は勝 れ た点 だ け に約 し て説 いた こと で、若 し 広 く 言 え ぱ、 小 乗 教 及 び始 教 ま で も同 教 の中 に 入 る と 言 う の であ る。 (13) 更 に、 凝 然 は宗 密 の ﹃華 厳 経 行 願 品疏 砂 ﹄ で の文章 を 借 用 し、 円 教 の中 で の 二 つ の柱 と し て、諸 宗 を全 棟 す る を 別 教 と -226-
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