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~地震について学ぶ~
第二章 地震を探る
1・“地震”とは?
2・体感でとらえる
総合科学専攻2年
畑
哲也
1・もし関東大震災が発生したら…
関東大震災とは…
地震情報伝達手段の変貌
関東大震災シュミレーション
2・地震研究の発達
大森房吉
今村明恒
地震学のその後の考え方の変化
二人の関係
最近では…
3・体感でとらえる
震度階の基準
記録の混乱
中央気象台と測候所

関東大震災とは…
関東大震災とは、1923年(大正12年)9月1日午前11時
58分に神奈川県相模湾沖を震源としたM7.9の海溝型の大
地震をいう。関東南部を中心に死者・行方不明者10万人以
上を出すなど、甚大な被害をもたらした。
地震災害後の横浜市
地震後の浅草凌雲閣
死者が多い
エリア
(出典・wikipedia、特集・関東大震災を知る より)

地震情報伝達手段の変貌
‐1923年当時‐
新聞のみ(ラジオは翌年放送開始)
‐2009年現在‐
新聞、ラジオ、テレビ、インターネットなど
緊急地震速報
緊急地震速報とは、気象庁が中心となって提供している2007
年10月1日に一般導入された地震情報システムのことである。
震源に近いエリアで観測された地震波のデーターを分析し、
各地の主要動到達時間や震度を予測するもの。
観測点
気象庁
震源
地震波


関東大震災シュミレーション
正午直前
…緊急地震速報が流れる。
直後
本震発生
…数秒の初期微動の後、大きな揺れへ。
約3分後
余震大①
…M7クラス。
直後
…地震発生後3分以内に報道。沿岸部の津波
約2分後
到達時間と予想高さ、満潮時刻を告知。
…M7クラス。
余震大②
津波予報
その他地震災害対策・情報
その後も余震は続く…
・家財道具などの固定
・NTT『171伝言ダイヤル』←電話不通の時
・震源、震度速報
・住宅の耐震
etc…

大森房吉
1868年誕生~1923年死去。1891年濃尾地震をきっかけに
設立された震災予防調査会の幹事を務める。日本の地震
学の指導的な立場にあり、「日本地震学の父」とも呼ば
れ、1898年に連続測定可能な地震計『大森式地震計』を
発明。1899年に大森公式を発表。
大森公式
α=Kt
α:震源距離(㎞)
K:約7km/s←大森定数
t:初期微動継続時間(s)
(出典・wikipedia、福井新聞 より)

今村明恒
1870年誕生~1948年死去。1891年に東京
大学理学部物理学科進学、大学院で地震講座
に入り、そのまま助教授になる。1905年に
今後50年以内に東京で大地震が起こると予
測し社会問題に発展。その後、彼の予測通り
1923年に関東大震災が発生。

二人の関係
(出典・wikipedia より)
同じ地震学講座の教授と助教授、一種の師
弟関係。今村が大地震予測をした際、マスコ
ミにより世間に地震騒動を引き起こすきっか
けになってしまい、大森のその騒動を抑える
行為が今村に「法螺吹き」という汚名をつけ
るという結果になってしまった。
しかし、彼らの研究は震災予防調査会報告
に多く残してあり、今日の地震研究の中でも
貴重な資料となっている。

地震学のその後の考え方の変化
1892年発足
震災予防調査会
…中心人物・大森房吉、今村明恒
批判
統計的・計測的要素が強すぎ!
物理的基礎に基づいて現象を解明する方
向性が乏しい。
1925年発足
東大地震研究所
…中心人物・寺田寅彦(長岡半太郎)
「地震研究には、統計的・計測的、地質
的、物理的の三つの方法があるが、この
総合が地震学でなくてはならない」と、
とらえていた。
それまでの地震学
に対する考え方に
対する批判の急先
鋒。物理学者。

最近では…
1995年の兵庫県南部地震の後、国は地震に関する調査
研究成果が国民に十分に伝達・活用される体制になって
いなかったという反省の下、総理府に地震調査研究推進
本部を設置。
地震防災対策措置法により設置。2001年の中央省庁等
改革基本法に基づく中央省庁再編が行われた時に総理府
から文部科学省に移管された。地震の調査・研究に関す
る業務を一元的に担っており、調査・研究の成果を関係
機関に提供することで、地震による被害の軽減を目指し
ている。(出典・wikipedia より)

震度階の基準
関谷清景が地理局第四部の験震課長として1885年に
「地震報告心得」をまとめ、その第五条にて、地震の強弱
は微・弱・強・烈の四段階にすることが示され、日本の地
震の震度階級が誕生。
年代
震度階
1885年
微震
弱震
強震
烈震
1897年
微震・無
微震
弱震・弱
弱震
強震・弱
強震
烈震
1936年
無感
微震
軽震
弱震
中震
強震
烈震
1949年
無感
微震
軽震
弱震
中震
強震
1991年
0
1
2
3
4
*年代はあくまで目安です。
5弱
烈震
5強 6弱 6強
激震
7

記録の混乱
数の面の不連続性 …関東大震災、雷災、戦災などにより
一部の記録が消失してしまっている。
質の面の不連続性
第一の問題…計測震度(平成3年導入)とそれ以前の震度
との不整合。
第二の問題…1897年頃に震度階を4段階から7段階へ移行
した際の混乱が、30年以上も続いていた。
Ex・宮城県北部地震(1900年)⇔宮城県北部地震(2003年)
芸予地震(1905年)⇔芸予地震(2001年)
*ほぼ同じ場所で起きた2つの地震の有感範囲(震度1以上)
と、震度3、震度5の範囲の比較をすると…

中央気象台と測候所
前項のような制度の取り入れの食い違いが起きた理由と
して、中央気象台からの指示が地方の測候所に徹底してい
なかったことが考えられる。
・中央気象台設立当時(1897年)、地方気象台は地方費で
運営されていた。
・中央気象台の技術者の地位も低かった。
→これらの事より岡田武松(1874年~1956年)らは、国民
の福祉のため地方測候所の国営移管を長年の悲願としてい
た。
実際に国営移管されたのは1937年~1939年にかけての
ことであるが、軍部への途を固めるためであり、岡田の意
図とは違う形での実現になった。現在は国土交通省に所属。