不眠症診療に関する 常識・非常識 - エーザイの一般生活者向けサイト

はじめに
不眠症診療に関する
常識・非常識
三 島 和 夫
上のポイントをいくつか取り上げる。治療がこ
不眠症状が消えないと治らない?
不眠症は有病率が高く、加齢とともに増加し、 じれる原因の多くは、治療導入部での見立て
、目標設定や治療契約︵出口︶にある。
多くは身体疾患に併存するため、どの診療科で ︵入口︶
も日常的に遭遇する。治療は薬物療法が主体で
あり、日本の成人の3・5%が睡眠薬を常用し、
不眠症を治すのだから不眠症状が消えないと
1・5%が頓用している。残念ながら一部の患
ダメだろう。そのように考えがちだが、正しく
な非薬物療法︵認知行動療法︶が徐々に広まり
至ることもある。最近では慢性不眠症にも有効
ことはほとんどない。そもそも加齢に伴い睡眠
た﹂場合でも不眠症状がきれいさっぱり消える
ない。中年期以降の患者では、たとえ﹁ 治っ
者は慢性経過を辿り、多剤併用、高用量服用に
つつあり、難治性の不眠症患者にとって福音に
残存することが大部分である。
持続性が低下するため、中途覚醒や早朝覚醒が
本稿では、不眠症診療で誤解されやすい臨床
なると期待されている。
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治療
が乏しい患者もかなりいる。
なぜ不眠症状が残存しても、患者は﹁治っ
臨床でてこずるのは後者のケースである。こ
た﹂と感じられるのか。不眠症状が一定程度改
のような患者では、不眠によって引き起こされ
とを考えれば、不眠症状を完全に叩くことが体
ても元気に暮らしている中高年が数多くいるこ
加速度的に不眠症は改善する。中途覚醒があっ
になった﹂
﹁治った﹂と実感し、好循環により
に対するこだわりや不安が緩和されると、
﹁楽
抽出される。不眠症の診断基準については他稿
ると、抑うつの存在が最も強い関連要因として
で不眠症が改善しない患者の背景要因を調査す
ルスの改善が鍵になる。実際、常用量の睡眠薬
ていないことが大部分である。特にメンタルヘ
ている精神・身体症状︵QOL障害︶が改善し
善し︵時にはほとんど変化がなくても︶
、睡眠
調回復のための必要条件でないことは納得して
で詳しく説明していると思うが、不眠症状に加
問診のポイントは?
いる。
のは、このような不眠症の臨床病態に基づいて
えてQOL障害が診断の必須症状とされている
いただけるはずである。
薬効評価は寝つきの良さや
目覚め回数が大事?
それでは、睡眠に対するこだわりや不安の緩
和のために、最も重要なのは何であろうか。も
んであるが、不眠によって日中にどのような問
用時間を考慮した薬剤選択をすることはもちろ
ちろん、不眠症状が速やかに改善することが大 不眠症の問診では不眠のタイプ︵入眠困難、
中途覚醒、早朝覚醒、熟眠障害︶を確認し、作
きく貢献する患者も多い。その意味では睡眠薬
の果たす役割は大きい。しかし一方で、睡眠薬
を重ねて不眠を抑え込んでも、主観的な改善感
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題で困っているのか聴き取ることがポイントに
その不眠、本当に不眠症ですか?
あれば育児や家事がはかどらない、リタイア世
世代であれば勤務中の眠気や集中困難、主婦で
ならない。精神疾患に伴う不眠に対しても睡眠
代表的疾患だが、精神疾患の併存も見逃しては
型︶
、睡眠時無呼吸症候群などが誤診しやすい
不眠症以外にも不眠を呈する睡眠障害は、数
なる。
多い。レストレスレッグス症候群や周期性四肢
不眠によるQOL障害は、患者の性別、年齢、
運動障害、概日リズム睡眠障害︵ 睡眠相後退
基礎疾患、生活環境によって様々である。現役
代であれば近所付き合いの億劫さや疼痛の増悪
薬は有効だが、あくまでも基礎疾患の治療と並
別は容易ではない。
する気分障害、不安障害、アルコール依存の鑑
行して行う必要がある。ところが不眠を主訴と
など、千差万別である。
睡眠薬を処方する前にこれらQOL障害につ
いて確認し、不眠症状が改善したとしても﹁そ
れで日中の困りごとは楽になりましたか?﹂と
そのような不眠症もどきを早期に鑑別するた
問いかければ、思いのほかQOLが軽快してい
めにも、先に述べたように﹁視線を日中に転換
長期に放置してしまうと、難治性の慢性不眠症
必要である。またQOL障害の存在を見逃し、
休薬は難しく、さらなる生活指導や薬物調整が
疑って損はない。またQOLに関する問診を行
け出せない場合には、前記の精神疾患の存在を
眠れさえすれば⋮﹂などの思考パターンから抜
した﹂問診を行うと効果的である。
﹁とにかく
ないことに気づく。そのような段階では減薬、
に移行することがある。
うことで、メンタルヘルスの問題だけではなく、
生活状況や対人関係の問題、服薬状況などに関
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活指導の際にも大いに役立つ。
する情報が豊富に得られ、診断だけではなく生
服薬指示があるのに、睡眠薬では聞いたためし
るまで、花粉症ならばシーズンが終わるまでと
がない﹂
﹁処方されて1年経つが増やすでも減
らすでもない﹂などの不満がしばしば聞かれる。
これもよく聞く間違いである。当然ながら答
えは﹁ノー﹂である。睡眠は生物にとって基本
ある。
﹁薬で眠れている、再発リスクがある﹂
うのであれば、納得させるだけの根拠が必要で
睡眠薬は長期服用が基本?
欲求であるため、レジリアンスが強く働く。実
=﹁終わりの見えない医療﹂では、患者が納得
インスリンや血圧降下剤のように生涯使えとい
際、不眠症の多くは一過性であり、適切な初期
できないのも無理はない。
治療の見通しはどのように伝える?
対応で治癒する。ところが多くの患者が﹁睡眠
薬は飲み始めたら一生続けなくてはならない﹂
と不安に感じて、治療を躊躇する。服薬を開始
治療医のほうは﹁服用して眠れるのであればよ
終了することが大部分である。しかし医師から
その他の多くの不眠症は比較的短期間の服用で
眠症などは長期服用が必要になることが多いが、
重篤な身体疾患に伴う不眠、精神疾患に伴う
してもコンプライアンスが悪く、自己中断をし
不眠、
︵睡眠の加齢変化が進んだ︶高齢者の不
いではないか﹂と考えがちであり、両者の間に
明確な治療計画︵クリニカルパス︶が示される
て症状をこじらせることも少なくない。一方、
服用期間︵クリニカルパス︶に関するコンセン
いる。
ことは稀で、患者はそこに不安や不満を持って
サスが形成されていないことが多い。
治療に関するセカンドオピニオンを希望して
来院する不眠症患者から﹁風邪ならば熱が下が
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﹁治るとすれば治療期
﹁不眠症は治るのか﹂
間はどのくらいになるか﹂
、その問いに答える
のは容易ではないが、大まかな治療計画でよい
休薬の判断をするのはその先になる。
不眠治療は対症療法?
睡眠薬は対症療法と考えている患者や医師が
ので患者に伝えるべきである。たとえその答え
多いようだが、これも間違いである。不眠症の
である。医療者側にもこの時点から新たな治療
ンを求めるか自ら判断を下すことができるため
を信頼して治療を受けるか、セカンドオピニオ
る。なぜならその答えに応じて患者側は主治医
悲しい回答であっても、伝えないよりマシであ
でもよく眠れた﹂という体験である。睡眠薬や
断ち切るために必要になるのが、
﹁自宅の寝室
が、入眠困難や浅眠をもたらす。この悪循環を
ある。寝室環境に条件付けられた就床時の緊張
不眠恐怖、寝室恐怖による不眠悪化の悪循環で
本質は、毎晩繰り返す不眠体験によって生じた
が﹁治癒は難しい﹂
﹁予測がつかない﹂などの
契約を始められるメリットがある。
スキルを身につけたという安心感自体が、不眠
認知行動療法︵就床スケジューリング︶によっ
提示すべき治療期間について一般則はないが、
て効率よく眠ること、そのための治療薬や就床
短ければよいというものではない。むやみに短
い治療期間を伝えることは医療者側にとっては
症の根治的な治療介入になっているのである。
おわりに
リスクになるし、短期治療でなくては満足でき
ない患者とはそもそも治療契約が成り立たない
からである。3カ月以上続いている慢性不眠症
不眠症診療にまつわる誤解はこのほかにも多
の場合には、診断、薬剤調整、寛解までの期間
数ある。
﹁増量すれば効果が強まるはず﹂
﹁睡眠
は最低3カ月∼半年程度かかる。継続・減薬・
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薬の効果は即日得られるはず﹂
﹁頓用は危険﹂
﹁睡眠薬より寝酒の方が安心﹂
﹁アトピーの不眠
に眠気のある抗ヒスタミン薬が有効﹂等々︵す
べて誤り︶
、枚挙にいとまがない。日常診療で
しばしば遭遇する睡眠薬に関する臨床的疑問
眠薬の適正使用及び減量・中止のための診療ガ
︵クリニカルクエスチョン︶に対する回答は
﹁睡
文献
三島和夫編 睡眠薬の適正使用・休薬ガイドライン、
じほう、東京︵2014︶
精神保健研究所
精神生理研究部
部長︶
︵国立精神・神経医療研究センター
ただきたい。
も掲載しているので、ご興味があればご一読い
しやすい概略版は日本睡眠学会のホームページに
3)
イドライン﹂にまとめられている。患者も理解
1)
2)
三島和夫 睡眠薬の適正使用及び減量・中止のため
の診療ガイドラインに関する研究、厚生労働科学研
究費補助金
障害者対策研究事業﹁睡眠薬の適正使
用及び減量・中止のための診療ガイドラインに関す
る研究﹂平成 年度総括・分担研究報告書、1∼
︵2013︶
日本睡眠学会 睡眠薬の適正な使用と休薬のための
診療ガイドライン│出口を見据えた不眠医療マニュ
アル│︵2013︶
3)
24
12
http://www.jssr.jp/data/pdf/suiminyaku-guideline.pdf
(579)
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1)
2)