徳永善昭先生のご退職にあたって 呉 淑儀サリー 徳永善昭先生は,2015年3月31日をもって,満期ご定年を迎えられ,ご退職なされます。本 年のはじめに徳永先生が満期のご定年を迎えられると知り,私は,正直,一瞬大変に驚いており ました。このように驚いたのは,徳永先生がいつも凛とされた姿勢で見た目も大変若々しくエネ ルギーに満ち!れているため,私の中では,「定年退職!」とクエスチョンマークとビックリ マークが入り混じったような衝撃があったからです。 徳永先生の御職歴を振り返りますと,昭和46(19 71)年4月に亜細亜大学経営学部の助手と して着任されて以来,昭和4 8(1 97 3)年には講師,昭和51(19 76)年には助教授,そして昭和 5 6(19 8 1)年には36歳という若さで教授に昇格なされ,膨大な優れた研究業績を挙げられ,学 内では国際交流委員長,図書館長,学外では国際戦略経営研究学会会長等を務められ,44年間 も長きにわたり教育・研究および社会活動等多方面において亜細亜大学とりわけ経営学部の発展 に大きく貢献されて来られました。 徳永先生との最初の思い出は,200 7年に私が専任講師として亜細亜大学に赴任して間もない 頃に"ります。赴任したばかりで何も分からない私に対し,徳永先生から激励のメールを頂きま した。亜細亜大学経営学部の将来を担っていく一人としての使命を自覚させられる大変温かいお 言葉でした。それは私のみならず私の知る限り,後から来られた若手先生方皆さんにも直接的に または間接的に徳永先生から激励のお言葉を頂戴しているとのことでした。これは亜細亜大学そ して経営学部の更なる発展に対する深き願いを若い教員に託す,との徳永先生の大学及び経営学 部に対する深い愛情表現と受け止めました。若手教員への育成にも心を砕き,大学思い・後輩思 いの徳永先生のお言動に感動したことも深く印象に残っております。 2 0 1 3年1 1月には,日本経営学会関東部会が亜細亜大学にて開催された際,徳永先生が幹事校 の総合責任者を務められ,私にもお手伝いの機会を与えてくださいました。絶え間なく亜細亜大 学を外部へ発信していくことの大切さや学会組織運営のノウハウ等,さまざまなことを徳永先生 を通して学ばせて頂くことができました。 また,学生に熱心に御指導され,とりわけ留学生に熱心に御指導される場面をよくみかけまし た。徳永先生御学歴にアメリカ国際経営大学院,御職歴に西ワシントン大学交換教授や亜細亜大 学国際交流委員長等々の御経歴から,先生は国際派の研究者で,母国を離れて勉学に励む留学生 の気持ちもよく理解され,指導にも熱がこもっていたのではないかと,私は思っております。 個人的には,産後に体調が優れないまま職場を復帰し,育児にも挫折の連続で仕事と育児との 両立に非常に悩んでいた時期がありました。徳永先生はそんな私をさり気ない優しさでご令嬢様 ― xxi ― xxii 亜細亜大学経営論集 第50巻第2号(2015年3月) の子育てのお話やお孫様のご成長のお話をして下さり,先生の温かさで心が和らぎ前向きな気持 ちで仕事と育見に取り組めるようになったことにも深く感謝しております。亜細亜大学の発展に 多大な貢献をされ,また公私ともに大変にお世話をして頂いた徳永先生に御礼を申し上げるとと もに,後継の教員としても徳永先生の貢献や行動を見習い,私も大学の発展に貢献できるように 尽力していく決意でございます。 私たちにとって大きな存在の徳永先生が御退職され大学から去られることはとても寂しいこと でありますが,先生はこれからも御元気で,益々エネルギッシュで情熱的に多方面に御活躍され 続けることを心より深く御祈念申し上げますと共に,今後とも引き続き御指導・御鞭撻を賜りま すよう,宜しくお願い申し上げます。 徳永先生,長年間大変にお疲れ様でした。大変に有難うございました。 2 0 1 4年1 2月吉日 聳え立つ日本一の富士山を眺めながら
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