│1111111111111111111111111111111111111111111111111111111:│:111iilill:11111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111::iiillllillil:111111::il11111111111111111i11111:::│:11:::11111111:::1111:::│:i:iiil111ii ‐ 名1古 屋を信 じ●│1名 古屋 と共に 江 戸 時 代 か ら 明 治 にか け て、 こ の輸 送 距 離 ・保 管 により こ の塩 加 う ど ん は、 麺 に塩 を 入 れ た も のを 堪 古 屋 の味 噌 薫 込 拳 0 ど ん 味 噌 煮 込 みう どん は、名 古 屋 地 使 わず 、味 噌 と直 接 煮 込 む こと が 減 が求 めら れ た のであ る。煮 込 み 方 の郷 土料 理 であ った。 と ころ で、 大 須 が繭 本 屋 を 育 ては り 、 山 本 屋 に勤 め る こと に な る。 これ に感 謝 し た初 代 が、自 身 の高 齢 化 により 屋 号 を譲 り 渡 す こと と 山 本 屋 総 本 家 の基 礎 を 築 く こ と で あ る こと か ら 保 存 が 効 か な い し、加 工技 術 が難 しか った。 東京浅草吉原 と同 じよう に遊郭 が 名古屋 の商 いを表 す時 に、女系 以 後 、 雪 枝 と 夫 守 一が 今 日 の な る。 山本屋 の初 代島本万吉 は、飲食 4年 に山 店 を営 ん でいたが、大正 1 本 屋 と いう 屋号 を買 い取り、初代 と な る。 更 に、 鍋 焼 き う ど ん を温 め る こ 数多 くあり、飲食店 は付 きも ので 家族 と いう言葉 をよく使う。俗 に 行 わ れ た のであ る。 そ の分 、 生 麺 店主 となり 大須 で開業 す る ことと 一般 に は、 ゆ で麺 を 温 めた も のが と に主 眼 を 置 く た め に、 土 鍋 の表 あ った そう だ。 このよう な活気 の 男 はだらしな いと落語 では言 われ 味 噌 煮 込 みう ど ん と鍋 焼 きう ど ん は、ど こが違 う かご存 じだ ろう か。 鍋 焼 きう ど ん であ り 、 生 麺 から煮 面 を コー テ ィ ング し て こげ つき を あ る大須 で、島 本 万吉 は工夫 をし ているが、そう ではな い。企 業 経 が深 い。 う どん は コシを強 く す るた めに、 な る。 当 時 の大 須 観 音 の辺 り は、 込 んだ も のが煮 込 みう ど ん であ る 少 なく す る ことを し ている。 て山本 屋独自 の ﹁こし﹂ のあ るう どんを生み出していく のである。 営 を夫 婦 でささえ ていく と いう こ 資 系 家 族 の本 質 は と言 わ れ ている。 噌 煮 込 みう ど ん の上 鍋 は コー テ ィ 名古屋 と いう と、八丁味噌 をイ それ だ け ではな い。 も う 少 し奥 ング を せず に、日 の粗 いも のを使 っ こと により 、気泡 を発 生 この目 の粗 い土 鍋 が 温 めら れ る し て、﹁ こく﹂ のあ るダ シと合わせ 古 屋 の自 味噌 を合 わせ ている。 そ 屋総本家 では岡崎 の八丁味噌 と名 あ る。三女 の夫 の藤原 武志 は、店 営業 の常務大原良生 は次女 の夫 で の長 女 の夫 であり、 それを支 え る 四代目店主小松原克典 は三代 目 とがその言葉 の一 異にあ る。 させ る。 この泡 が味 噌 を て いく のであ る。 このた めに、山 舗 管 理 を担 当 し て いる。 そ し て、 メージす るかも しれな いが、山本 拡 散 さ せ る効 果 を 出 す 本 屋総本家 の煮 込 みう どんは、渋 四女も秘書業務 を行 っている。 これ に対 し、 山 本 屋 総 本 家 の味 塩 を 入 れ る。 そ のた め に、 鍋 で温 ている。 のであ る。 みやむせ返しを感じることはな い。 老舗企業 が長期 に渡り安定 し て │││││││││::│││││:││││││:│:││││:│:││:│:│:│:││:::│││::│:│::│:111111:│:::│::│││││:│::1111:││││││││││││1111111111111111:│││││││││││││:││:││││││││││││││││││││││││││││││││││ め る前 に塩 分 を取 り 除 く た め にゆ でる のであ る。 そ の た め に、 山 本 屋 ちな みに、 この調理方法 の秘伝 著者 は、多 く の老舗 企業 を見 て 総 本 家 で は 信 楽 焼 の窯 初 代島本万吉 の山本屋 に勤 めて きたが、 そ の殆 どが ファミリ ービ いる背 景 には、 ファミリービジ ネ いた のが、町 田雪枝 であ った。今 ジ ネ スであ る。 そ の特 色 は、私 生 を継 承 し ている のは、 三代 目夫 人 こ のよ う な 技 術 を 永 日から見 ると不 思議 に思われ るか 活 と企業 での生活 が 一体 化 し て い 元 か ら 特 別 に注 文 し た 年 に渡 り 守 り 続 け てき も しれな いが、当時 の日本 で終身 ると ころにあ る。夕食 を取り なが スがあ る。 た のが、 山 本 屋 総 本 家 永 年 勤 務 ︶ は珍 し か った。 一 屋用 ︵ ら経営 に ついて考 えたり、話 し合 とそ の娘達 である。 ︵四 代 目 店 主 小 松 原 克 そんな時代 に町 田雪枝 は永年 に渡 て いる。 典 ︶ であ る。 土 鍋 を 直 送 し ても ら っ 氏 大原良生 常務取締役 山本屋総本家 株式会社 屋市・ 帽 齢 家 本 総 屋 本 株 式 会 社 山 IMコ ンサル タ ン ト代 表 平 松 陽 ― 区 栄3丁 目12■ 9 市 中 震 認 契 隧 屋 雫診 〒光 2-1-8 膨オ 八 苺 爵簿一 怒 颯 魏 ヽ 変化 を 読 お 4鳥 占 鍾 蒔 豊 であ る。 そう めん ﹂ も めん ﹂ ﹁ひや むぎ ﹂ ﹁ 販 売 し て いる。 こ の3品 は、 百 貨 店 を中 心 に販 売 さ れ て いる。 ま た 食 し てみれば 分 か る が、 そ の味 は 美 味 であ る。 と ころ が、 山 本 屋 総 本 家 と言 えば 味 噌 煮 込 みう どん と いう イ メ ージ が広 く 知 れ 渡 って い るた め に、 お客 様 に 3品 に ついて 知 名 度 は それ程 高 く な い。 そ れ だ け に物 販 を 仲 ば し て いき た いと 大 原 常 務 は言 う 。 名 古 屋 の人 でも 百 貨 店 によく 行 く 人 は、 山 本 屋 総 本 家 が物 販 を し 、 て いる こと は知 って いる が そう でな い人 には知 名 度 が そ れ 程 では な いと いう ことだ。 同 じよう に名 古 屋 の繁 華 街 と い であ れ ば 安 いはず だ った も のが、 に重 点 が移 ってき た。 か つて大 須 名 古 屋 駅 前 の再 開 発 により えば 、 知 ら れ て いる のは栄 であ る 具 を 一つ 上 一つ乗 せ て いく 内 に気 が遊 興 街 であ り 、 それ が栄 に変 わ 著 者 がう ど ん チ ェー ン店 の顧 客 局いと いう こと があ づ いて み る と一 が、 そ の重 点 は変 わ り つ つあ る。 、そこ これ が変 わ ってき た。 名 古 屋 市 内 ると いう ことだ。 か ら よく 聞 く も のに、う ど ん だ け 事 実 、営 業 活 動 を中 心 に行 って を 歩 いて分 か る のは、 き じ め ん と て いる。名 古 屋 の商 売 を考 え る時 に、 そ のこと を 考 え てみ る と名 古 う と いう こと がご く自 然 に行 わ れ 鐸瑯 ヽミ 膀 き じ め ん は さ っぱ り し て いる と い いる のが、 他 の産 地 。四 国 な ど の 、 う ど ん 屋 であ る。 そ の背 景 に は 店 と し ては減 って いると いう こと ん ﹂ の総 販 売 量 は減 って いな いの であ る。 つま り 、 名 産 。進 物 と し 、 ては根 強 い ニーズ があ るが 飲 食 はな いだ ろう か。 屋 企 業 の強 さ が分 か ってく る ので 、 いる大原 常 務 は、大 阪 での勤 務 後 書 いた のぼ り が減 ってき て いると こ の時 に、 抵 抗 はな か った か と が事 実 な のであ る。 大 切 な のは、 ﹁お金 より も 人 材 の 向 け て事業展開 をし ていくために このよう な状況 の中 で、将来 に お金 より 入 輔 であ る。 て いく こと は避 け ら れ な いと ころ り と いう よう に商 店 立 地 が変 化 し 以前 か ら交 際 し て いた次 女 の実 家 いう 事 実 だ。 そ の代 わ り に増 え て 聞 いた と ころ、自 分 は名 古 屋 出 身 な る。 であり 、 周 り の環 境 も あ り 、 ご く う 先 入観 があ るた め に、 あ まり 具 。 を乗 せ る と いう こと を し な い そ 山 本 屋 総 本 家 で販 売 し て いるも きし のは、う ど んだ け ではな い。 ﹁ 自 然 にそう す る こと が出 来 た と ふ のた め に、売 上 単 価 が伸 び な い の きじ め と ころ が面 白 いも ので ﹁ であ る山本 屋 総 本 家 に入 る こと と 名 古 屋 を 代 表 す る 名 産 に ﹁き し めん ﹂ が あ る。 と ころ が、 最 近 繁盛 の図 (大 正か ら昭和 にかけてのイメージ画) 山本屋総本家 店舗外観 山本屋総本家 株式会社 り 返 って いる。 20I2 FUKUHo Media sur'rtt',ten 22 名古屋市 中区西 日置 454-0004 ■ 営業部 /〒 TEL 052∼ 322-0521 FAX 052-322-5930 URL http://WWWyamamotoya cOjp/ 日18年 昭禾 太平洋戦争 によ り営業中止。 昭不口24年 二代 目店主 :町 田守 一 ‐ 名古屋市中区南呉服町 2丁 目 7番 地 (現 在の中区栄 3丁 目)に て開業。守― は煮込みうどん―筋 の厳 し い人であった。 1969年 日 日44年 召添 4月 山本屋食品株式会社を設立。家への土産 に した いという多 くの顧客の要望で 「煮込み味噌付 き手打 ち生 うどん」の製造販売を開始。 │ 1983年 58年 │ 三代 目店主 :町 圏善― 手作 りの味に職人魂を燃やす。山本屋の味を頑なに ‐ 守 り続けた。 24年 ‐ 四代 目店主 :小 松原克典 │ ‐ 先代、先々代か らの煮込み うどんづ くりに励み(現 在 に至 る。 │ 山本屋総本家 の歴史 体 験 す るも のは、飲 食店 の店 員 は、 余 裕 であ る﹂ と いう 。著 者 が よ く いのではな いか と 考 え て いる。 著 れば 、外 に出 て いく こと が出 来 な と し て正 し いと思 い込 ん で いる節 開 し た のであ る が、 そ の発 想 は交 いる こと があ った。 そ の代 表 的 な も のが ﹁ 銀 座 ﹂と いう 地名 であ る。 ﹁ 銀 座 ○ ○ ﹂ と 銀 座 を 冠 にし て展 を行 わな い﹂と いう ことがキ ャリ ア があ るが、必ず しも そう ではな い。 通 が不 便 な 時 代 には意 味 があ った いる こと があ る。 そ れ は、 本 来 の 商 売 を守 ろう と いう も のであ る。 し か し、今 日 の社 会 にお いては のかも しれな い。 今 、低 成 長 の中 で変 わ ってき て と を 数 多 く 見 てき た。 こ の ﹁ 販売 売 には向 かな い人 が多 いと いう こ 接 客 。調 理 に は長 け て いても、 販 薬味入れは、60セ ンチほどもあるす す竹製。真中で区切 って一方が一味で、 もう一方が七味 (本 家使用)。 者 が数 多 く 見 てき て失 敗 し たも の に、地 名 とブ ラ ンド を 勘 違 いし て け れば な ら な い。 そ れ が出 来 な け 側 を固 め ると いう こう こと を し な 山本 屋 総 本 家 でも 、名 古 屋 の内 1943年 平成 2012年 昭和 た 達 は そ の分 野 の エキ スパー ト で 葉 の 異には、 仕 入先 に対 し てあ な て欲 し い﹂ と いう も のだ。 こ の 言 値 段 は高 く ても よ う 。 そ れ は、 ﹁ いが、 間 違 いのな いも のを 納 品 し 大 原 常 務 の 耳 に 残 って い る と い 人 達 を集 めた集 会 で話 した言 葉 が 先 代 ・三代 目 町 田善 一が業 者 の のため の方向 転 換 をし ている。 銀 座 の老 舗 企 業 は確 実 に生 き残 り う にな った。 そ の こと が気 づ いた 地 名 であ ると いう こと に気 づ く よ 銀 座 ﹂はブ ラ ンド ではなく、 す でに ﹁ 1949年 初代店主 :島 本万吉 「山本屋」 という屋号の店 を買 い取 って大須で開業。 万吉は趣味が広 く、味 にうるさい人であ った。研究 に研究を重ね、山本屋の うどん独特 の「こし」、真似 で きな い 「味」・「こく」 を生み出す。 当時は朝 の 10時 に起 きて女 中と男衆達 で客を迎 え る準備 を整 えてか ら 11時 半 に店 を開 けた。 昼食や 夕食時は言わず もがなの こと、いつも客の絶える こ‐ とな く、 映画や芸居 の跳ねたあ とでは 2∼ 30人 客 がぞろぞろと入 ってきた りして、夜中 の 1時 までぶ っ通 しで営業 していた。 1925年 大正 14年 (本 家使用 )。 味噌煮込み うどん、箸 は角箸 あ ると いう 信 頼 感 があ る。 名 古 屋 を代 表 す る生産 方 法 にカ ンバ ン方 式 があ る。 これ は、 仕 入先 を信 じ る こと に より 、生 産 効 率 ・品 質 を向 上 さ せ ると いう も のであ る。 三代 目 の言 葉 の中 に、 そ の強 い 意 思 が感 じら れ る。 山 本 屋 総 本 家 を 支 え て いる の は、 地 域 社 会 であ ると いう こと で あ り 、 これ が地 域 で生 き て いく 山 本 屋 総 本 家 の生 き様 ではな いのだ ろう か。7▼ ひらまつ よういち 玉川大学 工学部経営 工学 科卒 業後、経営 コンサルティング 活動 ︵ 会社経営 研究所︶を経 て、IMコンサルタ ント代表 となる。現在、経営 コンサルタ ン トとし て、指導 業務、教 育、講演 を行 って いる。コンサルティング活動 の傍 ら、企業に 入り管 理職 を兼 務。主 な 著 書 F﹂の老 舗 、﹃ に学 べ員 フォレスト出 版︶ 必ず 売 れる営 業 マンにな れ るヽ 営 業 幹 部 のため の指 導 力倍増講座L 以上すばる舎︶など多数。 ● 5名 様 に本 のプ レゼ ント ﹃ 新 規 開 拓 営 業 が 企 業 を 救 う﹄ 平松陽 一著 産業能率大学出版部刊 田 ム5 〇一 FF m ■ O N O N J 合︶5 ■ 一く 5 0 ﹂. 0 ・ プ レゼ ント 希 望 の方 は 、 宛 メー ルに てお申 込くだ さ い。 1M コ ンサ ルタ ント 平松 陽 一 ξUMME負 201'Fむ Kむ H61M`di=123
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