EU Trends - 第一生命保険株式会社

EU Trends
市場対話に苦慮するドラギ総裁
発表日:2016年3月11日(金)
~評価できる制度設計~
第一生命経済研究所 経済調査部
主席エコノミスト 田中 理
03-5221-4527
◇ 市場の期待を上回った筈のECBの追加緩和パッケージも、ドラギ総裁による「利下げ打ち止め」発
言をきっかけに市場の評価が一転、ユーロ高、債券・株安を招いた。今回の緩和策は、必ずしも緩和
を必要としていないドイツ経済を潤す従来の緩和策から脱却し、これまで十分に緩和効果が行き渡ら
なかった周辺国や貸出・クレジット市場の状況改善が期待されるほか、マイナス金利拡大による銀行
収益圧迫への配慮、買い入れ対象不足への不安や通貨安競争への批判封じ込めなど、綿密に制度設計
されたものと評価できる。ただ、市場の評価が伴わない限り、緩和効果は減殺される。市場対話の相
次ぐ失敗でドラギ総裁への絶大な信頼も揺らぎかねず、ECBは難しい舵取りを迫られる。
金融市場の反応が金融政策の評価を決めるのであれば、10日のECBによる市場予想を遥かに上回るバ
ズーカ緩和は不発に終わったことになる。マイナス預金金利の階層構造導入こそ見送られたが、①預金金
利の引き下げに加えて、ほぼノーマークだった主要政策金利のゼロへの引き下げ(預金ファシリティ金利
を▲0.3%→▲0.4%、主要政策金利を0.05%からゼロ%)、②市場予想の上限に近い200億ユーロの量的緩
和の規模増額(月額600億ユーロ→800億ユーロ)、③社債を買い入れ対象に追加(投資適格級の非金融業
が発行するユーロ建て社債)、④国債機関債の1銘柄/1発行体当たりの買い入れ上限引き上げ(発行額の
33%→50%)、⑤貸出増加を条件とした銀行への長期資金供給(TLTRO)の第2弾開始と、「満額回
答」の包括パッケージに沸いた金融市場の初期反応は、その後の記者会見での利下げ打ち止めを示唆する
ドラギ総裁の発言をきっかけに失望に転じた。終わってみれば、為替はユーロ高方向に切り返し、債券市
場と株式市場も総じて下落して引けた。
ただ、仔細にみると今回の包括緩和パッケージは、これまで緩和効果が十分に行き渡らなかった周辺国
国債のスプレッド縮小や、このところタイトニングが目立つクレジット市場のスプレッド縮小に働きかけ、
TLTRO第1弾の反省を踏まえた銀行貸出を促すインセンティブ設計を導入、マイナス金利拡大による
銀行収益圧迫懸念への配慮、さらには買い入れ対象不足への不安や通貨安競争への批判の封じ込めなど
様々な効果が期待でき、非常に綿密に制度設計されたものと評価できる。市場の評価が定まれば、緩和効
果も徐々に浸透していく可能性がある。
日銀に先んじてマイナス金利を導入した欧州諸国の経験では、①調達金利も同時に低下したため、銀行
の純利払い負担が減少したこと、②利ザヤ縮小を貸出の増加や手数料収入でカバーできたこと、③量的緩
和との合わせ技でイールドカーブ全体が下方シフトした結果、銀行は債券運用でキャピタルゲイン収入を
得たこと、④緩和効果による景気回復で、融資の焦げ付き率が低下したことなど、個別行によって事情は
異なるが、銀行部門全体ではマイナス金利導入による副作用は限定的なものにとどまっている。だが、イ
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る
と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内
容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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タリアの不良債権処理の遅れやドイツ大手銀行の経営不安発覚など、昨年後半頃からの欧州の銀行不安再
燃と相俟って、日銀のマイナス金利導入後、欧州でも銀行収益圧迫への警戒が強まっている。ECBは今
回の緩和決定で、階層構造の導入を見送るとともに、預金ファシリティ金利の引き下げ幅を市場予想の下
限に近い10bpsにとどめ、銀行収益圧迫への懸念に配慮した。ECBは階層構造の導入を見送った理由とし
て、第1に階層構造導入でマイナス金利の適用範囲を狭めれば、マイナス金利幅をさらに拡大していくこ
とが可能と受け止められる恐れがあったこと、第2にユーロ圏には規模・経営状態・市場環境の異なる銀
行が数多く存在し、階層構造導入が実務的に複雑であることを挙げている。
6月で終わるTLTRO第1弾は、初回や第2回目の利用行や利用額がかなりの規模に上った後、最近
では利用行・利用額ともにジリ貧で、既に役割を終えたとの見方もあった。TLTRO第2弾では、①適
用金利を従来の0.25%(=引き下げ前の主要政策金利+20bps)からゼロ%(=引き下げ後の主要政策金利)
に引き下げ、②ベンチマーク対比で貸出を増やした銀行には、その程度に応じて最大で▲0.4%(=利用時
の預金ファシリティ金利)まで金利を減免する、③TLTRO第1弾からの借り換えを可能にし、銀行の
利払い負担軽減につながる、④企業の資金需要が回復基調にあるなかでの流動性供給のため、かつてより
貸出増につながりやすい、⑤利用可能額の上限が大幅に上積みされた(第1弾が住宅ローンを除く民間向
け貸出の7%→第2弾では同30%)、⑥TLTRO第1弾が貸出増の基準に満たなかった銀行に強制返済
の罰則(負のインセンティブ)が適用されたのに対し、今回は条件を満たした銀行を優遇(マイナス金利
での流動性供給=貸出奨励金)する正のインセンティブが働くため、より積極的な利用が期待できる、⑦
貸出を増やさない銀行もゼロ金利での調達が可能なため、とりわけ周辺国の銀行が国債に投資して超過収
益を得るキャリー・トレードの効果が期待できる、⑧マイナス金利が余剰資金を抱え、中銀預金を主に利
用するコア国銀行の収益圧迫要因であるのに対し、TLTROの利用行は一般に、流動性に不安を持つ周
辺国銀行が多いと考えられる。このようにTLTRO第2弾は、銀行の貸出増加や流動性不安の封じ込め
につながるほか、キャリー・トレードによる周辺国国債の利回り低下などの効果が期待できる。
ECBの量的緩和策については、財政ファイナンスを禁止したEU条約への抵触を回避するための制度
設計が制約となり、予定している買い入れ額を充足できないとの不安がつきまとってきた。なかでも、買
い入れ規模が最大のドイツ国債は、財政黒字で新規発行額が少ないこともあり、向こう1年程度で買い入
れ可能な国債がなくなると不安視されてきた。今回の買い入れ増額でこうした懸念はさらに深まるものの、
同時に社債を買い入れ対象に追加し、国債機関債については1銘柄/1発行体当たりの買い入れ上限を33%
から50%に引き上げた。社債の買い入れ規模や具体的な買い入れ対象が明らかとなっていないため、どの
程度の買い入れ余力が生まれるかを現時点で判断することは難しい。ただ、今後さらなる買い入れ増額や
期間延長を行い、買い入れ対象が不足する恐れが高まった場合、国債についても買い入れ上限を引き上げ
たり、別の技術的な見直しを行なうことで対処が可能となる。1銘柄当たりの買い入れ上限は、ECBが
購入した債券の債務再編が必要となった際、集団行動条項の発動を阻止することが可能な割合の債券をE
CBが保有することを禁じるため、これまで33%に設定されてきた(常に発動を阻止しなければ、財政フ
ァイナンスと見做される)。これはECBによる自主規制とみられ、上限引き上げ自体が条約に抵触する
訳ではないと考えられる。今回、国際機関債について33%の上限を引き上げたことで、国債の上限引き上
げも必要に応じて検討されることになろう。この他にも、マイナス預金金利以下の国債を買い入れ対象と
することや、2年未満の国債を買い入れ対象とするなど、さらなる見直しの余地がある。また、購入対象
に社債を追加したことは、クレジット市場の安定化に寄与するとともに、さらなる対象拡大の余地がある
とのメッセージを市場に発することができる。
市場はドラギ総裁による「利下げ打ち止め」の言葉に過敏に反応したが、①同時に総裁が外部環境が変
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る
と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内
容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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化すれば再び利下げする可能性を否定しなかったことや(「さらなる利下げは必要ないと判断している」
と述べた後に、「(政策金利)見通しを修正する新たな事実が発覚すれば別」との言葉を続けている)、
②政策金利の低位安定を約束するフォワードガイダンスを強化したこと(「(2017年3月で終了予定の)
資産買い入れ期間を遥かに超えて」という文言を追加した)、③財政ファイナンスとの兼ね合いで難しい
との意見もあった買い入れ上限を緩和し、さらなる量的緩和拡大の障害を取り除いたこと(33%を50%に
引き上げ可能であれば、50%超に引き上げることも可能)などは素通りした。
「10bps以上の預金金利引き下げ+買い入れ増額+α」が市場のコンセンサスとなるなか、過度な緩和期
待を放置したうえで市場の失望を招いた昨年12月の失敗と、過去数週間の金融市場の落ち着きや原油市況
の底入れがECBの判断を難しくした面もある。市場の期待を再び裏切ることはできないとの思いが投票
前に理事会メンバーの脳裏に浮かんだとしても不思議ではない。また、原油下振れによる期待インフレ率
の下方屈折を警戒するECBは、このところの原油市況の底入れで物価見通しのさらなる大幅な下方修正
は避けられると判断した可能性がある。追加緩和を再現なく督促される事態を断ち切るため、原油価格の
想定と物価見通しを大幅に引き下げる今回が「勝負どころ」と考え、市場参加者の期待を上回る包括緩和
を打ち出したように思われる。ただ、日銀のマイナス金利導入後、金融政策の限界への不安が市場参加者
の間には蔓延している。また、中銀依存体質を強める市場参加者は、てんこ盛りの緩和メニューを目にし、
これで当面の追加緩和がないと感じ取った可能性がある。丁度、花火大会のフィナーレに盛大な大玉が空
を舞うように、緩和打ち止めを意識した。さらに、政策発表のタイミングも市場の乱高下を招いた。日本
時間で21時45分の政策発表時には、政策金利に関する決定を発表するのが通例だが、今回は量的緩和の規
模拡大やTLTRO第2弾など、緩和パッケージの大枠を発表した。記者会見が始まる22時30分までの間
に、市場で大幅なユーロ安が進んだことが、その後の失望を大きくしてしまった感がある。
ユーロ安やドイツの国債利回り低下を通じて、必ずしも緩和を必要としていないドイツ経済を潤す従来
の緩和策から脱却し、より緩和を必要としている周辺国や貸出・クレジット市場に恩恵が及ぶ今回の緩和
策への転換は、期待される政策効果という観点からは望ましい。問題は市場の評価が伴わず、緩和効果が
減殺されてしまうことだ。金融政策の限界に不安を感じつつ、緩和依存症から抜け出せずにいる市場は、
ECBにさらなる追加緩和を督促する可能性もある。ここ数回のギクシャクな市場対話で、ドラギ総裁へ
の絶大な信頼も損なわれかねない。市場の評価がこのまま変わらなければ、今回で打ち止めを期待し、ゲ
ームチェンジャーとなる包括緩和パッケージを導入したECBは難しい立場に追いやられる。
以上
本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る
と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内
容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。
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