九州歴史資料館 飛び出すむかしの宝物 解説シート す ぐ 須玖式広口壺 金属的な形の土器 約 2050 年前 かなつぼ 出土遺跡 久留米市彼坪遺跡 この資料は弥生時代中期の土器で、口縁が大きく開く広口壺です。弥生時代 中期の北部九州の土器は「須玖式土器」と呼ばれるもので、平面も曲面も均一 で、表面が滑らかなため、洗練された美しい輪郭線を持ち、文様が少なく、溶 接部分のようなM字形突帯がつくことから、金属器のようにも見えます。 すき 須玖式土器は口縁部の内側を厚くして平坦面を作った「鋤先口縁」をもつも のが流行します。口縁部の断面の形が農具の鋤の断面の形と似ていることから ついた名称です。鋤先口縁は壺・甕・高坏などに多く見られ、表面にベンガラ などの赤色顔料を塗って磨いた丹塗磨研土器や、口縁だけが大型化するなどデ フォルメした特殊な形態のものは、祭祀に使われることが多かったようです。 す ぐ 須玖式土器 須玖式土器は、春日市岡本町を中心にひろがる弥生時代遺跡群の須玖・岡本遺跡で出土 したことから名付けられたもので、北部九州の弥生中期前葉から後葉の土器群です。 須玖・岡本遺跡からは前漢の銅鏡を 30 面以上持っていた甕棺墓が発見されました。福岡 し か の しま かんのわの な こくおう 平野の志賀 島 からは「 漢 委 奴 国 王 」と刻まれた金印が発見されており、古代中国の史書 『後漢書』には紀元 57 年に倭国王が後漢に朝貢し、金印・紫綬を下賜されたことが記され ているので、発見された金印がそれと考えられていて、日本の考古学では弥生時代後期の 初め頃とされています。須玖・岡本遺跡の甕棺墓は中期後半のものなので、金印を下賜さ れた倭国王の数代前の王墓と考えられています。また、須玖・岡本遺跡周辺からは青銅器 や青銅器の工房跡なども発見されているので、須玖・岡本遺跡は奴国の中心地と見られて います。 参考文献 福岡県教育委員会 『彼坪遺跡Ⅲ』福岡県文化財調査報告書第 202 集 写真:本館撮影 (文化財調査室 秦)
© Copyright 2024 ExpyDoc