1.小国の分立 ★ 中国の史書と倭 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ 《小国家の分立・・・百余国》 (1)「漢書」地理志・・・班固が書いた前漢の歴史書。A.D.1世紀に成立 内容・・・ ①倭人が百余国に分立。(B.C.1世紀) ②楽浪郡を通じて漢に朝貢。 ※楽浪郡・・・前漢の( )が、衛氏朝鮮を滅ぼし B.C.108年に、朝鮮半島に設 置した植民地。313年に高句麗によって滅ぼされる。現在の平壌 付近。 (2)「後漢書」東夷伝・・・范曄が書いた後漢の歴史書。5世紀に成立。 内容・・・①建武中元二年(57 年)に倭の奴国(現福岡市)の使者が 後漢の洛陽に至り、光武帝から印綬を授けられる。 ※この時授けられたと思われる金印(「 」 印)が、( 福岡県志賀島で発見されている。 ②安帝の永初元年(107 年)に倭国王帥升らが160人の奴隷 を献上。 ③桓帝・霊帝の時代(2 世紀後半)に倭国大乱があった。 )年に 《地域的結合・・・三十余国》 (3)「魏志」倭人伝・・・陳寿が書いた三国志のうち「魏書」の東夷伝倭人の条の 通称。3世紀に成立。3世紀の邪馬台国について述べている。 内容・・①位置について。→畿内説と九州説がある。 ②女王卑弥呼が呪術政治を行う。 (a)景初三年( 年)に使者を派遣。「 」の称号と、 金印、銅鏡などを受け取る。 (b)夫はなく弟が補佐 (c)狗奴国と交戦 (d)卑弥呼の死後国が乱れたが、卑弥呼の宗女壱与が王となり 安定。 ②倭人の風俗 (a)大人・下戸などの身分秩序。 (b) 租税制度、市があった。 ※266年、壱与が晋に遣使した記録(「晋書」)を最後に倭に関 する記録は中国の史書からは見られず、5世紀のことが宋書 倭国伝に現れる。 史料1【小国の分立】 ●紀元前一世紀の日本(漢書・地理志) 夫れ①楽浪海中に倭人有り。分れて百余国と為る。②歳時を以て来り献見すと云ふ。 (注)①紀元前108年、前漢の武帝が朝鮮半島に設置した植民地 ②定期的にやってきて ●一・二世紀の日本(後漢書・東夷伝) ①建武中元二年、倭の奴国、貢を奉じて朝賀す。使人自ら大夫と称す。倭国の極南界な り。光武、賜ふに②印綬を以てす。 ③安帝の永初元年、倭の国王帥升等、④生口百六十人を献じ、請見を願ふ。 ⑤桓霊の間、倭国大いに乱れ、更相攻伐して歴年主なし。 (注)①57年 ②印と組み紐 ③107年 ④奴隷 ⑤後漢の桓帝・霊帝の時代 ●邪馬台国と卑弥呼(魏志・倭人伝) [位置] 倭人は①帯方の東南大海の中に在り、山島に依りて国邑を為す。旧百余国。漢の時朝見 する者あり。今、使訳通ずる所三十国。郡より倭に至るには、海岸に循ひて水行し、(中 略)……南、投馬国に至る水行二十日。……南、邪馬壹国に至る、女王の都する所なり。 水行十日陸行一月。…… [統治組織・社会] 其の法を犯すや、軽き者は其の妻子を没し、重き者は其の門戸および宗族を没す。尊 卑各々差序あり、相臣服するに足る。租賦を収むに邸閣あり。国々に市あり。有無を交 易し、大倭をして之を監せしむ。 女王国より以北には、特に一大率を置き、諸国を検察せしむ。諸国之を畏憚す。常に 伊都国に治す。国中において・・・・・・ 下戸、大人と道路に相 へば、逡巡して草に入り、辞を伝へ事を説くには、或は蹲り 或は跪き、両手は地に拠り、之が恭敬を為す。…… [卑弥呼] 其の国、本亦男子を以て王となす。住まること七、八十年。倭国乱れ、相攻伐して年 を歴たり。乃ち共に一女子を立てて王と為す。名を卑弥呼と曰ふ。②鬼道を事とし、能く 衆を惑はす。…… [対魏交渉] ③景初二年六月、倭の女王、大夫難升米等を遣し郡に詣り、天子に詣りて朝献せんこと を求む。太守劉夏、吏を遣し、将て送りて④京都に詣らしむ。 その年十二月、詔書して倭の女王に報じて曰く、「……今汝を以て親魏倭王と為し、金 印紫綬を仮し、装封して帯方の太守に付し仮授せしむ。……」と。 その(正始)八年、太守王 官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼と素 より和せず [卑弥呼後] 卑弥呼以て死す。大いに冢を作る。径百余歩、徇葬する者、奴婢百余人。更に男王を 立てしも、国中服せず。更々相誅殺し、当時千余人を殺す。また卑弥呼の⑤宗女壱与年十 三なるを立てて王と為す。国中遂に定まる。…… (注)①後漢末(204 年頃)に楽浪郡南半を割いて設置された郡。 ④ 魏の都、洛陽 ⑤一族の女 ②呪術 ③景初三年の誤り。239 年。
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