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九州歴史資料館 飛び出すむかしの宝物 解説シート
屋根を彩る軒丸瓦
古代大宰府で使われた瓦
奈良~平安時代 約 1300~1200 年前
出土遺跡
大宰府跡
ふ
わが国で、屋根の上に瓦が葺かれるようになったのは、今から約 1400 年ほど
あすかでら
こんりゅう
さかのぼ
前、奈良県の飛鳥寺(法興寺)の 建 立 (588 年)まで 遡 ります。当時瓦を葺
いていたのは寺院のみで、それ以外の施設で瓦が葺かれるようになるのは 100
年近く後のことです。王宮では藤原宮が最初の瓦葺きでした。
九州では、飛鳥寺が建立された6世紀末ごろから少量の瓦が生産されますが、
文様や製作技法などは畿内とは全く異なっていました。本格的な瓦の生産は、
7世紀の後半に一部の寺院や山城で始まり、大宰府では8世紀前半に瓦葺きの
建物が整備されるのに伴って、本格的に普及・定着していきます。
ここで紹介する軒丸瓦は、古代大宰府の屋根に葺かれた軒丸瓦です。軒丸瓦は、
軒平瓦とともに屋根の先(軒先)に用いられた瓦で、風雨にさらされる軒先を
保護する目的で製作されたものです。円筒状にした粘土を半裁した丸瓦の一方
を円形の粘土板で塞いで作りますが、塞いだ部分の正面側(瓦当面)には様々
な文様(瓦当文)が施されます。瓦当文には、仏教寺院と瓦の結びつきが強か
ったためか、蓮華文を表わしたものが多くみられます。
下線の付く言葉の解説は裏面にあります
1-9
屋根を飾る様々な瓦
一言で「瓦」といっても、丸瓦・平
瓦・軒丸瓦・軒平瓦・鬼瓦・鴟尾・熨
斗瓦・面戸瓦・棰先瓦など種類が豊富
で、屋根のどこに使われるかで、形が
全て異なります。
中国では、瓦の生産は紀元前9世紀
の西周時代まで遡ります。最初は平瓦
だけでしたが、丸瓦も製作されるよう
軒平瓦
軒丸瓦
になり、西周の終わりごろには丸瓦の
正面部分を塞いだ形の軒先瓦が登場し
瓦の名称
ます。当初のものは半円形に塞ぐ「半
瓦当」と呼ばれるもので、その後の前漢代になって軒丸瓦へと発展し、定着しました。
瓦当文
軒丸瓦や軒平瓦は軒先に並べられるため、下か
700 年―
ら見上げた時の正面にあたる「瓦当」部分には
様々な文様(瓦当文)が施されます。文様には、
時代や地域によって違いがあり、当時の思想や、
瓦工房・工人の交流などを知ることができます。
瓦当文は多くの場合木製などの型(笵)に文様を
彫り、スタンプのように文様を付けますが、型に
粘土を押し込んで文様を付ける場合もあります。
800 年―
大宰府で使われた軒丸瓦の変遷
大宰府跡の発掘調査では、一部7世紀に遡る瓦
もありますが、8世紀から 11 世紀ごろまで多様
900 年―
な瓦が出土しています。当初は細かな表現で整っ
た蓮華文ですが、次第に文様が簡略化して、最終
的には非常に大振りで雑な文様へと変化してい
きます。
大宰府の軒丸瓦の文様変遷(1/8)
参考文献:九州歴史資料館 2002『大宰府政庁跡』
写
真:本館撮影
(学芸調査室
下原)