九州歴史資料館 飛び出すむかしの宝物 解説シート い し ぼうちょう 石庖丁 稲の穂摘み具 約 2100 年前 かなつぼ 出土遺跡 久留米市彼坪遺跡 つ 石庖丁は稲の穂を摘み取る道具です。現在の稲はほぼ同じ時期に実を付けま すが、これは品種改良によるもので、当時の稲は実の完熟期にバラ付きがあり 籾も落ちやすかったので、収穫に適した稲穂だけを籾が落ちないように収穫す るため穂摘みしていたものと考えられています。 長さ 8~20cm ほど、幅は 5cm 前後のちょうど手のひらの中に収まるようなサ イズの薄い板状の石材を使っており、形は三角形・半月形・長方形などがあり ます。片側の縁を尖らせて刃部とし、反対側の縁の近くに 2 つないしは 1 つ孔 を開けています。この孔に紐を通して指に引っ掛けたり手の甲に巻きつけたり して手を放しても落ちないようにして使っていたようです。長方形の場合は孔 の代わりに短辺側に抉りを入れて、紐を巻き付けていたと見られるものもあり ます。 大陸から米作りとともに伝来し、弥生時代を通して使われましたが、古墳時 代に入ると鉄製の鎌が普及したためか見られなくなります。 石庖丁の名前の由来 石庖丁にはじめて着目したのは旧秋月藩士の郷土史家、江藤正澄でした。江藤正澄は明 治 21(1888)年に『東京人類学会雑誌』に福岡県嘉穂郡古屋敷例を図示し、アラスカのイ ヌイットが使う鉄製の庖丁(ウーマンズ・ナイフ)に形が似ているから、石で作った料理 用の庖丁であろうと考え、石器時代の庖丁としました。 現在では石庖丁に付着した摩擦痕や液汁の分析で、イネ科の植物を切り取ったことがわ かっているので、正確には石製穂摘具です。 石庖丁のブランド 福岡県内から出土する石庖丁は小豆色や緑灰色の輝緑凝灰岩と呼ばれる石材を使ったも のが多く見られ、西は福岡平野、南は筑後平野まで出土しています。関門層群という地層 から採れる石材で、磨製石器の加工に適 しており、石材が採れる飯塚市や北九州 市内では石庖丁の未製品が多量に出土 することから、石庖丁を生産する集団が いて、交易により遠くまで持ち運ばれた と考えられています。 輝緑凝灰岩製石庖丁 輝緑凝灰岩の分布 参 考 文 献 福岡県教育委員会 『彼坪遺跡Ⅲ』福岡県文化財調査報告書第 202 集 図引用文献 上田健太郎 1998「北部九州における石庖丁の一考察」 写真:本館撮影 (文化財調査室 秦)
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