広町遺跡の概要について

∼ 広町遺跡の概要について ∼
広 町遺跡について
(広町遺跡発掘調査報告書より)
ひろまち
広町 遺跡は 、中野 区弥生 町六丁目 のほぼ全域 と南台五 丁目 の西半 分にわた って 所在す る「
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むかいだ
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向田 遺 跡 群 」 の 中 の ひ と つ と し て 、 弥 生 町 六 丁 目 1 番 地 付 近 一 帯 に 位 置 し て い ま す 。 平 成
EA
19∼ 20 年 度には 、コ ーシャハ イム 中野弥 生町の建 設に 伴って 、広町遺 跡の 発掘調 査が行われ
ました。約 4500 ㎡ の調査範 囲に おい
て、旧 石器時代や 縄 文時代な どの 遺跡
周辺の地形図
も調査さ れま したが、弥生 時代 の遺跡
が圧倒的 に多 く、弥 生時代後 期の 住居
跡が 104 軒、土 坑 (陥し穴 やお 墓、
物を貯蔵 する ための 掘り込み )が6基
広町遺跡
確認 され まし た。こ れらのことか ら 、
この用地 一帯 では 、弥生時代 に大 規模
向田遺跡
集落が形成されていたことが確認さ
れていま す 。今回 は その南側 部分 の調
査をご見 学い ただけ ます。
旧石器時代
平成 20 年出土石器
縄文時代
弥生時代
平成 20 年出土土器
弥 生 時代 後期 の 遺 構 に は 、 重 複 す る 住 居 跡 が 多 く 、
もっとも 多いところ で 7 軒重 なり合 って いました 。こ
れらは 、のちに広 町 編年( 広町 1 期∼ 4 期)を 組み立
平成 20 年出土
てるひと つの 基準と なりまし た。また 、鉄鏃( 鉄で作
られた矢 じり) 1 点・棒状鉄 製 品 4 点・ 板状鉄製 品 2 点の 計 7 点 の出土 は特 筆さ れ、関東 地
方におけ る弥 生時代 後期の鉄 製品の研究 に新しい 視座 を開く ものとされま した。今回の調 査
地は、こ の平成 19∼20 年度の調査地 の南側に 隣接 してお り、同様 の規模のも のが発掘 され
ると考え られ ます。
遺構の様子
《 H 19 20 年 度の調査で出土したもの》
旧石器時代後期
礫群6基、焼土跡 1 箇所
縄文時代中期
竪穴住居跡 2 軒、土坑6基
弥生時代後期
竪穴住居跡 104 軒、土坑6基
環濠1条
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