松原田中遺跡現地説明会(11月7日)資料

平成 27 年
年度
11現地説明会資料
月7日(土)現地説明会資料
今年度調査の成果
今年度の調査では、古墳時代前期頃の遺構が非常
く、新潟県佐渡市蔵王遺跡についで国内で2遺跡目
に密な状態で検出されました。
となる貴重な発見です。
盛土5区の調査では、盛土 1 区から北方向にのび
また、盛土3区の北東側では、東西約 13m× 南北
る溝を境に、東側に集落が展開しており、特に盛土5
約 3m に及ぶ矢板列が見つかりました。調査の結果
区の北東側から盛土3区の北西側にかけて、布掘建物
矢板より南側は石を詰めたり、盛土を施しているこ
や掘立柱建物が集中していることが分かりました。
とが分かりました。このことから、集落の北東部を
これまでの調査で見つかった掘立柱建物は 24 棟
一部埋め立てて、居住域を広げた可能性があります。
で、うち 13 棟は溝を掘り、溝の内部に柱を立てる布
今年度の調査成果により、松原田中遺跡の集落の
掘建物であることが分かりました。
北辺部の様子が明らかになりました。湖山池の南岸
盛土5区の布掘建物7、盛土3区の布掘建物 11
域における古墳時代の村の様子を知る上で貴重な発
では、柱が建物の基礎である地中梁に据えられた状
見です。
松原田中遺跡
態で見つかりました。柱を伴う状態での出土は珍し
盛土5区
掘立柱建物群
布掘建物
布掘建物8
居住域の境
となる溝
5区
10
6区
布掘建物について
3区
布掘建物とは、掘立柱建物の一種で、平行する二
条の溝を掘り、溝の内部に柱を立てるものを指しま
す。溝の中にそのまま柱を立てるタイプ、溝の中に
さらに柱穴を掘るタイプ、溝を掘った後一端埋め戻
してから柱穴を掘るタイプがあります。
ちちゅうばり
南方向からみた松原田中遺跡
地中梁とは、建物の基礎をつくる方法のひとつで、
ぬきあな
まつ ばら た なか
溝の底に置いた長い木材に、根本に貫穴を作った柱
松原田中遺跡の概要
わなぎこみ
盛土5区布掘建物7
を組み合わせ、輪薙込状にして固定したものです。
松原田中遺跡は、鳥取市郊外に広がる湖山池の南西
した。さらには、銅剣を模した磨製石剣、銅鐸(共に破片)
低湿地などの軟弱な地盤では、建物の不同沈下を防
部に位置する、弥生時代前期から古墳時代後期(約
等の近畿地方との関連が窺える遺物や、岡山県に多い
ぐ効果があります。
2,300 ~ 1,400 年前)の集落を中心とする遺跡です。
分銅形土製品が出土する等、他地域との交流を示すも
松原田中遺跡では、これまでの調査で地中梁を伴
一般国道 9 号(鳥取西道路)の改築工事に伴い、平成
のが沢山出土しています。
う布掘建物が 13 棟以上見つかっています。いずれ
22 年度から調査が行われ、今回が調査の最終年度、4
古墳時代後期(6 世紀代)には、遺跡の東側にある
回目の調査です。
丘陵上に松原古墳群が築かれます。そこで使用された
これまでの調査で、微高地上に居住域が、その西側
埴輪と当遺跡から出土した埴輪の特徴が共通すること
の低地に水田域が広がることが明らかとなっています。
から、松原田中遺跡は松原古墳群を造営した人々の村
また加工途中の木製の鍬や、石器や管玉づくりの際に
と考えられます。
生じた破片や未成品が出土したことから、弥生時代に
古代は遺構・遺物が希薄となりますが、中世(13
はものづくりが盛んであったことが分かりました。
世紀)以降、現代に至るまで耕地として利用されてい
管玉の素材となる碧玉の一部は、分析の結果、石川
ました。
ふ どうちん か
も出土した土器から古墳時代前期と考えられます。
発 行 : 公益財団法人鳥取県教育文化財団 調査室 発行年月日:平成 27 年 11 月7日(土)
〒680-1133 鳥取市源太 12 番地
電 話 0857-51-7553
ファクシミリ 0857-51-7550
電子メール [email protected]
URL http://kyo-bun.sakura.ne.jp/chosasitsu%20new.htm
地中梁
柱
地中梁
わ なぎこみ
輪薙込
布掘建物模式図
県小松市周辺で産出されるものであることが分かりま
松原田中遺跡
松原田中遺跡の主な時期
北辺部の様子
縄文時代
晩期
700
600
弥生時代
前期
500
400
300
中期
200
100
後期
100
0
200
古墳時代
前期
300
飛鳥時代
中期
400
後期
500
600
700
古墳時代前期の村の様子
⑯
⑮
1区
2区
①
3区
布0
生産域
布2
居住域
布1
H27 年度調査範囲
②
布5
4区
布4
盛土 5 区
布3
⑫
⑩
①
⑮
④
盛土
6区
③
⑯
⑧
⑦
⑪
⑨ 盛土 3 区
西側の低地は水田が広がり、
ものづくりがさかんな弥生時代の村
管玉や石器、木製高杯等の製作途中のものな
どが出土したことから、さまざまなものづくり
⑤
⑯大型掘立柱建物
地中に太い角材を据え、その上に柱を
盛土 3 区で検出した掘立柱建物 22
けん ろう
⑰
⑬
⑭
は、一辺4m、1間四方の大型掘立柱
たか ゆか
の建物です。堅牢な造りから、高床倉庫
建物です。また直径 20cm の柱が立っ
と考えられます。
柱の下端には抉り込みを入れ、柱穴
の底の横材にはめ込んでいます。
建物が立ち並んでいた古墳時代後期の村
⑰
⑥
④
⑰集落のゴミ捨て場
これは、柱の沈下防止のためと考えら
破損した木製品や土器が
れ、布掘建物と共通する工法です。
多量に川に廃棄されていま
出土した土器からみて、布掘建物群
した。
と同じ古墳時代前期のものと考えられ
ます。
松原田中遺跡盛土調査区 1 ~ 3、5 ~ 6
=布掘建物跡
が盛んに行われていたことが分かりました。
=掘立柱建物跡
5区
布7
くだたま
②管玉未成品や工具
(弥生時代中期)
③
たか つき
④高杯未成品
③石器未成品
(弥生時代)
⑤掘立柱建物
⑥古墳時代後期の大壁建物?
これまでに古墳時代後期(約 1,400
四辺の溝から柱材が出土しており、
年前)の建物跡が約 10 棟見つかりま
11.4×8.2mの大型の壁立式の建物と
(弥生時代前~中期) した。
た状態で出土しました。
出土した柱
盛土4区
生産域となっていました。
②
ぬのぼりたてものあと
立てた古墳時代前期(約 1700 年前)
盛土 1 区
①弥生時代中期の水田跡
ちちゅうばり
⑮地中梁を伴う布掘建物跡
⑥
⑤
盛土
2区
布掘建物復元CG
鳥取環境大学浅川研究室 作成
考えられます。
掘 19
6区
掘
掘
21
掘 22
④
掘 23
さまざまな出土遺物
③
⑨ガラス勾玉
⑦
⑦
⑦
⑬
⑬
2区
⑨
流
路
3区
⑥
1区
⑪
⑧ 20
布 9 布 10
布8
溝
布 11
布6
⑯
布 13
布 12
(弥生時代)
おお あし
⑪木製の盾
せいどうきょう
⑧小型の青銅鏡
どうたく
⑦銅鐸の破片(内面)
どうたく
盛土 1 区からは銅鐸の破片
が 2 点、3 区からは銅製の
どうくしろ
同心円が二重に廻ること
から、重圏文鏡と呼ばれる
古墳時代前期(約 1700
腕輪である銅釧の破片が1
年前)の国産鏡と考えられ
点出土しています。
ます。直径約 5.3cm です。
⑩分銅型土製品
(弥生時代)
⑫銅剣を模した
石の剣
(弥生時代)
⑬大足(古墳時代後期)
足に装着して水田に緑肥を踏み込む
農具で、同類のものが近代まで使用
されていました。
⑤
⑨
⑭腰掛の
脚部
(古墳時代前期)
0
25m