オレオサイエンス 第 15 巻第 10 号(2015) 453 巻 頭 言 美味しい「あぶら」を安心して食べられ るために日本油化学会へ期待すること 日本油化学会フェロー 菅 野 道 廣 健康との係わりで,今日ほど油脂の栄養・生理機能が 肥満者の割合は増加の一途をたどっているが,その間油 注目されている時代はない。油脂研究の総本山である日 脂の摂取量は殆んど増加していない。それにもかかわら 本油化学会(JOCS)でも当然のことながらこの課題を ず油脂は敬遠されているのである。食品に添加された砂 避けては通れまい。しかし, JOCS の目的に「油脂・脂質, 糖に対する課税が世界的な話題となっているのも,糖質 界面活性剤及びそれらの関連物質に関する科学と技術の がより深く肥満と係わっているためであり,近年におけ 進歩を図り,産業の発展及び生活と健康の向上に寄与す る米国での肥満増加の実態からも容易に理解できる。 ること」と書かれてはいるが,健康と係わる専門部会は 「あぶら嫌い」の影響は食用油脂業界にも打撃を与え 名称からは 7 部会中唯一つ,オレオライフサイエンス部 ている。卓越した精製技術を備えていながら,消費の漸 会のみであり,幹事数は最少である。ただ,現実には近 減に悩まされている。品質的にも,健康的にもすぐれた 年の JOCS 年会では,健康に係わる分野の研究発表は結 製品が耳目を集められないことの根本的原因もまた,油 構増え,Journal of Oleo Science やオレオサイエンス誌 脂栄養研究の不備に起因すると言わざるを得ない。この でも関連情報が目に付くようになってきている。 苦境から脱出のためにはこの領域の研究強化が不可欠で わが国の油脂化学分野の研究レベルは世界的に見ても あり,JOCS に期待するところは大きい。 きわめて高く,高品質・高機能性油脂製品の開発には目 美味しい油脂を気兼ねなく食べられるようになるため を見張るものがあり,JOCS が果たしてきた功績は大き には,油脂栄養学研究の展開は欠かせないが,遅々とし い。しかし,油脂と健康に関しては残念ながらかなり見 て進んでいない。先進国では最大の健康障害因子の一つ 劣りがする。良い製品をつくれるのに,なぜ健康と結び である循環器疾患,とくに冠動脈心疾患に対する最適な 付かないのであろうか。これは研究者の関心に委ねられ 脂肪酸構成についても,確定的な証拠は必ずしも得られ るであろうが,JOCS の大きな課題の一つであろう。“Oil ていない。常識となっている飽和脂肪酸についても論拠 Chemists’Society”の看板に固執して,健康科学領域 が覆る可能性さえあり,条件付きの状況とも言える。ト が手薄のようにも見える。昨今,理工学部系でも生命科 ランス脂肪酸についても問題は残る。このような国民的 学は重要な研究分野となっており,JOCS は「油脂と健 関心が深い油脂栄養の世界に,目を逸らすわけにはいか 康」にも最も深く係わる学会の一つであるべきではない ないであろう。 だろうか。この姿勢を貫けば,近年問題となっている会 員減に歯止めがかかる可能性が高いと思われる。 問題は栄養研究にはかなりの時間を要し,しかもはっ きりとした成果が得難いことにある。そのため,結果の 油脂と健康に対する学会の手薄い取り組みの現状を嘲 解釈には広く深い見識が求められる。若い世代にこのよ 笑するかのように, わが国でも「あぶらを食べると肥る」 うな栄養学の世界に関心を抱かせるのが,学会の大切な と言った短絡的な誤解が罷り通っており,第六の味と認 役目であろう。健康のための学問に二の足を踏んではな 定される可能性がある「あぶらの美味しさ」は無視され, らない。栄養学に携わってきた者として自ら反省し,現 むしろ忌避されている。肥満が世界的な健康問題となっ 状には忸怩たるものもあるが,実績ある JOCS の卓越し ていることを考えると, 高エネルギー価ゆえに「あぶら」 た統率・指導力に大いに期待したい。 が嫌われるのは一理あるが,この風潮を傍観するだけで よいのだろうか。確かにわが国でも近年,中年男性での ― 1 ― 「絶学無憂」に近い身からの恥を忍んでの提言である。 (九州大学・熊本県立大学名誉教授)
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