再び古い帳面から 醫博 佐々木隆興 東京神田駿河臺 スモーキング

再び古い帳面から
醫博 佐々木隆興
東京神田駿河臺
スモーキングルームに参加を約束し乍ら愚圖々々しているうち締切の數日前頃から腹部
にカルブンケル(注)が出來不眠症が益々烈しく頭が纏らないから責を塞ぐ為め例により
古い帳面を繰って見た。數年前の帳面に次の様な事が書いてあった。
六十近くになって自分の學問的生活を顧ると青壮年の或時期には總てが何となく明瞭に
わかった様な感じがあった。書物を讀んでもはっきり理解した様な氣がして知識慾を満す
事が愉快であった。漸々に紙の上ではわかっても何となく雲烟模糊として常に快よく理解
が出来なくなった。如何にも物足りない様な氣分が毎に讀書の際に起った。是は今になっ
て熟く考へると自分の方が進歩したのではなからうか。疑があり迷がある所に悟りがある
ので、わかり過ぎては疑問が起らない。疑問がある所に研究題材があるのである。こんな
わかり易い事がわからなかった事は可笑しい位である。所謂知織に囚われる事は反って害
をなす事は無知よりも甚しい事がある。物識りには創作がない。
又別の帳面に-
自然界を自然科學的方法で照して観て是をよく観察し、徴に入り細を究める事の必要な
事は論ずる迄もない。然し又他方には此の自然科學的方法を以て照したものの間隙にある
暗黒な領域を更に既に明るくはっきりしたものから思索的に推考し、自然全體を渾然とし
て囚われずに統一観察すべきである。茲に此の暗黒界に光を興ふる道が發見せらるるので
ある。此の暗黒界が無意識に脳裡をうった時が學者の懐疑懊悩の時期である。而も徒らに
懐疑を有ち乍ら naturphilosophishes Denken の掻けて居る事が若き時分の缺陥の一つであ
る。
斯様な事が書いてあったのを還暦を過ぎた今日静かに考へて見るとこんなつまらない事
は云はずもがなと思ふのであるが、スモーキングルームには色々な年齢の人が参加される
のであるから責を塞ぐ為めに書き送った次第である。
(注)癰(よう)ともいい、相隣接している多数の毛包に生ずる細菌感染症)
(初出;日本医事新報 851 号、昭和 14・1939 年)