最終的には国民負担!

平成 27 年 7 月 28 日発行
武蔵経営からのお知らせ(№274)
最終的には国民負担!
~あらゆる分野で進む無責任な風潮~
税理士法人 武蔵経営(熊谷 048-522-0064・大宮 048-631-2271)
1.財政に責任をもたない政治家と官僚たち
財産税の課税対象になった財産とその課税価額
日本の公的債務が太平洋戦争の末期と同じレベルを超えまし
た。この事実はたいへんなことなのですが、政治の世界ではあま
り深刻に考えられていません。財政の深刻さについて語ると、財
不動産
田、畑、山林
136 億円
宅地
136 億円
家屋
243 億円
立竹木
57 億円
有価証券
181 億円
銀行預金
291 億円
郵便貯金
95 億円
合計 572 億円
(44%)
務省に洗脳されていると攻撃される風潮があります。下図は公的
債務の対 GDP 比率が戦前の水準を超えたことを示す図です。
金融資産
合計 603 億円
(46%)
年金保険等
36 億円
動産その他の財産(10%)
137 億円
合計
1361 億円
財産税によって調達した税金
435 億円
この財産税がいかに過酷であったかは、金融資産が 603 億円
しかないのに 435 億円の財産税を徴税したことからも明らかで
戦前の借金は 1931 年に満州事変が勃発し 1932 年に満州国が
建国されますが、1933 年の国際連盟でこの満州国の独立性が認
められず日本は国際連盟を脱退することになります。その後も日
本は財政赤字を膨らませないように努めるのですが、1937 年の
日中戦争の勃発からは、堰を切ったように大量に国債発行をしま
くります。この大量の国債は当然ながら市場で消化できずに日銀
が買い取ることになります。
戦前の借金は戦争を遂行するための借金ですから、非常事態
における借金なのですが、バブル経済崩壊後の借金は景気後退
による「税収不足の補てん」と「景気対策」によるものです。バブル
経済の崩壊が戦争に匹敵するほどの非常事態であるのかどうか
は疑問ですが、25 年間もの長期間にわたり国債を大量に発行し
続けて、ついに戦前の水準を越えてしまったのです。
2.戦前の借金はどうなったのか?
昭和 21 年の予算を概観すると普通歳入 120 億円に対し、歳出
が 172 億円、うち 78.3 億円が国債費であったようです。大蔵省は
「取るものは取る、返すものは返す」という原則を掲げ、空前絶後
の大規模課税として税率25%~90%の「財産税」が課税(取るも
のは取る)され、それを原資に国債の償還(返すものは返す)を行
おうとしました。
終戦直後になんとか財政を立て直そうとして、日本政府は様々
な増税を矢継ぎ早に実行します。財産税だけでなく、1946 年 2 月
には預金封鎖と新円切り替えを実行し、その封鎖した預金で破た
んした民間金融機関の債務に充当します。また戦争遂行中に国
内企業や国民に対して約束した補償債務については、これを切
り捨てる「戦時補償特別措置税」を賦課します。
このようにして国内企業や国民の財産によって急場をしのぎ、
戦後急速に進んだインフレによって縮小した国債を償還していった
のです。
ちなみに終戦投資その財産税の対象となった財産とその価額
は以下の通りです。
す。
3.結局、財政無責任は経済の破たんを招く
現在の日本においては、官民を問わず無責任な風潮が蔓延し
ています。結果的には極端なインフレーションがあったからこそ、
戦前の膨大な国債は償還されたのですが、財政を正常化させよ
うとして様々な努力がなされたことも事実です。
ギリシャの公的債務残高は僅か 40 兆円で対 GDP 比 170%です。
それに対し日本の公的債務残高は 1200 兆円で 233%です。でも
「日本は大丈夫だ」という人達が多く、その人達が示す根拠は、
① 日本は外国から借金していない
② 日本の家計には 1700 兆円もの金融資産がある
③ 政府は借金もあるが資産もある
というものです。アベノミクスで日銀はせっせと国債を大量に購入
し続けていますから、当面国債が暴落することはありません。しか
し異次元の金融緩和を続けて、日銀が大量に国債を購入し続け
ている状態はいつまでも続けるわけにはいかないことも事実です。
アベノミクスで「2%の物価上昇を実現すればなんとかなる」という
のはいかにも無責任です。
日本の歴史を振り返ると、戦前においても現在と同じような無責
任な風潮がなかったわけではありません。戦前の大恐慌が起きた
とき、当時の浜口内閣は国際協調と緊縮財政をモットーにして、
国債発行を抑えていたのですが、経済学者が景気回復の妙案を
唱え、次に政治学者が過激なことを言う。最後に憲法学の定説が
袋叩きに遭う。1929 年の世界第恐慌勃発から 1935 年の天皇機関
説事件までの 6 年間の出来事は、現在の姿と似ています。
勇ましい政策は実現する保証はないし、うまくいかない場合に
は国民が返済しなければならないのです。
(文責 龍前 篤司)