東京大学経済学部 2015 年度 S1「中国経済」レポート採点結果と講評 (5

東京大学経済学部 2015 年度 S1「中国経済」レポート採点結果と講評 (5 月 21 日)
レポートの課題:
『現代中国経済』のページに掲載されているデータのうちどれかをダウン
ロードして分析しなさい
1.採点基準(5 点満点)
5 独自の統計分析、または他国の統計との比較、または経済理論や教科書以外の文献や
情報との関連づけを行い、独自の見解を導き出している。
4 適切な統計の読み取りや加工を行い、関連の文献や情報と照らし合わせ、妥当な見解
を導き出している。
3 教科書の内容を祖述するにとどまっているものの一定の努力は認められる。
2 図表を作成していない、または教科書の図を再現するにとどまり、記述も教科書の内
容を祖述するにとどまる。
1 文章を書いているが内容がヘン。
0 不正がある
(提出期限=5 月 19 日の授業時に間に合わなかったものは 1 点減点。メールで提出したも
のについては 5 月 19 日 10 時 15 分以降に到着したものは 1 点減点)
2.採点結果と講評
提出者 106 名。5 が 13 人、4 が 14 人、3 が 33 人、2 が 34 人、1 が 8 人、0 が 4 人。
授業での様子からして平均点は 4 だろうと思って採点を始めた。だが、おそらく授業に
一回も出ずに単位を取ろうと考えている人がかなり多いようで、2 以下にしか評価できない
レポートが多数あった。「データをダウンロードして分析しなさい」という指示なのに、図
表が一枚もないレポートが少なからずあった。「図表を作成しろ」と指示していないではな
いかという言い逃れもあり得るのかもしれないが、図表のないレポートも図表を参照させ
る内容になっており、自己完結性がない。レポートを読むのは私だけだと考えているのか
もしれないが、第三者にも読ませるつもりで書いて欲しいものである。
2 組×2 人については内容がまったく同一であった。
「友達と相談してもいいよ」と授業の
際には言ったが、個人で提出するものである以上、最後は自分の考察を述べるのだから共
通部分はあっても内容は自ずから異なるはずである。この 2 組については語尾を変えるな
ど、コピーしたことを粉飾する操作もあって悪質であり、0 点と評価した。
3.レポートに触発された議論
(1) 社会保険基金残高と社会費用の関係
2 名ぐらいのレポートのなかで、5 月 1 日の講義の際に説明した中国の社会保険基金残高
と日本の社会保険の費用とを比較したものがあった。だが、前者は一定時点での基金残高
(ストック)
、後者は 1 年間の支出(フロー)なので、対等な比較にはなっていない。そも
そも私が社会保険基金の残高を示した理由は、それが社会のなかの貯蓄の一形態として急
速に伸びていることを示すためであった。
一方、日本の厚生労働省が年金、保健、失業に関する社会支出を対 GDP 比で示している
のは国全体でこれらをどれぐらい負担しているかを示すためである。後者と比較するので
あれば、中国における 1 年間の年金、医療保険などに関する支出額と比較すべきである。
そのデータは容易に得られるので下で日本と比較してみた。高齢者への年金をみると 2012
年に日本では GDP の 11.35%、中国では 3.5%で水準にかなりの差がある。中国が少ないの
は、農村の高齢者がほとんど年金をもらっていないことが一因だ。また日本では保健支出
が GDP の 7.8%、中国では都市基本医療保険の支出が 1.1%で差は大きい。これは医療保険
が農村をほとんどカバーしていないことに加え、
「基本医療」に含まれない医療費(日本で
は保険外診療に相当するのか?)が多いことが推測される。
日本
社 会支出の対GDP比
合計
高齢
遺族
障害、業
務災害、
傷病
保健
家族
積極的労
働市場政
策
失業
住宅
他の
政策分野
2000
2001
16.73
17.79
7.32
7.91
1.17
1.21
0.75
0.80
5.81
6.05
0.64
0.70
0.28
0.29
0.60
0.63
0.04
0.04
0.14
0.15
2002
18.17
8.36
1.24
0.75
6.00
0.73
0.29
0.59
0.05
0.16
2003
2004
18.15
18.31
8.45
8.59
1.25
1.26
0.77
0.76
5.97
6.04
0.73
0.78
0.30
0.27
0.45
0.36
0.06
0.06
0.17
0.18
2005
2006
18.81
18.73
8.89
8.97
1.28
1.28
0.73
0.79
6.25
6.11
0.81
0.80
0.25
0.19
0.34
0.33
0.08
0.07
0.18
0.18
2007
19.02
9.14
1.29
0.82
6.24
0.80
0.16
0.32
0.07
0.19
2008
2009
20.48
22.58
9.90
10.89
1.37
1.43
0.90
1.00
6.69
7.19
0.88
0.96
0.20
0.37
0.25
0.39
0.08
0.10
0.21
0.25
2010
2011
22.68
23.65
10.78
11.00
1.42
1.44
0.95
1.01
7.30
7.66
1.28
1.35
0.28
0.19
0.30
0.30
0.11
0.12
0.26
0.58
2012
23.86
11.35
1.44
1.04
7.80
1.32
0.21
0.28
0.12
0.30
中国 社会保険支出の対GDP比
中国 合計
2000
2001
2002
2003
2004
2005
2006
2007
2008
2009
2010
2011
2012
2013
2.4
2.5
2.9
3.0
2.9
2.9
3.0
3.0
3.2
3.6
3.7
3.9
4.5
4.9
高齢年金
労災保険
2.1
2.1
2.4
2.3
2.2
2.2
2.3
2.2
2.4
2.6
2.7
2.8
3.2
3.5
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.1
0.1
0.1
都市基本
出産保険
医療保険
0.1
0.2
0.3
0.5
0.5
0.6
0.6
0.6
0.7
0.8
0.9
0.9
1.1
1.2
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
0.0
失業保険
0.1
0.1
0.2
0.1
0.1
0.1
0.1
0.1
0.1
0.1
0.1
0.1
0.1
0.1
(2)農業戸籍、非農業戸籍を統一し、農民がどこでも住民サービスを受けられるようにした
らどうなるか?
ある学生のレポートでは上記のような問題を提起して、次のような推測をしている。古
籍が統一されたら農民の大半は農地を棄てて都市に出るだろう。そのため農業生産力が落
ちる一方、非農業人口が増えるので農作物の供給不足が生じる。輸入が増大し、経常収支
が悪化、財政赤字を招く。都市のスラム化も起きる。だから戸籍制度だけ改革すべきでは
なく農業改革とセットに実施すべきだ。
私の考えは彼とは異なる。穀物生産には補助金が出ていること、農業部門にはまだ余剰
労働力があることから考えると、戸籍差別の廃止によって都市に出て行くのは主に所得と
生産性の低い農業者であり、農業生産に大きなマイナスを引き起こすほどの労働力流出は
起きないと考えられる。ただ、都市への人口移動によって商品作物需要は増大するから農
産物価格は上昇し、農業の供給拡大および農産品の輸入拡大を引き起こす。農業の供給拡
大に対して水や土地の制約から(学生は暗に労働力が農業の供給の制約要因だと考えてい
るようだが、現状では余剰労働力があると私は見ており労働力は制約要因にはならないと
考える)限界があるとすると、輸入が大きく拡大する。
中国による大規模な農産品輸入は世界の農産品価格の上昇を引き起こし、供給国の生産
拡大を刺激する。農産品の輸出拡大はその国の所得増大をもたらし中国からの工業製品輸
入の拡大を引き起こすから、農産品輸入拡大による中国の貿易収支の悪化はある程度相殺
される。また輸入拡大が人民元の下落を誘発すれば中国の工業製品輸出が拡大する。以上
のメカニズムにより、中国の農産品輸入の拡大は中国の貿易黒字をある程度減少させるに
しても赤字に陥らせるほどのことではない。
農村のなかの生産性の低い農業者が都市に移動するとするならば、彼らが都市の縁辺労
働力となってスラムを形成する可能性がある。ただ、一般にスラムはルイス転換点以前の
段階で都市の労働需要が不十分なときに農村余剰労働力が過度に都市に移動することによ
って作られると考えられる。中国はもうルイス転換点に近づいてきていて都市の労働需要
の増加が続くならばスラム形成の程度は軽いものとなろう。
ただ農業戸籍をなくすと、農民の子供として生まれた人には農地が割り当てられないこ
とになるので、農業用地の私有制を同時に導入し、農業従事者が確保される仕組みが必要
であろう。また農業からの就業者の急激な流出を避けるために農業への補助金をしばらく
は増やすことでショックを和らげる必要もあるだろう。
戸籍制度は単に経済的機能だけからではなく、基本的人権という点から考えなければな
らない。一部の国民が生まれながらにして職業や住所が限定されてしまうことは基本的人
権にもとる。食料の確保も基本的人権の重要な側面であり、戸籍制度は食料確保に必要だ
からと正当化されてきたのかもしれないが、もはや中国は食料をぎりぎり確保できるよう
な段階をとうに過ぎているので、そのような正当化はできない。