復 興 へ の 歩 み 【文学賞】 私は 福島を見た。 私の小学校の修学旅行は 毎年福島に行くはずだったのに その日に復興は間に合わなかった。 だから、今年の春に 震災後 初めて訪れたのだ。 五月 福島では桜が咲いていた。 小川の流れが美しく、どこまでも 條 川 さくら 118 桜のトンネルを歩いていった。 お腹が空いて ふと入ったラーメン屋。 若い夫婦が、温々のラーメンを作った。 「私の嫁は田村市で、家にはまだ帰れない。」 風評被害が強くて 美しい福島を 見に来てくれない、と。 ラーメンは美味しく、夫婦は優しかった。 台風が近づく八月 私たちの家族は 飯館村から南相馬市を抜け 浪江町まで入ってきた。 通行止の看板が多い中 119 唯一つながる県道を走り続けた。 黄色い旗は「除染作業中」 雨の中なのに一生懸命土を掘り返していた。 「放射線は土につき残るんです。 こうして通気性のあるシートに包んで 土を取り除き、仮設場に置くんです。 」 福島環境再生事務所で展示された 福島の地図や数値のかいた図がよみがえる。 除染作業はあと三年続く。 除染物は三十年残る。 仮設場の除染物は増えていく。 放射線は見えない力で遺伝子を傷つける。 120 だから 「取りのぞく」 「さえぎる」 「遠ざける」 ことが大切だと。これが除染。 この青や黒のシートに包まれた 巨大な物質が残る間、 町の人たちは帰れない。 どの家もどの店も、郵便局や役場ですら 扉を閉ざしている町なんて初めて見た。 瓦礫は残っていた。 荒れた田んぼにひっくり返った車 121 ガソリンスタンドにつっかかった船 窓のガラスが全て流れた空き家 曲がったアンテナ まだ復興のためにしなければならないこと 沢山あった。 放射線は、普通に暮らしていても 身体では少し受けてしまうもの もし少しずつ皆の町で分け合えたら 見えない力で覆われた町の復興は 少しでも早くなるのだろうか。 狭い日本だけど、全ての人々が助け合い 生きていくために支え合うことが 122 生きるための仕事を続けられる 生きるために人々が暮らしていける 道に繋がるのだろうか。 仮設住宅も通った。 浪江焼きそばも食べた。 福島でこの仮設住宅で暮らす人達に 生きる喜びを作れることって 何だろう。 その夜 阿武隈川と松川の合流で 盛大な花火大会があった。 こんなに雨が降っていたのに こんなに沢山の人が川の橋を渡り 123 集まってきた。 こんなに笑顔が沢山ある。 昨年は雨で中止になったと。 開会のギリギリまで河原に残っていたと。 今年もこんなに大雨だったのに 花火師さん、頑張った。DJさんも。 生きるための喜びって笑顔からだ。 だから、笑顔が増える何かを 私なりに、考えたい。 だから、また秋も、冬も 次の春も 私は福島を訪れたい。 124
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