特許権者と独占的通常実施権者による損害賠償請求

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◆ 2015 年 2 月 6 日掲載 新・判例解説 Watch ◆ 知的財産法 No.94
文献番号 z18817009-00-110941178
特許権者と独占的通常実施権者による損害賠償請求
【文 献 種 別】 判決/東京地方裁判所
【裁判年月日】 平成 25 年 1 月 31 日
【事 件 番 号】 平成 21 年(ワ)第 23445 号
【事 件 名】 特許権侵害差止請求事件
【裁 判 結 果】 一部認容、一部棄却
【参 照 法 令】 特許法 77 条 4 項・102 条、民法 709 条
【掲 載 誌】 裁判所ウェブサイト
LEX/DB 文献番号 25445300
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を認め、原審とは反対に、本件特許権 2 について
のみ侵害を肯定した。X3社による損害賠償請求
の可否及び 102 条の類推適用の可否については、
X3社がX2から独占的通常実施権を設定された旨
認定した上で、原審の判断を維持している。ただ
し、特許権者X2が控訴していなかったため、X2
による損害賠償請求の可否(下記判決の要旨2に
相当する部分)は判断されていない。
事実の概要
原告X1社は、発明の名称を「オープン式発酵
処理装置並びに発酵処理法」とする特許権(以下、
これを「本件特許権 1」という)の特許権者であり、
原告X2は発明の名称を「ロータリー式撹拌機用
パドル及びオープン式発酵処理装置」とする特許
権(以下、これを「本件特許権 2」という) の特許
権者である。原告X2が現在、代表取締役を務め
ている原告X3 社は、X1 社及びX2 から、それぞ
れ本件特許権 1、本件特許権 2 について独占的通
常実施権の設定を受けたと主張している。しかし、
X1社・X3社間の独占的通常実施権設定契約後に、
X1社が訴外A社に対し、同じく本件特許権 1 に
ついて実施対価を無償とする通常実施権を設定
し、その旨の登録がされたとも認定されている。
X1 社、X2、X3 社は、被告Y社が製造販売す
る製品が、本件特許権 1 及び本件特許権 2 を侵
害すると主張して、X1社・X2がY社に対する製
品の製造・販売の差止めを、X1 社・X2・X3 社
がY社に対する不法行為に基づく損害賠償を求め
て訴えを提起した。東京地裁は、Y社による本件
特許権 1 の侵害のみを認め、X1社による差止請
求を肯定した上で、X1社とX3社による損害賠償
請求について、下記判決の要旨の通り判示した。
本件における争点は多岐にわたるが、本稿では、
損害賠償に関する争点のみを扱うこととする。
なお、本件控訴審である知財高判平 26・3・26
平成 25 年(ネ)第 10017 号・10041 号は、本件
特許権 1 について特許法 104 条の 3 の適用を認
めて侵害を否定し、本件特許権 2 について、原
審口頭弁論終結後に確定した訂正後の発明に基づ
き、原審では主張されていなかった均等論の適用
vol.7(2010.10)
vol.17(2015.10)
判決の要旨
1 独占的通常実施権者X3社による
損害賠償請求
X3社は、少なくとも、X1社から、本件特許権
1 の全部につき、無償で独占的通常実施権の許諾
を受けたことが認められる。
確かに、本件特許権 1 については、X1社がA
社に通常実施権を設定し、設定登録が経由された
ことが認められる。一方で、X1社とX3社が独占
的通常実施権許諾契約書を作成した当時の両原告
の代表取締役社長であった訴外Bは、A社に上記
通常実施権の設定がされた当時も、引き続きX3
社の代表取締役に在職し、上記通常実施権の設定
及びその設定登録を了承していたことが認められ
る。
「特許法 77 条 4 項は、専用実施権者は、特許
権者の承諾を得た場合には、他人に通常実施権を
許諾することができる旨規定しており、同規定は、
専用実施権者が第三者に通常実施権を許諾した場
合であっても専用実施権を有することに影響を及
ぼすものではないことを前提としているものと解
されるものであり、かかる規定の趣旨に鑑みれば、
特許権者が独占的通常実施権を許諾した後に、そ
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X3社の上記損害賠償請求権……とX1の上記損害
賠償請求権……とは、その重複する限度で、いわ
ゆる不真正連帯債権の関係に立つものと解するの
が相当である。」
の独占的通常実施権者の了承を得て、第三者に通
常実施権を設定した場合には、通常実施権が設定
されたからといって直ちに当該独占的通常実施権
者の地位に影響を及ぼすものではないというべき
である。
また、本件においては、X1社がX3社及びA社
以外の第三者に本件特許権 1 の実施権を許諾し
ていることをうかがわせる証拠はなく、また、A
社が本件特許権 1 の特許発明の実施品を現実に
販売していることを認めるに足りる証拠もないこ
とに照らすならば、A社に対する上記通常実施権
の設定によって、X3社による本件独占的通常実
施権……に基づく本件特許権 1 の実施について
の事実上の独占が損なわれたものということはで
きない。」
「独占的通常実施権者は、登録によって公示が
されていない点などで専用実施権者とは異なる
が、その実施権に基づいて特許権を独占的に実施
して利益を上げることができる点においては専用
実施権者と実質的に異なるものではなく、損害に
ついては基本的に専用実施権者と同様の地位にあ
るということができるから、独占的通常実施権者
については、特許法 102 条 1 項又は 2 項を類推
適用することができると解するのが相当である。」
判例の解説
一 判決の意義
本判決は、特許権者が独占的通常実施権者の許
諾のもと他社に実施許諾を与えていた場合につい
て、独占的通常実施権者による損害賠償請求を認
めた点、さらに、無償の独占的通常実施権を設定
し、自らも実施していない特許権者による損害賠
償請求について、102 条 3 項の適用を認めた点に
特徴がある。独占的通常実施権者による損害賠償
請求に関しては、これまで多くの裁判例が蓄積し
ているところ、本判決は、これに新たな一事例を
付け加えるものとして意義がある。
二 独占的通常実施権者X3社による
損害賠償請求
1 「事実上の独占状態」の保持と不法行為の成否
本件では、独占的通常実施権者以外に、特許権
者が通常実施権の設定を行っていたケースで、独
占的通常実施権者が、侵害者に対し、不法行為に
基づく損害賠償請求を行うことができるのかが 1
つの争点となった。この問題に関しては、東京地
判平 15・6・27 判時 1840 号 92 頁[花粉のど飴]が、
商標の独占的通常使用権者による損害賠償請求を
否定している。「独占的通常使用権者に固有の損
害賠償請求権を認めるにしても、それは独占的通
常使用権者が契約上の地位に基づいて事実上本件
登録商標の使用権を専有しているという事実状態
が存在することを前提とするものであるところ」、
このような前提を欠く場合には、独占的通常使用
権の侵害を理由として損害賠償を請求することは
許されないというのである。
本判決も、独占的通常実施権者X3社による損
害賠償請求を基礎付けるのに、「本件独占的通常
実施権……に基づく本件特許権 1 の実施につい
ての事実上の独占」を要求するかのような趣旨を
窺うことができ、単に、独占的通常実施権設定契
約の有効な成立のみでは足りず、花粉のど飴事件
同様、独占的通常実施権者による事実上の独占状
態を要求していると解する余地もある。もっとも、
2 特許権者X1社による損害賠償請求
判旨は、X1 社による損害賠償請求について、
X1社が自己実施していないことを認定した上で、
特許法 102 条 3 項に基づきY社の売上げの 3%を
賠償額とする請求を認めた。しかしながら、「特
許法 102 条 1 項は、侵害者の侵害行為がなけれ
ば権利者が自己の物を販売することができたこと
による得べかりし利益(逸失利益)の損害額の算
定方式を定めた規定であって、侵害者の侵害行為
(特許権の実施行為)がなかったという仮定を前
提とした損害額の算定方式を定めた規定であるの
に対し、同条 3 項は、侵害者の特許権の実施行
為があったことを前提として権利者が受けるべき
実施料相当額の損害額の算定方式を定めた規定で
あって、両者は前提を異にする損害額の算定方式
であり、1 つの侵害行為について同条 1 項に基づ
く損害賠償請求権と同条 3 項に基づく損害賠償請
求権とが単純に並立すると解すると、権利者側に
逸失利益を超える額についてまで損害賠償を認め
ることとなり、
妥当でないというべきであるから、
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仮にそうであったとしても、花粉のど飴事件と本
件とでは、事案に重要な差異があり、それが結論
の違いにつながった可能性がある。1 つは、花粉
のど飴事件では、商標権者が独占的通常使用許諾
契約に反して通常使用権を付与したのに対し、本
件では、特許権者の第三者に対する実施許諾を独
占的通常実施権者が了承していたと評価しうる事
案であった。もう 1 つの違いは、花粉のど飴事件
では、商標権者から許諾を得た通常使用権者が実
際に商標を使用し製品を販売していたが、本件で
は、通常実施権者A社は未だ実施行為を行ってい
なかった。この事案の差異は、仮に花粉のど飴事
件のような判断枠組みを取る場合に、独占的通常
実施権者固有の損害賠償請求を基礎付ける「独占
という事実状態」の意義を明らかにする上で重要
となる。すなわち、独占という事実状態について、
①特許権者がおよそ第三者に実施許諾していない
場合のみ独占の事実状態が維持されているという
理解(特許権者による第三者への実施許諾を独占的
で決定された場合には、なお独占的通常実施権者
が認めた者のみで実施を独占しており、無断で他
者に実施許諾されることはない。その意味で、独
占的通常実施権者が実施をコントロールしうる地
位は維持されているため、未だ独占的通常実施権
設定契約に基づく実施の独占状態を脱していない
ということになろうか。
さらに、本判決は③の理解に立つと解する余地
もないではないが、通常実施権者A社による実施
が現実に行われていなかったという理由付けは、
だめ押し的になされているようにも読める。確か
に、実施を現実に独占しているという事実状態、
現実の独占的利益というものを重視するのであれ
ば、通常実施権を与えられた第三者が現実に実施
していなければ、独占的通常実施権者による独占
という事実状態が維持されているのであるから、
侵害行為が行われた場合には、なお、損害賠償請
求権を行使可能と考えることもできそうではあ
る。しかし、このように考えると、独占的通常実
施権者のみならず、非独占的通常実施権者であっ
ても、たまたま特許権者が他者に実施許諾せず、
あるいは、実施許諾していても当該実施権者が現
実に実施するまでの間は、事実上、実施の独占状
態にあったということができ、この独占状態を破
る侵害者に対し、非独占的通常実施権者も損害賠
償請求を行いうるという帰結につながりかねず、
妥当ではない。たまたま他に誰も実施をしておら
ず、自分だけが実施を事実上独占しているという
状態のみをもって、この事実状態に起因する利益
を民法 709 条の「法律上保護される利益」と評
価することができないのはいうまでもないであろ
う。花粉のど飴事件も、「商標権者等は、契約上
独占的通常使用権者に対して当該登録商標を唯一
使用し得る地位を第三者との関係でも確保すべき
義務を負っているものであるから、独占的通常使
用権者は、このことを通じて、当該登録商標を独
占的に使用し、これを使用した商品を市場で販売
することによる利益を独占的に享受し得る地位に
あるものと評価することができる」と述べてお
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り、あくまで、独占的通常実施権設定契約に基づ
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き実施権を専有することにより実施を独占しうる
地位・利益を「法律上保護される利益」と捉えて
おり、非独占的通常実施権者にまで損害賠償請求
権を認めるものでないことは明らかである。判決
が要求しているのが、「現実に他に誰も実施して
通常実施権者が承諾していても、実施許諾が行われ
た以上、もはや独占状態は維持されていない)、②特
許権者が独占的通常実施権設定契約に反して、す
なわち、独占的通常実施権者の承諾を得ずに実施
許諾をしていなければ独占の事実状態が維持され
ているという理解、あるいは、③現実に他者が実
施していなければ独占の事実状態が維持されてい
るという理解(たとえ特許権者が他者に通常実施権
を付与したとしても、当該通常実施権者が現実に実
施していない段階であれば、なお独占的通常実施権
者のみが実施を行っており、独占状態が維持されて
いる)がありうる。花粉のど飴事件は②の立場で
あると理解されている1)。
本判決も①に立たないことは明らかである。学
説においても、少なくとも明示的に①の理解をす
る立場はないようである。特許権者が独占的通常
実施権者以外の者に許諾していた場合には、もは
や当該損害賠償請求は認められないとの立場に与
する者2) であったとしても、第三者に対する実
施許諾が独占的通常実施権設定契約に反してなさ
れたことを前提としているように思われる。本判
決が説くように、専用実施権者が他者に実施許諾
しても専用実施権に何らの影響を与えないことに
照らしても、たとえ、特許権者が他者に実施を許
諾した、あるいは、特許権者自身が実施しうると
しても、これが独占的通常実施権者の承諾のもと
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常実施権設定契約がされていたケースでは、特許
権者の逸失約定実施料額を差し引いて独占的通常
実施権者の損害額を算定するものもあるが7)、3
項に基づく特許権者の損害賠償請求権と 2 項類
推適用に基づく独占的通常実施権者の損害賠償請
求権をともに認めた上で、重複する限度で不真正
連帯債権の関係に立つと説く判決もある8)。いず
れにせよ、侵害者が 1 つの特許権侵害行為に基
づき重複した損害賠償義務を負担するという事態
は回避される。
もっとも、学説には、特許権者の 3 項に基づ
く損害賠償請求を否定した上で、独占的通常実施
権者の損害額算定にあたり、特許権者に支払うべ
き約定実施料額があれば、これを控除し、特許権
者は、約定実施料額の減収分を逸失利益として賠
償請求すれば足りると説く者もある9)。独占的通
常実施権を設定した特許権者は、これにより市場
を排他的に利用する機会を活用済みであるため、
3 項の適用は否定されるというのである。この立
場に立てば、本判決とは異なり、無償の独占的通
常実施権が設定された場合、特許権者は一切の損
害賠償請求を行うことができなくなる。
いないという事実状態」ではなく、
「使用権を専
有しているという事実状態」であるという点にも、
この趣旨が現れている。
なお、花粉のど飴事件以降、「独占的通常実施
権」の設定を約するかのような契約があったとし
ても、特許権者が第三者に対しても通常実施権を
付与していたことを理由に(本件と同じく、(独占
的)通常実施権者の了承があった事案を含む)
、当該
契約により付与されたのが独占的通常実施権であ
ること自体を否定する裁判例が現れている3)。こ
れに対して、本判決は、他者に対する実施許諾に
つき独占的通常実施権者X3社の了承があったも
のと評価した上で、専用実施権との対比から、独
占的通常実施権者の地位に影響はないと断じてい
る点も特徴的である。
2 特許法 102 条 1 項・2 項の類推適用
独占的通常実施権者による損害賠償請求が肯定
される場合、花粉のど飴事件など少数を除く多く
の裁判例は、102 条 1 項・2 項の類推適用を肯定
するようである4)。独占的通常実施権者が自ら侵
害品と競合する製品を販売している場合には、侵
害行為により、独占的通常実施権者にも売上げ減
少による逸失利益が発生するところ、その額の立
証が極めて困難であることは、特許権者や専用実
施権者が請求を行う場合と何ら異なるところはな
く、立証困難の軽減を図るという 102 条 1 項・2
項の趣旨は独占的通常実施権者にも妥当すると考
えるべきである。なお、本件では、3 項の類推適
用について当事者は主張を行っていないが、同項
の類推適用の可否についても議論がある5)。
●――注
1)金子敏哉「特許権の侵害者に対する独占的通常実施権
者の損害賠償請求権」知的財産法政策学研究 21 号(2008
年)215 頁。
2)三村量一「特許実施許諾契約」椙山敬士ほか編『ライ
センス契約』(日本評論社、2007 年)123 頁以下、中山
信弘『特許法〔第 2 版〕』
(弘文堂、2012 年)467 頁、同『著
2014 年)642 頁もこの立場か。
(有斐閣、
作権法〔第 2 版〕』
3)金子・前掲注1)215 頁以下に紹介されている裁判例
を参照。
4)裁判例の詳細な紹介は、金子・前掲注1)208 頁以下、
三 特許権者X1社による損害賠償請求
102 条 3 項の適用は、本件でもそうであったよ
うに、一般に、独占的通常実施権者ではなく特許
権者による損害賠償請求において主張されること
が多い。本件では、特許権者X1社は実施を行っ
ておらず、また、X3社に付与されたのも無償の
独占的通常実施権であったというケースにおい
て、X1 社に対する 3 項の適用を肯定している。
従来の裁判例でも、これを肯定するものが多数で
あった6)。しかしながら、たとえ、特許権者に 3
項に基づく損害賠償請求を認めるとしても、独占
的通常実施権者による損害賠償請求と重複しない
よう処理されている。たとえば、有償の独占的通
4
中山信弘=小泉直樹編『新・注解特許法(下巻)』(青林
書院、2011 年)1567 頁、1623 頁以下[飯田圭執筆]参照。
5)中山=小泉・前掲注4)1687 頁以下参照。
6)中山=小泉・前掲注4)1685 頁以下。
7)金子・前掲注1)211 頁以下。
8)大阪地判平 19・11・19 平成 18 年(ワ)第 6536 号・
12229 号[爪切り]、大阪地判平 22・12・26 平成 22 年
(ワ)第 4770 号[長柄鋏]、東京地判平 23・12・27 平
成 21 年(ワ)第 13219 号[蒸気モップ]。
9)増井和夫=田村善之『特許判例ガイド〔第 4 版〕』
(有斐閣、
2012 年)402 頁以下[田村善之執筆]。
京都大学准教授 愛知靖之
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