第44号 - 秦野市

南が丘中学校 校長室だより
平成26年3月7日 第44号
南が丘小 6 年生を招いて「部活動体験交流会」を実施しました
3 月 3 日(月)・4 日(火)の 2 日間、秦野市が推進する「幼少中一貫教育」に関わる初めての上記の会を行いました。
6 年生にとっては大きな関心事である部活動を入学前に体験することで、 少しでも
「中 1 ギャップ」解消になれば との願いで企画しました。3 日は 7 部活に 51 名、4 日
は 4 部活に 39 名の参加
者があり、それぞれ部員
たちが応対。
今春の入部により部活
の後輩になることを願い
活動の内容や練習方法な
どを、懇切丁寧に笑顔で説明する姿が見られました。
3年生「卒業期 特別プログラム」活動報告 Ⅲ
5 日(水)「ビデオ鑑賞会」「歌唱練習」
1,2 校時は、希望の 3 会場に
分かれ、
「モンスターズインク・ユニバーシティ」
「アフロ田中」
「100 回泣くこと」の映画鑑賞を楽しみました。
その後は「式練習」の状況をふり返り、予定を変更
しての「歌唱練習」
。女声アルト・ソプラノ、男声の
3 パートに分かれて、音楽科 石井先生の指導・助言を
得ながら、歌唱練習を繰り返しました。まだまだ向上
の可能性あり… 「卒業生合唱」が楽しみです。
6 日(木)「学年レク」「カレーパーティー」
1 校時は「式・歌唱練習」
。2,3 校時は体育館・校庭にて
「学年レク」
。クラス対抗の「男女 バスケットボール」
「サッカー」
「鬼ごっこ」
「ドッジボール」
「全員リレー」5 種目の競技
に、
(感心するほど)熱く燃えていました。 その後は、
体育館で「カレーパーティー」
。持参した「米飯」に、朝か
ら調理室で仕込んでいた カレーをかけて「学年昼食会」
。
食欲旺盛、たくさんのカレー鍋が 空になりました。
閉会式では「学年レク」の結果発表。種目ごとのMVP
に拍手が送られ、総合優勝は 2 組が獲得しました。
7 日(金)2 校時、「校長講話」を行いました
2 月はじめ、3 年学年主任 石岡先生より
「
『卒業期特プロ』で『校長講話』を」と声をかけられ、快諾しました。3 年生が 1 年生の 3 学期、
「1 年・校長講話」で
「阪神淡路大震災」を話しました。その時の 3 年生「卒業講話」の話を、2 年ぶりに話そうと思いました。
「皆さんの 2 年前の先輩たちの『卒業講話』で、
『あるご夫妻の歩み』を話しました」
この 3 年間、折にふれ「学校教育目標:自他の生命と人権を尊重し、ねばり強くたくましい、心豊かな生徒の育成」
を話してきました。はじめの「生命と人権の尊重」に最も反する人間の行為が「戦争」です。社会科教師として戦争
に関わる話を生徒たちに伝え続けてきました。その一つが「ヒロシマ」です。昨年の 7 月、深町陸夫さんをお招きし
「被爆体験」のお話を聴きました。私も「ヒロシマ」に関わる「あるご夫妻の歩み」を紹介したいと思います。
『映画「HELL FIRE 劫火」(1988 年度制作 監督 ジャン・ユンカーマン 58 分) 抜粋上映 』
〔
“ヒロシマからの旅”~ 丸木夫妻の紹介・ヒロシマ原爆の日・人間の暴力… 〕以下、映像の要旨を記します。
『戦後占領下の日本では報道規制のため、原爆のことは伝えられませんでした。
』
被爆直後の故郷 広島に入って惨状を体験した丸木夫妻は、共同制作《原爆の図》
連作を携え国内・海外での巡回展を精力的に行い、世界的に知られる画家となる。
その後、全国から寄付が集まり 1967 年 埼玉県東松山市に「原爆の図 丸木美術館」
が開館。戦争と平和を考える美術館として、多くの人々が訪れる場となった。
『1970 年、アメリカ巡回展で「加害者としての自分」に気づき、自己発見の旅へ 』
ロサンゼルスの大学教授の言葉で、
「南京大虐殺」のことを知らなかった自分、
「加害者としての自分」の意識がなかったことに衝撃を受けた。中国人の画家が
描かないならと中国に行き、多くの証言を基に「南京大虐殺の図」を描いた。
『
「アウシュビッツの図」
「水俣の図」
「沖縄戦の図」… 新たな発見と制作の旅 』
ポーランドでは、ガス室に送られた数百万のユダヤ人の遺品の山と対面した。
熊本の胎児性水俣病患者の家で、
のけぞりあえぐ娘さんの姿を前に立ちすくんだ。
戦争をたどる最後の旅は 沖縄…「
《原爆の図》を描いたが、一瞬に命を絶たれた
ヒロシマの人々は、自分が何で死んだか分からなかったのではないか。沖縄の人々は、敵の攻撃の中を逃げまどい、屍の中を
右往左往し絶命していった。沖縄だけが本当に戦争をし、悲惨さを知り尽くしている。沖縄戦を描くことが、一番戦争を描く
ことになる。
」… 夫妻は沖縄に長く滞在し、体験者の証言を基に「沖縄戦の図」制作に取り組む。
〔後略〕以下 講話の要旨
「卒業生への言葉『人に優しく 己に厳しく』と 『丸木夫妻の歩んだ道』が重なります 」
「性に関する講演会」で岩室先生は、
「愛の反対は無関心です」とマザーテレサの
言葉を紹介されました。同様に「人に優しく」の反対も「人に無関心」と思います。
丸木夫妻の歩んだ道は、
「ヒロシマをはじめ、戦争で人間がどういう目にあったのか」
また、
「理不尽な目に会わされた 罪のない人々の思い」を伝えることでした。
夫妻の制作の源はそうした「知られていない弱者や虐げられた人々への優しさ」に
ありました。夫の位里さんは「戦争に限らず、罪のない人々がひどい目にあわされた
ことに我慢できなくて、抗議の気持ちをこめて絵筆をとりました」と言います。
丸木夫妻が歩んだのは、
「人びとの痛みに共感し、それが繰り返されないことを願う、己に厳しい制作の道」でした。
映画の中で、妻の俊さんは「学校では教えないことが一杯あるから、自分で勉強しないとダメよ」と言います。そして
「自分の人生はゆっくりだが、着実な発見の連続。 謎が解けるように 新しいことがわかってくる」とも 話されました。
これから皆さんが知るべきこと・学ぶべきことは、山のようにあります。高校進学後、懸命に学ぶことはもちろん
自分自身の学びを広め 深めていって下さい。人生に無駄な知識はない、一生 学び続けて欲しい、と願っています。
今一つ、
「私たちの時代は、大地を亡ぼし、空気や水を汚している。自然を守ることがいかに大事か。原子爆弾も水俣も
同じこと。底の所では、戦争の暴力と平和の時の暴力は同じもの 」という 俊さんの言葉が心に残ります。
「原爆の図」制作で「放射能の恐ろしさ」を知っていた夫妻は、
「原子力発電所、絶対反対」の立場を貫き通しました。
今 夫妻がいられたら、
「福島第一原発事故後の 被曝フクシマ」について、どんなお話をされるだろうかと思います。
東日本大震災の話をくり返してきました。突然、かけがえのないものを失った人々の人権はどうなっているのか。
原発の電力を使用してきた私たちは、決して「フクシマ」の人々に無関心であってはならないと思います。
これからも皆さんが常に、
「生命と人権」を大切にする人であることを心から願っています。