か な く ら 山 報 - Biglobe

か な く ら山 報
︵本 堂 に て 御 詠歌 を お 唱 えし ま し た ︶
金 蔵 山
号 高野山真言宗
5
かなくらに
金 蔵 寺
ひかりなだかき
1 はるくもや
1
神 崎 芳郎
第 まことをおさめ りやくのこせり
金蔵山彼岸会
的場
○若く して戦歿 したる友偲び鐘を撞
き たり 秋 の 彼 岸 会
○ 追悼 の調べ か なし き御 詠歌 に父母
の 面影 瞼 に浮 か べ つ
○金 蔵寺彼岸名 代の大護摩供先達三
十 名 に 少 年 四 人 あり に き
○修 験者の衣装 身につけ錫杖 ふる少
年 の瞳 輝 きを れ り
○護 摩 壇 の炎 ︵ ほむ ら︶は立 ち手燃
え す さ ぶ 心経 唱 ふる 声 い や 高 き
○大 護摩 供 の炎 は高 く火 と燃 えて法
螺 の音 四 囲 の 山 に谺 す
西暦二〇〇四年十月十一日発行
〇七九五︵三五︶一二四七
兵庫県多可郡加美町的場八五三番地
電 話
FAX 〇七九五︵三五︶〇五八六
http://www.kamitv.ne.jp/~kanakura/
︵本 堂 に て 柴 燈 壇 護摩 供 を 厳 修 す る ︶
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︵﹁かなくら四国八十八ヶ所霊場﹂第
一 番 霊山 寺前 に て般若 心経一巻をお
唱 え し 、そ の後 、順拝 路を経 て護摩
場 に 至り 、柴燈 大 護摩 供を 厳修 し ま
し た。下の写真 で神戸 から参加した
少年修験者の姿を確認してくださ
い 。︶
得度式 開壇のご案内
支具料
五万円 ︵但 し 、一 日 夕食 ・
十 月 二十 四 日 ︵ 日 ︶
宿泊、二日朝食 、及び供物料を含む︶
申 込締 切
◎準 備していた だく書類や法衣があ
り ま すので、得 度をご希望の方は、
お 早 め に 、必 ず 、金 蔵 寺 ま で お 問 い
合 わ せ く ださ い 。
得度とは?
仏さま の悟り の世界に渡るという
意味で 、出家者としての戒を授かり、
仏門へ の第一歩 と言えるでしょう。
﹁私は 修行ができていないから得
度を受 けるのは まだ早い﹂という人
が あ り ま す が 、 これ は 間 違 い で真 言
行 者 を 志 す 人 は 、必 ず 受 け る べ き だ
と思 います。ま た、戒名を生 きてい
もら う名前のこ とで、戒は何も分か
平成十六年十一月一日︵月 ︶
金蔵 山 金蔵 寺
東 野 正明
らな い 人 が 今 か ら修 行 し てい くた め
時
所
金蔵 寺 住職
北野 宥範
日
場
阿
薬園 寺 住職
るう ちにほしい と言われますが 、戒
大
授
に 授 か る も の で す 。ご 参考 ま で に 。
夕 方 ∼二 日︵金 ︶早 朝
教
既に 得 度し た 人
名と は、戒をを 授かった時につけて
証明衆
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住職への手紙
︵ 十月 五 日 受 信 メ ー ル ︶
東野住 職様、先日高野山奥ノ院で
お世話 になり ました北海道札幌市の
で す 。 そ の節 は 本 当に お 世 話 にな
Y
り まし てあり が とうございました 。
あの夜 奥ノ院から宿坊へ戻るバス
が な く 、ま た 奥 ノ院 へ行 く途中 で知
り 合 っ た 腰の悪 いおば あ さんをかか
え 、途 方 に くれ てい た と き 、住 職 様
のお 姿 を 拝 見 し 、お 声 を 掛 け てし ま
様を
い ま し た 。住 職 様 の ご 配 慮 で K
ご紹介 していた だき、無事宿坊 へ戻
るこ とができ、 またそのおばあさん
も無 事送 ってい ただいたようです 。
あの時、住職様にお会いしていな
か っ た ら 、そ し て住 職 様 のご 親 切 が
な か った ら、ど んな こと にな ってい
た かわ か り ま せ ん 。
住職 様の寛大さ とやさしいお心のお
かげ で私たちは 、高野 山ですばらし
高 野山 で本 当 の お大 師様 のお 心を知
い行事 を眼にす ることができ、また
ご 笑納 く だ さ い ま せ 。 かし こ
感 謝 の 印 を 送 ら せて い た だ き ま す 。
かかり たいと存 じます 。ささやかな
・
K
昨日 、高野山から帰ってきて、メ
︵ 十月 八 日 返 信 メ ー ル ︶
ること ができま した。本当に高野山
を 訪 ね て よ か っ た と 思 っ て おり ま す 。
また 色々ご説明 していただき、また
目 の 前 で荘 厳な 行事 を拝 見し 、深 く
きま し た 。実 は 、あ の翌 日十月 二 日
Y
本当 にありがとうございました。
に一旦自坊に帰り、五日早朝また別
ー ル を い た だい てい る こと に気が つ
住職 様にお会い できましたこと、お
の 用事 で 高 野 山 に 登 山 し ま し た の で 、
感 動し ま した 。
大 師 様にも感謝 したいと思っていま
くの が 遅 くなり 大変失 礼しまし た 。
メー ルを い た だ い てい ること に気 づ
末筆 ですが、 母の置き忘れ物も次
また 先ほどは、 結構な お菓子をいた
す。
の朝 、 届出 が あ り 、無 事手 元 に戻 っ
だ き 、 恐 縮 し て おり ま す 。
あの 日、ご相 談を された時 、正直
てま いり ました 。お騒 がせいたしま
した 。母からも くれぐ れもお礼を申
そ ろ か と 思 い ま す 。そ ちら も秋 の 季
札幌 は雪虫も 出てきて初雪もそろ
か ⋮ と 考 え て い る 最中 に 、 本 山 職 員
な い し 、あ と は 、どん な方 法が あ る
間で すと 、バス は勿論 、タクシーは
言っ て困 ってし まいま した 。あの時
節 を迎 えられる と存じ ますが 、くれ
し 上 げ て くれ と の こ と です 。
ぐ れ もお 体 に気 を つけ てお 過ご し く
あ の 時 間 に あ い て いる 知り 合 い の 土
の K
さ ん に 声 を か け られ て 私 も ほ っ
と し た次 第 です 。後か ら考 える と 、
だ さ いま せ 。
ま たご縁がありましたら、お目に
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産物店 に頼むと いう方法もあったと
は 思い ま した が ⋮。
一 昨 日 、 たま た ま K
さ ん に本 山 で
出会 い 、そ の後 を確 認しまし た 。そ
し て 、自坊 に帰 ってあなた のメー ル
り がと う ござ い まし た 。
どうか 、これに懲り ず、これから
も高野山へお参りいただきますよう
に。
北海道からだと何かと大変であろ
見知 らぬ土地 で 見知 らぬ方 と の様々
どこでもそうかも知れませんが、
い か と 思 い ま す 。ご 存 じ か も 知 れ ま
のよ う に 、本山 の行事 が あ る時が い
燈会 ︵ま んどう え、高 野山 奥の院 ︶
うと 思います。 できれば 、今回の萬
な出 会 い が あり 、様 々 な 経 験 を さ せ
せん が 、参考と なるサイトを次 にあ
に 気が つ いた 次 第で す 。
てい ただくこと は、寺院住職である
げ てお き ます 。
http://www.koyasan.or.jp/
私に とっても貴 重なこ とです。高野
山 や お 四国霊場 であれ ば、お大 師さ
ま の お かげ と感 じ るこ とは私 にもよ
何が 出 来 る のか とお大 師さま か ら問
困 り に な っ て お られ る ご 参 詣 の方 に 、
今回 は 、お大 師さま のお山 で、お
か も 知 れ ま せん ね 。お 母さま に もよ
う か 、お 元気 で 。また お会 い で きる
て受 け止めなけ ればなりま せん。ど
憂鬱 ですが 、 こ れ も自 然の摂 理 とし
http://www.koya.org/
また、台風がやってくるようです 。
われ ているとい うか、 試されている
ろ し くお 伝 え く だ さい 。南 無 大 師遍
く あり ま し た 。
よ うな気 にもな り まし た。この意 味
東野正明
照 金 剛。 合 掌。
金蔵山金蔵寺
で 、今 回 の こと に つい ては 、私 の方
こ そお 礼を申 し あげな ければ な らな
い とも思 ってお り まし た。どうもあ
つれづれの記
︵ 五二 ︶
★﹁六月六日、この寺は二度目です
が、以 前は写真もとってもらってお
話も聞 きましたが⋮。また、この度
目によいとの
で 知 り お 参り させ
JA
ていた だきまし た。あり がとうござ
い まし た 。
﹂
★ ﹁七 月 十 九 日 、今 日 は 和 尚 様 に お
願 い が あ っ て ま いり ま し た が 、 お 留
守 のよ うでした ので出直し てまいり
ま す 。 この夏 、 小六 の息 子を 、三 日
でも四 日でもよ いので、お寺修行体
験をさ せていた だきたくまいり まし
た 。 ま た 、お電 話い たします ので 、
その 時は、どう ぞよろしくお願いし
︶
ます。﹂︵ OZA
︻瑠 璃 光記 ︼◎ 台風被害 、謹んでお
見舞 い申 しあげ ます 。金蔵山 でも十
六号 で露地門が 倒れるなど被害が続
出 、 憂鬱 な気分 です 。南 無大 師遍 照
金剛。合掌。︵住職︶
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