Kamacayalinternati。 ぬ ol lF:ilⅢ dShiplASsOliatiOln 第49号 2004年 (平 成 16年 )3月 5日 発行 :鎌 ケ谷市 1刊 際交流協会 〒2730195 鎌 ケ谷 市初富928744 TttL 047-445-1141 (llN1 550) FAX o47-441-9400 http● ■、rww kii gr jp 幸颯02003年 度語学研修講 座合 同閉講式 ⅢXゆ 2月 8日 (目 )午 後 1時 30分 、市総合福祉保健 セ ンタ ー 6階 大会議室 に 5つ の語学講座 の受講生80名 が 集 い 、 合同閉講式 が とりお こなわれた。 小栗高1会 長 の挨拶 か らセ レモ ニーが 始 ま り、そ の 中で 『ハ トマ メ』 とい う歌 を紹介 され、外国語 を学 ぶ 原点 を み つ けた思 いが した と話 された ・・ 。人で に ぎわ う浅草 スベ イ ン語 は コロンビアのパ トリシア岡田先生。「初 めて担当 しました。一生懸命勉強する生徒 にスペ イン語 を教 える ことがで きて とて もうれ しか った。 Jス ペ イン 語 の挨拶 を自ら翻訳 して くれました。 は浅草寺、豆 を食べ て い る外国人 に「それはハ トの まめ です よ」 と何 とか声 をかけた い と、英語 を勉 強す る きっ かけを歌 った ものです。 今年 の皆勤賞 は I 英語 A2名 、英語 Bl名 、 スベ イン 1 語 2名 、中国語 2 名 の 7名 の方 々 に 贈 られ ま した。 賞 品 は図書券 とKI 中国語 は李恵敬先 生 .「 3年 間 ここで 中国語 を教 える ことがで き、 うれ しか ったc中 国 の北 のほ う、洛陽 の生 まれなので い くらか北 の方言 で教 えて い たか もしれない が、みなさんは よ く勉強 して くれ て感謝 して い る。 もう す ぐ中国 に帰 るが いい思 い 出 にな ります」 と話 された。 FA特 製 ク リ ップ。 H青 れ ばれ と うれ しそ うな顔 。30回 の 講 座 は短 い よ うで も結構 長 い ものです .お めで と う。 つづ い て 講 師 の 先 生方 に この 1年 間 の 感想 を話 して い ただ い た 。 東初富公民館 で英 語 Aを 担 当 したキ ャサ リ ン・ ビ ッグス 先生。「は じめ は 自信が なか った けれ ど、み な さん とて 、 に勉強 して くれ ま した。 楽 しい もれ 亡 る 日本言 吾ボ ラ ンテ ィアの紹 介があ った。 16名 の うち 8名 ひ と時 をもてた ことに感謝 しますJと の ボ ラ ンテ ィア とバ ングラデシ ュ、 ス リラ ンカ、 タイ、 話 され ま した。 中国、 フ イリ ビンの生 徒 たちが 参加 して い る。 また、 もう一つ 、通年40回 の 日本語講座 を担 当 して い 英語 Bは ジャネ ッ ト平野先 生。以 前 に も講座 を担 当 して い ただい た ことが あ り、その時 の受講 生が たまた ま研修 部 にお り、宿題 を毎 回出 された ことを 覚 えて い て 、 今 もその宿題 は健在 です 。 きび しくもや さしい雰囲気 は変 わ りな く信頼 も厚 い よ うです。 約20分 でセ レモ ニー を終了 し、各講座 1年 間 の成果 もい うべ き発表会 に移 つた。 K:ト 語1学1講座発憲会│み │ん│な│の1声 │ キ ャサリン・ビ ッグス先生担 当 。 「舌 きりすずめ」 を英語 と日 本語の対訳で朗読 ・“ Top ofthe wo‖ d"を 斉唱 芝間新吉さん〉 〈 仕事 を持 っているので通 うの に大変だ った。教室が 自宅か ら 遠 いので仕事 を終 えてか ら卓 で 通 つた。 4年 後 は定年 となるので 海外旅行 に行 つた とき 役 に立 てば と思 い習 い始 めた。英語 は聞 くのは分 かるが 、 しゃべ るのは大 変。 この講座 に参加 して知 人が増 えて よ か った。 (斎 藤きみ江 さん〉 海外旅行 に行 ったときな ど何 とか英語 で話 が したい と 思 い、ここ2∼ 3年 続 けて 中 し込 んだが当 たらなかった。 それでは夜 の部 で と思 い 中 し込 んだら幸 い当選 で きた。 楽 しく学べ てよかった。 (こ の方 は皆勤賞 を受賞 ) :欝 趙轍 罐翁 囀 141 ■畿 │ ャネット平野先生担当 々 轟 Iサ :爾 茸][ った 。 久 しぶ りで学 生気分 に帰 った 気 が した G英 語 は 中学 の 時 か らや ってい るが 話 せ な い 。イ 可 とか して話せ る よ うにな りた い 。 海外旅行 で もっ と 自由 に使 える よ うにな りた い。現在あ る程度 は話せ るが、やは り基本 が大 事 だ と思 うので この講座 を受 けた。 (皆 勤賞受賞者 (内 藤桂子 さん〉 ) 40年 ぶ りで英語 を学習 した。 授業は英語 だけなので10% か20%し かわか らなかったが、昔 を思 い出 し楽 しんで学 ぶ ことがで きた.老 化防止 にもなる。 パ トリシア・岡田先生担 当 李 恵敬 先 生 担 当 。 「ラテンヒットパレー ド」とし てスペイン語の歌と踊り 若林美佐保さん〉 〈 ス ペ イ ン語 は 2年 目です が 、 。 「みんなといっしょに中国語講 座」として漢字 四字熟語の由来 などを中国語 と日本語で説明 (宮 本嘉行 さん〉 1年 間受講 してよか った。大 では 学 第 2外 FEEl語 で 中国語 を習 っていますが 、文法中心。その メ│=費 単語 一 つ 党 えるの もなか なか難 しくて、 まだ挨拶 もま ともに言 えな い 程 度 です 。先 生 には気 を 遣 つていただ き、多少宿題 を忘 れて も気がねな く毎週 か よって い ま した。 スペ イ ン語 を 学 ぶのは もちろん、南米 のお話 を聞 くの も興味深 く楽 し か ったで すね。 柴崎 裕さん) 〈 最初 の 開講式 で 日本語 は NOlな んて言 われて 、 これ は困 ったことになったなあ 、 と思 い ま したが、 日本語 も 交 えての教室 だったので 、 日々の 酒 も控 えて ? 何 とか 1年 間、皆 さんの後 につい て行 くことがで きま した。 ど の くらい 身 につい たかわか りませ んが次 回 もまた、 よろ しくお願 い します。 日本 語 ボ ラ ンテ ィア 担 当 ・全員 KIFAの ハ ッピを着て 「東京音頭」の歌と踊リ フィリピン・女性) 〈 日本語教室で 2年 間学習 しま した。むちゃくちゃ楽 しかった。 だんだん 日本語 も分か って きた し、会話 もで きる ようにな りま した。 ます ます 日本が好 きにな ってい ます。 " 点 、 こち らの先生の教 え方 は実践 的。す ぐ日常 で しゃべ れる よ うな気 が しますねc中 国 は万里の長城、故宮 な ど すべ てスケールが大 きいの で 、将来ぜ ひ行 ってみた い で すね。そ のため 、今年 も中国語がんば ります。(皆 勤賞受 賞者 ) (― 戸晋子さん〉 中国 には12億 人 もい るんですね。海外 で もどこで も中 国人 と会 つた ら、直接 に中 国語 で 会話が出来 た らいい な と思 つて 、 習 い は じめ ま した。先生が教科書 だけで な く、 の 中国 文化な どとの 関連 づ けて授業 して くだ さった ので わか りやす く、中国 にいっそ う興味 が湧 い て きました。 バングラデツシュ・女性〉 〈 日本語 は難 しい ですが 、 日本語教室 に通 つてか ら少 し ず つ 面 白 くな って きま した。 日本 にまだ 1年 ですが 、 日 本語 を覚 えて生活 に役 立 つ とうれ しい ですね。 ス リランカ 。男性 ) 〈 1年 習 って、 しゃべ るのはち ょっ と上 手 になって きた と思 い ます。 で も漢字 はす ご く難 しい な。漢字 が マス ターで きれ ば、 ・ ・ もっ と日本 の ことが分か ってい いの ですが・ Iく ,1,‐ 鵬贔申曇α 蝙蝙鰊 a″螂日猛 │ン │テ 日本語ボラ ディア活動 蝙 蝙獨 ー 通訳 プシテ71ア 活動報告■ 1学 │ボ イアの 校派遣 学校 へ の 日本語講 師派遣 (鎌 ケ谷小 へ 2名 、第 2中 、 第 4中 へ 各 1名 )市 内 の小 中学校 に通 う外 国 人児童、生 通訳 ボ ラ ンテ ィア 藤井 明恵 徒 へ の 日本語指導 に KIFAの ボ ランテ ィアが 一 役買 つ 平成 15年 4月 市教育委員会 よ り、鎌 ケ谷小学校 に中国 か ら転校 して きた生徒 さんが い ますので、ぜ ひ協力 して て い ます。 これ まで に も外国人児童生徒が在籍す る学校 ほ しい との依頼があ り、私 の 出来 る範囲 で喜 んでお手伝 では 、特別教室 を設 けた り、取 り出 し授業等 で 日本語 の い させ て い ただ きます と了承 い た しました。 指導 が されて い ま したが、指 導 は該当校 の教 員が専任す るか特定 の個 人へ の依頼が主 で した。 日本語 は もとよ り、 日本 の生 活習慣 も真 自の状態 であ るため、学校 生 活 の指導、 1、 2、 3、 あ、い 、う、え、 今年度 は KIFA事 業 の実績が評価 され、 日本語指導 者や コ ミュニ ケ ー シ ョンの補助 をす る指導者 の派遣 を教 お、か らスター トし、中国語 と日本語 で学習 を始 め ま し た。生活習慣 や鎌 ケ谷 市 につい てな ど一 つ ず つ 、中国語 育委員会 か らKIFAが 一 任 され ま した。 日本語講座 のボラ ンテ ィア 3名 と通訳 ボランテ イア 1 週 1回 2時 間 の 日本語指導や、 名 が個別 に各学校 へ 行 き、 の発音記号 をひ ら仮 名 で書 き込 んで勉強 し、本 人の努力 もあ って次 第 に顔 つ きも柔 らか くな りま した。学校生活 学校側 との コ ミュニ ケ ー シ ョンの パ イプ役 に当たつて い るようにな り本 当 に良か った と思 い ます。 ます。当初、 日本語がほ とん ど話 せ なか った子 どもたち が 今 ではだいぶ上達 し、 クラスや部活 の 中に溶 け込 んで 今 では クラスの体育担 当 をす るまで に至 り、成長 の著 しさを感 じとる ことがで きま した。 この J` の持 つ 素直 さ、真面 目さ、純粋 さは最近 の 日本 い るようです。 KIFAで に も慣 れ、友達 と遊 べ る ようにな り、作文 も上手 に書 け はボ ラ ンテ イア ど うしの勉強会や報告 会、 学校 との打 ち合わせ 等 を適宜 行 い 、 これか らもよ り良 い 効果 をあげ られる よ う努 めて行 きた い と思 い ます。 の子 どもには少 し欠けて い るようにも思 い ます。 この素 晴 ら しい気持 ちを大切 に大器 となって くれることを、 こ れか らも陰 とな り見守 りた い と思 い ます。 ミ沼南町国際交流協会の「SiFAま つりとキャムデン」 ヽ ヽ 1側 ゝ 秋、9月 下旬は、沼南町のあちらこちらでオーストラ 1艇 ■ (■ ま [呵 鷺 ヾに “ 秋の至 1来 を知らせる一コマの光景"と 言われるほど li31;を :iマ ら 諄 :冤 房 奪Я 響 :│:思 會 貧 早 ツ itこ ヾたちに国際交流の楽しさを知ってもらおうというもので、 ヽキャムデン中高生たちの歓迎会もふくまれています。 │ま と交流す る光景 も見 られました。 キャムデンか らの11名 にとって、 この沼南町でのホー ムステイが 「ほんとうに楽 しかった」、「 日本、沼南町、 日本人が好 き」 と自分 の周 りの人 々に言 って くれるよう な10日 間にな るよう、そ して町の人 々が 「国際交流 っ て楽 しいJと 感 じて くれるよう、 SIFAの ボランテ イ アた ちは頑張 っています。 沼南町国際交流協会 広報部 西村 久美 琴 て華 攀 11等 ││■ │ヽ 11:筆 │││111111::i: ,漁 1鶴 │´ II'311■ │■ │■ ■│││■ │││ ξ 3雷 3民 λ 7腎 1ま T,TFF3筆 [1二 警 昌 喜 l ヽ タイ人留 学 生 に よる民族 舞踊 、柏市 の 呼魂 太鼓 、 さ らに 多彩な催し物が繰り広げられました。 ヽラテンダンス等々、 上 ‖ ヒ 曇 筆 去 ィク 畠 含彙 檜 璽 冒 峯 [タ 5セ │』 rT嶋 l承 1議 《―ジを終えた出演者やキヤムデン中高生たちが町の人々 自己紹介する キャムデンの生徒 生徒 の クラ シ ックパ レエ 小 ホ ール での交流 けを 二 兵)二 lI量 霧曇こ 「 り 1案 5)二 お二単層曇 くは観客から盛大な拍手が送られました。 動紹介や「キヤムデン小学 ゝ また、写真でのSIFA活 '3:フ ´ Iン キ 饉 辮 4 =´ シたIン'「 ´ ´ づ K,1:‐ イ タ リア 料 理 講 座 家庭で食べ る簡単料理 イタリア料理 の講師 は、 ジ ョバ ンニ ・モ ンテ さん。 首都 ローマ 出身 で 、 在 日 3年 の英語講師。料理 は「お母 さんか ら 教 わ りま した」とい う。だか ら、この 日の イタリア料理 の コ ンセ プ トも、「 イタリア人な ら家庭で よ く食べ て い る簡単料理」をつ くり 月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月。 南部公民館 で KIF た。今 回 のテーマは 、イタ リア料理 と 受講参加者 40人 は エ プ ロン姿 で熱心 に 1月 25日 た い と意気込 む。 (日 )、 ' メニ ュー は 2品 。 0ト マ トとバ ジリコ入 リソースか けパ ス タ の後 の パ ー テ ィも盛況 だ つた。 ② ピザ ソース かけ、牛 の 薄切 り肉 (下 欄 の レシピ参照 ) いずれ の料理 も、ポ イ ン トは ソースづ くり。 モ ンテ さんの手 ぶ 「なるほ ど」と う り身ぶ りを交 えたユ ーモ ラス な指 導 に、受講者 も IT■ 驚 │・ 1鐵 │1颯 銀 なず く。 「ソースづ くりに最低30分 は時 間 をかけ ます ねcソ ースが いの ち。それに イタリア料理 は トマ トや バ ジ リコ、 ニ ンニ ク、オ リー 食事 の 前 に 美 味 しそ うな料 理 ブ油 をいっぱ い使 うか ら、体 に もいい し、 ダイエ ッ トに もいい」 故郷 を こよな く愛す る ローマ っ子 ・モ ンテ さんの イタリア料理 「牛 肉やチ ーズが ち ょっ と高 い ね」と、ち ょっぴ り 礼賛。 日本で は 苦言 も。 完成 した料理の盛 り付 け もきれ い にで きた。 いわ ゆる イタメシ 好 きの 日本 人は多 い。 この 日、 みんなで つ くった料理 をみんなで 楽 しく舌 づつ み をオ丁つて、 さらにイタリア料理 ファンが増 えたこ 講師 のジ ョバ ンニ 。モンテ さん 食後 は、会員 の歌唱指導で今回の料理 にちなんだ両 ンタ 。ルチア』、中国 は青海民謡 『草原情歌』。腹の底 組み合 わせが見事 に溶け込 んで、交流 パーテ ィは成功 ピザソースかけ、牛 の 薄切 り肉 i 入れて 、薄切 り肉を炒める。 : ピザソ ス かけ、牛の薄切り肉】 バジ リコ 、オレガノをカ ロえてじっくり煮詰め 、ビザソー ■ ,“ スをつくる。 ?撃 里 お ;決 ζ 合 で 牛 肉豚 も 肉 可 撃 オレガノ、バジリコ、塩、コショウ ト マト (4∼ 6 mm、 ) ‡ モッツァレラチーズ 合わせ用の野菜(キ ュウリ、ブロッコリ ー、アスパ : 付け 麟 ロ リ な ど で い い ち 尾 碁 ◇ 議 ) 等 ■1′ ②薄切り肉にこんがりと焼き色がついたら、フライバンか らいったん取り出す。残った油に、湯通ししたトマト、鷲 ' :☆ ィタ1,,料 理0し 〕ピ 鷲 つイ オ リーブ)由 月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月」 々ふりかけておく。フライバンに、十分なオリーブ油を鷲 はソースづくり :ポ イント 弩 ‐ [【 パ ー テ ィで挨 機 午前 10時 開始 の料理講習会 はスムーズに進行 し、で して、正午す ぎか らパーテ ィが始 まり、 は じめに交流 たものを、みんなで食 る』。楽 しみの時間がやつて きプ 受講者 の会員 たちの感想 は ?「 昨年 の料理講習会 F じて各国の文化 を知るのは楽 しい」 「とにか くおい し とだろ う。 ・41 講 師 を囲ん で味 の 評価 0薄 切り肉 4 ty」 れはあらかじめ塩 コシ∃ウ 香辛料を少 ● 13ソ ースが出来上が ったら、再度フライバンに薄切 り肉を ヽ' │・ 入れ 、ソースに絡 ませる。 取り出す2∼ 3分 前に、細切りのモッツ‡ 0フ ライバンから ズ ァレラチー を薄 t」Jり 肉 に適量 の せる cそ して 、チー ズ 十 がよく溶けるようにしっかリフタをしておく。 ;お 0皿 の中央に調理された 1人 分の薄切り肉、回りに付け合 わせの野菜 を盛 り付 ける 。 ・ '' 1′ : Kl二贔到盪c‐ 十 日料理詳左 「食在広州」のメニ ュー 中国料理 の講師 は野村千賀 さん。 中国名 ・陳燕玲 さんは主 婦 で 、 2児 の母親。 アシス タ ン トとし 月月月月月月月月月月月月コ月月月月月月月月月月月月月月月月 A恒 例 の「家庭料理講習会」が開催 され 3大 料理 の うちの 2つ に、 l国 料理。世界 反組 んだ。色 とりどりの料理 を囲み、そ て ご主人 も加わ り、夫婦 して気合十分 の熱 の こ もった料理指導 が 始 まった。「食在広州」 (食 は広州 に在 り)と い われる、世界有数 の 食 どころ広州出身の千賀 さんだけに、この 日の メニ ュー も豊富。 O餃 子 (水 餃子、焼餃子 ) ②鶏 ひき肉と野菜 の レタス包み 0手 羽先 と砂肝 の煮込 み ④ 八宝菜 lll・ レシピ参照 ) 中国料理 は、下i隼 備 に時間 を惜 しみな く使 う。受講者 は、千賀 さんの丁寧 な指導 にしたがつて、野菜 を洗 う、お湯 を沸 かす、野 菜 をみ じん切 りにす る、 フライパ ンで其材 を炒 めるなど真剣その 孫頚i11嶋 捩 ビール で乾杯 合 唱 す る参加 者 する根岸 部会長 (ド lの ものっ 「下味 をしっか りつ けてお くことが、中国料理 ではもっとも重 要 ですcこ れがすべ てです。あ とは強火で一気 に炒 めた りすればい 講 師 (中 央 )も 出来栄 えに満足 ヽあが った イタリア ・中国料理 は集会室 に運 ばれた。そ ζ Б会 の根岸孝子部会長 の挨拶 と乾杯。『みんなで料理 し いのですか ら」 それに、食材 は必ず しもレシピや前知識 にこだわる ことはない、 そ うだ。冷蔵庫 にあるもので柔軟にア レンジしなが ら料理 で きる の も中国料理の特徴 だ。 「みなさんと一緒 につ くり、 とて も楽 しか ったです」 千賀 さん も、教わつた受講生 も楽 しい一 日で した。 様、 今年 もわが家 の 食卓 で役 立 つ と思 うJ「 食べ 物 を通 ヽもの を食べ たい」. 可の代表的な歌 を合唱 した。 イタリアはナポ リ民謡 『サ ら声 を発すれば、消化 に もいい。 パ ス タと餃子。 この )ヽ 更に幕 を閉 じた。 コ炉月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月月 講師の野村千賀 さん 鶏 ひ き肉 と野菜 の レタ ス包 み 各少々 、 出油小さじ 1、 卵黄 1/2個 、 生姜汁小さじ 1/2、 片栗粉大さじ 1サ ラダ)由 少々)。 ②堅 めの野菜 を塩 と湯でザッとW通 しし、みじん切 りにす る。これにひき肉をくわえ 、油大さじ 2の 熱 した鍋で 、 ポ ロポ ロ状になるまで炒め 、油をよく切 っておく。 13油 大 1で みじん切 りの ニンニ ク 、生姜を炒め 、香 りが出 下 味 を し つか りつ け る ☆ Φ O料 理 0し 〕 ビ 鶏ひき肉と野菜のレタス包み】 【 ◇材料 (4人 前) たら0と しいたけを合わせ 、さ らに炒める。 鶏のひき肉 1509、 たけのこ (水 煮 )1009、 セロリ1009、 レッ ドピーマン 1//2個 、 干 ししいたけ 3個 (水 でもどしておく ニンニ ク 、生姜各少々 レタス 1個 ) サラダ)由 、かきソース 、塩 、コシ ョウ 、片栗粉 ◇作 り方 コシ ョウ 嘔1鶏 肉に下味をつけ、よく練 っておく。下味 (塩 、 0合 わせ調味料 (う まみ調味料 、塩各少々 、砂糖 、醤油 、 カキソース各大さじ 1)を 0に 加え 、全体に味をからま せたら、仕上げに水溶 き片栗粉 を少 しずつカロえてとろみ をつける。 0大 皿に0を 盛 り付 ける。④ を包むレタスを 1枚 1枚 分け て (包 丁で丸 く切ると美 しく怠る)料 理に添える。 ■0.││││■ ■■■■■■││■ ■■ ■ │ │ │ KIF贔瑠機婆‐ ││ 私 の ホ ー ム タウ ン につ い て書 い て 下 さい と最 初 に頼 ま れ た 時 、あ ま り自信 が あ りませ んで した。 とい うの は 、 私 は生 まれ た土 地 で あ る ウ イニベ ッグを赤 ち ゃん の 時 に 離 れ て い るか らです 。 瀞め叫 て、 20年 後 にバ ン クーバ ー に戻 つて きた ので すが 、それが カナ ダでの 私 の 養子縁 組 を した形 の い わ ば 第 二 の 故郷 と 呼 べ る と思 い ます。 ス タン レーパ ー ク は私 のお 気 に入 りの 場所 の ひ とつ で す。私 は 自転 車 を借 りて公 園 を周 って 、 リス にえ さをや デ レック・ ス ミスさん った り、木 々 や 海 を眺 め た りして楽 しみ ま した。 そ こは ダウ ンタウ ンの す ぐそ ば にあ り、 両倶1を 水 に 囲 まれ、 ひ っ く りか えつて リラ ックスす るの に最高 の場所 で した。 バ ンクーバ ー 水族館 もあ りま した。残 念 なが ら、青 々 と した草 が あ るの に ビ クニ ックす る人は あ ま りい な いの は 、 そ こは カナ ダ雁 の 大 きな群 れ に とって もお気 に入 りの場 所 で そ こ ら じゅうに糞 をす るか らです。 グラン ビル 島 は とて も広 い フ ァーマ ー ズ ・マ ー ケ ッ ト が あ り、食事 をす るの に最 高 の場 所 です .ス タン レー 島 か ら簡単 に行 くこ とが で きます。 ビー チ に沿 って ち ょっ と歩 い た り、水 Lタ クシ ー にひ ょい と乗 ってみ た り、 デ ッキで ラテ とスモ ー クサ ーモ ンの ベ ー グ ル をほお ば った バンクーバーの航空写真 りして楽 しめ ます。海鳥 がす ― っ と空 か ら舞 い 降 りて き て 、 さっ とあ なたの食 べ 物 をかす め とって しまうか も し ナ ダで も有数の最高の スキー場 が い くつ かあ ります。 ウ イスラーのす ぐそばには同 じ位 印象的な ブラ ック コムが れ な いの で 注 意 しな くて は な りませ ん 。 あ り、そ こには山頂 か ら下 まで約 1時 間近 くもかか るス キ ーコースが い くつ もあ ります。 一 日の終 わ りには シャ ハ イキ ング もまた 楽 しみ の ひ とつ で あ り、私 は 友達 の ロ ブ を よ く引 っ張 り出 しま した。 グラウ ス ・ グラ イ ン ド とツ ー ・ ラ イオ ンは特 に人気 の あ るハ イキ ン グ コー スで す。両方 の トレイ ル と もバ ン クーバ ーの ダウ ン タウ ンか ら15分 の 距 離 です 。 グ ラ イ ン ドは垂 直 に800メ ー トル そ そ り立 ち、 グラウ ス 山 の て っぺ ん には レス トラ ン もあ り ます 。 ライオ ンの トレイ ルはサ イプ ラス ・ ボ ウルか ら始 ま り、そ こは 3つ の 地元 ス キ ー リゾ ー トの ひ とつ で ダウ ン タウ ンか ら30分 弱 で 行 け ます。 ス キ ー につ い てお 話 す る と、 ウ イス ラ ー を語 らず には お れ ませ ん 。 シ ャ トルバ ス にの って 2時 間 もす る と、 カ トルに乗 つて帰 り家 で 夕食 をす ることがで きます。 冬 の長雨 の季節 がす ぎる と、 バ ンクーバーの 人たちは ビーチ に繰 り出 します。 ダウンタウンか らイ ングリッシ ュ ・ベ イを横切 ってい くとジェ リチ ョー ・ ビーチ に着 き ますが 、そ こは とて も人 気 の あ る場所 です。水泳、 セ ー リ ング、 カメ ー、蟹 と りを楽 しむ ことがで きます。 蟹 と りはチキ ンの骨 を籠 にい れて海 に投 げ入れ、 とて もお い しい ダンジェ ネス ・ クラブを引 き上 げ ます 。 ジ ェリチ ョーか ら20分 い くとUBC(ブ リテ イッシュ コロ ンビア大学 )で す c一 方 を森 に、片方 を海 に囲 まれ てお り、 とて も絵 になる美 しい キ ャ ンパ スです。そ こに は 日本庭園 と自然歴史博物館があ ります。博物館 にはイ ンデ ィア ンの トー テ ムポール、九木舟、そ して遠 景 にバ ンクーバー 島 を配 した ネイテ ィブ ・ インデ ィア ンの村 の レプ リカがあ ります。 ・ さて、 これがわた くしの養 了 縁組 を した第二の故郷 で す。皆様がそ こを訪 れた くさん見学が で きれば と思 い ま す。本 当に楽 しい ところです よ。 (KIFAパ ーテイーで、カナダコーナーに出店 ) グラ ウ ス 山 よ リウエ ス トバ ンク ーバ ー を眺 む キク│,■ プラ t'議 │す │ │お 1待 │ち │し 'て イギ リスにホームステイをして 安達 政美 昨年 10月 16日 フレン ドリー英会話 の仲 間を交 えて 9名 で 、 イギ リス にホ ームステ イ体験 を しに出かけ ました。 ロン ドン観光後、翌 日、バ スで 1時 間程度 の ロン ドン 北東部 チ ェル トナ ムのヘ ン ドリー家 に到着。 野菜 の生 育 が悪 く、 いつ もな らこの時期 ヘ ン ドリーご夫妻 は二 人住 まい で 、 リタイア した現在 はガー デ ニ ング、水泳、 テニ ス 、 ゴル フな どを楽 しみ、 は鎌 ケ谷の梨 の話 を しま した。 近 くに住 む94歳 の は緑 が もっ と多 い と の ことです。 わた し 家や庭 の手 入れ に精 を出 して い ます。そ こに 4泊 しま し た。 この あた りの コ ッツウェル地方 は、 今年 は雨が少 な く、 お母様 を交 えてのホ ー ムパ ーテ ィや、 ペ チ カに火 を入れ夜遅 ドリー ご夫 妻 と自宅 の前 で くまで料理 や家族 、 孫 の様子 などを話 し合 つたことが とて も楽 しく印 象的 で した。 また、あち こ ち連 れて行 って い ただ い た ところは どこも美 しく、そ の 中で もブ ロー ドウェ イ (旧 家並 み は 日本 の 奥軽井沢 に似て、紅葉 した景色 は絵 の具 を塗 っ ) た よ うで した。 イギ リスの家庭 に入 リ ー番感 じた ことは物 (特 に家 具 ) を大事 に し、家 の 内外 を飾 り楽 しむ ことで 、 どこの家 の 庭 もす ば らしくガ ー デ ニ ン グされて い ま した。 ガーデ ニ ングの中には野菜畑 もセ ッ トされてい ます。 質素 で無 フ レン ドリーの仲 間 とス テ イフ ァ ミリー 駄 のない食生 活 は我が家 で もそ うあ りた い と願 う ところ で した。 ,筆│:嚇 1国 1本 │,1連 │:鷲 :奮 │1籠 ‖ ・ │‖ │ 11 ン し ζ メ イun孝 夕′ タノ 今 1籍 1凛 =111饉 ・ 昨年 の夏、私 は生 まれて初めて中国 を訪問 し、大連 と澪 陽 の 旅 を楽 しんで きま した。洛 陽 は李 恵敬 先 生 国語講座講師 )の 故郷 です 。成田 と大 連 の往復 は 飛行機 を利用 し、大連 と藩陽 の 間 は特快 の列車 です 。 おお よそ 4時 間かか ります。 トウモ ロコシの畑 が 見渡 (中 %彰 ■動 ιジタれ 夕 を多。 “ 絋 鰍箕 マ a, 子 ・ ‖ ・ 1 ‖ │ │ 梓 ・ │`珍 ´(彰 う ″滋り 量 │ 1言 す限 リズー ッと続 きます。 ところ どころで羊や アヒル の群れ を見 かけ ま した。 藩陽 では、私 たちは故宮博物館 や北陵公園、東陵、 張 E ll府 、九 ・一八事変博物館 な どを訪 れ ま した。主 な 移動手段 はバ スですが、時 々は タクシー も利用 しま し た。 買 い物 はサ ンダルや布靴 (運 動靴 )、 音 楽 CDや 辞 書 な どです。公 園 の 中には とて もた くさんの人たちが い ま した。体操 を した り、 ダ ンスや縄跳 びを した り、 凧揚 げをす る人 もい ます。 散歩 を した り、世 間話 な ど に興 じて 、みな楽 しそ うで した。 このたびの 中国 の旅 は、 とて も有意義 であ り、 また 溶 陽 の古 い街 並 み 楽 しい もので したc機 会があれ ば、 また必ず中国を訪 ねたい と思 つてい ます。 lnfor‐ ma‐ tlon K‐ 111 バーベキューパーティ 4月 4日 (日 ) 午前11時 ∼午後 3時 平成 16年 度総会 5月 16日 (日 鎌 ケ谷市総合福祉 保健 セ ン ター 6階 鎌 ケ谷市総 合福祉保 健 セ ン ター 6階 貝柄山公園 大会議室 大会議室 ) 時間 語学講座 開請式 5月 16日 (日 ) 未定 京劇鑑 賞会 6月 20日 (日 ) 三橋記念館地下ホール 講師 張紹成氏 開演時間・定員は未定 隕 豪d財 壺 通常 は習熟度別 グルー プでの学習 ですが 、特別学習会 や校外学習会 も行 ってい ます。 *(11月 9日 )校 外学習会 バ スツアー :房 総風土記 の丘 ・成 田ゆめ牧場 ・県営花植木 セ ン ター ・成円航空博物館 へ 。 バスの 中では 日本語で 自己紹介。そ して 自分 の 国の 言葉 で挨拶 を披露、全員 で復唱 しま した。平仮名当 て ク イズでは 日本 人 も苦 労 しま した。 *(12月 16日 )年 賀状 つ くり :1時 間の学習 の後、年賀 状作 りに取 り組み ま したが誰 に出 したので しょうか。 新年度語学講座 へ の橋渡 しとなる体験学習会が、1月 ョンに加 え、子 ども向けにス タンプラリー (パ ーテ イ会 場内 の 各国紹介用 ブ ー ス を回 り、英語 で挨拶。 ス タンブ を集 める)を 実施。 これは子 ど もの参加 を促進す るため 、 子 ど も英 会話教室 「スマ イ リイ・ キ ッズ」 (昨 年 10月 ∼ 11月 に小 学校 3∼ 6年 生 を対象 に実 施 )と 連動 した もの。 参加者 は同教室外 の子 ども も含め30名 に上 った。会場 に はいつ もと違 った雰囲気が生 まれおおむね好評 であった。 全 3時 間以 上 に も及ぶ パー テ イであったが 、途 中で帰 る人 もな く、楽 しい 国際交流 のひ とときを過 ごす ことが で きた。 去 る12月 7日 (日 )三 橋記念館地下視聴覚 ホ ール にて 、 下旬 の各講座開催当 日行 われた。各講座 5名 を限度 に参 加希望者 を募集、定員 を L回 る 申 し込みがあったが そ の 映画鑑 賞会 が行 われた。 この 映画 は激動す る近代 中国 の まま受 け入れ実施。 各教室 とも実際 の授業 を体験す る と 人や政 治家 と結婚 し、否応 な く時代 の荒波 に飲 み込 まれ い う趣 旨か ら特別な ことはせ ず、参加者 は一般受講者 に てい くとい う、事実 に基づ い た壮大 なス ケ ールの物語 で 混 じって授業 を受 けた。英語の参加者 の 中にはすで にか な り高 い レベ ル に達 して い る方 も見受 け られたが 、中国 ある。 一般館 では上映 されなか ったが 、名両 を主体 とす 語 ではまった く初心者 のため現在 の授 業内容が難 しす ぎ また 、 この 映画上映 に先立 って、主 人公 の一 人である宋 て着 い て行 けない と感 じた方 もい た と聞 く。何 は と もあ 美齢 が 106歳 で この 世 を去 った とい うニ ュースが 報道 さ れ参加 された方 はみな熱心 で来年度 の講座 には きっ と参 れ、 いやが上 にも来場者 の興味 をそそった。 加す る と決意 を固 めた方 もい た よ うで ある。 歴史の中で 、名家 に生 まれた宋家 の三姉妹 が著名な財界 る「岩波 ホ ール」で上 映 され大 きな反響 を巻 き起 こ した。 鑑賞会 の 申 し込み は先着順 であ つたが 、 ホ ー ルの収容 能力 をはるか に超 える応 募 があ り、当 日も上映開始30分 以上 前 か ら鑑 賞者 が 来場。 2時 間半 に及ぶ 大作 にそれぞ れの感慨 を抱 くとともに、深 く感銘 を受 けた方 も多 か っ 昨年 11月 23日 (日 )市 総合福祉保健セ ンター にお いて 恒例 の KIFAパ ー テ ィが 開催 された。当 日は晴天 に恵 まれ 参加者 は外 国 人14カ 国49名 を含 め総勢200名 を超 え た。清水市長や平原 市議 会議長 の来賓 のほか 、船橋 ・我 孫子 ・野 田 ・流 山の各国際交流協 会か ら代表 のかたがた も参加。 パー テ イの 内容 は、例年 の立 食や舞台上 のア トラクシ た よ うで ある。 r¨ ―― ………… ■・ 編●‐ 1集 ●後 │1言 己 「か 今年度 は新 しい試み としてKIFA Plazaの あい間に わら版」 を 2号 ^発 行 いた しました。両紙 を今後 ともご愛 。さい。 売可 言
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