13・ヤノマミと異文化理解 2011.12.21. 帝京・文化人類学Ⅱ 13・ヤノマミと異文化理解 2011/12/21 - [2] ヤノマミは理解しがたいのか? 確かに、おぎゃあと生まれているのに葉っぱに包んで見 殺しにし、白蟻に食べさせて、最後は巣ごと焼き払う、 という表面だけを見ると「理解しがたい」 それはなんだか、「自分たちの文化」からは遠くかけはなれたよ うなイメージである しかし「ねこ=漢方に基づく精力剤」という知識を入れ たのと同様、「人工妊娠中絶の問題」という知識を背景 に考えてみると、どうだろうか? 13・ヤノマミと異文化理解 日本の人工妊娠中絶(1) 2011/12/21 - [3] 13・ヤノマミと異文化理解 日本の人工妊娠中絶(2) 2011/12/21 - [4] 13・ヤノマミと異文化理解 2011/12/21 - [5] 日本の人工妊娠中絶(3) ヤノマミビデオでは「年間20人前後生まれる赤ん坊のう ち、半数以上が精霊として森に還される」とされていた 日本の1950年代は、実はそれと大差ない 1975年は「年寄りの恥かきっ子」、2005年は「若者の過ち」と しての人工妊娠中絶割合が目立つ(件数としては主ではない) 日本における人工妊娠中絶の変化 1948年以前:そもそも禁止(1940年国民優生法と優生思想) 1948-1976年……28週未満は可(優生保護法による) 1949年:経済的理由による中絶を認める 1976-1990年……24週未満は可 1990年以降……22週未満は可 1996年:優生保護法を母体保護法に改正 13・ヤノマミと異文化理解 2011/12/21 - [6] 「ヤノマミ」と「わたしたち」 「人工妊娠中絶の問題」という知識を背景に考えてみる と、どうだろうか? 人工妊娠中絶が「殺人」にならないのはなぜか? ……「法律」 でそう決まっているのだとすれば、ヤノマミは? 22週未満の胎児が「ひとではない」のなら、母親が抱き 上げていないまだ精霊のままの赤ん坊が「ひとではな い」のと、なにがどう違うというのだろうか? そもそも、どの時点から「ひと」になるのだろうか? それは文 化によるのだろうか? 13・ヤノマミと異文化理解 2011/12/21 - [7] ヤノマミはわれわれを「ナプ」と呼んだ 「ナプ」=人間ではないもの・人間以下のものに位置づ けられることは、違和感・不快感を伴うだろう それこそが「自文化中心主義的」スタンスだと言うこともできる では、わたしたちがヤノマミを「原始人=原始そのまま の暮らしをしているひと」「人間の本質・もともとの暮 らし方をするひと」と位置づけることは、それと違うだ ろうか? どうひいき目に見ても「原始人」は誉め言葉ではなく、「いまだ わたしたち〈文明人〉になりきっていない生き物」としか受け取 れないのではないか? cf. 進化主義的人間観 →わたしたちの視線も、オブラートに包まれてはいるが、 やはり不快な「自文化中心主義」なのではないか?
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