カルデアから魔法少女の世界へ ID:90418

カルデアから魔法少女の世界へ
カルデアス
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このPDFファイルは﹁ハーメルン﹂で掲載中の作品を自動的にP
DF化したものです。
小説の作者、
﹁ハーメルン﹂の運営者に無断でPDFファイル及び作
品を引用の範囲を超える形で転載・改変・再配布・販売することを禁
じます。
︻あらすじ︼
簡単に言うとプリズマ☆イリヤとのクロスです。
プリヤの世界に異変解決のため、出張をすることになりました。
目 次 一話 ││││││││││││││││││││││││││
二話 ││││││││││││││││││││││││││
三話 ││││││││││││││││││││││││││
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一話
ふと気が付くと芝を枕にして月を眺めていた。
ざあ、と頬を撫でるような柔らかい風が私の眠気を取り払う。
ここはどこだろう。
何故、仰向けに寝そべっているのだろう。
私は眠っていたのだろうか。ここに至るまでの記憶がまったく抜
け落ちてしまっていると気付くのに時間はかからなかった。
身体を起こしてみれば、そこは広い公園の真っ只中。公園の周囲に
は背の高い建物がどこまでも続いていて、その風景に異様な違和感を
覚えてしまう。
建物には明かりが灯されていて、人工の光が夜の闇の中で星のよう
に煌めいている。紛れもない文明の色。人類の営みの、何気ない輝き
がそこにはあった。
﹁私⋮⋮﹂ 公園には人気がない。
園内に設置された時計を見ると、時刻は午後の十時を回っていた。
なるほど、それならば人気がないのも当たり前だ。
身体を起こして状況を確認する。
私の服装は白い衣服にベルトが横に並ぶもの。魔力を感じるのは、
この衣服が礼装としての機能を有するからなのだろう。どうして、こ
んな服を着ているのか思い出せないが、
﹁魔術﹂や﹁魔術師﹂という単
語が脳内に浮かび上がってくることから、私はこうした礼装を常から
装着している魔術師だったのだろうと当たりを付ける。
手持ちはない。
ポケットをひっくり返しても金目のものはなく、あるのは右の太も
もに取り付けられたカードホルダーと十字架と盾をあわせたような
デザインのネックレスだけだった。
﹁ほとんど着の身着のままじゃない﹂
私、名のない私はどこにいけばいいのだろうか。 公園のベンチにポツンと座って考える。
1
とりあえず眠ってしまおうか。
眠気はないが、右も左も分からない状況では不安を感じることもで
きない。身元を証明するものもなく、明日を生きる金もない。
﹁というか自分が誰なのかもまったく思い出せねー⋮⋮﹂
私は軽く頭を抱える。
何でこんな所に寝てるんだよ、と眠る前の私を怒鳴りつけたい。せ
めて自宅で記憶喪失になれば、最低限の生活と身分保証ができただろ
うに。
記憶操作の魔術など私には使えない。自分の身元は分からないが、
言葉に不自由はしないし魔術師だということも理解できている。所
謂、エピソード記憶が欠落した状態だということだろう。
﹁魔術師なら何とでもなるか﹂
うん、問題ない。
魔術を使えば大概の生き物を料理することができる。身体を清め
ることもできる。魔術は全能でもなければ万能でもないが汎用では
あ る。使 い 方 次 第 で 生 活 を よ い 方 向 に 導 く こ と も で き る だ ろ う。
もっとも、普通の魔術師はそんなことに魔術は使わない。火を熾すの
なら百円ライターやマッチで事足りる。魔術は研究のために用いる
もので、便利だからと多用しない。魔術を道具として扱うのは魔術師
の考え方ではないからだ。だが、生憎と私には百円ライターを買う金
すらないのが現状なのだ。このネックレスとカードホルダー。手鏡。
電源の入らない携帯。そして、七枚のカードが私の持つ道具でありす
べてだ。
しばらくはこの公園に寝泊りしつつ、後々のことを考えよう。
この街に魔術師がいるのかどうかも分からない。迂闊に魔術師と
接触してもトラブルになるのは明白なのだ。魔術師とは元々内向き
で身内でも争うことがある犬畜生。私が言うのもあれだけれど、記憶
喪失かつレアな礼装を抱えている状況では、何をされるか分かったも
のではない。ということで、この街の魔術師に保護を頼むという線も
考えていない。まあ、ここは先進的な都市のようだし、生活苦に喘い
でいれば行政が何かと手を差し伸べてくれるだろうと都合のいいこ
2
とを考えたりもして努めて楽観的に振る舞う。
かくして私のホームレス生活は幕を開けた。
いや、しかしここが古代とかでなくて助かった。ついでに季節も
だ。真冬だったら外での生活に苦労を重ねることになっただろう。
公園なので水道は使い放題。食べ物はその辺に飛び回っている小
鳥を捕まえて焼いて食べたり、野草をとって煮て食べる。おなかいっ
ぱいにはならないけれど、死にはしない。
そうした生活が続くこと、すでに半月。
曜日の感覚はビルのスクリーンや電気屋に設置されているテレビ
を見ていれば失われることはない。今日は日曜日で、今頃は明日に備
えて学生も会社員もそして主婦たちも、大半が布団に入っている頃だ
ろう。
﹁はあ、でもおなか減ったよ。ラーメン食べたいよ⋮⋮ひもじいぃ﹂
魔術で半径一メートルの空間に隠蔽結界を施して、その中で焚き火
をする。いくら広い公園とはいえ、都市の真ん中で火を熾していれば
当然ながら警察のご厄介になる。私がこんな夜半に行動しているの
も、人目に付く危険を避けるためであり、こういうときに結界は重宝
するのだ。
今日のご飯は魚の丸焼き。近くの川で取れたフナが二匹だ。綺麗
かどうかはこの際関係ない。お腹が減っては戦はできないどころか
生きていけないのだ。
﹁そろそろ焼けたかなー﹂
木の枝に刺したフナがいい匂いを放ち始めた。きちんと火を通せ
ば寄生虫も怖くない。大都会の川で取れた魚だから何を食べている
か分かったものではないが内臓を取り除いて、きちんと焼けばダイ
ジョウブ。一週間前にも食べたけれど、まだ何も不都合がないからイ
ケル。
私はフナを刺した枝を取り上げて香ばしい匂いを嗅いでおなかが
限界を迎えたのを自覚する。
﹁いただきまーす⋮⋮﹂
3
一月生活して、まだ所持金は零のまま。そろそろ行政を頼ろうかと
思っている今日この頃。魔術を駆使すれば楽に金を稼ぐこともでき
るがそこまですると人として大事なものを失ってしまうような気が
する。
﹁あっち⋮⋮﹂
フナを刺した枝を手に取ると、火花で指先を火傷してしまう。驚い
て枝を取り落とし、フナが地面に落ちてしまった。
﹁ああぁ⋮⋮﹂
一瞬だけ呆然として、それからすぐに拾い上げて砂を払う。
貴重な蛋白源を蟻の餌にするわけにはいかない。砂を払った後で、
もう一度軽く火で炙り、それからフナの背中にかぶりついた。
ほくほくとした白身の中に砂のじゃりじゃり感が混じって残念だ。
フナだけならばとても美味しくいただけるのに。欲を言えば、ここに
塩が欲しかった。
﹁明日、塩作りに行こうかな⋮⋮﹂
私がいるこの都市││││冬木は海沿いにある。
このフナを取った川は都市の真ん中を流れていて、川沿いに下って
いけばすぐに海に出る。海水があれば、塩を作ることもできるだろ
う。どれくらいの作業量になるかはまったく検討もつかないが、時間
だけはたくさんある身だ。
二匹のフナを食い尽くした後で、私はベンチに横になった。
空を見上げても星は見えず、人口の光が空を照らしている。オフィ
ス街はまだ明るく、住宅街の黒と対比関係にあるかのようだ。
この生活がどこまで続くのだろう。
魔術の研鑽などという目的意識のない私は魔術師として生きてい
くことはできない。魔術を道具として用いる魔術使いが精々で、その
魔術も大して力があるわけでもなく生活を維持するのに役に立つ程
度が現状だ。攻撃系統の魔術は狩りくらいしか使い道がない。魔術
師の知り合いがいるわけでもなく、伝手で衣食住を確保する手も使え
ない。
一ヶ月という時間は楽観的だった私の心に陰りを生み出すには十
4
分な時間だった。
何をすればいいのか先が見えない。そもそも、私はこの都市の住人
なのだろうか⋮⋮。いったいどこから来て、どうしてこの公園にいた
のか。過去の記憶は未だに思い出せず、頭の中には靄がかかったまま
だ。
私が目覚めた時に持っていた七枚のカードを取り出して眺める。
セイバー、アーチャー、ランサー、ライダー、キャスター、アサシ
・・・・
ン、バーサーカー。
聖杯戦争で召喚されるサーヴァントのクラス名が印字されており、
強い魔力を感じる。
﹁サーヴァント﹂
呟く単語はどうにも私の心をざわつかせる。
このカードが私にとってこの上なく重要なものだというのは明ら
かだった。もちろん、このカードが途方もない魔術礼装だということ
は分かっている。金銭価値は極めて高く、由緒ある魔術師に正しく売
りつけることができれば、しばらくは遊んで暮らせるだろう。
だが、その手は取らない。
私の過去に繋がる重要なキーアイテムでもある。この盾のネック
レスと同様に、私はこのカードを目的を持って所持していたはずだ。
考えれば考えるほどに思考のドツボに嵌る感じだ。
﹁ふわあ⋮⋮﹂
夕食を摂ったら眠気が襲ってきた。
カードをホルスターに仕舞いこみ、私は目を瞑った。簡易的な護身
の魔術を周囲に敷いて、意識を闇に埋没させる。
一日の終わり。
今日も何事もなく、何一つ解決しないままに過ぎ去ってしまう。
■
﹃今回君に来てもらったのは、ちょっと厄介な異変が見つかったから
なんだ﹄
5
飄々とした態度の青年が私に語りかけてくる。
見覚えのある顔。
顔立ちはいいのに、どこか残念な頭の││││しかし優秀な頭脳の
持ち主。魔術師としては私よりもずっと上だろう。
﹃特異点とは違う。多分、聖杯の力で引き寄せられた異世界、いや並行
世界だね。こっちからのアクセスが難しいそこが、今回の活動地点
だ﹄
私たちの活動。
聖杯を回収するために、あらゆる時間に跳んで未来を守ること。
今回の仕事もその延長ではある。
﹃並行世界は本来この世界とは交わらない分かれた世界だ。関わりが
ない以上、観測することすら不可能だ。並行世界は僕らとは関わりの
ないままに発展、あるいは消滅していくはずのものだからね﹄
そこで、彼は言葉を切ってため息をつく。
﹃いや、本当にどうしてこんなことになったんだろうね。ああ、もう多
分聖杯の所為なんだけどさ⋮⋮﹄
聖杯は持ち主の願望を叶える莫大な魔力の貯蔵庫。様々な時代に
散らばった聖杯を回収するのが、カルデアの使命だ。
﹃そう、あの世界に僕たちの世界の聖杯が⋮⋮厳密にはそれに近いも
のが移動した形跡がある。そのおかげで本来観測できない並行世界
への道が開けたとも言えるんだけどね。並行世界同士を繋いだ道の
影響で世界が干渉しあう状態ができてしまっている。このままだと、
お互いに悪影響は避けられない﹄
並行世界は観測できない。理論上存在するとされる分岐世界であ
り、明確に干渉、移動を可能とするのは第二魔法の使い手だけだとい
う。しかし、カルデアが並行世界の観測に間接的にも成功したのは聖
杯が残した道と並行世界からの影響を観測した結果だという。
﹃今回は今まで以上の難易度になると思う。並行世界への道は細く、
弱弱しい。サーヴァントのような高エネルギーの魂を送り込めるほ
ど確かじゃない﹄
つまり、
6
﹃君一人を送るのがやっとだ。本当に、申し訳ないと思う。断わって
くれてもかまわない。何、●●●●●●ちゃんもいるからね。対策は
いくらでも考えられるはずさ﹄
それは嘘だろう。 並 行 世 界 の 運 営。第 二 魔 法 の 使 い 手 は 人 類 史 上 に た だ 一 人 だ け。
その片鱗を見せるものであったとしても、世界に小さな穴を穿つ程度
だろう。ならば、カルデアの技術力を駆使してもこの窮地を逃れるこ
とは難しい。
唯一、向こうに渡り、元凶となる聖杯を回収することだけが確実性
のある解決策だ。だからこそ、彼は難しそうな顔で私に話をしている
のだ。
私の答えは決まっている。
﹃そうか。分かった﹄
私の答えなど、彼は初めから予見してただろう。
これまでにないほどに沈鬱な表情で彼は黙り込んだ。
それはそうだろう。
彼は魔術師の癖に善人過ぎる。私が断わらないだろうと推測した
上で準備を進めている用意周到さがありながら、それ心から申し訳な
く思っているのだから。それは、魔術師としては甘い感情なのだろ
う。人としては好感が持てるけれど。
﹃レイシフトの前に渡しておくものがある。今、調整しているところ
だから、それが終わり次第聖杯探索を始めよう﹄
そう言って彼は表情を硬くしたまま部屋を出て行った。
彼の表情がこの任務の難易度を如実に物語っている。もしかした
ら、戻ってこれないかもしれない。
そういえば、マシュはどこに行ったんだろう。いつもは、ここに一
緒にいてくれるのに。そんな風に色々と考えながら、私は●●●が
戻ってくるのを待つのだった。
■
7
ああ、まただ。
目が覚めた後のどうしようもない不安感。
ここ最近頻発するそれは、何か大切なものが抜け落ちたかのよう
な、地に足の付かない安定感のなさを体現しているようだ。
けれど、今の夢。
大事なことを話していたはずだ。
頭が痛い。
継 ぎ 接 ぎ だ ら け の 記 憶 を 再 生 す る。夜 の 闇 に 飲 ま れ そ う な 意 識。
せっかく浮上してきた記憶の欠片を繋ぎ止め、昔のテレビの砂嵐にも
似た耳障りな雑音を払い除けて私の意識を踏みとどまらせる。
今日は風が強い。
ビル風。轟々と吹いている。渦を巻き、髪を撫で、草木を揺らす。
嵐が近いのだろうか。気温が下がって、肌が鳥肌を立てている。
冗談だろう。 北国ならばまだしも、西日本の夏場だ。暑苦しさに悶えることは
あっても寒さに震えることはありえない。
ならば、この鳥肌は何かと聞かれれば││││これは恐怖だと答え
るしかないだろう。
自然物ならぬ風に込められる尋常ならざる魔力の気配に総身が震
えているのだ。生存本能が刺激され、この場を離れろと命令を下して
いる。
ごくり、と私は生唾を飲んだ。
広い公園の中心から風が四方に流れている。
空間に亀裂が入っている。
亀裂の奥は真っ暗で何も見えないのに、そこに何かいるのははっき
りと分かった。
﹁何⋮⋮﹂
私は目を凝らして亀裂を見る。
蠢くものがいる。
強い魔力を湛えた何かがこちらに出てこようとしているのだ。
8
﹁一体何なの﹂
立ち上がって後ずさりする私の前で、ついに空間が砕け散った。ガ
ラス片のように世界の壁をばら撒いて、真っ黒な人影が姿を現した。
大きな身体の大男だ。鎧に身を包んだ武将だということは一目で
分かった。けれど、その顔は煤のような黒い影に覆われて窺い知るこ
とができない。まるで実体化した影のようだ。存在感だけで身体中
が悲鳴を上げるのに、存在感が妙に薄い二律背反の存在だ。
それを私は知っている。
この力とこの存在を前に私は見たことがある。触れたことがある。
﹂
言葉を交わし、感情を交わし、そして命のやり取りをした。
﹁サーヴァント
そのなり損ない。
サーヴァントの力が現出しただけのシャドウサーヴァントという
擬似生命だ。
特異点を駆け抜ける中で幾度も出会った強力なエネミーの一つ。
﹁聖杯﹂
私は自然と口にしていた。 そう、聖杯。
願いを叶える万能の杯。人類史の焼却を企図するグランドキャス
ターが七つの時代に打ち込んだ楔を繋ぐもの。それを回収するのが
私の使命だ。
途端に色づく私の認識。
﹂
﹂
継ぎ接ぎだらけだった記憶が急速に修復を始めた。
﹁私は⋮⋮
﹁■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
影とはいえサーヴァント。
その突進速度は常人の目で追えるものではなく、私は勘任せに転
がって直撃を避けたものの余波で十数メートルも跳ね飛ばされてし
まった。
﹁あ││││ッ﹂
9
!
声ならぬ雄叫びを上げて、鎧武者が突進してくる。
!!
!
窒息する。心臓すらも、一瞬動くことを忘れてしまったかのよう。
命を拾った実感を持てないまま、私は我武者羅に手足をバタつかせて
起き上がった。それは酷く滑稽な姿だっただろう。まるで、ひっくり
返った亀かコガネムシのよう。
背中から地面に叩きつけられた私をシャドウサーヴァントは睨み
つけている。何故、避けたのだと。この槍の一突きで死ぬべきだった
だろうと訴えかけてくるかのようだ。
この雄叫びの力強さ。おそらくはクラスはバーサーカーなのだろ
う。
真名は分からない。影の輪郭はぶれにぶれてはっきりとした形が
捉えられないでいる。
だが、その巨大な身体と身の丈以上の武具を見れば、あれに攻撃さ
﹂
れて生きていられると思えるほど楽観的な考え方はできなかった。
﹁バーサーカーなら
私は右手に魔力を集中する。
このままいいようにされて死んでしまうわけにはいかない。命乞
い の 通 じ る 相 手 で は な い の だ か ら 全 力 で 抵 抗 し な け れ ば な ら な い。
私にはするべきことがあるのだから。
対魔力を持たないバーサーカーならば、魔術が通じる可能性が高
い。私の知るサーヴァントの法則に従ってくれと願いながら放つガ
﹂
ンドは圧縮した呪いの塊となってまっしぐらにシャドウバーサー
カーに向かう。
﹁■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
高濃度の呪い。
た。
﹁うあ⋮⋮
﹂ それを、シャドウバーサーカーは武具の一薙ぎで打ち払ってしまっ
常人に当たれば体調を崩して死に至ることもある古い呪詛だ。
!!
るった武具から突風が生じて私をひっくり返す。尻餅をついた私の
頭上からシャドウバーサーカーが落ちてくる。あの巨体にはそれに
10
!
ガンドが弾かれた驚愕に浸る間もなく、シャドウバーサーカーが振
!
見合った体重があるだろう。落下地点にいる私は、踏み潰されて原型
も留めることなく死ぬに違いない。それが分かっていながら動くこ
とができない。危機感が麻痺して、現実味のない死が私から命を奪お
うとしている。
一度目は偶然に生を拾った。
サーヴァントを相手にして二度目の奇跡を期待しても意味がない。
あ れ は 猛 獣。そ れ も 熊 や ラ イ オ ン を 軽 々 と 殺 戮 す る ほ ど の 怪 物 だ。
どうしてか分からないけど、積極的に私を狙っているというのなら
ば、自ずと死と向き合わなければならなくなる。
この状況。
十中八九││││否。ほぼ百パーセントの確率で死に至る状況を
覆すには、奇跡に拠らない必然を手繰り寄せる必要があって、そんな
ものは私にはないという現実が聳え立っている。
私になければ、どうするか。
さになる。衝撃はその直後に襲いかかってきた。私が展開した盾か
らさらに魔法陣が開いた。魔力で構成された強固な防護結界であり、
シャドウバーサーカー落下エネルギーを完全に打ち消して弾き返し
た。
11
諦めて死を受け入れるのか。
そんなことは許されない。
使命を果たせない。もう、あの場所に帰れない。●●●にももう遇
えなくなる。それは嫌だ。そんなのは、絶対に受け入れることはでき
ない
する。
イ ン ク ルー ド
!
盾の形をしたネックレスがそのまま巨大化して、身の丈ほどの大き
﹁限定展開
﹂
まに魔力を練り上げる。魔術回路が唸りを上げて、ネックレスと接続
ければならない。選択肢の検討をする間もない。考えずに、感じるま
時間がない。取りうる手は一通り。その一手で、私は窮地を脱しな
今手元になるもので窮地を乗り越えるのだ。
考える間はない。 !
﹁うぐッ
﹂
魔力のぶつかり合いに腕が痺れた。
登録したサーヴァントの宝具を一時的に出現させて使うことがで
きるカルデアの試作礼装だ。
盾のネックレスに込められていたのはシールダーの宝具であり、そ
れそのものがほかのクラスカードを使うための触媒となる。
﹁はっ、はっ、はっ﹂
私は抜けそうになる腰に鞭を打って立ち上がり、盾を構えた。
ずっしりとした盾だ。宝具の真名解放を終えて、身体を隠すほどの
大きさの盾となった。緊張のあまりに喉が渇く。酸素を求めて息を
しているというのに、まったく肺が受け付けていないかのようだ。
ともあれ、シャドウバーサーカーの一撃を凌ぐことには成功した。
二度目の生還を果たしたのは大きい。二度あることは三度あると言
う。ならば、次の手を早く打って何とか乗り越えなければならない。
使い方は頭の中に叩き込んである。そう、確かそのように調整した
はずだ。おぼろげな記憶とは裏腹に、このクラスカードの使い方が
はっきりと思い出せる。
シ ー ル ダ ー の 宝 具 で は 守 る こ と は で き て も 敵 を 倒 す の は 難 し い。
まして、盾だけ出したところで、私の身体が人間のままでは押し負け
ることになる。盾が無事でも身体が壊れれば意味がない。
だから││││身体ごと戦闘用に切り替える。
私がホルスターから引き抜いたのはセイバーのクラスカード。
盾の裏面にカードを叩き付けると、盾の内部にカードが溶け込ん
だ。
﹁ッ﹂
ネックレス
ビリビリとした痺れが盾を通して腕に流れ込み、全身に行き渡って
いく。
英霊の力を宿したカードから 盾 を介して力を受け取るのだ。デミ
サーヴァントの研究から誕生した試作礼装は、一時的に自らをデミ
﹂
サーヴァント化する奇跡を引き起こす。
イ ン ス トー ル
12
!
﹁夢幻召喚
!
そして、私は生まれ変わった。
13
二話
都市の名は冬木。
西日本に存在するありふれた大都市であり、中央を流れる未遠川に
より東西に分かれている。東が発展著しいオフィス街││││新都。
西が古きよき風情に溢れる住宅街││││深山町となっている。
深山町の夜空を駆ける二人の少女がいる。
一人は白と桃色のドレスにも似た服装の白い髪の少女。
もう一人は深い紫色のレオタードを思わせる衣服の黒髪の少女だ。
どちらも可憐な顔立ちで、年の頃は小学校の中学年から高学年程度
であろうと思われる。
その二人が空を飛んでいるのである。
漫画やアニメを齧っている者であれば、魔法少女というジャンルに
聞き覚えのないものはいないだろう。ファンタジーの中に息づく夢
﹁い、いきなり止まらないで﹂
﹁ごめん、でも⋮⋮﹂
美遊が東を見つめている。
深山町の東、つまり新都の方角だ。オフィス街の新都は夜でも明る
く、空を飛べるイリヤからすれば地上に星々を鏤めたかのように見え
て好きな景色の一つに上げられる。
14
と希望を運ぶ幻想の総称であり、こと冬木市内に於いてはこの二人│
│││イリヤと美遊を指す言葉だ。
白の少女、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンと黒の少女、
美遊・エーデルフェルトは冬木市内で夜な夜な現れる怪異を解決する
ために東奔西走している最中であった。
単身で空を舞う。重力から解放され、鳥のように飛行するイリヤの
﹂
すぐ傍を宙を足場に走るミユが並んでいる。
私は何も⋮⋮﹂
﹁ミユ、何か⋮⋮変な感じしない
﹁そう
?
イリヤが先走りすぎて慌てて戻ってきた。
美遊はふと足を止める。
?
﹁変な感じって﹂
﹁え、ああ、うん。こう、魔力って言うのかな。まだ、どこから流れて
るのか分からないけど﹂
イリヤはきょろきょろと辺りを見回しながら自分の肌で感じる魔
力の流れの発生源を探ろうとしていた。
﹂
対する美遊は自分のステッキ││││カレイドサファイアに話し
かけ、
﹁どう、サファイア。何か感じる
﹃現状では何も。ここのところ大気中の魔力濃度が大きく変動してい
ます。その影響で魔力によるサーチも従来ほどの精度が期待できま
せん﹄
サファイアの返答に今度はイリヤのステッキ││││カレイドル
ビーが割り込んだ。
﹃ちなみに本日の大気中の魔力濃度は三十日前に比べて三パーセント
も上昇していますよー。これって結構な異常です。地脈が乱れてる
とか、もうそういうレベルの一歩手前ですかねー﹄
冷静沈着な口調のサファイアに対して、ルビーの口調は明るく無邪
気さを感じさせる。天真爛漫と言えば聞こえがいいが、好奇心旺盛で
自分が面白いを思ったことを実行するために他者に迷惑をかけるこ
ともいとわない節があるなど、問題行動の多いステッキでもある。
しかしながら、イリヤとの相性はバツグンだ。ルビーにとっても、
イリヤはよき主であるらしい。
﹃さらにちなみに美遊さんが先ほど見ておられた方角。新都のほうに
﹂
ちょっとした亀裂が入ってるみたいですよ﹄
﹁亀裂
それ、大変じゃない
﹂
のサーヴァントが出てくる可能性大です﹄
﹁ちょっと
!
ヴァントとは性質の異なるサーヴァントを総称してそう呼んでいる。
塵のサーヴァントは彼女たちがこれまで戦ってきた黒化したサー
イリヤが悲鳴にも似た声を上げた。
!
15
?
﹃はい。おそらくは鏡面界の亀裂です。最近ちょくちょく出てくる塵
?
正式に何と呼ぶのかは分からないが、それがサーヴァントのなり損な
い。力のみを形にした存在だということまでは分かっている。倒さ
れた際に黒い塵となって消えるため、
﹁塵のサーヴァント﹂と便宜的に
呼んでいた。
﹁行こう、ミユ﹂
﹁うん﹂
イリヤと美遊は慌ててルビーが示した新都のほうに向かった。
風を切るようにして飛行するイリヤは、戦闘機にすら匹敵する飛行
速度とあらゆる飛行生物を凌駕する運動性能を有している。それだ
けに、市内の目的地に到着するのにそう時間はかからない。
塵のサーヴァントが現実世界で実体化するのは今日で三回目とな
る。一度はセイバーのサーヴァント、二度はアーチャーのサーヴァン
トが現実世界に現れている。この一ヶ月の間に発生した異常事態の
中でも最悪の展開こそがサーヴァントの実体化だ。ここ最近の夜の
見回りも、塵のサーヴァントが鏡面界から現れないかどうかを監視す
るためでもあって、サーヴァントの存在が感知できれば、鏡面界へと
移動して撃退することになっている。
結果、イリヤと美遊、そして今日は留守番をしているクロの三人で
一ヶ月のうちに八騎のサーヴァント打ち倒すことになった。
塵のサーヴァントの戦闘能力は総じて高くはない。黒化したサー
ヴァントのほうがずっと強かった。それでも、油断ならぬ相手であ
り、当然ながら一般人では敵うべくもない。イリヤたちも、ステッキ
の力で無制限の魔力を扱えるようになり、サーヴァントに匹敵するだ
けの戦闘能力を与えられていなければとてもではないが太刀打ちで
きないのだ。
その塵のサーヴァントが鏡面界の壁を破って出てくるとなれば、犠
牲者が出てもおかしくはない。第一に鏡面世界で倒すことであり、そ
れがダメでも出てきたその場で打ち倒さないといけない。
サーヴァントは魔力摂取するという。人の霊が昇華したサーヴァ
ントは自身と最も近い人間の魂を食らうことで力を高めるのだ。
雲ひとつない空を二人の魔法少女が駆け抜ける。
16
未遠川を越えて新都の上空に辿り着いたイリヤと美遊は改めて周
囲に目を凝らした。夜の闇が薄れるオフィス街。さすがに夜も遅い
ので人通りはほとんどないが、ビルの窓からもれる光やネオン光は眠
りに就いた深山町の街並とは正反対だ。夜風に紛れる魔力。匂いを
どこに亀裂があるの
﹂
感じるように目に見えない力の流れを探っていく。
﹁ルビー、どこ
?
しょう
﹄
﹃中央公園のほうですね。ほら、海のほうに大きな自然公園があるで
?
﹂
﹂
?
﹁あ、そうだね﹂
阻止しないと﹂
﹁イリヤ、急ごう。誰が戦っているにしても戦闘が市街地に出るのは
戦っているのか。
正 面 か ら サ ー ヴ ァ ン ト と 戦 え る ほ ど の 戦 闘 能 力 は な い。一 体 誰 が、
が上がるが、バゼットは仕事で協会に戻っているし凛とルヴィアは真
けだ。次いで凛やルヴィア、バゼットといった冬木に滞在する魔術師
サーヴァントと戦えるのはイリヤと美遊を除けば、家にいるクロだ
イリヤと美遊が視線を交わした。
ルビーに続いてサファイアが言った。
しました。サーヴァント級が二つ。公園で交戦中と判断します﹄
﹃姉さんの言っていることは確かです。こちらでも同様の魔力を感知
間に歪ができてかなりぼやけてますけど間違いないです﹄
﹃ですから、魔力源が二つ、公園でぶつかってるみたいです。周囲の空
﹁誰か戦ってるって、どういうこと
イリヤは驚いて自分のステッキを見つめた。
﹁え
﹃というか、すでに誰か戦ってるみたいですよ﹄
冬木中央公園だ。
によってこの辺り一帯は焼き払われた。その跡地に整備されたのが、
ぐに分かった。以前が大きな建物があったらしいが、未曾有の大火災
冬木中央公園のことを言っているのだと、土地勘のあるイリヤはす
?
美遊の発言でイリヤは事の重大さに気付いた。
17
?
こ れ ま で は 自 分 た ち で 戦 っ て い た か ら 気 に す る 必 要 も な か っ た。
自分たちが周囲に配慮すればよかったからだ。しかし、他人が戦いに
介 入 し て き た と な れ ば そ れ は 自 分 た ち の 手 を 離 れ る こ と に な る。
サーヴァント戦の戦場と規模を自分たちでコントロールできなくな
るのだ。
﹁でも、誰が戦ってるんだろう﹂
﹁分からない。でも、戦いが成立するということはサーヴァントと戦
えるだけの戦闘能力を持っているということだから注意しないと﹂
塵のサーヴァント同士の戦いであれば、まだいい。だが、││││、
﹁魔術協会かそれ以外の何か、組織が背景にいる相手だと後々厄介に
﹂
なるかもしれない﹂
﹁厄介って
﹁サーヴァントを倒すという目的が一致しても、その先にあるものま
で同一とは限らない。場合によっては、戦いになるかもしれない﹂
﹁え、えー、でも、私たちみたいに冬木市を守るために戦ってるのかも
しれないよ﹂
﹁私は別に冬木市を守るために戦ってるわけじゃないけど﹂
言って、美遊は眼下を見下ろした。
まるで結界だった。
公 園 内 部 に 納 ま る く ら い の ド ー ム 状 の 魔 力 の 壁 が 生 ま れ て い た。
見た目としては結界にも似たもので、現実世界の上に別の世界が重
なっているような状態だ。一般人の目からすると普通の公園と変わ
らない姿をしているはずだ。
﹁空間がゆがんでる。まるで⋮⋮﹂
﹄
﹃鏡面界に似た構造の空間です。これは⋮⋮亀裂を中心に鏡面界が現
実世界を侵食している
とがない限りは現実世界に影響を及ぼすことはないはずだが、これは
りなく存在していた。あくまでも合わせ鏡の世界であり、よほどのこ
異空間だ。カードを核として生まれ、現実世界に重なりながらも関わ
鏡面界は以前クラスカードを収集していた際に主な戦場となった
サファイアが焦ったような声で言った。
!?
18
?
違う。鏡面界に似た構造の空間は、現実世界にせり出すように重なっ
ている。内部から魔力が漏れ出している時点で、現実世界への悪影響
は免れないと判断するべきだった。
﹃カードを集めていたときとは逆になりましたねー。こんどは向こう
﹂
からこっちに出てくるみたいですよ﹄
﹁暢気に言ってる場合
イリヤが叫んだ。
どうして、ミユ
﹂
?
﹂
?
ん﹄
﹁消える
どうして
﹂
今、ここに住んでいる人たちが消えてなくなってしまうかもしれませ
﹃いい質問ですね、イリヤさん。まあ、現実が虚構に塗り変わるので
﹁反転するとどうなるの
サファイアの後でルビーが言った。
しれませんよ﹄
﹃ですが、これを放置すれば現実世界と鏡面界が反転してしまうかも
ば、不安定な異界は現実の重みに耐え切れずに崩壊するでしょう﹄
に鏡面界のような異界を重ねるのならば、核が必要です。核を失え
﹃検証の必要はありますが、美遊様の見立ては正しいかと。現実世界
解決策として利用できる。
実に出てきた鏡面界が同様の性質を持っていると仮定すれば、当面の
ヴァントを倒し、カードを回収できれば鏡面界も閉じて消滅する。現
こ れ ま で の 鏡 面 界 で の 戦 闘 も そ う だ っ た。核 と な っ て い た サ ー
せば消えるはず﹂
﹁この中が鏡面界と同等の構造なら現実世界の人は入れないし核を倒
﹁え
﹁でも、都合はいいかも﹂
!?
!?
それが現実世界と鏡面
?
構を支える何かがあるようですから、どうなるか分かりません。空間
止力が働いて虚構のほうが消えるんですけどね。今回はどうにも、虚
界が入れ代わるというのはそういうことです。まあ、大抵の場合は抑
界は消えて、無くなってしまったでしょう
﹃今までの鏡面界がそうだったじゃないですか。カードを失った鏡面
!?
19
?
﹂
が捻れて崩壊する可能性もありますし、何にしても大災害は免れない
かと﹄
﹁そんな
イリヤは悲鳴のような声を出した。
現実世界が鏡面界のような別空間に飲み込まれる。または、空間が
崩壊して大災害が発生する。どちらも、どのような結末になるのか空
間の概念に詳しくないイリヤには想像することすらできない。空間
の崩壊だの虚構と現実の反転だの、そのようなものは漫画やアニメの
中でしか聞くことのない││││少なくとも科学的な理屈の範疇を
超えた話であって、
﹁魔法少女﹂になったからといって魔術世界の理屈
に詳しくなったわけではないのでルビーの言う大災害がどのような
形で現出するのかまったく分からないのだ。
﹂
しかし、不特定多数の人たちが犠牲になることくらいは想像でき
る。
﹁そんなのダメだよ
クラスカードを集めていたとき依頼の鏡面界だ。不気味な雰囲気
﹁うん、久しぶり﹂
﹁何だか久しぶりだね﹂
木中央公園内部に納まる程度の大きさで、その外には出られない。
風景は同じだが、世界は小さく閉ざされている。今回の鏡面界は冬
鏡面界は限定された空間だ。
二本のステッキは瞬く間に魔法陣を形成して鏡面界への扉を開く。
さしたる手間はない。
する。
ルビーとサファイアの力を使って、二人の魔法少女は鏡面界に移動
はない。
ヴァントと戦闘し打倒する。冬木の人々を守るためにはそれ以外に
結 論 は 単 純 明 快。こ れ ま で と 同 じ だ。鏡 面 界 に 入 り、内 部 で サ ー
ない﹂
﹁うん、中に入ろうイリヤ。鏡面界の中に入って、元凶を取り除くしか
!
は相変わらず、しかしどことなく懐かしさを覚えた。
20
!
﹄
﹃そんな悠長なことを言っている場合じゃありませんよ、お二人さん。
ほら、やっぱりもう戦闘は始まっています
ルビーに言われて改めて眼下を見る。
公園の芝の上にいくつも開いたクレーターが痛々しい。
耳に届くは剣戟の音。間断なく打ち合わされる鋼の音色だ。
﹁あれは⋮⋮﹂
イリヤが呟く。
彼女たちの視線の先には二つの人影があった。
一つはすでに見慣れた漆黒のサーヴァント。巨大な鎧を着込んだ
塵を振り撒く英霊だ。大きな槍のような長柄武器を目にも止まらぬ
速さで振り回しており、その刃が空間を薙ぐ度に地面が抉れ、木々が
吹き飛び遊具が潰れた。
それはまるで人の形をした掘削機。肉食獣のような貪欲さで、その
牙たる武具を振り回し、手当たり次第に破壊の限りを尽くしている。
技術も知性も感じない力任せの攻撃。
しかし、それが音速を上回る速度で、しかも休みなく繰り出される
となれば如何な武芸者であっても早々にひき肉になって終わるだろ
う。
││││だが、終わらない。
繰り返される猛攻撃。イリヤたちが初めに見たそれと同等かそれ
以上の力を込めた連撃が繰り出されるたびに鏡面界が悲鳴を上げる。
それにも拘らず攻撃が止むことがないのは、塵のサーヴァントに相
対する者が一向に倒れないからだ。
暗い夜に刻み付けられるのは紅の軌跡。
鋼の嵐の中を潜り抜ける漆黒の外套。何という衣装なのか。金糸
を編みこんだ煌びやかな装飾が美しい。
戦っているのは女性だった。
燃えるような赤毛と花の意匠をあしらった紅の剣を振るって塵の
サーヴァントと近接戦を演じている。
人の業ではない。刃と刃が交錯する度に魔力の豪風が四方に走る。
凄まじい威力を誇る塵のサーヴァントの一撃を、彼女は避けもせずに
21
!
紅の刃で受け止める。衝撃を受け止め切れなかった地面がひび割れ
﹂
て、砕け散る。しかし、女性のほうは平然として剣戟を即時再開する。
﹁あの人、サーヴァント
イリヤが美遊に尋ねると、美遊は首を振った。
﹁多分違う。きっと、私たちと同じ﹂
﹃夢幻召喚によるサーヴァント化です。信じられません、イリヤ様と
美遊様以外に無限召喚を可能とする方がいるなんて﹄
﹃しかも魔法少女って歳でもなさそうですしねー。いや、これが第三
の魔法少女現るとかだったら最高に燃えるんですけどね﹄
ルビーの発言はとりあえず置いておくとして、恐らくはセイバーを
夢幻召喚したであろう赤毛の女性と接触する必要はある。この戦闘
に介入するかどうかも含めて考えないといけない。
﹁ど、どうする、ミユ﹂
﹁どっちにしても今は見てるしかない。下手に手を出すと、思わぬ事
故を起こしかねないから﹂
﹁そ、そうだね。そうしよう﹂
イリヤは頷いて公園で繰り広げられる戦闘を眺めた。
何かあればいつでも介入できるようにルビーとの接続を確認して、
クラスカードの用意もする。塵のサーヴァントと戦う誰か。それが
味方なのか敵なのかも含めて、確認しないといけないことが増えた。
■
セイバーのサーヴァントの力を封入したカードの真価。
サーヴァントの力を自分の肉体に反映させる夢幻召喚は、正しく機
能して私の肉体をセイバーに変化させた。一時的にしろ英霊の力を
我が身に降ろすのは、本来ならば自殺行為だ。彼らはどれだけ低級の
英霊であろうとも人間霊を超越した上位存在であり、その一端でも身
体に降ろせば間違いなく自らの霊体を圧殺されることとなる。技術
や記憶の一部を再現する程度ならば高位の召喚士なり黒魔術師なら
22
?
ばやってのけるかもしれないが英霊を憑依させるとなると不可能だ。
それを可能としたカルデアの技術力には驚嘆するしかない。
デミサーヴァントの研究の成果であるという。まだ、試験運用の段
階だったこれを私が使えるように調整したのはずっと私の活動を支
えてくれた後方の魔術師とサーヴァントだった。
剣を振るいながら私は記憶の欠片が繋がっていくのを感じていた。
セイバーのサーヴァント。最近になってカルデアにやって来た彼。
傲岸不遜で自らの力を絶対的なものと看做した剣の帝王が私に自分
の力を分け与えてくれたのは何故だったのだろうか。
未だ、名前すら判然としないカルデアの仲間たちを思う。
生きて帰らないと。
きちんと任務を遂行して、笑って帰るために今ある力を限界まで引
き出して目の前の敵を打倒する。幸いにして、セイバーのクラスカー
﹂
ドに宿る剣帝の力は一級品のサーヴァントと戦えるほどに強力だ。
﹁はあッ
裂帛の気合を込めて剣を振り上げた。
真紅と白百合のコントラストが大気を切り刻み、シャドウサーヴァ
ントの槍を押し返す。
すごい腕力だ。
これがサーヴァントの戦い。
当事者となった私は当初こそその戦闘能力に圧倒されはしたが、膨
大な力を手に入れたことによる歓喜があらゆる不安を帳消しにして
しまった。全能感にも似た昂揚感が私の脳をおかしくしたのだろう
か。ともあれ、目の前の敵を打倒するという目的のためにこの溢れん
すごいなッ
﹂
ばかりの力を使うこと、そして、力を尽くすことに愉悦を抱いている
のは明白だった。
﹁ハハッ、これがセイバーの力か
口から漏れるのもまた歓喜。
!
手に在る魔剣も初めて持つ剣だというのに生涯を共にした朋友で
バーみたいな口調で話しているのだ。
私の声音で、誰かの言葉を紡ぐ。いや、これもまた私だ。私がセイ
!
23
!
フ ロー ラ
あ る か の よ う な 親 近 感 が あ る。鋭 い 刃。生 命 を 象 徴 す る 白百合 と 死
﹂
を思わせる紅の刃。柄をがっしりと握り込んで、斜めにシャドウサー
ヴァントの身体を斬り付ける。
﹁■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
﹂
﹁咄嗟に下がったな
獣染みた反応は、さすがにバーサーカーかッ
シャドウサーヴァントの鋼鉄の鎧に一文字に亀裂が入った。
!!
ともつかない刃は直撃すればセイバーの力を宿した私でも致命傷を
シャドウバーサーカーの豪腕が振り下ろす巨大な武具。槍とも斧
挙動のすべてを網羅する。
情の揺らぎ。呼吸の強弱。戦闘の直結するシャドウバーサーカーの
握る指先の僅かな動き。影に隠れ、狂化に曇った顔から除く微かな感
目をしっかりと見開いて、相手の一挙手一投足を把握する。長柄を
る。
シャドウサーヴァントのぶつかり合いで物理法則すらも絶叫してい
激突の瞬間、空間そのものが拉げたかのような錯覚を覚える。私と
は、この無骨な刃物を相手に正面から立ち向かえるまでになった。
数分前の私ならば、為す術なく引き裂かれていただろうに。今の私
笑って、私は剣で長柄の刃を受け止めた。
﹁ハッ﹂
振り下ろされる剛刃を脅威とも思わない。
か、彼の能力を遙かに凌駕しているのを実感している。
シャドウサーヴァントの動きについていける││││それどころ
している。
身体。戦闘技能すらも、力を貸してくれるサーヴァントのそれを再現
覚のすべてが鋭敏に、そして強力になっている。思ったとおりに動く
いく。サーヴァントと化したことで運動能力のみならず、身体中の感
だの踏み込みですら地面を砕くほどにもなる。景色が後ろに流れて
の威力を誇るかの敵手を前に私は臆せずに前に踏み出した。今やた
狂犬のように吠え立てるシャドウサーヴァント。一撃一撃が致命
!
受けかねない強力な代物だ。それは理解できているが、だというのに
24
!
恐怖を感じないのだ。ただ、楽しい。胸の奥から湧き上がってくる喜
悦。刃をぶつけて、この相手を打ちのめすのだというサディスティッ
クな喜びが私の脳を麻痺させている。
クー フー リ ン
好戦的な戦士の感情。
例えばランサーのような強者との戦いを渇望する思いが私を突き
動かしている。生まれて初めての感情。しかし、以前から抱いていた
﹂
かのような自然さで私は顔面に戦いを求める餓狼の笑みを貼り付け
た。
﹁ハハハッ、これを受けるか。獣風情がよく凌ぐ
嵐はむしろシャドウバーサーカーのほうではある。攻撃の手数は
明確に相手のほうが上だ。だが、精緻さを欠いている。動きが見え透
いていて、次どころか三手先まではっきりと読み取れてしまう。これ
では、どれだけ強い力で武具を振るったところで私の首には届くま
い。
風向きと風速が丸分かりの嵐など恐ろしくも何ともない。嵐を御
すことはできないが、乗り越えることならば可能だろう。当然、利用
することすらも人はやってのけるのだ。
﹂
紅の刀身がシャドウバーサーカーの刃を弾き返す。
﹁温いぞ、シャドウバーサーカー
は踏鞴を踏んで、後方に下がる。
構えはそのままに、全身を押し出すようにして前進する。巨体の
ローマ
懐、長柄武器が最も苦手とする、そして私の剣が得意とする超近接の
間合い。二メートル圏内に踏み入った。
﹁所詮は影。オリジナルには程遠い。ああ、貴様は私の敵ではないな
﹂
吠え立てるシャドウバーサーカーの常軌を逸した怪力を軽く受け止
め、あまつさえ押し戻すことすらも可能とする。姿勢を崩したシャド
ウバーサーカーに上段から刃を振り下ろす。刹那、方針を転換。私の
25
!
口元に余裕と喜悦すら浮かべて、剣を跳ね上げた。敵サーヴァント
!
信じがたいほどの筋力増幅作用。巨人の腕と彼が呼ぶ力は、目前で
ガツン、と火花が散った。
!
刃を防ごうと防御のために長柄を翳した彼に対して、私は姿勢を低く
して懐に飛び込み、鎧のど真ん中を蹴り付ける。
地面がさらにひび割れた。 シャドウバーサーカーの巨体が跳ね飛んでざっと五十メートルは
離れることとなったか。さすがに背中から地面に落ちるような無様
は曝さず、空中で体勢を立て直して綺麗に着地した。
だが、これで十分だった。
シャドウバーサーカーが五十メートルを走りきるまでに要する時
間は、三秒弱といったところか。すでにスタートラインには立ってお
り、カウントダウンを始める前には最初の一歩を踏み出しているだろ
う。
﹁終いだ。カードの試金石としてはちょうどよかったぞ﹂
耳障りな音。
発生源は私の魔剣から。
レ
ン
ト
ラ
レ
ン
ト
い。それだけの力を込めなければ反動で私の身体が跳ね飛ばされて
26
停滞する時間感覚。
﹂
突進してくる暴走列車を前にして私は魔剣を振り上げる。
刀身から溢れ出すのは真紅に染まった稲妻だ。
﹁■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ロ
めかせていた。
フ
﹁最優の皇帝剣
﹂
紅の雷光は臨界を越えて刃を血のように紅く、太陽のように眩く煌
││││魔剣限定解除
るうことの許される剣である。
にして大陸支配という絶大な権限を象徴する、まさしく皇帝のみが振
振 り 上 げ た 魔 剣 は ガ リ ア 支 配 を 象 徴 す る 燦然と輝く王剣 の 兄 弟 剣
ク
かのサーヴァントの速力を以てしても、私を止めるには遅すぎた。
しかし遅い。
離を半ばまで詰めている。
シャドウバーサーカーはすぐ目の前に。この時点で引き離した距
!!
上段から全霊を込めて振り下ろす。力任せと言われても仕方がな
!!
しまうから。
敵を切断するための斬撃ではない。
私が狙うのは敵を含めた空間のすべて。目に映る前方のすべてを
狙った大雑把な一撃だ。対軍宝具に分類される皇帝剣の斬撃は、真名
解放と共に拡大され白百合を纏った紅の雷撃と化して前方に断層を
形成する。
一秒の後、地鳴りと閃光が消え去った後に残されたのは一直線に焼
き払われた公園の大地のみだった。強大なるシャドウバーサーカー
は、私が放った対軍宝具の雷撃の前に倒れて塵と帰ったのだ。
まっとうなサーヴァントならばまだしもシャドウサーヴァントで
エ
ク
ス
カ
リ
バー
は 耐 え ら れ る は ず も な い。い や、こ れ だ け の 威 力 の 宝 具 だ。
約束された勝利の剣には及ばなくとも、宝剣のカテゴリーでは上位に
食い込めるだろう。当然、直撃に耐えられるサーヴァントは数えるく
らいしかいない。
﹁う、ぅ﹂
パン、と音がして私の夢幻召喚が解除された。
時間切れ。
その単語が脳裏に浮かぶ。
盾のネックレスとセイバーのクラスカードが落下する。私はそれ
を拾い上げようとして、それから目の前が真っ暗になった。
倒れたと気づいたときには強烈な睡魔が襲ってきて、指一本動かせ
ないまま私の意識は途切れたのだった。
27
三話
クラスカードと同じ性能のカードを所持し、英霊の力をその身に降
ろす││││夢幻召喚を行ったと思しい少女を確保してから半日が
経過した。
夜は明けて日が昇り、朝から昼へと変わってゆく頃合となった。
冬木市内の西側、深山町の閑静な住宅街に立つ場違いなまでの豪奢
な建物が舞台となる。
そこは西洋建築の粋を集めた典型的な西洋の邸宅だった。赤レン
ガの塀と門に守られた敷地。門を入ると左右対称の庭園が広がって
おり、その奥に鎮座するかのように聳える屋敷こそ魔術師ルヴィアゼ
リッタ・エーデルフェルトが日本で活動するに当たって建てさせた
﹁即席﹂の拠点だった。
魔術師の居館というのは、それそのものが城塞である。
一 見 す れ ば 金 持 ち が 有 り 余 る 財 力 に 飽 か し て 造 り 上 げ た 別 荘 と
いった風に見えるこの屋敷だが、実際には周囲には無数の結界が敷き
詰められており、魔術的なトラップは数え切れないほど仕掛けられて
いる。外から見える風景も幻術によって生み出された虚像であり、門
を潜るまでその本来の姿を窺い知ることはできないのだ。
そこまで守りを固めるのは魔術師という生き物の性によるだろう。
研究は他者に公開せず、自らの跡継ぎにのみ引き継がせるという秘
密主義の魔術師の世界では自らの師の研究成果を奪うために殺し合
いを仕掛ける者がおり、これを半ば容認している節があるほどに殺伐
とした側面がある。とりわけ歴史を重ねる中で﹁地上で最も優美なハ
イエナ﹂と呼ばれるに至ったエーデルフェルト家はそうした魔術師同
士の争いの中で他者の神秘を奪い、食らい、取り込んで成長してきた。
当然ながら敵も多い。城塞と呼ぶに相応しい魔術防護を施していな
がら、まだ足りないと思えるほどにエーデルフェルト家には敵がい
る。
といっても、魔術協会の影響力の低い極東の島国の地方都市に彼女
を害するほどの敵愾心のある魔術師がいるというわけもない。
28
それでも守りを固めるのは、前述の通りの魔術師の性でありたしな
み、常識だからだろう。
﹁まったく新たなクラスカード。また厄介なものが出てきたわね﹂
長い回廊を下っていく黒髪ツインテールの少女││││遠坂凛が
隣を歩くルヴィアに言った。
﹁ええ、まったくですわ。調べて見ても分からないことだけ。唯一の
成果としては、あのカードがミユとイリヤのカードとは異なる術式に
よって成り立っているということだけ⋮⋮それも、異なっていること
が分かるだけで、術式の解析そのものは不可能ときました﹂
ルヴィアは煌びやかな金色の髪の毛を縦に巻いた華やかな格好の
少女である。
凛とルヴィア。共に歳若いながらも魔術界の次代を担うエースと
して注目される天才である。そんな天才二人が、魔術の総本山である
イギリスはロンドンではなく日本にいるのかというと、それはまた深
い経緯があるのだが││││、
暗く続く長い回廊を二人は下っていく。昼の太陽の温もりも、この
地下空間には届かない。魔術師の工房として地下の封鎖された空間
というのはもってこいなのだ。閉鎖的な空間は魔力が散りにくく結
果魔術の研究に利用されやすい。ルヴィアの工房もその例に漏れず
ひと
地下を初めとする閉鎖された空間に作られているのだが、ここはさら
に別の用途で用いられる。
﹁さらに問題はあの赤毛の女ですわね。記憶領域がまったく読み取れ
ませんでした﹂
﹁何 ら か の 魔 術 で 記 憶 を 守 っ て い る の は 間 違 い な い み た い ね。か な
り、高度な魔術だわ。悔しいけど、無理矢理記憶を引き出すのは無理
そうね﹂
ルヴィアと凛が話しているのは先夜に夢幻召喚によってサーヴァ
ント化して塵のサーヴァントを撃退した赤毛の少女のことだ。
クラスカードを所持していたことや礼装として機能する衣服を着
ていたことから魔術師なのは確実だが、素性が一切分からないのだ。
所持品はクラスカードと魔力の篭った盾型のネックレス、そして手
29
鏡だけだ。身分を証明するものも金のまったく持っていない。クラ
スカードほどの礼装を作成あるいは所持できるほどの魔術師ならば
冬木市の管理者である凛の耳に入らないのは不自然だ。外来の魔術
師と考えるべきだろう。
﹁まったく、塵のサーヴァントのことだけでも頭が痛いってのに﹂
﹁彼女がそれに関わっていないとも分かりませんわ。何にしても尋問
するだけしなければなりませんわね﹂
重苦しい扉を開けると、そこはレンガ造りの壁で囲まれた部屋だっ
た。薄暗い室内をランプが照らしている。棚には魔導書や色とりど
りのガラスの小瓶、チョーク、宝石などが並んでおり、並々ならぬ魔
力を放つ物品も少なくない。
工房というよりは、勉強部屋といったほうがいいだろう。普通、工
凛
房には他人を入れることはない。例えそれが当面の協力関係にある
魔術師であったとしてもだ。にも拘らず凛をこの部屋に通したのは、
この部屋がエーデルフェルト家によって重要な情報を管理している
空間ではないということだ。
現状、この部屋の用途はルヴィアの時間つぶし以外にはない。い
や、なかったというべきか。すでに、この部屋は別の用途に使われた
ことがある。
屋敷の内部はルヴィアの領域。地下という密閉空間にあってはル
ヴィアの敵対者はただの獲物と成り果てる他ない。
この部屋は牢獄として機能するのだ。
部屋の中心。
用 意 し た の は 特 別 製 の 抗 魔 力 帯 と 宝 石 を 溶 か し て 描 い た 魔 法 陣。
魔力の結合を否定し、あらゆる魔術師を無力化する魔術殺しとも呼ぶ
べきものであり、それほど厳重な警戒をしなければならないほどに彼
女の正体は謎に包まれていたのだ。
﹁な⋮⋮﹂
凛が目を見開く。
ルヴィアが息を呑んだ。
そして、拘束していたはずの赤毛の少女が、これまた吃驚したよう
30
に固まった。
﹁ちょ、あなたなんで
﹂
﹁抗魔力帯から脱出したと言うのですか
﹂
凛とルヴィアがはっきりと驚愕を示す。
一流の魔術師ですら脱出は困難である拘束を如何にして解いたの
か。自分の術式に自信を持っていたからこそ、そしてルヴィアの魔術
﹂
を業腹ながらに認めていた凛だからこそ、目の前で起きた不可解な現
象に対して驚愕は大きなものとなった。
﹁拘束⋮⋮やっぱりあなたたち私を縛ってた人なんだね
赤毛の少女の服装が違う。
■
しまった。
そしてその僅かな時間で、赤毛の彼女は部屋から飛び出していって
のだと理解するのに多少の時間が必要だった。
魔術の爆風を潜り抜けた巨大な盾で軽く撫でられたことで転倒した
気付けば凛とルヴィアは互いに天井を向いてひっくり返っていた。
勝負は一瞬で決した。
だが、││││所詮は現代の魔術だ。
ることができるのが、宝石魔術の特性の一つである。
呪文詠唱も極僅か。だというのに、大魔術レベルの魔術を発動させ
爆発と突風が狭い空間にせめぎ合うように広がる。
凛とルヴィアが宝石魔術を展開する。
﹁やばッ﹂
黒い鎧姿だ。傍らに出現した盾はまさしく宝具。
捉えたときの一般的な衣服と異なり、今は身体にぴったりとあった
!
目が覚めた時の驚きを説明するには私のボキャブラリーは不足し
ていると思う。
31
!?
!?
といっても、気付いたときには見覚えのない場所にして、しかも窓
一つない薄暗い閉塞感のある部屋で、かつ強力な抗魔力帯で縛り上げ
られているという状況は私を困惑させ、さらに恐怖に陥れるには十分
な状況だと胸を張って言える。誰だって、あんな風に拉致監禁された
ら必死になって逃げるようとするだろう。
私を拘束しているのは明らかに魔術師でクラスカードが没収され
ているとなれば、相手は最低でもクラスカードが強力な礼装であると
理解している││││と思えた。
なら、その持ち主である私をどう扱うのかと考えれば、当然まとも
な扱いは期待できない。
それは魔術師という生物の特性を考えれば何となくイメージでき
てしまうし、部屋のおどろおどろしい雰囲気と拘束されているという
現実は私の中で激しく危機感を燃え上がらせるだけのものだったわ
けだ。
そこで私が強引にでも脱出することにした。
脳に刻まれた情報を辿って最良の脱出手段を実践する。
クラスカードがなくてもシールダーだけは特別に夢幻召喚するこ
・・
とができるという奥の手。カードもネックレスも不要。私の体その
ものを利用にして彼女の力を私の存在を結び付ける術式が擬似的な
魔術刻印として刻まれているらしい。よって、Aランクにもなる強力
な対魔力スキルで私を拘束する魔術を無効化し、サーヴァントの強靭
な筋力で抗魔力帯を引き千切って脱走したのである。
シールダーと化した私には人間の魔術はまったくと言っていいほ
ど効果がない。高位のキャスターの魔術すらも無効化する対魔力が
ある以上、魔術師の工房内だろうが問題なく探索することができる。
こうして私は封印処置が施されていたクラスカードとネックレス
を強引に奪い返して屋敷の外に飛び出したのだった。
冬木の街並を駆け抜ける。太陽は真上にあり、シールダーの格好で
は人目に付きすぎるという問題はあるが、不幸中の幸いか、住宅街に
はほとんど人がいない。昼間だからだろうか。閑静な、という形容動
詞が似合う深山町に今は感謝して、あの屋敷から可能な限り距離を取
32
ろう。
﹁はあ、まったく何なのアレ﹂
ぐるぐる巻きにされて縛り上げられた自分。いったい何をされよ
うとしていたのだろうか。気絶している間に何かされはしなかった
だろうか。
二人の魔術師。見た目で判断するならば、どちらも自分と同世代。
屋敷はお金持ちっぽかったから、金髪ドリルの持ち物だろうと勝手に
推測する。
二人とも、魔術師としてはかなり優秀な部類に入るだろう。少なく
とも私のような三流魔術師よりも実力のある魔術師だと見た。あの
屋敷に施された数々の術式を見れば、大体想像はできるというもの
だ。
シールダーを夢幻召喚していなければ、屋敷の中を動き回ることす
らできなかったに違いない。
33
﹁マシュのおかげ⋮⋮﹂
口を付いて出た言葉に背筋が震えた。
マシュ。
マシュとは何だろう。記憶の奥底が刺激されるような気がした。
ふっと湧き上がってくる懐かしさのような優しい感覚。柔らかい
二つの丘がとても尊いような気がして││││、
﹁付けられてる﹂
後方百五十メートル地点に二つの魔力を感じた。
私の速度についてこれるという時点で人ではない。
攻撃してこない。敵意の有無も不明。しかし、あの屋敷を出た私を
追跡中ということは、さっきの魔術師の仲間である可能性が高い。
シールダーの感知能力は決して高い物ではない。そのため、ここま
﹂
で接近されるまで気付かなかった。まあ、私が動転していたこともあ
るのだけれど。
﹁何あれ、子ども⋮⋮
いかけてきていた。
背後をちらりと確認すると、可愛らしいコスプレをした女の子が追
?
驚くべきことに空を飛んでいる。飛行は高度な魔術だ。現代の魔
術師では最高位に昇りつめた者でもそうそう飛行魔術を行使するこ
とはできない。
厳密に言えば飛んでいるのは銀髪の少女で、隣の黒髪の子は宙を駆
けている。魔法陣を足場にしているように見えるが、何れにしても高
度な術式だ。手にある玩具みたいなステッキも侮れない魔術礼装だ。
彼女たちが製作者だろうか。夢と希望とロマンが詰まっていそうだ。
見てくれは可愛らしいけれど、油断はできない。対話するにしても
場所を考えないとならない。住宅の屋根を踏みつけて、私は大きく跳
躍する。地上三十メートルまで飛び上がり、周囲を見渡してから目的
地を郊外の森に見定める。後は最大速度で住宅街を駆け抜ける。耳
元で風が鳴る。人の身体で出せる速度の限界を軽く超え、今や時速に
して百キロを越えた。
これだけの速度で真っ直ぐに進めば、郊外の森など瞬く間に辿り着
ける。木々の中に分け入って、私は取り返したクラスカードの中から
アサシンを選んで夢幻召喚する。
﹁うーん、すーすーするなあ﹂
何かおかしいと思ったら、声が舌足らずな感じになっていた。言葉
遣いの問題だろうか。それに服の露出度が高すぎる。上も下も一枚
だけだし。しかも紐パンだし胸も形がはっきりとしすぎていて恥ず
かしい。とはいってもアサシンは暗殺者。影に潜むのは専売特許だ。
私の姿がどうあれ、相手に見られなければ気にすることもない。草木
の中に潜み、気配遮断を実行する。これで、私を追跡することは限り
なく不可能に近くなった。
私を追いかけて森の中に入ってきた少女二人は、唐突に私を見失っ
て警戒心を露にしている。
引き込まれたことには気付いているのだろう。二人とも聡明だ。
﹁じゃあ、やろうか﹂
私は気配遮断をしたままで宝具の一つを開帳する。
ザ・ ミ ス ト
澄んだ森の空気が瞬く間に澱んだ黄色い霧に覆われていく。
暗黒霧都。 34
アサシンのサーヴァント││││ジャック・ザ・リッパーが暮らし
た時代の汚れに汚れたロンドンの大気を再現する宝具だ。かつて、ロ
ンドンを襲った深刻な大気汚染は硫酸の霧となって街を覆ったのだ
という。宝具となって神秘を上乗せした結果、これはただの視界不良
や呼吸器不全を引き起こす毒素といった要素のみならず、サーヴァン
トであっても方向感覚を狂わせるほどの効果を発揮するようになっ
﹂
た。それはまさしく壁なき迷宮であり、自由に動けるのは私と私が選
何なのコレ
んだ者だけだ。
﹁何
それって危ないヤツだよね
溶けちゃうよね
﹂
!?
込まれましたね﹄
﹁硫酸
!?
の霧の合わせ技はちょっとまずいですよ。相手の土俵に完全に引き
﹃間違いなくアサシンのクラスカードですねー。気配遮断にこの硫酸
まったく気配が掴めません﹄
﹃気をつけてください美遊様、イリヤ様。周囲をサーチしましたが、
私は却下する。今しているのは殺し合いではないのだから。
アサシンとしての冷酷で現実的な選択肢が脳裏に浮かぶ。それを
だ。
これが殺し合いであれば、真っ先にあの黒髪の娘を仕留めるところ
割をしているのは黒髪の娘と見た。
は経験の多寡か、それとも経験の差だろうか。二人のうち司令塔的役
動転する銀髪の娘に黒髪の娘が冷静な声音で言った。あの冷静さ
﹁動かないでイリヤ。宝具かスキル、だと思う﹂
!?
ハンカチ
口覆って
死んじゃう
!
﹂
!
思うけど﹂
﹁だめーーーー
!
体中を焼かれるような痛みが襲い、サーヴァントに対しても敏捷値を
肺まで焼け爛れて死に至るほど強力なものだ。魔術師であっても身
しかし、黒髪の子が言っているように、この硫酸の霧は常人ならば
からだろうか。大分取り乱しているようだ。
硫酸という小学生でも知っている危険物が目に見える形で現れた
!
35
!?
﹁落ち着いて、人体はそう簡単には溶けないから。焼け爛れはすると
!?
低下させるなどのデバフ効果がある。
﹁驚いた。本当に効いてないんだね﹂
私が話しかけると、二人はびくりと身体を震わせて周囲に視線を投
げかけた。
気配遮断と宝具で姿を隠す私の声は反響して、どこから聞こえてい
るのか分からなくなっている。今なら耳元で囁いても居場所を特定
玩具みたいだけど、魔術礼装として
されることはないし、ジャックちゃんの特性から霧の中なら先手を取
れる。
﹁そのステッキの力なのかな
は超一級品みたいだ﹂
﹁こ、声が⋮⋮﹂
﹁あなたは、何者ですか﹂
きょろきょろと忙しなく視線を動かす銀髪の子。確かイリヤと呼
ばれていたか。彼女とは異なり、黒髪の美遊と呼ばれた子は私に質問
わたしたち
を投げかける。
﹁ 私 が何者かなんて、自分が一番知りたいくらいだよ﹂
わたしたち
﹁それはどういう⋮⋮﹂
﹁むしろ、 私 としてはあなたたちの方が気になるな。その魔法少女
わたしたち
のコスプレも、とってもすごい魔術で作られたものみたいだし。それ
﹂
に 私 を追いかけてきた理由も教えて欲しいな。君たち、あのお屋敷
の魔術師の知り合いなんでしょ
﹂
?
わたしたち
美遊ちゃんの緊張が伝わってくる。汗をかき。心拍数も上がって
﹁そう。じゃあ、あなたが 私 をお屋敷に運んだんだね﹂
を見ていましたから﹂
﹁昨日の晩のことを言っているのなら⋮⋮私はあなたが戦ってる場面
聞いてみると、美遊ちゃんは小さく頷いた。
﹁ 私 が剣で黒い化物と戦ってたの、知ってる
わたしたち
できるかもしれない。それに、もしかしたら││││、
られるほどの力を持っているのなら、サーヴァントに対抗することも
いかけさせるというのはどうかと思うが、ジャックちゃんの霧に耐え
それはもう確信しているところだ。こんな小さな子どもに私を追
?
36
?
いる。呼吸も少しずつ荒くなっているようだ。霧の中で見えない敵
と会話をするというのは、かなりのストレスになっているのだろう。
それを今の私は如実に感じ取ることができている。
﹁あなたは夢幻召喚が解けた後で昏倒しました。放置することもでき
ないので、うちに運びました﹂
﹁そっか、救急車も魔術師なら呼べないよね。うん、助かったよありが
﹂
とう﹂
﹁え
﹂
美遊ちゃんは驚いて小さく声を漏らした。
﹁どうかした
に見かけることは度々あったから。
!?
﹁ッ⋮⋮﹂
とができるってことでいいのかな
﹂
﹁ところで、さっき夢幻召喚って言ったよね。君たちも、似たようなこ
りだ。魔術師には向いてなさそう。
喜怒哀楽のはっきりした娘だと思う。歳相応という表現がぴった
イリヤちゃんがとんでもないとばかりに叫んだ。
﹁人体実験って、そんなことしないよ
﹂
どうかは分からないけれど、路上生活の中でよろしくない人たちを夜
公園に放置されるのは、それはそれで辛いことだ。この街の治安が
きたんだ﹂
たんだけどね。変な人体実験とかされたら堪らないから慌てて出て
﹁助けてくれたことは事実だから。でも、 私 、気付いたら磔になって
わたしたち
﹁お礼を言われるとは思ってませんでしたから﹂
?
うか。世界は違うが考えることは同じだったのだろう。
知っている。偶然、同じ概念を私たちは共有していたということだろ
持ち主だったのだ。触媒はあのステッキか。クラスカードのことも
ヴァントの力を身体に降ろして圧倒的な戦闘能力を手に入れる力の
この街の異常事態もさることながら、この二人は私と同じくサー
その態度だけで私は確信する。
私の言葉に美遊ちゃんが警戒心を跳ね上げた。
?
37
?
そして、クラスカードの正体を知っているからこそ、私は拘束され
たに違いない。あれの危険性を熟知していれば、突然現れたクラス
カード使いからカードを取り上げるのは危険を取り除くという点か
わたしたち
らも理解はできる。
﹂
﹁ 私 が昨日戦ったサーヴァント。ああいうのがこの街にはよく出る
の
﹁⋮⋮ここ一月の間です﹂
﹁じゃあ、あれと普段戦っていたのはあなたたちなんだ﹂
返答はなく、美遊ちゃんは頷くことで肯定した。
﹁ふうん﹂
大人が戦わないのは気になるけれど、大まかなところは分かった。
この娘たちがサーヴァントの力を使えるというのも、あのシャドウ
サーヴァントが冬木に現れるようになったのが一ヶ月前というのも
重要な情報だ。それ以前にはなかったことということは、聖杯が一ヶ
月前││││つまり私がこの街で目覚めた頃に何らかの活動を始め
たのではないかと推測できる。
﹂
﹁うん、大体分かった。じゃあ、あなたたちと戦う必要はないね﹂
﹁え、戦わなくていいの
私を彼女たちが追うことはできない。周囲をしばらく捜索するだろ
だ。そう判断した私は音もなくその場から離脱する。気配遮断中の
とりあえず、もう一度あの屋敷の魔術師と話をしたほうがよさそう
ところだ。
おぼろげな記憶を頼りに今後の方針を練らないといけないのは辛い
てきてしまったことになるので私が回収して解決するのが筋だろう。
き起こしているというのならば、それはこちらの問題を異世界に持っ
確な答えはできない。ただ、聖杯がこの地に流れてきて異常事態を引
どういうことかと言われても、まだ記憶のはっきりしない私では明
﹁それは、どういう⋮⋮﹂
││だと思うし﹂
シャドウサーヴァントが出てくる原因を取り除くのが 私 の目的││
わたしたち
﹁い い よ、イ リ ヤ ち ゃ ん。多 分、あ な た た ち と 目 的 は 同 じ だ か ら ね。
?
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?
うが、私に繋がるものは何一つ見つけられないはずだ。
どうせ、また後で会うことになるのだけれど、今回はここまでだ。
この先の話は大人にすることにしよう。
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