7[再]・ヤノマミと異文化理解

7[再]・ヤノマミと異文化理解
2010.06.08. 青山・文化人類学
7[再]・ヤノマミと異文化理解
2010/06/08 - [2]
ヤノマミは理解しがたいのか?

確かに、おぎゃあと生まれているのに葉っぱに包んで見
殺しにし、白蟻に食べさせて、最後は巣ごと焼き払う、
という表面だけを見ると「理解しがたい」


それはなんだか、「自分たちの文化」からは遠くかけはなれたよ
うなイメージである
しかし「ねこ=漢方に基づく精力剤」という知識を入れ
たのと同様、「人工妊娠中絶の問題」という知識を背景
に考えてみると、どうだろうか?



人工妊娠中絶が「殺人」にならないのはなぜか?
22週未満の胎児が「ひとではない」のなら、母親が抱き上げてい
ないまだ精霊のままの赤ん坊が「ひとではない」のと、なにがど
う違うというのだろうか?
そもそも、どの時点から「ひと」になるのだろうか? それは文
化によるのだろうか?
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2010/06/08 - [3]
自文化中心主義/文化相対主義

自文化中心主義とは、自分の文化の基準で周囲をはかり、
自分と異なる点について、ヘンだ・おかしい・間違って
いる・劣っている・遅れている、などと判断する立場


それだけ聞くと、ずいぶんよくないスタンスのようだが、ひとは
誰でも成長過程で「自分の文化」を形づくっている以上、完全に
この見方を排除することは極めて難しい
文化相対主義とは、相手の文化も自文化同様しっかりと
した「体系」を持っており、そのひとびとの間で共有・
学習され、継承・ブラッシュアップされてきたものであ
るから、互いに尊重されあうべきものだ、と考える立場

それだけ聞くと、とてもすばらしいスタンスだが、これを実現す
るためには、i. 相手の文化を(コミュニケーションを重ねた上
で)きちんと認める、ii. 自文化を相対化・客観視(3次元的に眺
める)する、iii. 全体の中での位置を(自他ともに)把握すること
が必要であり、なかなか簡単に成し遂げられるものでもない
7[再]・ヤノマミと異文化理解
2010/06/08 - [4]
「真の(異文化)理解」の不可能性(1)

言語を媒介とするかぎりは、言語自体のもつ制約によっ
て、100%信頼できるコミュニケーションは行ない得な
い

ある語が指す内容について、話者Aと話者Bが想定する内容が一致
しているかどうかを確認する手段はない
語
内容A
A
内容B
B
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2010/06/08 - [5]
「真の(異文化)理解」の不可能性(2)


100%信頼できるコミュニケーションが成立しない以上、
対話に基づいて得られる理解には、常に誤解がどこかに
は生じている
では、どうせ誤解があるなら、面倒な思いをして対話し
なくてもいいのか?



だれかがそうしたスタンスをとることを止めることはできない
(文化相対主義の限界)
だからといって、みんながみんな対話をやめてよいとも思えない
……どうせ100点とれないから試験勉強はしない? 30点よりは
50点がましだから、ちょっとでもがんばる?
「理解できる」のではなく「理解しようとすることがで
きる」だけだが、「理解しようとする」のとそれを放棄
するのとの間には、大きな差がある
7[再]・ヤノマミと異文化理解
2010/06/08 - [6]
なぜ異文化を理解しなければならないのか

そのひとつの理由は「理解の相互性・相対性」に基づい
ている


もうひとつの理由は「知らなくてもいいが、知っていれ
ばよりよいことがあり得る」という点


理解(≒知ること)がコミュニケーションに基づくのだとすると、
その回路を一方的に閉ざすことは適切ではない
たとえば「方言」という文化を共有できるケースとできないケー
ス、どちらがよりシンパシーを得られるだろうか?
結局のところ、異文化理解は、他人への理解・他人との
コミュニケーションと似た次元にある
7[再]・ヤノマミと異文化理解
2010/06/08 - [7]
異文化理解-まとめ(1)
異文化理解とは「まあそれもありだろう」と認めるこ
とではない
異文化理解とは「やってみること」でもない
異文化理解とは、その行為や考え方の背景を理解する
ことである
1.
2.
3.
a.
b.
だから、ある意味、だれにでもできる(猫好きであっても猫食
は「理解」できる)
逆に、やろうと思わなければ、できない(簡単に流すことはで
きない)
異文化理解は(基本的には)ことばやコミュニケーシ
ョンを媒介として成り立つ
4.
a.
b.
だから、100%完全に理解することはできない(言語の限界)
自分のことば・自分の文化は、役立つとも言えるし、邪魔にな
るとも言える(基準点としての自文化 vs 自文化中心主義)
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2010/06/08 - [8]
異文化理解-まとめ(2)
異文化理解とは、つまるところ、全然知らない「異文
化」に対して働きかける不断のプロセスである
5.
a.
b.
全然知らない0の状態から、実現不可能な理想の100の状態をめ
ざして、0よりは10、10よりは30……の理解を続けていこうと
するひとつの〈プロセス〉である
「理解しよう」という動的 dynamic な〈プロセス〉であって、
「理解した」という静的 static な〈状態〉ではない
異文化理解は、個人としての他人の理解と似通ったも
のとしてとらえて、ほぼさしつかえない
6.
a.
他人を理解することは必要か? 他人を理解することは可能
か? という問いに対して、個々人がどういうスタンスをとる
のか、という問題と、本質は同じである