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阪神大震災特集第1部
坂口社長:
それでは、阪神大震災追悼特集の第1部を始めたいと思います。
第1部では、16年前に近畿中部防衛局、当時は、大阪防衛施設局
に勤務された田渕局長とお送りしたいと思います。
田渕局長は、今から16年前の当時、大阪防衛施設局で勤務され
ておられた時に阪神大震災に遭遇されたそうですね。
田渕局長: 阪神大震災が発生時の16年前、私は、大阪防衛施設局、現在の
近畿中部防衛局で勤務していました。地震が発生した時、私は、当時
単身赴任で、大阪府の枚方市に住んでいました。枚方市は、大阪市と
京都市のほぼ中間にあたる所であり、かつては京街道の宿場町でもあ
りました。
地震が、起こったのは、平成7年1月17日(火)5時46分、私は、
眠っていたのですが、枚方市でもかなり揺れ、目を覚ましました。
住んでいた単身赴任用の宿舎は、4階建てなのですが、2階に住んで
いました。この2階は、地震の揺れでビルやマンションに崩壊や亀裂
をもたらす現象、挫屈現象が生じやすいことを思いだしましたが、い
ざとなると頭の中では分かっていても即行動に移せないものだと実
感しました。
坂口社長:
田渕局長は、建築工学に詳しい方なのですね。
田渕局長:
大学院で建築工学を学びました。
坂口社長:
阪神大震災が発生した時は、どのような活動をされたのですか
田渕局長: 実際に大阪防衛施設局が所在する大阪合同庁舎第2号館において
も多数の窓ガラスの破損、天井・壁・柱のひび割れの発生等の被害が
生じました。また、地震発生直後の初動対応として大阪防衛施設局は、
中部方面総監部に対して自衛隊の災害派遣部隊に対する支援基地候
補地の情報提供を行いました。その後、私を含めて大阪防衛施設局の
関係職員は、護岸工事、隊庁舎、燃料施設等の自衛隊施設の被害復旧
の業務を全力で行いました。
また、2次災害防止のため被害状況を確認に行きました。
坂口社長:
阪神大震災による2次災害の防止のため自衛隊施設の被害状況を
確認に行かれたのですね。
田渕局長: 神戸市の東灘区の海上自衛隊阪神基地隊の被害状況を確認に行き
ました。東灘区も地震による被害が大きい所でした。阪神基地隊は、
幸いなことに人的被害はありませんでした。しかしながら、岸壁を含
む基地内の建造物の全てが地盤の液状化現象等のため使用不能にな
りました。液状化現象とは、地震の際に地下水位の高い砂地盤が、振
動により液状に成る現象を言います。
阪神基地隊のある本部は、水害直後のような状況で水浸していまし
た。また、岸壁には、亀裂がぱっくりと入り、グランドは陥没してい
ました。ひどい状況でした。阪神基地隊は、阪神大震災で大きな被害
を受けており、どのように復旧していくかが課題でした。
坂口社長:
ひどい状況だったのですね。
田渕局長: ひどい状況でした。海上自衛隊の阪神基地隊の隊員は、自らが被
災者でしたが、呉地方隊所属の護衛艦「みねぐも」、現在は、除籍に
なっている護衛艦ですが、この「みねぐも」の副長を長として、阪神
基地隊本部、護衛艦等の搭乗員からなる226名の陸上派遣隊を編成
して人命救助を行いました。資材はなく、手作業での救出活動をされ
たそうです。
陸上派遣隊は、8人を救出し、17遺体を収容したそうです。
坂口社長:
海上自衛官の方が阪神大震災時には、陸上で人命救助に当たられ
たのですね
田渕局長:
はい。人命救助の他に、給水、輸送艦による入浴支援、患者の搬
送、救援物資の輸送、岸壁の調査等も行いました。
坂口社長:
田渕局長は、被害のひどかった阪神基地隊の復興業務にも携わっ
たそうですね
田渕局長: 平成7年3月6日に大阪防衛施設局と阪神基地隊との間で、
「阪神
基地隊災害復旧プロジェクトチーム」が発足しました。このチーム
では、月1∼2回の会議を行い、被害復旧のための測量、ボーリン
グ調査等の現況調査、計画立案、財産管理、地元関係の問題点の把
握、全体復旧計画及び施設配置計画の作成等について討議・検討を行
い、阪神基地隊の復旧にあたりました。
坂口社長:
阪神大震災で被災した海上自衛隊阪神基地隊の復旧に深く関わら
れておられたのですね。
田渕局長:
はい。昨年7月末に、近畿中部防衛局長を命じられ、8月に15
年振りに阪神基地隊を訪問しました。阪神大震災の被害の面影はあ
りませんでしたが、復旧した阪神基地隊の諸施設、岸壁を見て、当
時のことが思い出されました。
坂口社長:
田渕局長、阪神大震災後に局長さん自ら応急危険度判定士を修得
されたそうですね。近畿中部防衛局広報誌2010年度版冬号の表
紙に大阪城が背景としてその中で田渕局長を中心に5人の方が手を
合わせている写真がありました。表紙の顔には、近畿中部防衛局職
員で応急危険度判定士の有資格者である田渕局長以下5名の近畿中
部防衛局の職員の方が紹介されていますね。
田渕局長:
応急危険度判定士は、阪神大震災後に認定制度ができました。応
急危険度判定は、大震災により被災した建築物を調査し、その後に
発生する余震などによる倒壊の危険性や外壁・窓ガラスの落下、付
属設備の転倒等による危険度を判定することにより、人命に関わる
2次災害を防止することを目的にしています。
判定結果は、赤色の「危険」、黄色の「要注意」、緑色の「調査済」
の判定ステッカー」に区分されて建築物の見やすい場所に表示します。
居住者はもとより付近を通行する歩行者にもその建築物の危険性を
情報提供しています。
坂口社長:
局長さんは、応急危険度判定士の資格をもたれているのですね。
防衛省・自衛隊の中にもおられることを初めて知りました。
田渕局長:
防衛省においては、応急危険度判定士の資格を持っている技官を
ハイチの自衛隊PKOに派遣しています。ハイチPKO2次隊の一
員として、1級建築士の資格を有する3名、そのうち2名の技官が、
応急危険度判定士の資格を保有しており、この技能を活用してハイ
チ地震後の国連関連施設の耐震診断を約1ヶ月の間に40棟を調査
しました。
その中の一人は、「国連側は耐震診断の技能を有する人材の確保に
苦労しているようで、我々は大変重宝され、行く先々で歓迎を受けた」
と帰国後に語っています。
このように防衛省の職員の応急危険度判定士は、国内のみならず
国外でも活躍しています。
ところで坂口社長、昨年12月にFMマザーシップが放送開始9周
年を迎えられ、私からもお祝いのメッセージをお送りさせていただき
ました。このFMマザーシップの創設は、阪神大震災がきっかけだっ
たと聞きました。
坂口社長:
はい。私は、直接阪神大震災の現場で活動は、していないのです
が、ひどい被害状況、多数の亡くなられた方々、被災者の方々のこ
とを考えると胸が痛みます。私にできることはなにかと考えました。
災害が発生した時に重要なのは情報の提供です。地元のコミニティ
放送として地元のために情報が提供できる手段としてFM放送を開
局しました。阪神大震災が契機となり、FMマザーシップが誕生し
ました。
田渕局長:
FMマザーシップは、地元の方々の防災拠点の一つでもあるので
すね。今年も田渕局長の防衛問答近中でござるでは、防衛省・自衛
隊に関わる様々なことを紹介したいと思います。
坂口社長: よろしくお願いします。今回は、阪神大震災追悼特集としまして
第1部では、田渕局長の回想と局長自ら保有されておられる阪神大震
災後に創設された応急危険度判定士等について紹介しました。またF
Mマザーシップが阪神大震災への思いから開局した思いも紹介させ
ていただきました。第2部では、田渕局長の下で防衛補佐官として勤
務している陸上自衛官の方が、16年前に阪神大震災の現場で活動さ
れたそうなので、実際の災害派遣の現場、当時の思いなどを紹介して
いただきたいと思います。