仙川の冬鳥を探そう No.67 2015年3月

本紙カラー版を http://www.setagayatm.or.jp/trust/pub/pdf/tn67.pdf にてご覧下さい。
トラストネットワークはボランティアが皆様の声や情報をお届けするミニコミ紙です。
( 一財 )
No.67
冬のバードウオッチング
2015年 3月
カ ルガ モ
仙川の冬鳥を探そう
1 月24日(土)午 前 9 時 半 か ら 都 立 祖
師 谷 公 園 の 「 子ど も の 遊び 場」に 親
と 子 ど も た ち で48名 が 集 ま り 、 財 団
主催の「冬のバードウオッチング」
が 開催されました。
は じ め に 「 世 田 谷 ト ラ ス ト ま ち づ
く り 」 の 挨 拶 が あ り 、「 野 鳥 ボ ラ ン
ティア」より進行全体の説明ととも
に班に分かれ、観察を始めました。
ご 存 知 の よ う に 仙 川 は 両 岸 と も コ
ン ク リ ー ト 壁 の 河 川 で す が 、過 去 の
観察から野鳥に適したところです。
し ば ら く 行 く と 川 岸 で 餌 を つ い ば
んでいるカモを見つけました。頭や
胸のところが赤っぽいので、ヒドリ
ガモと名づけられたそうです。
親 子 が い っ し ょ に 歩 道 の 柵 か ら ヒ
ドリガモを見つけました。緋色の頭
と胸の部分を見つけていたのです。
「 ピ ュ ー イ 」 と 口 笛 に 似 た 声 で 鳴 き
ます。川岸に上がって餌をついばん
でいました。 ヒドリ ガモ
仙 川 沿 い の 歩 道 か ら 双 眼 鏡 を 通 し
て冬鳥の姿を観察することが出来ま
した。
区 内 で 一 年 中 み ら れ る カ ル ガ モ は
仙川でも繁殖した子連れの姿をよく
見ることができます。
6 7号の目次 冬のバードウォッチング・・・1
日本サクラソウ植込み・・・・3
成城 xトラスト 合同イベント ・・4
せたがや散歩道・・・・・・・6
かわらばん・・・・・・・・・8
仙 川 の 歩 道 左 岸 か ら 「 せ き れ い
橋」をわたってワシントン桜の花見
広場から「鞍橋」を通りました。
ま も な く 成 城 九 丁 目 に あ る 、 中 州
のせせらぎの流れのところにオナガ
-1-
ガモがいるのを見つけました。逆立
ちしながら水中の食物をさがしてい
当日見ることが出来た野鳥
る姿をよく見ることができました。
カルガモ
ハクセキレイ
ヒヨドリ
ヒドリガモ
セグロセキレイ
ムクドリ
オナガガモ
モズ
メジロ
コガモ
ハシボソガラス
ツグミ
カワウ
ハシブトガラス
アオサギ
シジュウカラ
オナガガモ
冬 の 鳥 と 言 え ば 大 部 分 が 渡 り 鳥 で
す 。10月 頃 来 て 、4月 頃 去 る 鳥 が 多 い
「 大 石 橋 」 か ら 右 側 の コ ー ス に わ た
りました。それから成城幼稚園前の
「さくら橋」を通って、祖師谷三丁
目公園に午前11時頃到着しました。
ようです。どこから来てどこへ去る
のか、どこまで分かっているので
しょうか。興味尽きない問題です。
資料
親 と 子 ど も た ち 全 員 が そ ろ っ て か
KEYBIRD50 (財)世田谷トラスト協会 ら各グループにわかれて鳥あわせの
KEYBIRD66 (一 財 )世 田 谷 ト ラ ス ト ま ち づ く り まとめをしました。
鳥 あ わ せ で
今日見た鳥を
皆で確認して、
その鳥名を表
にまとめまし
コガ モ
た。その一部
を下表に示します。最後に
参 加 者 か ら 感 想 を 聞 い て11時 半 に 解
散となりました。
参加者との交流
-2-
フラワーランド園芸講習会
日本サクラソウの植込み
2 月 9 日(月)午 後 1 時 半 か ら フ ラ
ワーランドのログハウス2階の教室
で表題の講習会が開催されました。
当 日 の 参 加 者 は 1 9 名 、 肌 寒 い 日
でウィークデイのためか子どもの参
加者はありませんでした。「サクラ
ソウの植込み」講習会に初めて参加
した方が7割前後でした。
ま ず 最 初 に 自 分 が 会 場 で 植 え 込 む
サクラソウの芽を選びます。テーブ
ルの上にサクラソウの登録番号、品
種名、花の色と特徴が記載された一
覧表が置かれていて、受付を終えた
順に袋に入った芽を選びます。これ
が難しいのです。
資 料*に よ れ ば 、 花 の 色 の 表 現 と し
て「無地」は紅色で白や紫が混じっ
ていないもの、「目白」は紅色の花
の真ん中に小さな白い丸が出来てい
とき べに
るものとあります。ところが「鴇紅
は け め め じ ろ
絞り目流れ」とか「刷毛目目白」な
どは言葉とイメージが結びつかず、
主催者側の担当者も説明に困ってい
るようでした。ほとんどの受講者は
分りやすい紅色系
の花の芽を希望し
たため、その配分
にも担当者は苦労
していました。
受講者の前の
テーブルの上には
鉢、用土(赤玉土、
腐葉土を混ぜたも
の)、肥料等が並べ
られていて、講師
の説明の後に植込
みが開始されまし
た。最初にごろ土
を鉢底に並べ、用
土を入れて肥料を
ばらまき、さらに
用土で覆います。
そこへサクラソウの芽4個を巴形に
並べ、その上に用土をかぶせて作業
は完了です。
そ の 後 植 込 み 後 の 管 理 と し て 、 水
を き ら さ な い こ と 、6月 以 降 の 休 眠 時
期には肥料はやらないこと、根が地
上に現れたら、その上に土をかぶせ
る こ と(増 し 土 と い う)等 の 説 明 を し
て講習終了としました。
す る と 何 人 か の 受 講 者 か ら 「 増 し
土」用の土を分けてもらえないかと
の要望が出ました。担当者の了解に
より希望者が増え、念のため、多め
に準備した用土があっという間にな
くなりました。今後の講習会の参考
にもなることでしょう。 * 資 料 「色分け花図鑑 桜草」鳥居恒夫著
-3-
“成城学園都市 90周年X世田谷トラスト 2 5周年 合同イベント”
猪 股 庭 園 に 着 く こ ろ に は 交 通 量 も
減り、参加者もゆとりをもって歩け
るようになりました。恒例のお雛様
の展示はまだでしたが、中も少し見
学して、次は国分寺崖線にある成城
みつ池緑地へ。ここは十一山(じゅ
ういちやま)と呼ばれていた場所だ
そうで、現在は緑地保全地区として
トラストボランティアによって管理
されていて、普段は入ることができ
ませんが、ゲンジボタルも生息する
貴重な生き物たちのサンクチュアリ
になっているそうです。
そ の 後 は 、 世 田 谷 区 で 買 い 取 っ た
2月15日(日)午前10時~
成城まちなかガイドツアー
成 城 学 園 前 駅 を 起 点 と し た 2 時 間
弱のまち歩きが行われました。
参 加 者 は 定 員 い っ ぱ い の30名 。 は じ
めに配られたテキストには、成城の
まちの成り立ちや、失われた近代建
築の詳細、トラストが管理する猪股
庭園や成城みつ池緑地の紹介などが
詳しく掲載されていました。
成 城 自 治 会 と 成 城 の 商 店 会 の 方 が
ガイドとなり駅前を出発、まず駅近
辺の建物やそこに住んでいた人物の
紹介等がありました。
成 城 学 園 の 学 園 町 と し て 開 発 さ れ
たこの町の発端は、大正6年に東京
市 牛 込 区(現 在 の 新 宿 区)原 町 に 私 立
成城小学校が開設されたことにあり
と い う 旧Y邸 ( 整 備 後 公 開 予 定 ) を
ま す が 、 そ れ が 大 正12年 の 関 東 大 震
災を契機に総合学園建設の決断に至
り、その候補地として東京府下北多
摩郡砧村喜多見、つまり現在の成城
の地が選ばれたことによるそうです。
当 時 の 成 城 は 、 雑 木 林 と 背 丈
より高い草が生い茂り、家は
一軒もないさびしいところで
あったとか。電気も水道もな
いところから生活をはじめた
そうです。また今も残る成城
外から見学、不動橋を通って、こも
れびの庭市民緑地に移動しました。
ここには3本の大きなヒマラヤスギ
があり、「成城のまちづくりで、洋
館にはヒマラヤスギが3本用意され
た」という話の、現存する杉の姿を
見ることもできました。
ス タ イ ル(隅 切 り さ れ た 道 路 際
の私有地の形、統一された大
谷 石 の 土 台) の 話 や 、 自 生 し て
いた樹木を宅地に残した話か
らは、住人のまちづくりへの
関心の高さが感じられました。
街中の要所での説明
-4-
2月15日(日)午後1時~
シンポジウム(砧総合支所成城ホール)
会 場 に 入 る と 、 周 囲 の 壁 に は 写 真
や資料の地図などが張られており、
広いホールには大きめのテーブル
1 6卓 が 配 置 さ れ て い ま し た 。 参 加 者
は到着順に空いた席に案内されます。
定 刻 の13時 に 開 会 。 ( 一 財 ) 世 田
谷トラストまちづくりの春日敏男理
事長の開会の挨拶があり、続いて成
城自治会の羽田宏会長、保坂展人・
世田谷区長が、このイベントの趣旨
や意図の説明とともに、宅地の細分
化や緑の減少など世田谷区や成城地
区がかかえている問題はあるが、こ
れまで住民が守り続けてきた豊かな
自然や街の良さを次世代へしっかり
受け継いでいきましょう、と話され
ました。
次 に 、 成 城 の ま ち の 簡 単 な 歴 史 が
紹介されました。(4ページ参照)
成 城 自 治 会 は 法 人 格 を も っ た 珍 し
い町会で、町会の創設当時に作られ
た 「 成 城 憲 章(申 し 合 わ せ)」 を 基 に ま
ちづくりをしており、90周年の現在、
誕 生1 0 0年 に 向 け て 、 「 成 城 ビ ジ ョ ン
2 0 1 4」をまとめているそうです。
世 田 谷 ト ラ ス ト ま ち づ く り 財 団 に
ついては、浅海課長か
ら 、 25年 前 の 平 成 元 年
( 1 9 8 9年 )4 月 に ト ラ ス
ト協会が設立され、区
の外郭団体が運営する
ユニークなトラスト運
動をする財団として活
動してきました。設立
当 初 1 0 0 0名 余 だ っ た 会
員 が 2 0 1 4年 に は 5325名
に達しており、活動場
所 も 区 内 に49箇 所 あ る と 報 告 さ れ ま
した。そして、現在は「エリアマネ
ジメント」という考え方により、
「地域共生のまちづくり」を世田谷
区全体のまちづくりに活かしていき
たいという抱負も語られました。
14時 少 し 前 か ら は 、 第2部 の 「 交 流
会-成城の魅力を語り合おう」に移
りました。初対面のテーブルのメン
バーが、自己紹介をしながら成城の
こと、自分の住んでいる街の話など
を語り合ううちに、すぐに予定の時
間が過ぎてしまいました。
休 憩 を は さ ん で 、 千 歳 小 学 校 の 吹
奏楽団の特別演奏がありました。コ
ンクールで優秀な成績を収めている
だけあって、ダイナミックな演奏で
会場からは大きな拍手が何回も起こ
りました。
最 後 は 「 あ な た の 好 き な ・ 残 し た
い 成 城 の 風 景 コ ン ク ー ル2014」 の 表
彰 式 で す 。 応 募 総 数162点 の 中 か ら
選 ば れ た32点 の 作 品 が 表 彰 さ れ ま し
た。審査をされた東京農業大学の金
子忠一教授は講評で「自然や文化の
継承の重要さと難しさ」を語ってく
ださいました。
-5-
千歳小学校吹奏楽団
史跡の散歩道(1)~喜多見ルート~
喜多見氷川神社( 喜 多 見4-26-1) 世田谷百景
今 か ら 千 年 以 上 も 前 に 創 建 さ れ た
と伝えられている神社です。喜多見
の領主は「江戸」の姓を名乗り、現
在の皇居の地に館を構えていたとい
われていました。
徳 川 家 康 が 江 戸 に 入 っ て か ら 江 戸
の姓を「喜多見」と改め五代将軍綱
吉の御用人までなりました。
現 在 の 本 堂 は 享 保 元 年 (1716年 )
に再建されたもので、現存する区内
寺院の本堂では最古の建物といわれ
ています。墓地には江戸氏追善の塔
があります。
参道をぬけて本堂風光る
稲荷塚古墳(喜多見4-4)
慶元寺の梵鐘などを見学してから、
鬱そうと茂る杉木立の参道を抜けて
左折すると、間もなく稲荷塚古墳で
す 。 区 の 史 跡 と し て 直 径 13m 、 高 さ
2 . 5m の 円 墳 で 、 周 囲 を 約2.5m の 円 濠 で
2 月 3 日 の 節 分 に は 「 鬼 問 答 と 大
黒様の舞」が行われ、貴重な民族芸
能文化財として奉納されています。
遠きより仰ぐ大樹や鳥帰る
慶元寺 (喜多見4-17-1) 世田谷百景
氷 川 神 社 に 隣 接 し て 慶 元 寺 が あ り
ます。杉並木の参道を行くと「永劫
山」の額を掲げた山門があります。
室町時代の中頃に江戸氏の木多見
( 今 の 喜 多
見)の移転に
伴って氏寺も
この地に移り
ました。
囲まれていました。
上 の 方 に 小 さ な 祠 と 石 碑 が あ り 、
内部は横穴式で、凝灰岩切石で羽子
板状に構築
されていま
す。出土し
た副葬品は
資料館に収
蔵されてい
ます。
うららかやカーブミラーに雲流れ
須賀神社・第六天塚古墳 (喜多見4-3)
須 賀 神 社 は 「 大 樹 ・ 名 木 コ ン ク ー
ル」に入賞したムクノキと巨木のケ
ヤキに守られ、古墳と思われる盛土
の上に築造された神社です。
-6-
「 須 賀 神 社 の 湯 花 神 事 」 は 区 の 無 形
民俗文化財に指定されています。こ
の神事は、例大祭の8月2日に行わ
れます。社殿前に据えた大釜で湯を
沸かし、笹の葉で湯を周りに振りか
ける行事です。この湯がかかると一
年間病気にならないという浄め祓い
の行事になっています。
祭 事 に 使 う 道 具 等 を 格 納 し た 小 屋
の奥の竹林内には、区指定史跡の第
六天塚古墳(未整備)があります。
念仏車と庚申塚(喜多見7-8)
区 立 滝 下 橋 緑 道 の 近 く に 筏 道 と 喜
多 見 中 道 の 出 会 う 所(喜 多 見7-8)の
すこし手前に念仏
車といわれる高さ
1.5m ほ ど の 碑 が
立っています。
こ の 車 を 回 し な
がら念仏を唱えて
無事安全を祈った
ことでしょう。
中 国 で は よ く 見 か け ま す が 日 本 国
内では珍しいと思います。
いつの間に春の土つく靴の先
参考資料
・「せたがやの散歩道」
世田谷区長室広報課昭和55年3月発行
・「せたがや百景」世田谷区
・「せたがやの古道」世田谷区
交通案内
氷川神社:成城学園前駅から二子玉
川駅行きのバスで、次太夫堀公園前
下車10分
慶元寺:同上
稲荷塚古墳:同上
-7-
いきものさんぽ
トラストネットワーク No.66 を読んで
Ÿ
秋の自然観察会(柳澤の杜市民緑地)
冨 田 講 師 を 囲 ん で の 観 察 会 、 よ く
燃 え る ヨ モ ギ 、 サ ン シ ュ の シ ミ は 葉
裏の黒い毛のせい、梅と杏のちがい
等面白い話が盛り沢山でした。
Ÿ 「 世田谷の “まちの成り立ち” と近代建築」 展
旧 小 坂 家 住 宅 内 で の 企 画 展 。 明 治
24年 以 降 の 軍 事 施 設 の 移 転 。 関 東 大
震災後に浅草、築地、麻布の寺院が
北烏山への移転を経て、昭和初期ま
での時代の流れが伝わってきます。
Ÿ せたがや散歩道 水際の散歩道(2) ~仙川ルート~ 成城学園前駅から
の 川沿いの散歩は楽しそうでした。
竜 沢 寺 橋 ~ 打 越 橋 ~ 仙 川 (千 釜 か ら
の湧水との由来)~石井戸橋~メタ
セコイアの大木~春のイチリンソウ
とサクラが楽しみです。大蔵公園下
の湧水~石鳥居と祠~ざとうころが
しの道など、冬晴れや・・・の俳句
がコースに写真と共にマッチしてい
ました。いいコースですね。
Ÿ いきものさんぽ
彩草会
ジンチョウゲ(沈 丁 花 )
ジンチョウゲ科
常緑樹 で
花期は 3-4 月
芳香で 春の訪 れ を
感じさ せて
くれま す
編集後記 前号(66号)編集後記欄に
植物「シモバシラ」についての記事が
載 り ま し た 。 そ の 後 1月 中 旬 に テ レ
ビでも二、三回放映されました。季
節的に興味ある話題のようです。
冬の高尾山で見られるようですが、
世田谷区内のフラワーランドでも見
ることが出来ます。気温が氷点下の
日が少ないと、美しい氷の花が見ら
れる機会が少ないようです。そこへ
は毎年のように写真を撮るために見
える方もいるようです。
アメリカヒイラギの白い花は清純、
赤い実はキリストの血、刺は苦悩を
表わすとは…納得です。
Ÿ フラワーランド秋の花まつり2014
ス タ ン プ ラ リ ー の 盛 況 、 各 イ ベ ン
トの様子がよく分かり、楽しく過ご
せるように工夫された方々の努力を
垣間見ることが出来ました。
フラワーランドで見つけたシモバシラ
6 7 号作成 に関わったメンバー 大泉定雄 片寄正史 北畠明子 須永澄子
高梨麻実 田澤與光 野武一郎 宮下正雄
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