え ど 第 回 保十三年︵一八四二︶の夏、お母さんの死 天 という悲しい出来事を少しでも癒やそうと開導 聖 人は、住み慣れた京都の町を離れ、当時の文 化 や 学 問 の 中 心 で あ っ た 江 戸︵ 東 京 ︶ に 遊 学 その遊学の様子をお話しするね。 る こ と ︶ さ れ る こ と を 決 意 さ れ た ん だ。 今 回 は ︵ 故 郷 を 離 れ、 よ そ の 土 地 や 国 へ 行 っ て 勉 学 す ゆう がく 江戸へご遊学 と︶で島田家の二階で寝込まれるんだ。は じめは軽い夏バテと思われていたんだけど、 次 第 に 病状 が 進み、重態 と な っ て し ま っ た んだ。 お 医 者 さ ん は、 ﹁これはダメかもしれん な﹂というんだ。周 り の 人 々 は こ の 言 葉 に 青年部会冬の研修会を開催 皆さん気持ちの入ったお 日の研修会の甲斐もあり、 看経ができていました。 がり、各々何か良いもの し、そこから五分程の奥 朝参詣、朝食終了後は 沢山飛び交い大変盛り上 荷物をまとめて宿を後に 講義受けカニすキーを楽しむ 南大阪布 を得られたのではないか 神鍋スキー場へ行き、ス 去る二月二十一日、二 と思います。 キーやスノーボードを一 十二日の一泊二日、南大 その後、近くにある温 日たっぷりと楽しみまし 阪布教区青年部会行事・ 泉へ行き疲れを癒し、宿 た。初めて滑る人もおり、 が開催されました。 ました。焼き蟹、蟹しゃ ました。その後、参加者 冬の研修会﹁カニすキー﹂ へ戻り蟹料理をいただき とても良い交流にもなり ただきました。 行事の内容は、まず一 ぶ、蟹雑炊など数々の蟹 全員が無事に帰宅し、行 日目の朝に寺院ごとに圓 づくし料理に大変感動し 事は無事に成就させてい 妙寺へ集合。そこから全 美味しかったです。 員で兵庫県豊岡市の神鍋 二日目は、早朝に宿で 今回の研修会は年齢層 高原にある権兵衛という 朝参詣をさせていただき も全員十代、二十代とと 宿泊先へ移動しました。 ました。宗外者の方も含 ても若く、また宗外の方 その後、近くの道の駅 め参加者皆さんにご祈願 が複数おられ、皆さん楽 の会議室にて研修会をい を紙に書いていただき、 しそうで活気があり、各 〒604-0847 京都市中京区烏丸通二条下ル秋野々町518番地 たしました。内容は、参 御講師に言上していただ 々何か良いものを得て帰 株式会社 写真化学 大変 心 配 したんだ。だけど開導聖人は不思 喜んで承ります。 加者皆が輪になって自己 きました。宿で早朝とい っていただけたのではな ビデオ・ホームページ制作まで。 議にも危機を脱し回復されるんだ。 デザイン印刷から こ れ ま で 長旅 を し た こ と の な か っ た 開 導 聖人にとって江戸に向 かう道中は、すべて ︵鶴松寺・古澤幸祐記︶ 紹介から始まり、和んだ う事もあり、あまり大き いかと思いました。 憩もはさ 京都 大阪 東京 名古屋 ところで御牧現義参与御 な声は出せませんが、前 み約三時 URL.http://www.shashin-kagaku.co.jp こ の 病気 を 機に 、 二 年 で 江 戸 の 遊 学 を 打 ち切り、京都に戻ることになったんだよ。 講師に本 門佛立宗 の宗旨と 他の宗旨 との違い 等、その 他、信行 体験談も ︻ 文 政 十 三 年︵ 一 八 三 〇 ︶、﹃ 平 安 人 物 誌 ﹄ と 間、とて 踏まえ休 い う 当 時 の 文 人 名 鑑︵ す ぐ れ た 学 芸 者 の 名 も分かり TEL.075-254-7724(代表) FAX.075-251-0232 が 新鮮 で、何 も か も 珍 しく、興 味 を 引 く も ︵つづく︶ ※佛立開導日扇聖人物語・第2回︵平成二十七 年 二 月 号 ︶ で、︻ 文 政 九 年︵ 一 八 二 六 ︶ 、 ﹃平 安人物誌﹄という当時の文人名鑑︵すぐれた 学芸者の名簿︶の書︵書道︶と画︵絵画︶の 部 に、わずか十歳で、お名前が掲 載された仙 二郎 少 年︵開導 聖 人︶︼とありましたが、文 政九年に﹃平安人物誌﹄は発行されていない 簿 ︶ の 画︵ 絵 画 ︶ の 部 に、 わ ず か 十 四 歳 で、 やすく教 ことが分かりました。ですから、 お名前が掲載された仙二郎少年︵開導聖人︶ ︼ だきまし えていた と訂正させていただきます。よろしくお願い いたします。 た。 参加者 の中には 宗外の方 が複数い ましたが、 とても真 剣に聞い て い て、 大変嬉し どうです このカニのうまそうなこと! のばかりだったんだ。 だから京都から江戸への長旅もとても短 く 感じ ら れ 、 お 母 さ ん の 死 と い う 悲 し み も 次第に和らいでいったんだ。 二 十 六 歳 江 戸 に 着い た 開 導 聖 人 は 島 田 と い う 家の二階 で 暮らし始 め た ん だ 。 こ の ﹁ 島 田 ﹂ と い う 家 は、 京 都 の 開 導 聖 人 の 実 家︵ 大 路 家 ︶ の 本 家 ︵ 一 族 や 一 門 の 中 心 と なる家︶だったんだ。この本家の島田家は 二千五百年以上の昔、中国の孔子という人 が立てた教えで、特 に 人 の こ と を 思 い や る 当時、大 名 の 出入 り す る よ う な 大 き な 商 家 ︵商人の家︶だったんだ。 仁という心を大切にしているんだ。日本に 侍 を中心に広がっていたんだね。 も 千 五 百 年 前 に 伝 わ り、 江 戸 時 代 に は お 学 問 や 芸術 に 打 ち 込 ん で い た 開 導 聖 人 の 江戸の旅の目的は、お母さんの死の悲しみ を 癒 や す こ と と 、 良 師︵ 良 い 先 生 ︶ を 求 め と は 無 か っ た ん だ 。 そ こ で 慊 堂 の 高 弟︵ 弟 で も 慊 堂 は す で に 七 十 二 歳 の 高齢 で、病 気 が ち で あ っ た の で 直 接 に 教え を 受 け る こ や が て 開 導 聖 人 は 、 大 儒︵ す ぐ れ た 儒 学 者 ︶ と し て と て も 有名 だ っ た 松崎 慊 堂 の 門 子 の 中 で も 特 に 優れ た 者 ︶ で あ る 海 野 与 助 ての旅だったんだ。 人︵ 弟 子 ︶ と な っ た ん だ 。 儒 学 は 、 今 か ら からいろいろと教えを学んだんだ。 京都から江戸の長旅を興味津々と歩まれる開導聖人 開 導 聖 人 は﹁ 松 崎 慊 堂 ﹂ の 門 人 と し て、 慊 堂 の 深 い 知 識、 そ し て 主 義・ 主 張 を 守 り 等、とても多くのことを学ばれたんだ。 く思いま した。質 パンフレット・機関紙・寺史・社史の 2支 疑応答も 美味しいカニづくしを前に皆のテンションも上がる 奥神鍋スキー場で思い切り楽しみました 島田家の二階で病床につく開導聖人 師の海野与助もお見舞いに訪ねられた「清風 一代記略図」・御自画伝・扇全5巻186頁 松崎慊堂宅地跡 の表示 4 とおす姿、またウソのないゆたかな生き方 松崎慊堂 (1771年∼ 1844年) 江戸時代後期の儒学者 二 十 七 歳 江戸遊学の二年目の夏。暑気 あたり︵夏の暑 さ の た め に 身 体 を こ わ す こ 現在の松崎慊堂宅地跡 平成 27 年4月1日 水曜日 (毎月 1 回 1 日発行) (8) 聞 新 立 佛 第 6 6 4 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
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