的なホスピタリティー - 小松左京ライブラリ

『SF一家のネコニクル』第5回
~ゲバ猫チャオの『牙の時代』~
まるで文学青年のような線の細いピューが、その短い一生を終えた直後の1970年代初頭に、汚い、
臭い、凶暴、三拍子そろった小松家ネコニクル史上最悪の大魔王が降臨します。小松左京のエッセーに
もしばしば登場するゲバルト猫のチャオです。
後にも先にもこんな猫は見たことありません。身体つきは、哺乳類というより両生類の大サンショウ
ウオを思わせるもので、四肢は体からすっと伸びるのでなく、いったん両脇にはみ出してから下に伸び
るようでした。まあ、脚4本すべてがガニ股というわけです。昔、
「スペース1999」と言うSFドラ
マがありましたが、あれに出てくる宇宙船のイーグル号にそっくりでした。あれに猫耳つけた感じです。
そして面構えですが、漫画「がきデカ」の主人公こまわり君のように頬っぺたがブーと膨らみ、その上、
眼つきがジェイムズ・ギャグニー演じる冷酷非情なギャングを思わせるものでした(まあ大阪のミナミ
では出くわしたくないタイプの顔です)
。
チャオに関するエッセーをちょっと引用してみましょう。
蚊がはいるから、足で外へ押し出そうとすると、よほど虫の居所が悪かったのか、私のむき出しの脛
にがぶりとかみついた。そのあまりの情容赦なさに、思わずギャアとわめいて脚をふってふりはなし、
拳固でなぐりつけようとすると、その腕にパッととびつき、前脚でしっかりかかえこんで、ぎりぎり牙
をくいこませ、後脚の爪で顔を蹴ろうとする。床にがつんとたたきつけたが、それでひるむ所か、おそ
ろしい唸りをあげて何度でもおそってくるのである。
「ネコの喧嘩(ゴロマキ)
」(「犬も犬なら猫も猫」収録)より
サル目、真猿亜目、狭鼻下目、ヒト上科、ヒト科に属する小松左京は、食肉目、 ネコ亜目、ネコ科、
ネコ亜科、ネコ属のチャオと、それぞれの種の尊厳をかけ本気で戦ったのです。
凶暴化したペットの猫が突如襲いかかり、流血の惨事となった恐怖の夜。
しかし、小松左京は、この事件が実際に起きる前に、予言的な物語を書いています。
それは、1971年にSFマガジンで掲載された『牙の時代』
。
環境破壊により、魚や、蜂など、様々な動物が恐ろしいほどに凶暴化し人間に襲いかかる、SFホラ
ーです。
しかし、釣り上げた溪流魚が、人間におそいかかるなどという話は、釣りのほら話は数多く知ってい
たが、ついぞきいた事はない。だが、そいつは、本当に再度攻撃してきたのだ。第一撃をかわされた怒
りをこめて、私の腹の上で体をくねらせると、私の顔へめがけて--眼か、鼻か、耳か、とにかくそこ
らへんに食いつこうと、ガッと口をあけて跳躍した。私は体をころばせながら、悲鳴をあげて腕でやつ
をはらった。そこは体重の差で、やつの体は銀色に光って横にはねとんだ。
『牙の時代』より
いかがでしょうか?猫と魚の違いこそあれ、醸し出す恐怖の雰囲気は瓜二つです。
さて、この惨劇には目撃者がいました。まだ小学生だった小松左京の二人の息子です。
夏の暑い日のことでした。夕飯をすませた子供たちは、茶の間で寝そべりながらテレビを見ていまし
た。母は出かけていたので、思う存分だらけることのできる、最高の夜です。見ていたのは戦争映画の
名作「眼下の敵」
。Uボート艦長は、駆逐艦艦長に追い詰められ、駆逐艦をやり過ごすために海底で息を
ひそめます。しかし、いったんは去った駆逐艦が、グングンと機関の音を響かせながら舞い戻ってきま
す。爆雷攻撃が開始されるのか?Uボートの乗組員は、緊張した面持ちで上方を見つめます。
ドドドドド!大音響。ついに爆雷攻撃がはじまった。いや、その音はテレビとは違う方向から…
「ウーウォオー!」という、今まで聞いたことの無い叫び声とともに、何かが近づいてきます。茶の
間から音のする廊下を見ると、巨大な白いものが、左から右へと猛スピードで移動してゆき、その後を、
なにか小さなものが白い矢のように追ってゆきます。
一瞬の静寂後、再び響き渡る雄叫び。さっきと反対に、右から左へと小さな白いものが駆けてゆきま
す。
小さな白いものの正体は、チャオ。どんくさいイメージのあの馬鹿ネコが、思いきり姿勢を低くし、
耳を後ろにピッタリと寝かせ、頭から尻尾の先まで、まるで一本の矢のようにまっすぐに走り抜けてい
きます。その後を追う小松左京は、白いシャツに白いブリーフ姿。はだけた浴衣は辛うじて帯でとめら
れ、もはやフラダンスの腰ミノ状態。その浴衣を後ろにたなびかせながら、何やら灰色の槍のようなも
のを頭上にかかげ「野郎!ぶっ殺す」の雄叫びをあげながら全力疾走してきます。
その姿、SFアートの第一人者、生賴範義先生が、小松左京の『ゴエモンのニッポン日記』のために
描いた、素っ裸の小松左京そっくりです。
もっとも、中には、生頼さんにギャボッ!
といわされた絵もあって、それは角川文庫の『ゴエモン
のニッポン日記』のカバーなのだが、まさか生頼さんにあんなセンスがあるとは思わなかった。それま
でゴエモンを描いてもらったイラストレーターの中で、一番おトロしいゴエモンの顔がマンガタッチで
表に描かれていて、それはいいのだが、裏の方に、何とも小生がすっ裸で、そりゃ拙[せつ]も風呂は
いる時はハダカになりますがね、そのかわりわが家の風呂場にはでかい鏡はおいてない。スタコラ逃げ
てる姿がま横から描かれている。ま横から描いた所がニクたらしい所であって、これがまた本人以上に
本人に似ているため、その後次第に本人が、その絵に似て行くのではないかという妄想にとりつかれる
ほどであり、
『“ドカッ”と私の前にあらわれたプロSF画家(
『月刊スターログ』収録)より
小松左京、本人すら見たことのない、スタコラ走る姿を真横から見て、それが本人以上に本人に似て
いる!
さすが生賴先生です。
実際に走る姿は本当に、生賴先生の描かれるとおりでした(目撃者談)。
どうも小松左京は全力疾走するとろくなことが無いらしく、テレビの特番で黄河を取材した際に、な
ぜか現地でラグビーをして、全力疾走でこけて小指を骨折しています。
極めつけは新大阪駅でのこと。ある日、
『日本沈没』を凌ぐほどの大傑作のアイデアを思いつき、あま
りの凄さに興奮し、そのことばかり考えていると、新幹線の発車時刻。発車のベルが鳴るなか慌てて階
段を駆け上り、かろうじて車内に滑り込みヤレヤレと安心した瞬間、その空前絶後のアイデアは綺麗さ
っぱり消えていたそうです。そんなことあるかと思うのですが、それから一切出てこなかったと言って
いました。全力疾走した際に新大阪駅のホームに落としてしまったようです。新大阪駅の上りホームを
利用する機会があれば、ちょっと周りを見回してみてください、小松左京が大傑作だと言っていたアイ
デアがころがっているかもしれませんよ。
さて、少々脱線しすぎました。
何が起こったかを解説します。
最初は、チーターがシマウマを襲うかのようにチャオが小松左京を追い、その後、槍(実は掃除機の
柄の部分です)を手にした小松左京が、まるで狩人が獲物を狙うかのようにチャオを追うことになった
のです。ネコ族とヒト族の戦いは、
『歴史は繰り返す』の言葉通り、人が武器を手にすることで逆転した
のです。
「2001年宇宙の旅」で、類人猿が武器として使った骨を空中に投げると宇宙を漂う人工衛星に早
変わりするシーンがあります。人類の悠久の歴史を一瞬で示したこのシーン同様、小松左京とチャオは
人類とその敵の立場が逆転する瞬間を再現してみせたのです。
再び引用です。
こちらは八十五キロ、敵は数キロの体重だが、夏の事とて、シャツにパンツ姿の「裸のサル」が、小
なりとはいえすごい爪と牙を持った猛獣に素手でたちまわる事の不利をさとって、座布団とスリッパで
やっと長椅子の後に追いこんだ時は、こちらは全身十八カ所もの深傷、そのいずれからもダラダラ血が
流れおちるすさまじさである。一時はぶち殺してやろうかと思ったほどカッカときたが、長男が泣かん
ばかりに詫びを入れたので、
「ネコの喧嘩(ゴロマキ)
」(「犬も犬なら猫も猫」収録)より
命乞いは大変なものでした。普段はけんかばかりの兄弟が、
「チャオを殺さないで」と力を合わせ必死
に叫びつづけます。まるで、小松左京の「見知らぬ明日」で強烈な宇宙からの侵略者に対し、アメリカ
戦闘軍団[ストライコム]と人民中国解放軍が共同して立ち向かったかのように。
何とか命乞いが受け入れられ、やっとの思いで子供たちが茶の間に戻ると、映画はすでに終わってい
て、画面では解説者が「来週、また、あなたとお会いしましょう」とにこやかに笑っていました
この事件で心を入れ替えたチャオは、穏やかで人を思いやる優しい猫になり……なんてことはちっと
もなく、極悪非道の限りを尽くし小松一家とそこに係る人々に災難を振りまいてゆきます。
それは次回、また改めて。