入学式 平成 27 年 4 月 8 日 機械科 202 名 電気科 91 名 情報技術科 78 名 機械電子科 101 名 普通科 77 名 合計 549 名 平成二十七年度入学式 式辞 春の暖かな陽光が溢れ、生きとし生 きるものすべてが躍動し始める今日の 佳き日に、平成二十七年度入学式を挙 行 で きま す こと は 、私 ど も教 職 員に と って 大 きな 喜 びとするところです。 公 私 と も 、 ご多 忙 に も 係 わり ま せ ず ご 臨席 賜 りま したご来賓の皆様に心から感謝申し上げます。 保 護 者 の 皆 様に お か れ ま して は 、 お 慶 びは い かば かりかとご推察申し上げます。 さ て 、 新 入 生諸 君 入 学 お めで と う 。 気 持ち も 新た に 、 この 入 学式 を 迎え た こと と 思い ま す。 先 ほど 五 百四十九名の入学を許可しました。 本 校 は 、 創 立九 十 五 年 を 迎え 、 兵 庫 県 内の 工 業高 校 の 中で 県 立兵 庫 工業 高 校に 次 ぐ長 い 歴史 と 伝統 を 薩 摩藩 ( 現鹿 児 島県 ) に生 ま れ、 明 治九 年 持 つ 工業 高 校で す 。本 校 の創 立 者村 野 山人 翁 は、 嘉 永元年 二 十 八歳 の 時、 西 郷隆 盛 の進 言 によ っ て飾 磨 県( 現 兵 庫 県) の 警部 を 拝命 し 、後 に 官史 ( 国家 公 務員 ) と し ても 登 用さ れ たこ と から 兵 庫県 と の関 わ りを 深 く持つようになりました。 飾 磨 県 、 豊 岡県 、 淡 路 が とも に 兵 庫 県 に編 入 され る と 、山 人 翁は 、 兵庫 県 の殖 産 興業 を 発展 さ せる に は 交 通の 便 を良 く する こ とが 重 要と 考 え、 神 戸を 起 点 と した 鉄 道敷 設 論を 発 表し 計 画を 進 めま し た。 明 治 十 九年 に 、山 陽 鉄道 ( 現J R 山陽 本 線) の 発起 人 と な り、 山 陽鉄 道 株式 会 社を 設 立し ま した 。 明治 二 十一年に兵庫・明石間を開通させ、六年後には広島、 十三年後には下関まで開通させたのです。 そ の 後 、 阪 神電 鉄 ・ 京 阪 電鉄 ・ 南 海 電 鉄な ど 多く の 取 締役 を 兼務 し 、そ の 鉄道 敷 設に 尽 力し た こと か 明治 天皇の大 葬に 参列した 山人 翁は、 ら“鉄道王”と称せられました。 大 正元年 乃 木 希典 将 軍夫 妻 の殉 死 の報 に 接し 強 い衝 撃 と感 銘 を 受 けま し た。 そ して 、 翌年 、 乃木 将 軍の 一 周忌 に あ た りそ の すべ て の職 を 辞し 、 全財 産 を投 じ て乃 木 神 社 の建 立 と、 村 野徒 弟 学校 の 創設 を 決意 し 財団 法 人 を 設立 し たの で す。 大 正五 年 、明 治 天皇 の 伏見 桃 山 御 陵の 麓 に乃 木 神社 を 完成 さ せ、 乃 木将 軍 の人 と なりを今に伝えています。 そ し て 、 大 正九 年 三 月 に は、 村 野 徒 弟 学校 の 建設 が 始 まり 、 翌大 正 十年 十 一月 こ こ長 田 の地 で 開校 式 を 迎 えた の です 。 文部 省 令が 変 更さ れ 村野 工 業学 校 として開校しました。これからの日本にとって、「工 業 人 とし て 活躍 し 、社 会 に貢 献 でき る 人材 」 の育 成 が 急 務で あ ると し た山 人 翁の 思 いは こ こに 実 現し た の で す。 以 来本 校 は、 約 三万 七 千人 の 卒業 生 を輩 出 し、先輩諸氏は国の内外で活躍されておられます。 卒業生の中には、オークラ輸送機械株式会社会 長・大倉典雄様、同窓会長の山口電気株式会社会長・ 山 口 治様 を 始め 、 多く の 企業 経 営者 の 方々 が おら れ ま す 。最 近 では 、 三名 の 卒業 生 が技 能 オリ ン ピッ ク 国 内 大会 で 金メ ダ ルを 獲 得し て おり ま す。 ま さに 、 も の づく り 日本 を 支え る 人材 の 一翼 を 本校 の 卒業 生 が担っているのです。 村工は、創立者村野山人翁の遺訓「人は人の為に尽 く す をも っ て本 分 とす べ し」 に 基づ き 、自 分 も他 人 も共に栄える社会を担う人材を育てる学校です。 人間は、親がいなければ一日も生きていけない依存 の 状 態か ら 肉体 的 に自 立 し、 精 神的 に 自立 を 目指 し ま す 。自 立 した 後 に相 互 に依 存 して 生 きて ゆ くの で す 。 人の 一 生は 、 依存 か ら自 立 へ、 自 立か ら 相互 依 存に至る成長と言えます。 高校生活は自立を達成する時期です。一般に、「蛙 の 子 は蛙 」 とよ く 言い ま す。 凡 人の 子 は凡 人 であ る という意味です。あとには「どうせ自分には無理」 「結果が見えている」「やるだけ無駄さ」という言葉 が 続 きま す 。こ の よう に 、遺 伝 や育 ち や経 験 によ っ て 性格 や人 格を 決定 され てい ると 考え られ てい ます。 また、人は得てして、恵まれた環境の中にあっても、 与 え られ た 状況 を つま ら ない と 思い 込 み、 不 平不 満 を 口 にし て しま う 。そ れ で運 命 が好 転 する わ けが な い 。 自分 の 人生 を 恨ん で みて も 、天 に 唾を 吐 くよ う なものです。 た っ た 一 度 し か な い 貴 重 な 人 生 を 決 し て 無 駄 にし な い ため に は、 与 えら れ た勉 強 や学 校 生活 を 天命 と 考え、その勉強や学校生活を好きになるよう努力し、 更に打ち込むのです。 すると、不平不満は消え、勉強も順調に進み始めま す 。 更に 懸 命に 働 き続 け てい く こと で 、す ば らし い 考 え 方や 人 格を 自 分の も のに す るこ と が出 来 、結 果 と し て物 心 とも に 豊か な 人生 を 送る こ とが 出 来る の です。 自分を律するというのは、このような正しい原則に 従って、最も重要な目的を目指して生きることです。 そ の ため に は、 人 格的 に 尊敬 す る人 物 の生 き 方を 手 本 に 行動 す るこ と が大 切 です 。 最も 価 値あ る 生き 方 と は 、現 在 の北 海 道大 学 の前 身 ・札 幌 農学 校 のク ラ ーク博士が、明治十九年に、「少年よ大志を抱け。そ れ は 金銭 や 利己 的 誇示 の ため で はな く 、ま た 世の 人 の 名 誉と 称 する 、 その 実 、虚 し きこ と のた め でも な く 、 人と し て当 然 そう あ るべ き 事を 達 成せ ん とす る 大 志 を抱 け 」と 訴 えた 相 互依 存 の生 き 方の こ とだ と 思います。 空 爆 によ り 廃墟 と なっ た 戦後 や 大震 災 の如 く 、ど の よう な悲 惨で 絶望 的な 状況 の中 でも 希望 を失 わ ず 未 来に 向け た努 力を 続け てき たの が本 来の 日本 人 な のです。 人 間 とい う 存在 を 遺伝 子 レベ ル で見 れ ば、 学 校の 成 績が 良か ろう が悪 かろ うが 、体 が強 かろ うが 弱 か ろうが、九十九 五.%以上は誰でも同じなのです。能 力に違いがあるとすれば、遺伝子を眠らせているか、 目 覚め させ てい るか の違 いで しか あり ませ ん。 そ の 違いは、心のありようや環境などによって生じます。 自 分に とっ て好 まし い遺 伝子 を働 かせ れば 、そ れ ま で の自 分と は違 った 自分 に必 ずな れる ので す。 こ れ は 間違 いの ない 事実 です 。そ のた めに は、 生活 習 慣 や 考え 方を 意識 的に 変え て、 遺伝 子の 働き を自 分 で コントロールすればよいのです。 すなわち、人間は、この世に生を受けた時は原石の よ う なも の で、 後 天的 に 磨き あ げる こ とで 、 初め て 光 り 輝く 宝 石の よ うな 、 素晴 ら しい 人 格者 に なる こ と が 出来 る ので す 。導 き が良 け れば 、 それ 程 優れ た 素 質 を持 っ てい な いと 思 われ て いる 者 でも 皆 出来 る よ う にな る 。豊 か な教 養 を身 に 付け れ ば、 人 間と い う も のは 五 十歩 百 歩、 英 雄も 凡 人も そ れほ ど 変わ る も の では な いと い いま す 。豊 か な教 養 を身 に 付け れ ば 、 我々 も 村野 山 人翁 の 人格 に 近づ く こと が 出来 る の で す。 す なわ ち 、導 き が良 け れば 、 よい 遺 伝子 の スイッチがオンになるのです。 「 心 を変 え れば 行 動が 変 わる 。 行動 が 変わ れ ば習 慣 が変 わる 。習 慣が 変わ れば 人格 が変 わる 。人 格 が 変われば運命が変わる」のです。 成功者は共通して、成功していない人たちが嫌がる ことを実行する習慣があると言います。 良い遺伝子を働かせるために、心機一転、生活を変 え て くだ さ い。 ま ず、 毎 朝、 親 に対 し て必 ず 挨拶 を す る 。次 に 親か ら 呼ば れ たら 、 必ず 「 ハイ 」 と返 事 を す る。 三 つ目 に 席を 立 った ら 必ず 椅 子を 入 れ、 履 物 を 脱い だ ら必 ず 揃え る 。こ の 三つ を 心掛 け てく だ さ い 。社 会 の一 員 とな る ため の 基本 で ある 朝 の挨 拶 や 「 はい 」 の返 事 を、 必 ず行 う と決 心 して 下 さい 。 学 校 では 先 生や 先 輩に 対 して 、 会社 で は上 司 や先 輩 に対して行うのです。 第 三 の 躾 は 、一 見 二 つ の よう で す が 、 実は 同 一 原 理の表裏であり、人間の「しまり」を表すものです。 簡単に言えば 、自分の後始 末は自分です るというこ とです。この ことは、他人 から信頼を得 るために、 大人でも守らなければならぬことです。 村工では、確実に進歩していくことが実感できる環 境 が あり ま す。 一 つ目 は 、イ ン ター ネ ット を 活用 し て 国 語、 数 学、 英 語を マ イペ ー スで 学 習で き る環 境 で す 。学 校 でも 、 家庭 で も学 習 可能 で す。 内 容は 中 学 校 で学 ん だこ と の復 習 と高 校 で学 ぶ 内容 で す。 加 え て 、放 課 後に 大 学生 に よる 自 主学 習 を支 援 する 体 制 も 完備 し てい ま す。 塾 へ行 く 必要 が あり ま せん 。 二 つ 目は 、 実験 ・ 実習 、 体育 と 柔道 の 授業 と 部活 動 で す 。三 つ 目は 、 資格 検 定の 取 り組 み です 。 多く の 先 輩 たち が 、初 め は初 歩 的な 各 種検 定 にチ ャ レン ジ し て 、卒 業 まで に 社会 的 に評 価 の高 い 国家 資 格を 取 得しています。 大いに資格検定にも挑戦して下さい。そして、運動 部 や 文化 部 にも 積 極的 に 入部 し て下 さ い。 勉 強と 部 活 動 を共 に 精一 杯 努力 し て、 こ の二 つ が協 力 し合 っ て 、 共に 働 きあ っ て、 言 わば こ の二 つ の相 乗 効果 で 勉 強 の成 果 も部 活 動の 能 力も 共 に高 め 合っ て 「心 知 技 体 」を 身 に付 け るこ と が出 来 ます 。 この こ とを 本 校では、文武協働と呼んでいます。 努力を続けても変化はすぐには出てきませんが、初 心を忘れずに、一人ひとりが目標を具体的に決めて、 そ の 達成 に 努力 す る習 慣 を性 格 にな る まで 続 けて 下 さい。そうすれば、良い遺伝子が働き始めます。 最後に、保護者の皆様に一言ご挨拶申し上げます。 大 切 な ご 子 息を お 預 か り しま し た か ら には 、 教職 員 一 同心 を 一つ に して 、 ご子 息 を立 派 な社 会 人に 育 て る べく 、 厳し く 躾け る とと も に学 習 指導 、 生徒 指 導を丁寧に行います。特に、「欠席 遅 ・ 刻をしない」、 頭 「 「髪と服装を正す 、 」 真面目に授業を受ける」の三 点 を 重点 的 に指 導 し、 改 まら な い場 合 には 、 段階 的 に厳しい指導を行ってまいります。 ど う か 本 校 の教 育 方 針 を ご理 解 い た だ き、 ご 協力 い ただ きま すよ うお 願い 申し 上げ 式辞 とい たし ます。 平成二十七年四月八日 井 和 雄 神戸村野工業高等学校長 櫻
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