斎藤 毅「微積分」東京大学出版会 微積分は世界へつながる扉です。 数学

斎藤
毅「微積分」東京大学出版会
微積分は世界へつながる扉です。
たたなければならず、1つでもあて
数学を専門にするならもちろんです
はまらない場合があればそれは正し
が、そうでなくても数学を使おうと
いこととはいえません。高校の教科
するなら文系、理系にかかわらず、
書では関数の極限を、限りなく近づ
微積分なしですますことはできませ
く、ということばを使って説明しま
ん 。高 校 で は 1 変 数 の 関 数 だ け で し
す。このようなあいまいなことばで
たが、大学の微積分では多変数関数
は、上の規準をみたす厳密な論証は
も扱えるようになって、世界がいち
できません。
だんと広がります。
極限の概念をめぐる果てしない試
大学の微積分では、論理がしめる
行錯誤の末に人類がようやく手にし
比重の大きいことにとまどうかもし
たのが、イプシロン・デルタ論法に
れ ま せ ん 。 微 積 分 は 英 語 で は
よる連続関数の厳密な定義だったの
calculus と い う 計 算 と も 訳 さ れ る こ
です。それにしても、数学者がそこ
とばです。高校までなら、計算が正
まで厳密さにこだわるのはどうして
しくできれば数学ができるといえた
なのでしょう。
でしょう。大学の微積分が計算だけ
現代からふりかえってみると、1
ですまないのは、それが連続関数と
9世紀の数学者を悩ませた大問題は、
は何か、実数とは何かという、もっ
関数の各点ごとでの局所的な性質か
と基本的な問題にも答えるものだか
らどうすれば定義域全体にわたる
らです。微積分でそんなことまでや
大域的な性質を導きだせるのかとい
らなくてもいいのでは、と思われる
うものでした。連続関数の定義を手
でしょうか?
にした数学者は、その積分の定義も
ロ ー カ ル
グ ロ ー バ ル
数学の辞書には、だいたい正しい
同時に手に入れたと考えました。と
ということばはありません。正しい
ころがそこには、局所と大域を隔て
とされることはどんなときにもなり
る深い断絶を見落とすという根本的
な欠陥がありました。微積分の基礎
性とよばれる現代の数学のもっとも
づけに厳密な論理が欠かせないこと
重要な概念も姿を現してきたのでし
た。厳密さへのこだわりは、数学の
新しい世界へつながる扉でもあった
のです。
「 微 積 分 」の 中 で コ ン パ ク ト
この欠陥を埋めるには、実数とは
何かを明確にすることが必要でした。
性までは解説できなかったので、そ
れ は「 集 合 と 位 相 」
(東京大学出版会)
2は高校で学んだとおり有理数で
にゆずりました。局所と大域をめぐ
はありません。円周率πや自然対数
る問題は、現在では微積分に限らず
の 底 e も 実 は そ う で す 。と い っ て も 、
数学のどこにでもでてきます。
このような有理数ではない数が実数
微積分の教科書には名著とよばれ
としては存在するとはどういう意味
る も の が 、高 木 貞 治「 解 析 概 論 」
(岩
なのでしょう。
波 書 店 )、 小 平 邦 彦 「 解 析 入 門 I・ I I 」
2が有理数ではないことに気づ
( 岩 波 書 店 )、 杉 浦 光 夫 「 解 析 入 門
いた古代ギリシャの数学者はこの問
I ・ I I 」( 東 京 大 学 出 版 会 ) を は じ め
題に悩まされました。これを解決し
いくつもあります。その二番
たエウドクソスの理論は、古代ギリ
書いても意味がないので、自分だっ
シャ数学を体系的に集大成したユー
たらこんな教科書で勉強したかった
ク リ ッ ド「 原 論 」の 核 心 に あ り ま す 。
という本をコンパクトに書きました。
19世紀の末にこの問題を現代的な
ここで紹介した微積分の基礎をめぐ
形に解決したデデキントは、その理
る基本的な問題にも、現代的な視点
論をそのままとりこむことができた
からのこたえを用意してあります。
のです。
局所と大域をめぐるこうした問題
を解決していくなかからコンパクト
じを