健全なゲーム機を提供して

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者
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ター経
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健全な
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外
内
国
社
会
式
業株
工
信
通
日本
北
代表取
稔
川
長 松
締役社
ゲームセンターなどに設置されている
友達に誘われて「テープレコー
ダー」の部品づくりで創業
テレビゲーム・ピンボール・クレーンゲー
会社の創業・設立経緯をお聞かせ
ム・メダルゲーム機などを総称してアー
ください。
ケードゲームと言い、
(社)日本アミュー
ズメント産業協会等の調査によれば
平成 23 年度の市場規模額は 2 兆 391
億円となっていました。今月は、アー
ケードゲーム機の企画、設計、開発、
製造、販売、買い取りからレンタル及
びゲームセンターの経営まで行ってい
る北日本通信工業株式会社(本社:須
賀川市)の松川稔社長に、会社の創
業、事業内容、強み、今後の展望と
課題をお聞きしました。
聞き手 弊社社長 鈴木祥順
松川−創業者は私ですが、会社
を創業するまでには様々な仕事を
経験しました。学校を卒業後、自
動車ディラーに就職するものの 3 年
目に退社。ちょうど父親が独立し
て農機具販売を始めた時期であっ
たことからその仕事を手伝いまし
た。2年ぐらい経った時、
自動車ディ
ラーで一緒に働いて一緒に辞めた
友達から、
「テープレコーダーの部
品づくりをやってくれる所はない
だろうか」と相談されました。そ
れがきっかけとなって父の手伝い
を止め、昭和 46 年 6 月須賀川市に
おいて「松川電子工業」を立ち上
げて、テープレコーダーの部品づ
くりを始めたのが創業の経緯です。
私が 26 歳の時でした。
仕事は簡単でしたので、近隣の
奥さんたちを働き手にして、35 ∼
6 人規模で操業を続けました。昭
和 55 年以降オイルショックに見舞
われましたが、蓄財していた資金
を取り崩して切り抜けました。
その後、仕事はシガレットケー
スの成形加工、カラオケ装置やス
テレオの部品づくり、電話機の部
品から完成品の組み立て、クロス
バー自動交換機の部品づくりへと
変わっていきました。この頃にな
ると人を増やそうにもパートタイ
マーが集まらず、都市部に移って
いくしかないと考えました。そこ
で当時、須賀川市内に横山工業団
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地の造成が進んでいたことから、
そちらへの移転を決め、新工場が
完成した昭和 59 年 6 月に全面移転
を行い、同時に個人事業を法人化
して、社名も「北日本通信工業株
式会社」に改称しました。
北日本全域を営業地盤にした
会社になることを考えた社名
松川社長の名前を付けずに「北日
本通信工業」とされたのは、どん
な事情があったのでしょうか。
松川−当時のお客様は、㈱日立製
作所、福島岩通㈱、日本コロムビア
㈱、山水電気㈱であり、
「通信」に
関わる仕事が多かったことと、北日
本全域を営業地盤にする会社になろ
うと考えて現在の社名にしました。
ところが弱電関係の仕事は波が
ありまして、いずれの仕事も減っ
たり増えたりと不安定でした。そん
な状況の中、㈱セガ・エンタープ
ライゼス(現在の㈱セガ)が家庭
用ゲーム機である「セガ・マークⅢ
(スリー)
」を発売して、
「売れ行き
好調」と報じる新聞記事を見つけ
ました。ゲーム機の大きさがビデ
オ機ぐらいの大きさだったもので
すから、
「これならうちでも作れる」
と思い、直ぐに㈱セガに電話をか
け、
「こういう仕事をしている会社
ですが、仕事をいただけませんか」
とお願いしました。手紙も書いて
懇請すると、
「直ぐに来てください」
と連絡が入りました。訪問すると、
面接してくださった役員さんから
は、
「家庭用ゲーム機は既に外注先
があるので出せないが、業務用ゲー
ム機の仕事はいっぱいあります」と
言われました。同社はゲーム機の
先駆者で、その年に発売した「UFO
キャッチャー」がヒットする状況に
あることを知っていましたので、迷
うことなく業務用ゲーム機づくりを
応諾しました。それが今の仕事を
始めるきっかけになったわけです
からラッキーだったと思います。
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松川 稔 社長
初 めて自ら 希 望して 業 務 用
ゲーム機の製造に参入する
弱電関係の仕事はどうなさったの
でしょうか。
松川−しばらくは並行して行っ
ていましたが、㈱セガの仕事が増
えたことと、私自身が今後伸びる
産業は「健康産業」と「遊ぶ産業」
になると判断して、弱電関係の仕
事は打ち切りました。
その判断の下に携帯用マッサージ
器を自社開発して発売しました。し
ばらくしてオムロンから同じ用途の
器具が発売されると売上は止まって
しまい、大手には敵わないと判断し
て生産を中止しました。当社の販売
は 55,000 台でしたが、後発のオム
ロンは 300,000 台を販売していまし
た。くじけずに健康器具を作り続け
ていたならば、今頃は医療器具メー
カーになっていたかもしれません。
「遊ぶ産業」に話を戻しますと、
当時のゲームセンターは大人でも
怖くて行けない所でした。そうし
た悪いイメージを払しょくして、健
全な娯楽の場に換えようと取り組
んでいたのが(社)日本アミュー
ズメント産業協会でした。その団
体にゲーム機メーカーも加 盟し、
共に青少年の健全な育成の場にし
ようと努めていました。その想い
に私は共感して、心の底から明る
く楽しく遊べる業務用ゲーム機を
開発したいと思いました。今まで
やってきた仕事は、周りから勧め
られて始めた仕事ばかりでしたが、
このとき初めて自ら希望して今の
仕事に参入することにしました。
取引が始まると㈱セガの仕事は
激増しました。同社の株式公開の
過程で直営のゲームセンターを
次々とオープンしましたので、当
社の受注量も 10 年間、右肩上がり
で推移しました。
利用されるお客様に喜ばれ、
ゲ ームセンターを 運 営 する
オーナー様に安心して使って
いただけるゲーム機を開発・
提供
そうした想いを込めた御社製品の
特徴又は強みをお聞かせください。
松川 −現在出荷しているゲーム
機は 8 機種ございます。主力機種は
クレーンゲーム機の「ジェミニハチ
マル」
「ツイスタービッグ」です。
ぬいぐるみ・フィギュア・お菓子等
の景品(プライズ)を獲得するため
に、前後左右に動くクレーンを操作
して景品を掴み、それをダクトに落
とすと景品が獲得できるゲーム機
です。最近の売れ筋機種は、店頭
に設置して非常にアイキャッチのあ
る大型クレーン機“デカクレ”です。
体験機では、アイキャッチ抜群
のモグラ叩きゲーム機である「モ
グラッシュ」と、タコ叩きゲーム機
である「タコラッシュ」があります。
その他、手品を題材とした機種名
マジシャン「キッズメダルゲーム
機」があります。
これらは全て自社開発製品です。
自社開発に拘る理由は、下請け仕
事をしてきた過程で、自社技術の重
要性を実感したからです。そのため
どんなに仕事が忙しくても開発の手
を緩めることはしませんでした。結
果として、利用されるお客様に喜ば
れ、ゲームセンターを運営するオー
ナー様に安心して使っていただけ
るゲーム機を開発して提供できるよ
うになったことが、当社の特徴であ
り強みであると思っています。
関東方面に出荷するものだけで、
九州に出荷するものは博多、中部・
関西・四国・中国に出荷するもの
は岐阜に運び、現地に当社の技術
者が出向いて品質チェックを行い、
それぞれの設置場所に納品する仕
組みにしています。
新製品売上が 80%、レンタル・
リースが10.2%、中古ゲーム
機の販売が 9%、最近はゲー
ム機を老人福祉施設にも設置
部門別の売上割合をお聞かせくだ
さい。
自社製品のゲーム機は国内で生産
されているのでしょうか。
松川−全て台湾で生産していま
す。海外生産を開始したのは超円
高(78 ∼ 80 円/ドル)にあった
平成 7 年からです。理由は、当社
が作っているゲーム機と同じ遊び
ができる機種を大手メーカーも
作っていますので、価格の安さで
勝負するしか勝ち目がありません。
大手メーカーで販売する価格の 5
∼ 6 割で売るためには、海外で生
産するしかありませんでした。
本社では、ゲーム機の企画、設
計、開発、買い取り、販売(国内
外)、メンテナンスを行うことにし
ましたので、台湾で完成した製品
はすべて本社担当者が一台一台品
質チェックをして、お客様に出荷
するようにしています。ただし、
本社に入荷するゲーム機は、東北、
松川−売上割合は新製品売上が
80%、レンタル・リースが 10.2%、
中古ゲーム機の販売が 9%、部品・
メンテナンスが 0.8%の割合です。
部門としては国内販売事業部、
海外販売事業部、サービス部等が
あります。国内販売事業部では自
社製品の大半を国内のゲームセン
ターに販売し、一部をリサイクル
ショップ・おもちゃ屋・駄菓子屋・
老人福祉施設等に販売しています。
海外販売事業部では、自社製品
及び他社製造の中古ゲーム機を輸
出しています。また、当社が確立
した世界 51 カ国に及ぶ取引先ネッ
トワークを活用した「海外販売代
理店事業」も行っています。国内
メーカーの製品を代理で販売し、
取引が成立すれば成功報酬をいた
だきます。国内のお客様にとって
は、販売ルートの構築・代金の回
収ノウハウ・人材の確
保等の手間をかけずに
海外取引が展開できる
メリットがあります。
サービス部は、ゲー
ムセンター等から買い
取ってきた中古ゲーム
機のメンテナンス及び
お客様のゲームセン
ターに出向いてメンテ
ナンスする仕事も請け
負っています。
デカクレ
老人福祉施設にゲーム機を販売さ
れているということですが、どの
ようなニーズがあるのでしょうか。
松川−最近作ったゲーム機には、
手を動かすのが多少不自由な人で
も遊べるソフトを組み込んでいま
す。ですから、要介護者を含めて
楽しみながらリハビリができると
いう点で、老人福祉施設にも設置
するようになりました。開発する
に至った理由は、「普通の健康器具
でリハビリすると手が痛くなるた
め、リハビリが長続きしません」
といった声が聞こえてきましたの
で、楽しめてリハビリ効果が期待
できるゲーム機はどんなものが良
いのか考えて製品化しました。
中古ゲーム機の有効活用に着
目し、自社の生き残り策とし
て輸出を開始
輸出もされていますが、どのよう
な経緯で始められたのでしょうか。
松川−市場に大量に発生する中
古ゲーム機の有効活用と当社自身
が生き残りのために始めました。
先程も申しあげましたが、㈱セ
ガは上場を果たすとゲームセン
ターを次々とオープンし、その数
は 800 店舗に達しました。開店時
にはいろいろなゲーム機を揃えま
松川 大和 専務
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すので、ゲーム機メーカーも競っ
て新しい機械を開発しました。と
ころがゲームセンターのスペース
は有限ですから、新しい機種を設
置するとなれば既に設置してある
台を撤去しなければなりません。2
台、3 台と新機種を入れるたびに
中古ゲーム機が全国 20,000 店舗×
(2 ∼ 3 台)生じてきますので、そ
の処分をどうするかが喫緊の課題
になりました。
もう一つの理由は、大手ゲーム
機メーカーが参入して生産を増強
するようになると、当社への注文
が減るようになりましたので、同
社と交渉して、直営・系列のゲー
ムセンターから発生する中古ゲー
ム機の買い取りを始めました。
ちょうどその時期に、息子の松
川大和(現在は専務取締役:以下
専務と表示)が留学を終えて当社
に入社しましたので、輸出の仕事
を任せることができました。苦労は
あったと思いますが、売上の 70%
を輸出で占めるようになりました。
ゲーム機の輸出は、ガラパゴ
ス化によって円安でも苦戦を
強いられる
松川専務の功績が大きかったとい
うことですね。
専務−学校を卒業した後、語学
研修のためにオーストラリアに留
学し、その後イギリス・イタリア・
シンガポール・米国に出かけて行っ
て世界のゲーム機市場を見て歩き
ました。会社に戻って 2 日目に海
外から引き合いがあって、直ぐに
輸出取引が成立しました。しかし
輸出に関わる知識など全くありま
せんでしたので、事務面を常陽銀
行の外為担当者に指導していただ
き、荷物の扱い方をヤマト運送の
郡山支店にお願いして、初の輸出
取引を行いました。
輸出品は中古ゲーム機だけです
が、これまでに一番多かった時で
月間 40 コンテナ、売上は 18 億円で
した。輸入するゲーム機は全て国
内向けに販売しています。
その数字は今も変わらないので
しょうか。
松川−今はかなり減って、輸出
の年間売上は 2 億円程度です。減
少した理由は、アミューズメント
メント業界全体で 20,000 店舗から
15,000 店舗に減り、中古ゲーム機
そのものが減少しているからです。
円安になっていますので輸出環境
としては良いように感じますが、
その点はいかかでしょうか。
専務−海外市場も成熟化し、「日
本のものであれば何でも買います」
といった時代ではなく、お客様が
ゲーム機を良く吟味するようにな
りました。また日本の業務用ゲー
ム機が、海外では家庭用ゲームと
同じくガラパゴス化していること
です。国内で人気があるから売れ
るかというと逆で、難しいゲーム
機ほど海外では人気がありません。
日本のゲーム機メーカーは、ヘビー
ユーザーやコアユーザー向けに難
解なゲーム機を作る傾向がありま
す。ところが海外では、ライトユー
ザー向けのゲーム機が主流ですか
らニーズが全く異なるわけです。
また、日本の「風俗営業等の規
制及び業務の適正化等に関する法
律」と海外のゲームセンターの営
業に関する法律が違いますので、
日本で使えるゲーム機が海外では
使えない場合があります。一部の
地域では、宗教にも配慮した製品
でなければ売れません。そうした
いろいろな問題にも対応し、解決
のノウハウを蓄積しながら輸出を
推進している状況です。
している想いがございましたらお
聞かせください。
松川−経営理念と言えるかどう
かわかりませんが、何でも真面目
にやろうという意味の「誠実一路」
という言葉を大切にしています。
それは私を含めて「真面目」に何
かが付くくらいなのですが、例え
ば、私が「これくらいでいいだろ
う」と言いましても、開発担当者
が納得しないと私の言う事など聞
いてくれません。これまで何度も
大手メーカーと競争して負けてき
ましたので、品質管理と気持ちを
込めたものづくりが大切だという
思いが、骨身にしみ付いているか
らです。当然コストアップになり
ますが、機械は嘘をつきませんの
で、誠実な仕事に徹してきました。
また、そうした言葉を発信して
いますと、何か事があった場合、
周りから協力者が現れて助けてく
れます。ですから、「真面目で誠実
に仕事をやっていれば、絶対に正
直者は馬鹿をみない」ということ
を信条としています。
技術者を育てる秘訣・着眼点をお
聞かせください。
松川−私は機械づくりが大好き
です。時々工場で機械の話をして
いると、周りに技術スタッフがた
くさん集まって激論を交わすこと
があります。それだけ技術者も機
械づくりが好きなのです。
また、技術スタッフを台湾の工
場へ指導に行かせますと、みんな
誠実一路を実践し、今年 2 月
に7 機種の新製品を発表
経営理念又は松川社長様が大切に
鈴木 祥順 社長
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生き生きしています。ゲーム機の
開発者である自分の考えが具現化
され、その製品が売れれば凄い自
信になります。昨年の 12 月と今年
1 月の注文は特に多くて、在庫し
ていた製品と同月中に完成した全
てのゲーム機が完売になりました。
この 2 月に新型機 8 機種を発表しま
すので、開発部・技術部のスタッ
フはみな目を輝かせています。
専務−実は生産方式も当社は見
込み生産を採用してゲーム機を常
時在庫し、注文に即応できるよう
にしています。業界誌にも、「全機
種毎月生産しています。いつでも
お問い合わせください」と書いて
PR していますが、こんな広告宣伝
を行っている会社は当社だけです。
ゲームセンターはファミリーエ
ンターテイメントに変化してい
くので、それに向けた新しい
ゲーム機を開発
今後の展望と課題をお伺いしま
す。業界の変化と、それに対する
御社の取り組みについてお聞かせ
ください。
松川 −ゲームセンター業界は、
近い将来、携帯電話等でのゲーム
遊びに取って代わられるのではな
いでしょうか。と言いますのは、
携帯電話等のハード面が進化する
とともにゲームソフトも充実し、
ゲームセンターに行く必要がなく
なりましたので、ゲームセンター
は衰退期に入りました。従来型の
ゲームセンターは、今後 5 ∼ 10 年
で消えてしまうのではないでしょ
うか。
それに代わって増えてくるのは、
ショッピングセンターなど人の集
まる施設の一角に、ゲーム機が設
置してあるファミリーゲームコー
ナー、欧米では「ファミリーエン
ターテイメントセンター(FEC)
」
と呼んでいますが、そうした形態
に変化していくと思われます。
専務−そうした変化が起きるこ
とは前々から分かっていましたの
で、開発部を一時的に解散して、
スタッフ全員を関連会社のゲーム
センター運営会社へ転籍させ、ゲー
ムを楽しむユーザーと運営サイド
の目線から、どんなゲーム機が良
い の か を 勉 強 さ せ ま し た。 当 社
の開発製品はあくまでアナログ機
であり、転籍していたスタッフを
2010 年に呼び戻して再び開発部を
立ち上げてこのほど完成した2機種
がクレーンゲーム機です。その他
の 6 機種を含め 2 月 13 日(金)∼
14 日(土)に幕張メッセで開催さ
れる「ジャパン アミューズメン
ト エキスポ 2015」で発表します。
また、今後はゲーム機以外の新
分野の開拓も研究中で、技術者を
様々な展示会に派遣して勉強させ
ています。経営陣としましても技
術者のモチベーションの維持に加
え、新しい人材の採用にも期待し
ており、これからも健全で楽しい
ゲーム機を世界に提供してまいり
ます。
取材を終えて
テープレコーダーの部品づくりから事業を始めた創業者の
ました。エンターテインメントの世界という変化の激しい業
松川稔氏は、何の伝手もなかった状態で、ゲーム業界大手の
界にありながら、健全な娯楽の発展を望む松川社長はアナロ
㈱セガへの直接交渉により取引を始め、ゲーム業界参入の足
グ型のゲーム機に特化して、業界では珍しい見込み生産を採
がかりを掴みました。
用するなど、中古ゲーム機の輸出の手腕で社長を支える後継
松川社長は運が良かったと謙遜されていますが、ビジネス
者の専務ともども、柔軟な発想で技術開発に邁進しており、
チャンスを確実にものにするその行動力には驚かされまし
社長ご自身の信条である誠実一路のたくましさを感じた取材
た。また業界参入後に直面した数々の困難に対して、松川社
でした。 (鈴木記)
長は将来を見据えた決断を下し、その都度困難を打破してき
会社概要
北日本通信工業株式会社 代表取締役社長 松川 稔
本 社
電 話
創 業
資 本 金
業 種
年 商
従業員数
関連会社
〒962-0041 福島県須賀川市横山町81(横山工業団地内)
0248-75-2877(代表)
1984年 会社設立
3,000万円
アーケードゲーム機の設計・製造・販売、レンタル業
30億円(グループ全体)
200人(グループ全体)
㈱マジカルモーメント 、KNT CHINA(中国)、KNT HK(香港)
本社工場
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