による ー マ ン し、ハ と 企業! 意 年 得 百 を た 造 んでき 品の製 歩 部 に 形 ととも 複雑異 化 、 代 ト 本の近 小ロッ 日 、 、 種 つ 多品 色を持 特 に 造 久 熱間鍛 ウ ト イ ク ッ テ 社 会 式 株 取 眞 原 長 藤 締役社 ようです。奥さんは茨城県出身と 聞いています。 その後、鉄道網が全国に広がっ 日本の製造業は空洞化が叫ばれて久し いですが、すべての製品に最高の品質 を求め、ひたすらお客様に満足していた 創業者伊藤氏が東京・月島で 鍛冶屋を開業。戦後、工場を 都内から茨城へ移転 だける優れた製品づくりに邁進し、日本 ていくに伴い仕事も増え、昭和 14 年には月島工場に加え、深川(現 東陽 2 丁目)にも工場を新設しま し た。 昭 和 40 年 代 に 入 る と、 高 の経済成長を土台でしっかり支えてきた 会社の創業・設立経緯をお聞かせ 度経済成長もあって、東京に人口 企業があります。今回は鍛冶屋を開業し ください。 が集中し始め、工場周辺には高層 た東京・月島を企業発祥の地とし、日 藤原−明治41年(1908年)、東京・ アパートが立ち並ぶようになりま 本の近代化とともに鉄道レール部品や 月島で、創業者伊藤喜一郎が伊藤 した。そうなると、製造工程の中 鐵工所として創業しました。月島 で大きな音が出るハンマー鍛造は は埋め立てでできた東京最初の工 「公害だ、何だ」と言われるように 業地帯で、そこでボルト、ナット、 なり、非常に操業がやりにくくなっ リベット、犬釘を中心にした鍛冶 たようです。近隣の事業所が東京 新たな挑戦を続ける株式会社テック イ 屋を奥さんと二人で始めたという から地方へと次々に移転していく トウ(本社:茨城県稲敷市)の藤原社長 ことです。伊藤喜一郎という人は 中で、事業そのものは拡大基調で に、会社の設立経緯、事業内容、特色、 四国の愛媛県出身で生まれつき意 来ていたものですから、当社も東 志が強く、人情にも厚い人だった 京から地方へと工場を移転せざる 自動車関連部品、建設機械部品を世の 中に供給し続け、平成 20 年(2008 年) には創業100周年を迎えた「鍛造工業品 (鍛工部品) 」メーカーをご紹介します。 NEXT 100 という経営理念を掲げて、 今後の展望についてお聞きしました。 聞き手 弊社社長 鈴木祥順 JIR NEWS 2015 1 を得なくなりました。ほぼ同時期 んありますが、当時はそう思われ が変わりましたが、そこで 33 年間 に、都内や川崎にある同業の鍛造 会社名を変えたということでした。 勤め、平成 19 年に当社に移り、8 代目の社長に就任しました。社長 会社も工場を地方へ移転していま す。 茨城に工場を移転した経緯につい 就任後、暫くしてリーマンショッ 社長就任の経緯についてお聞かせ クが起こり、どこも同じだったと ください。 思いますが、当社も大変でした。 てお聞かせください。創業者の奥 藤原−事業発展のきっかけは先 特に、6 トンハンマーラインを導 様が茨城県出身だったということ 程も少し触れましたが、戦前全国 入中で、「次の世代には必ず役立つ と何か関係があったのでしょう で鉄道網が整備されていった時期 と思うけど、私の在任中にはその か。 に国鉄(現 JR)関連の仕事がたく 成果を見られないのかな…」なん 藤原−東京に近い千葉・茨城方 さんあったからです。鉄道中心に て思ったこともありました。 面を移転先の候補地にいろいろ調 事業が拡大し、太平洋戦争が始ま 査したようですが、最終的に旧東 ると、鍛造品の需要がさらに増大 村(現稲敷市)の企業誘致に乗っ しましたが、昭和 20 年、戦災によ て話が進んだと聞いています。昭 り深川工場の大半を焼失してしま 和 48 年には土地の買収がほぼ完了 いました。 し て、 昭 和 50 年(1975 年 )11 月 戦後は、設備復旧の懸命の努力 エアードロップハンマーによ る熱間鍛造と機械加工を中心 に、建設機械やトラック部品 を製造 に茨城工場を一部稼働しました。 に よ り、 昭 和 20 年 10 月 に は 生 産 現在の主な事業内容とその特徴に そして 1 年半後には、深川工場を を再開し、高度経済成長期には、 ついてお聞かせください。 茨城工場に完全に移転して、全面 陸上輸送の発展とともに、トラッ 藤原−市場から「多品種、小ロッ 稼働しています。創業者の奥さん ク関連の受注が中心になりました。 ト、複雑形状部品、短納期」の製 が茨城県出身であったことと何か その後、高速道路を始めとする社 品が求められる中で、エアードロッ 関係があったかどうかはよくわか 会資本整備に向けた建設機械需要 プハンマーによる熱間鍛造と後工 りません。 に支えられて会社も発展しました 程の機械加工等を主に行っていま が、オイルショック(第一次、第 す。ハンマーは大型の 6 トンから 二次)など、いくつも景気にブレー 下は 3/4 トンの小型のものまで取 キがかかる出来事があり、キャタ り揃え、鍛造プレスも 1,600 トン ピラー三菱(現キャタピラー・ジャ のものを所有しており、お客様の 社名を平成 12 年(2000 年)に㈱ パン)や浅井産業の資本参加を受 ご要望にきめ細かく対応が出来る 伊藤鉄工所から㈱テックイトウに けて現在に至っています。 体制を整えています。現在は協力 ㈱テック イトウへと社名変 更、8代目社長に就任 変えておられますが、どういう理 由があったのでしょうか。 藤原−私の2代前の社長であっ た増川さん(光一氏)に、当時の ことを直接聞いたことがあります。 「伊藤鉄工所」という名前だと、就 職に際して、今後若い人たちが魅 力を感じないのではないかと思わ れ、新しい会社名を社内で募集し たとおっしゃっていました。平成 12 年は西暦 2000 年でもあり、ミレ ニアムというタイミングを意識し たそうです。今でも「○○鉄工所」 という会社名は同業者にもたくさ 2 事業発展のきっかけと藤原社長の JIR NEWS 2015 藤原 眞久 社長 私はキャタピラー三菱に入社し、 途中、新キャタピラー三菱に社名 会社とのネットワークにより、大 概の製品は設計から金型製作、鋼 緑に囲まれた本社工場 機械加工職場 材切断、鍛造、熱処理、機械加工、 造」や「プレス鍛造」 、「ローリン は最小限にするということで、鍛 コイニング、仕上げ、検査、塗装 グ鍛造」などがあります。どの方 造直後にさらに特殊なプレスを用 に至るまで一貫生産を可能として 法を選ぶかは、製品の形状、数量 いて精密な寸法を出しています。 います。 等によって決まります。自動車部 ま た、TPM 活 動 ( ※ ) を 会 社 あ げ 品のように数の多いものは一般に て展開し、これまで 2 度、優秀賞 プレス鍛造で生産されています。 を い た だ き ま し た。2004 年 12 月 熱間鍛造に革新的な技術をお持ち であると伺っておりますが、基本 当 社 で は、 比 較 的 数 が 少 な く、 に TPM 優秀賞第二類を受賞し、私 的な鍛造技術についてご説明いた 大量生産に向かないもの、また複 が社長就任後の 2011 年 10 月にも、 だけますでしょうか。 雑な形状のもの、端的に言うと、 TPM 優秀賞カテゴリーBを受賞 藤原 −一口に鍛造と言っても、 建設機械やトラックの部品等をハ しました。当社のような中小企業 い ろ い ろ な 種 類 が あ り、 当 社 が ンマー鍛造で主に作っています。 において、サークルで改善活動を 行っている「熱間鍛造」は、鉄を 最近は部品の形も複雑な形状のも 行っているところは少ないと思い 1200℃くらいに加熱して変形しや のが多く、当社が他社と差異化で ますが、年に2件テーマを決めて すくし、打撃や加圧によって成形 きるセールスポイントとして力を 活動を実施し、発表会も行ってい する鍛造方法です。そのほか、そ 入れています。 ます。まだまだ現場力が発揮でき ているとは言えませんが、泥臭い れよりも低い温度で行う「温間鍛 造」や常温で行う「冷間鍛造」が あります。 また温度による鍛造方法の違い とは別に、金型を使うか使わない かにより、型に入れて作る「型打 TPM優秀賞を2度受賞。設 備のメンテナンスに注力する とともに、現場力の向上を目 指す 改善の積み上げが中小企業の底力 だと思っています。 特に、設備のメンテナンスには 力を入れていますが、各現場の自 主保全があって初めて、全体の計 ち鍛造」と型を使わない「フリー 鍛造技術で特許をお持ちだと伺っ 画保全が生きてくると考えていま 鍛造」に分かれます。それから、 ておりますが、どのようにしてそ す。最近は、設備のちょっとした 設備による違いから、「ハンマー鍛 の技術を磨いて来られたのでしょ トラブルや故障が起きても、現場 うか。技術の強みといいますか、 で修理などの対応ができるように こだわりについてお聞かせくださ なってきました。 い。 藤原−特許や実用新案はいくつ か取得しています。画期的なもの というわけではありませんが、困っ たことに対する工夫というか、お 客様の求めるものをどう実現する か悩んだ末に生み出したものです。 一例としてホットコイニング工程 を加えたセグメント鍛造ですが、 これは機械加工をなくす、あるい (※):T P Mとは、 「T o t a l P r o d u c t i v e Maintenance」 の こ と で、 生 産 設 備システムのライフサイクル全体 を 対 象 に、 生 産 効 率 を 阻 害 す る ロ スの発生を未然防止することを目 指 し た、 人・ 設 備・ 企 業 の 体 質 改 善を図る全員参加による総合的活 動。ロスの排除だけでなく、故障し な い 設 備、 不 良 が 出 な い 設 備、 災 害が出ない設備などあらゆるロス を未然防止する仕組みを 「現場 ・ 現 物 」 で つ く り あ げ て い く も の。 TPM 賞は公益財団法人日本プラント メンテナンス協会が 1964 年に創設 6 トンハンマー作業 JIR NEWS 2015 3 した表彰制度。設備管理技術の発展 に寄与している事業所に贈られる。 建機関係の売上が約7割、鍛 造の後工程の機械加工にも注 力し、組立にも取り組む 現在の事業内容はどのような売上 構成になっているのでしょうか。 また近年力を入れている事業がご 斐のある職場 2.卓越した鍛造技術・技能の 追及 3.高付加価値をつけた製品の 提供 藤原−現場の社員は、当社の周 辺地区、霞ヶ浦を挟んで向こう側 とこちら側の方が多いです。4 ∼ 5 年前は福島方面にも採用に回り、 いわきとか白河から入社した方も 4.ムリ、ムダ、ムラのない生産 います。一時新人の採用に大変苦 5.安 定 的 に 事 業 を 発 展 さ せ、 労した時期があり、それまで不定 顧客、社会に貢献 期だった新卒採用を見直し、景気 以上の 5 つですが、製 造 業とし 不景気に関わらず、毎年コンスタ ざいましたら、お聞かせください。 てはごく当たり前のものです。こ ントに数人は採用するようにしま 藤原−事業の主体は建設機械関 れらの実現のための取組みとして、 した。その結果、高校から推薦を 係でして、直接、間接合わせて建 TPM 活動や ISO の認証取得の中で 貰えるようになり、ある程度人材 機向けが7割程度あります。残り 培った組織基盤をもとに、「人材育 を確保できるようになりました。 がトラックやフォークリフト、そ 成・強化」 「設備の改善」 「仕事の仕 れ以外の産業用機械となります。 組み改善」 の3 本柱を掲げています。 鍛造業の事業所は全国で約 300 社。技術力とフレキシビ リティを発揮して、新しい可 能性にも挑戦 私どもは付加価値を加えてお客 まず、人材育成ですが、中小企業 様に提供するということで、鍛造 にとって人材は宝です。現場の人間 だけではなく、機械加工にも力を も事務所の人間も皆会社の一番の財 入れてきました。リードタイムが 産です。これまで以上に様々な資格 短くなっている傾向で、お客様か 取得や教育に力を入れていきます。 御社が関わる業界の市場動向、今 ら機械加工をして納めてほしいと 設備については、製造業では当 後の見通しについてお聞かせくだ いうご要望が強いこともあります 然のことですが、特に鍛造業では が、2 年程前からは一部鍛造素材 設備メンテナンスに手を抜くと、 藤原−経済産業省(2012 年)の の機械加工までだったのを、先に とんでもないことになります。経 工業統計表では、鍛造業の国内事 進めて組立まで行っています。 営が苦しくなると、とかく後回し 業所は従業員 4 名以上で 356 事業所 になりがちですが、何か「こと」 あります。過去の統計では、戦後 していたきらいがありますので、景 が起こるとそのツケがいっぺんに 間もない一時期は 2,000 事業所以 気変動の波が異なる、例えば鉄道関 回ってきます。また一方で、投資 上あったと言われています。確か 係や建築分野をこれまで以上に伸ば は絶対必要で、生産性を上げてい に、鍛造品が良い価格で売れ、ま していきたいと考えています。 くことも重要です。 た従業員も良い待遇で働いていた 今後は、今まで建機に売上が集中 人材育成に加え、設備と仕事 の仕組みの改善に取り組み、 NEXT 100 により会社の 経営理念を明示 さい。 仕事の改善については、生産管 時代があったとOBの方からも伺っ 理システムから現場のものづくり たことがあります。ところが、最 の改善まで幅広いのですが、ムダ 近 10 年くらいは 300 社前後でほぼ なくムリなくムラなく、ものづく 定着しています。そういう意味で りをしていくには、日々の改善が 必要だということです。 社長が日頃大切にされている想い や経営理念についてお聞かせくだ さい。 藤原 −私どもが創業 100 周年を 迎 え た 際 に 決 め た“NEXT 100” 地元採用が多く、会社の将来 を見据えての定期的な新規採 用を実施 に今後当社が目指すべき経営理念 茨城に来てから、既に 40 年近く を込めました。 になりますが、現場の方は地元採 1.安全で働きやすく、生き甲 用の方が多いのでしょうか。 鈴木 祥順 社長 4 JIR NEWS 2015 製品サンプルの一部 一部の製品は組立・テストまで行ってお客様へ は新規参入がほとんどない業界で 海外移転が本格化し、大手の製造 ないので、現在も日本国内から輸 す。大きな流れとして国内の需要 業のほとんどが海外に工場を持っ 入して調達しています。今は、円 が減っているのが一番の要因です ている状況です。日本にまだ工場 安に振れて、再び競争力が出てき が、事業を始めるには大きな設備 は残していますが、お客様が工場 ましたし、今後とも大手企業が海 投資が必要になります。設備が重 を国内に回帰させることはなかな 外にすべてを依存する状況にはな 装備で、投資金額も大きく、投資 か考えにくいと思っています。か らないと考えており、国内で生産 をすれば一気に生産能力が上がる つては品質レベルがそんなに高く するものは必ずあると思っていま という特徴があるので、新規参入 なかった途上国の企業も、技術レ す。生き残りのカギは技術力とフ が難しいということだと思います。 ベルは上がっていますので、大手 レキシビリティだと思いますので、 企業が消費地に近いところ(中国、 お客様のニーズと我々の持つシー 以前は海外調達ということで、中 インドなど)に工場を作るのは経 ズを捉えて、新しい材料による鍛 国や韓国から安い材料を購入して 済合理性から言ってもやむを得な 造技術の開発と製品の市場創造に 国内の工場で加工していました。 いことだと思います。それでもす も挑戦していきたいと考えていま それが、この 5 年ほど、製造業の べてが現地で調達できるわけでは す。 ご承知のとおり、日本の企業は、 取材を終えて 日本の近代化を思い起こせば、鉄道網が徐々に全国に拡大 あると藤原社長は語っています。 していく中で、鉄道レールや車両から橋梁、トンネルに至る 取材時に、TPM 受賞により評価されている工場現場を社長 まで『鉄』がその主役を務めてきた歴史があります。個人経 のご案内で見学させていただき、現場力を重視して安全操業 営の鍛冶屋から事業を興した㈱テックイトウさんは、鉄道の に取り組む様子を拝見させていただきました。設備メンテナ 後に続くモータリゼーションの急速な発展を土台からしっか ンスのたゆまぬ改善が求められる業界にあって、安全で働き りと支え、100 年に渡り鍛造技術を磨き上げてきました。一 やすく、生き甲斐のある職場をつくり、従業員にとって誇り 方では、海外メーカーが力をつけてきたこともあってコスト を持てる職場でありたいという藤原社長から、真摯で誠実な 競争が激しく、これからの業界を逞しく生き残っていくには、 お人柄と NEXT100 年に向けた新たな挑戦への強い決意がう 未来に引き継いでいく人材を育てていくことが何より大切で かがわれた取材でした。 (鈴木記) 会社概要 株式会社 テック イトウ 取締役社長 藤原 眞久 本社・工場 電 話 創 業 資 本 金 業 種 年 商 従業員数 〒300-0615 茨城県稲敷市町田500 0299-79-2387 1908年 46百万円 各種鍛工品及び機械加工品、熱処理品の製造、販売業 30億円 90人 本 社 全 景 JIR NEWS 2015 5
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