第2回 古典派経済学の成立

経済学概論
第2回
古典派経済学の成立
1、産業革命と古典派経済学の登場
イギリスの経済学者アダム・スミス(Adam Smith、
1723-1790)は、ケネー(→第1回)と同様に生産過程と
資本蓄積という点から経済成長を見ていたが、産業革命に
よる生産力の飛躍的な増加を目の当たりにしたスミスは、
農業だけが生産的であるという見解をとらなかった。すな
わち国富を増加させるのは工業を中心とした生産的労働
であり、労働が商品の価値・価格の源泉であるという労
アダム・スミス
働価値説の主張を成立させたのである。
また、商品生産=市場経済の全面化を、社会的分業と交換の観点から説明し、
市場における商品の価値どおりの交換を「神の見えざる手」による事後的調整
として説明した。
産業革命による近代資本主義社会の成立が、経済学の分野においても「労働
価値説」と「市場の理論」を生み出し、その後の近代科学としての経済学の成
立・確立につながったのである。そこで、スミスからリカード、マルサスにつ
ながる経済理論を総称して古典派経済学と呼ばれる。
2、アダム・スミスの『国富論』
(1)国富・価値と労働価値説1
① 国富:分業と国富増進
スミスは国富を土地と労働と捉え、それ
が一方では作業の分割と職業の分化とし
ての分業(分業には作業の分割=工場内分
業と職業の分化=社会的分業があり、いず
れも生産力を発達させる)により、他方で
は、資本家の資本蓄積の進展による生産的
労働者の増加によって増加すると見た。
② 貨幣論
分業による商品交換の発生とともに、特定の商品が, 後には貴金属が「交
易の共通の用具」として用いられるようになった。貨幣は価値尺度機能と流
通手段としての機能をもつことになる。
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【参考文献】アダム・スミス『諸国民の富(国富論)』(岩波文庫、1776 年)
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③ 価値論
商品は使用価値と交換価値からなり、前者は「ある特定の対象物の効用」を
示し、後者は「その所有から生じる他の財貨にたいする購買力」を表すとする。
次に、交換価値を規制する法則については「ある商品の獲得または生産に
普通に用いられる労働の量は、その商品がふつう購買し、支配し、またはこ
れと交換されるべき労働の量を左右できる唯一の事情である」(82)として
商品の価値が、その生産に投じられた労働量により決定されるとみなす投下
労働価値説を主張した。
だが一方で、商品の価値が、それの支配する他の商品の量により決定され
ると見なす支配労働価値説も主張し、前者と後者の混同がその後それぞれ、
リカードとマルサスによって引き継がれていくことになる2。(→第3回)
アダム・スミスの時代に近代資本主義社会の基礎が出来上がっていたが、
そこで企業家は地主から土地を、銀行から資金を借りて産業を興し、労働者
を雇用して生産を行った。そして、その売り上げから地主には地代を、銀行
家には利子を、労働者には賃金を支払い、自分自身は利潤を獲得した。
この過程を逆に捉えると、資本の蓄積、すなわち資本が利潤を生み出すた
めには、生産物の獲得に要した投下労働量に「ある追加量」をプラスしたも
のが、その商品の交換価値を規制しなければならない。したがって『国富論』
では事実上、支配労働価値説が前提となっている。しかし、投下労働量に付
け加えられる「ある追加量」が、どのようにして生み出されたかは、『国富
論』では明らかにされていない。
さらに、土地の私有がなされると、地代が発生するので、商品の交換価値
は、利潤だけでなく、地代をも支払いうるものでなければならない。
スミスは、資本の蓄積と土地の私有のなされた「文明社会」においては、
商品の交換価値は、投下労働量に利潤や地代の源泉になる追加量をプラスし
たものによって決定され、したがって、商品価格は賃金と利潤と地代から構
成されるという点までを分析したと言える。
ここに見られるスミスの価値論の矛盾点をめぐって、リカード( David Ricardo、
1772-1823)は、投下労働価値論を未開社会だけでなく文明社会にも妥当するものとして、
価値と分配の理論(資本・土地・労働と利潤・地代・賃金)を主張した。他方、マルサス
(Thomas Robert Malthus、1766-1834)は、投下労働価値説を放棄し、支配労働価値説
と需給関係による価値決定という理論にたった。
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(2)市場価格と自由放任
『国富論』によれば、商品の価格を構成するものは、「賃金、利潤、および
地代の自然率」である。商品の市場価格は、市場での供給量と有効需要量と
の関係により決まる。自然価格は市場価格の「中心価格」である。そこで、
賃金、利潤、地代の自然率を追求することになる。
スミスは市場における商品の価値どおりの交換を、自然価格を重心とした需
要と供給の関係によって市場価格が変動し、最終的には「神の見えざる手」に
よる事後的調整されるとして説明した。
スミスの時代の市場は未だ中世以来の古い慣習や規制に縛られ、不自由極ま
りないものであった。そこでスミスは、商品の自然価格=市場価格となるよう
に、「laissez-faire=自由放任」、すなわち古い慣習による規制の撤廃を求めた
のである。
現代では、政府による経済への介入に反対し規制緩和を主張して「小さな
政府」などを掲げる「政策」およびその背景となる「思想」(新保守主義
や新自由主義など)において、アダム・スミスによる「laissez-faire=自
由放任」や「神の見えざる手」を拠り所にしているが、アダム・スミスの
『国富論』は、封建制社会から産業革命を経ての近代資本主義社会の成立、
という時代背景の中で捉えられなければならない。
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