アダム・スミス 「富國民論」 の基本的考察

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アダム・スミス「富國民論」の基本的考察
石川, 興二
經濟論叢 (1927), 25(6): 1153-1180
1927-12-01
http://hdl.handle.net/2433/128618
Right
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Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
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さが本論文を一民するどこゐの私の立場でゐ品。率的研究は熔
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一吾え Z色OB司、(﹁官凶民論﹂)を如何にL て客観的基本的に研究t得るかを考へんどするよ
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第二十五番
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アダ'ム・ λミス﹁静岡凶民論﹂凶器本的考察
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第二十五巻
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について、 その日吾宮崎中長材正明日日形式 Eが印九回川先制到象 Z研究方法ごが艦購開山半成立
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はないのでゐる。却も一つの経泌率的制系は一つの生命館でゐち精帥的産物でゐるが放にそれに
の基礎的諸要因であるこごは何人にも異存のない・﹄ごでゐろうが然L基礎的諸要因は-﹄れωみで
経済
ざする仁めるりでめるが今その考察方法的遇税のみを激的簡単に述べて置か,ヲ正忠ふ。
研究を前提己L
τ これを絡協制山中史上の子、、ーの大著じ誼川し以 tこれを統一的悲本的に理解せん
-﹄、に私が試みんピするピころは縦秘事成立ω基礎的論要図的組織的研究ではなく-﹂の組織的
のである。
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立の基礎的諸要因なるものを組織的 (
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仁理解する時初めてぞの英生命を把雌L得るめである。然るにこれが錦には我々は先寸経消皐成
捉するニ正に努めなりればならなレ。而もこの統一的金制胞をその成立の恭礎的議僚件よ b基本的
でゐるが放に
六
はこれを成立せL め
τ居るごころの日的がな︿τはならぬのである。 アリスト 1 ト 戸 が 目 的 図
頁参 HH) 印ち経済申史目方法的研宜は「経泌串本直前 l~: ~íAJ1: 止せねばな ι 由。
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議
その研究封象を研先する可ころの能力困(内自EOESEO) なるものが考へ
歴 史 的 問 究 が 方 法 的 型 的 1 t,んが l
i.には常に組織的附克彦前提としなければ
論
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ιれねばならぬのでゐる o而してこの基礎的論要図的各が経済事
の経済組一白健系につい 1ても考へ
の成立に封して有する意義はその各につき後に明にせんごするごころでゐるが、要するにこれ等
問者はそれな︿しては経糖畑中が成立ち得ない古事ム意味に於て各が経済問学成立ω基礎的要因でゐ
期︿の如︿一つの経済率的世系は一﹄の四要因よh成って居るものであるが故に今経済率史上に
於りる一経済準的櫨玉川を統一的基本的に理解ゃんZせば、 これを'﹄の経済皐成立の基礎的四要因
よh明にLなりればならないのである。然し一つの経済率的健系を異に基本的に明にせん正せば
兎に進んで-﹄の基礎的回要因の各阜ω基礎をなして居る Zころの基礎的議保件であるごころの其
その基礎的四要因をそれが基礎的諸僚件より先づ基本的に理解しこの基本的に理
の染者の側人的諸事情並に丑の隠史的批命目的論事情をも明にしなりればならない。
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解されたる基礎的四要因よbその経憐準設を基本的に理解せんごするこごは、郎も経済皐的基本
節ニ十五巻
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的なる本質的構造に卸して経務皐を隆史的に究明せんごするのであるが故に、この方法によっτ
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一つの経済皐的健系は最も基本的に且最も客観的に究明し得らる、誇なのである。而し
アダム・ λさと富岡民愉﹂円基本的考底
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本誌、本年十月腕第二丸二百五島問、
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第二+五巻
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第六腕
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彼の大著が出する一七七六年に至る頃までの詩文化域の欣
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クス仁しろ一回の近世的のものが一慮その仕事を成し遂げ
λは彼以後の多︿の経済事者正大いに越を異にして居るのである
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Zミ旦の文化史的地位の特色を簡単に考察して見ょう。
ロ!?が設落するご共に燦然たる古代文化は民族大移動の混乱ω中にその姿を消Lたのであるが
郎丸質的に極的て高きギ uJVヤ文化についで比を量化し量的に極めて大なる文化を打立てたる
kったのでめる。以下この
た時.
の文化史的地位は"ノカ
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た近世的なるものはまにその仕事を成し遂げて居なかったのであった。-﹄の彼の文化史的地位ド
態を一一言にして一式ムならばそれは倫多︿中世的なもωであったのであって近代の初めより始まっ
λミスが生れし十人世紀の初め占
スミスの文化史的地位の特色
今この論に進み入るに先立ってスミスの文化史的地位の特色が先づ明にされて居らねばなら
的研究であって本論文に於て私がその一端を試みんごするご・﹄ろのものである。
如き方法をもってスミス﹁富岡民論﹂を直後の劃象記して研究するこごが印スミ旦富岡民論の基本
論
基督教の放機ご封建制度ピは中世枇曾に強制的秩序を打立て、枇品目生活思想生活の総てをその末
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縛干渉の下に置いたのである。然るに近世の初めよh自覚L始めたる自由 精神は各方面よh こ
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白身富岡氏簡中に辿ると己るによるも明てある。
の中世的束縛ω精紳に反旗を郁し初めたのでゐるが而しその戦は容易なものではなかったのであ
十七人世紀に於りる英闘は其自律的なる国民性よb Lて最もよ︿自由への歩を進め文運奉仕盛
τすら倫中世的遺物たる
λミスの賞時に於
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であって他の欧洲諸国ω模範ごなった程であるが而も
または中世的精紳に立てる干渉 Z束縛金打破し去るこごは出来なかったのである。
例へば十七世紀に於りる英闘の憲法上の紛争は議品目政治を原則正するに至ったごは一去へ十入世
紀的英国代議士は貴族的中等枇曾を標準ごし主ごして民大なる地主から越出きれ、 これに若干の
r頗る保守的のものであった、而して
都市の資本家が奉加したものでめって従ってその議舎はま
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第六揖
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この選場権が演張苫れ-﹄の議曾政治が民主政治ごなるが斜めには其後宵多︿の時聞を要したので
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次に聞宇田介につい11見るも、十七人世紀の英閣は41 コv、
第一一十宜容
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の大皐若者排出し賞附の欧洲の拳界を代表したごは一百七而も一般の拳界は未ザド倫ほ中世的困創
アダム・ストス﹁宮闘民諭﹂の基本的考察
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に停滞しτ居たのであって官時多︿の大亭に於て数へられつ、あbしどころの如きも備ほ依然基
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督激ω奴僕ごなった中世的の率的懐系であって錦仁殺育の致呆を阻害するこピ甚
論
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アダム・スヨス﹃宮闘民論}の基本的考察
婚二十五省
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第六蛾七
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つセこピはスミユ自身彼の大串生活の穂験よ b富国民論の中に強調L て居るが如︿であった。
経済的批曾にあっても同じく新なる艦艇問的自由ω精肺は中世的なる経済的干渉に咽劃して高ま b
来 bつ、あったごは云へ、而も圏内経済に於て職業組合徒弟制度其他中世的の干捗が存続しまた
外闘貿易に閲する獅占干渉が盛に行はれつ、あったのである o子、
Aミ λをして富国民論仁於て﹁質
渉の制度が富の生産及分配の上に頗る有害なるこごを富岡民論中に於て論詮し且力説して居るの
であるが而もそれが容易仁打破す可から5 る勢仁めったこごは
に商業の自由が英闘に於て完全に打立てられるこ正を期待するニごの無理なるこごはユートピア
が英国に於て建設さる、こごを期待するが如し﹂ Z歎悲しめてゐるこ正によりても明であらう。
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クーの資本論(一人六七)等ごの聞には中世的制度を打破
1ミ λの富岡民論Z其後現はれたる経済同学史上の名
円にせし一七七六年は正に米闘が英闘の殖民地に劃する極度 干渉政策に反
スミ旦が其大著 efA
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抗して凋立宣言を畿した年であった。而して
著叫ノカ戸ド?の経糖尿論(一人一七
し近代的自由を確立する上に最も顕著なりし二大事件即も産業革命の展開正体蘭西革命の爆俊吉
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が介在して居るのである。寅にスミスはこの産業草命の置前にあって中世的干渉に封して経済的
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τんニごを以てその使命正し托のでめるが、然らば彼はこの新なるものを打。勺
なるものを打ち立
立てる鋳の理想を何彪に求めたであらうか。
非ごし古代文化を典型ごして新なる文化を打立てんごせしむヘネ
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仰も近世は中世 e
するスミスもまたその理
よb起り来ったのであるが同じ︿中世や非正し新なるものを打立てん E
τ求め以て彼の経済皐を建設したのである。
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的も後に富岡民論に於げるスミス自身の思想よh明にせん芭するが如︿、彼は経済肌干の皐問的
本質じつい 1ても彼以後のリカ
皐に規制されすむしろ古代の精紳哲皐にその範を求めたのである、また枇曾生活の理想についVT
も彼はこれを古代の枇曾生活に求めたのである。彼が属々繰って考へらる、が如︿に仰人的自由
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主義者ではな︿してむしろ配皆川問自由主義者でめるのもこれが怨である。要するに 9 カ F F夕
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第二十五巻
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アダム・スミ丸﹁宮岡氏論 L O基本的'考察
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ころの手配は、後に
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第二十五巻
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のもまたその撃者的能力でゐる。
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あるが真に彼自身に山門町せる歴史的
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T 的能力でゐるがまたこの目的.調象、方法そのもの、確立を可施ならしめる
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一円ノの経梼率的健系をぞれが目的、相到象、方法に従て成立せしむるカピなるぜころのものは毛
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されるご噂﹂ろでゐる。
ルクスが濁逸脊ものユダヤ人であったこ志の如︿に、彼の経済準会館に影響するこ己は筏に明に
契機でゐるピころの闘民性をもまた考慮に入れねばなら泊。 スミスが英国人であったこ芭は、
λミスの文化史的地位は彼の環日明に就てし
へ後の経済血中を諸他的経済事より本質的に匝別するに至れるかは後に於て明にせん Zするごころ
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新︿彼の立場は古代正中世ご近世ごを包括して立って居るのであって、こ、に経済事史上に於
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せしめた能力的基礎ごしてスミ旦の素質及素養を考へたいご思ふのである
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広門戸間巳再三ご云ムて居るがこれは秀れ
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允経崎明削申者に於て司賃設されτ居るごころのものであって、 スミスをして偉大なる経済事者たらし
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めた正ころの能力的基礎は彼山人格的偉大、事質的惜験り豊富、歴史的批曾的資在に閲する厩史
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に理解せんごせば先づ此等ω各々をそれが成れる事情こ一見にそれが彼の経務牟に謝する闘係 Z に
考察して置f ニデ乞要するのであるが、而ちか、る考察は経済事徒たらん Zするもの、なす
精紳科事に明りる大なる
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べき素養の何たるかを経済皐史上の偉人の事寅より率、ぷに於ても意義あるこピである。先づ子ミ
ス的人格の考察よb始めようご思ふ。
刊スミスの人格的表獲﹁精紳科向品干の中に働︿理解力は全人である
Wタイの名言でめるが、
貢献は皐にカ強き知カより世帯るものでな︿人格的生命の偉大さより来るものでめる﹂ごは精紳科
血干の基礎付をもって其使命ごせL ディ
るものは先づそり根抵にあるスミ旦の偉大なる人格であった。
スミ旦の性絡が幼少の頃より阪に極めて愛情仁富んで居た-﹄古は彼の生涯の稀々なる事件全通
第二十五巻
,.......
して見られるごころである。彼は殊に撮情深き慈母には向、︿まれて生ひ立ったのであるが、彼は
τ 基本的考察
アダム・スミス﹁富岡民諭
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この母が九十の高齢仁て死するまで六十年に渡 b孝養の限りを議してその慈愛に報ひたのでゐつ
論
←一一一一一→一一一一一一一一一一一一一…
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アダム・スミ三宮岡民論﹂由基本的考議
第二十五巷
第六観
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r家庭生活を亨げたωみなら AYまた枇曾生活に於τも極めτ順調でゐつ
肯
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h とが如きもまたその率的良心の現れざして考へる
るに及んでその友人をして遺稿を焼棄せしめ れ
論を偉大ならしめたる重要なる源動力でゐる吉田ルム。彼が並(著にいた︿推離を重ねまた死に面す
伎の人格は情愛に富みしのみなら宇また臭理に謝する良心に於て官んで居た。これまた富国民
より出
τた温昨怖が流れて居るのである。
について次に遁よるが如︿である。従って彼の﹁富岡田両論﹂にはその会慢に渡って彼白人間的愛情
をよ(成L巣げ得しめたぜこんの根源カも買にこの彼の人類愛にあった噂﹄ごは彼の岬開演皐の目的
てゐる
ωであるが彼をして経済率的研究を以τ彼ω 一生の最も重要なる任務たらしめ而してこれ
グラスゴ!の鍛工組合よ h救ムて大泉に雇ひ入れ碑々なる便宜を興へた一事件に於てもよく現れ
か(して彼が世ω弱者に同情深かったこ Zは彼が倫敦より移h京市れる者、きヲヅトを排他的なる
よりその性格の本質をなしまた彼の順調なる生涯の中に俊民したものでめった。
った。要するに彼の一生を過して幾らなかった渦和にL て而b 一面情熱的な彼の愛情は彼の幼時
なる気質を有したるが錦に友に好愛せられた言云はれて居るが彼は終生友情に富んで居たのであ
たのである。叉彼は最初の皐校時代に於て一一血性蛾烈なりしが而も他而極めτ親切にして大よ フ
た o彼はかf愛情に山崎ん
議
こ百が出来るのでゐる o
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論
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次に子-ミ旦の経済血干を偉大な白しめたるものは彼が枇曾を事質的に鰻験
するこごが豊富であったニ Eでゐる。彼は事質観察を重する性格を有し十数年の長吉間宮時経済
的に勃興しっ、ありLグラスゴ1 に在りて絶へや聴明なる質業家ご親し︿交り、また大撃を退い
τ後二年竿に渡って大陸に遊んにのであるが、彼にしてもしこの豊富なる健験なかりせば彼は決
λ経構築をして偉大ならしめたる能力的基礎は歴史的枇
してか︿の如き偉大なる経済事者たるを得なかったであらう。
三歴史的枇曾的諸噂の素養突にスミ
曾的・質在全般に闘する彼の歴史的並に組織的研究の素養でゐった。郎も歴史的枇曾的賞在に於け
λミーは正に炉、る素養を有
る諸文化域は漣帯的関係に立って居るものであるが故に其一領域例へば経済的領域を究めんごせ
ぱ諸仙の文化城に腕する知識をも備へて居らねばならぬのであるが
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スミスは阪に大問中時代よb これ等の諸事に興味を有し研究しτゐたのであるが然[十四年に渡
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る長吉聞大血中教授ごして-﹄れ等の血平を講喧し・﹄ごは彼をして深︿これ等の枇曾諸皐 HA
通せしめたご考へられる却も彼自身富岡氏論中に於て﹁凡そ何人仁ても、何等か特定の部門の事
戚々致ふる必要h
r課するこ芭は、貫に、その人をして自ら其事を完全に研究せしむる最有
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効なる方法なるが如し﹂ご一式ふて居るがこれ蓋しスミ月自身の鵠験を物語って居るものであら
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アダム・スミス﹃富岡足論﹂の基本的考察
第二十五巻
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また伯仲帖刷曾当時現象を研究せL りみなら?﹄れにつき著書をなさんと士山して居たニピは﹁道徳
はこれを筏に明にせん Zするが如︿特に注意色るぺきものでゐる。
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新︿ T Zミ λは砕岡崎の枇曾を豊富に慢験せしのみなら宇また遠︿古代ω舵曾にまた臨調(東洋の
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ミスの経済基 を偉大ならしめたる能力的基礎ごして重要耕すべきは彼の
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岨哲事的議養失に
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議
哲率的素訟の深かったこどである o彼は島一生時代より腕に#門事の研究を好んだのであるが長じて
The theoryofmoralsen!
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論
FO宮内自民
代表的なる哲事者でゐ bJ且歴奥家でめったヒユ l ム古親交を結んで終生かはらなかっ代。富国民
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ロ0252EιEω 件。ロ自 o
論中 γ於て彼がをユ 1 ムをュ﹃可昏円匹。目。ω =EE05ち
仰向。ヨ﹁ご呼ぺるこごは彼が ζの親友よ bJ如何に多 (ω 歴史的並に哲率的啓援を受りたるかをも示
すものでゐみう。また彼の名聾を一時に高からしめた﹁道徳情操論﹂は彼がグラスゴ!大拳に於り
、 ユ1
る精榊哲且干の教授ピしての講義に基︿ものであったが、彼はその中に於て﹄ツチェ yy ヒ
ω
E
E
F可(同情)に見
ム等ω思想を総いで人間牲を研究しτ居るのであるが道徳的れ錦の根抵を
ζのこどについては後に詳し︿考察しよう。
4
た仙慨は官岡民論に於て経勝行潟の根抵 官級協胴心に於て見るこ Zによって彼内経済山市研究の礎石を
置(こ正、なったのである。
ιす彼の人生訓及率問論ω上に打立てられ
彼ω富岡民論は彼の人間性研究に立って居るのみな
一一六五
第六棋
h
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て居るのである o この彼の人生観は彼の経済事内目的の根抵ごして後にこれを考袋するが故に弐
第二十五巻
1
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1p
. 275
には彼の向学問論金明にし以て彼の経済事の目的、相剖象、方法山考察に進む土壷ごしたい芭恩ム。
λミス﹁官闘民論﹂の基本的考察
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"
・
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﹁富岡民論﹂に現札たるスミスの皐間論
アダム・
一
,
四
彼が富国民論を著せし時撃的髄系金健に針し抱hvτ ゐ北見解凶骨子は富国民諭そのもの中に於
叢
ヒ
一
τ フかがうこごが出来るのである。帥彼は富岡民論第五編に於τ皐校教育を問題ごするに嘗 ,事
論
一
七
一一一一一一一
一一一一一一一一一一
アダム・スミス﹁帯闘民論﹂
基本的考察
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第二十五毎
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の撃的本質を他
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Zは此等三械の皐の中第コ百論理梨につ
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ては他の二事郎自然哲事並に精神哲皐の碗究を
るよピは宮岡民論の基本的研究にごって注意すべきょ芭である o
れて-彼の経済率的館系を他の経済皐の憾系よ hJ匝別すべき特色正なる優れたる骨子が飯に伺はれ
精紳哲事の本質に開設して居るごころは簡単でゐるが而もその中には﹁富国民論﹂会館に展開
ら
ω諸島宇に掛比せしめて明 Lしなければならない o但しスミスが富岡氏論中に於τ
ゐるが故に彼的経済問宇ω撃的本質を明にせんごせば先づ彼の論宇るところに従って一匂の精紳哲血干
目すべきこごである o而して旦ミスは此中の精紳哲平
ω 一部門正して彼の極構事を打立てたので
形而上率的髄系を排し而して富国民論中に麗々見 bる、古代ヘの憧憶をこ、にも現せる二百は注
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r可)、論理事(円。況の)、が卸らそれである o而し 此一般的分類は
即
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一
、
致しτ居る﹂ご云ふて居る。蛍時存縦せし中陛的なる経憐的制度を排せん Eする彼が中世的なる
τ
大部門に分たれてゐた・物理事叉は自然哲事 (Z釦 古 色 町rLOBZ
之、倫理皐又は精一川哲郎エロ向。E
ジヤの率的鱒采をもって完全なるものであるごして居るのである。即ち﹁古代ギyvヤ哲取は三
をして宗殺の奴隷正し形而上的仁墜落せしめたるものでゐるごして全々これを足り他方古代ギリ
の憧系を論じて一方蛍時欧洲り諸大串に術引きつい Vき行はれつ、ゐった中世的事的健系を以て皐
議
正確ならしめんが潟に起b来った撃であるごしτ居るが故にこれは他のニ皐の研究の震の皐であ
づ
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が故にこ誌に彼自由時有せ L 皐 ~ij諭をろか V ぃ得るのプP ぁ z
論
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るさ云ふ二百が出来る。
次に自然哲事ぜ精紳哲皐ごの区別を明じすれば精刑哲亭の本質を明仁L得る誇でゐるが、
に先づ注意すべきニ芭は、 子、、広が精一脚哲撃をもっτ自然哲朗宇正共に、形而上事たる可らすして
a 論の中にその畿遣を
経験科挙たら5 る可ら宇ELτ 居るこ Zである。 ω・﹄ピは彼が自然哲島一 の
﹄
キへ、話自然現象は最初は測の夜接の働じ鱒し説明せられたが後仁至って人々仁一屠親し九件のめ
る諸原因よち説明ちる、様に努めらる、に至ったこごを述べて居るによっても明であるが、また
此古代の三稲の皐を設明したる後古代よb中世に入って普通の経験に訴へ能はF るものが此等り
率の中に衣第に領域を繍め血甲が形而上準的ぜなれるこごをもって皐の臨落な h E論世るより見る
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τの人々に親みあるものでないものは世間仁信用を博するこごは由来ない﹂E云ふ 1
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均
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居るこご仁よっても明でめる。 か(て彼がこ、に自然哲事及精紳哲曲学ぜ云へるものは今日経験郡
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由宇ご云はる、ものであるニごが知 hJ得るのである。
第ニ十五巻
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第
説
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この形而上率に封する彼の態度全明にして置︿-﹄古は彼の経済魁一ゐ真意を正し︿解するが篤に
-アダム・丸、竜丸﹁色岡氏論﹂由基本的考案
是
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'
、
先づ必要なるこさである。例へば彼が富岡民論中仁於て山口JLEd-oEE な晶一請を周ひたる故を以
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てその経済皐を形而上率的なh zなす者がま、あるがか︿の如きは彼の形而上皐に劃する此態度
前
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第二十五巻
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、
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T bゃを疑はしむるもω
僚件を過度に取鍛ひ研完封象上よbも経済串が精紳科卒なhや自然科趨 な
象芭するものであるこ Eを明に示してゐるのでめる。今日の綬隣接が共生産論に於て雄々自然的
52-5 を研究調
封象正するに謝L精脚哲撃は人間生活に於ける人々の行動 3roB白血ロη仲 良 宮
次にこの雨者の研先制到象について見るに自然哲皐は天髄現象勤純物現象等底(自然現象を以て
ref明に白血描寸る精神哲胤干の一部門之して経済事を打立たのであ品。
てゐるのでゐるこ Zを注意しなけばならない。卸も彼はその学的本質が経験科学的であるイきこ
二岡篇の長きに波つ
τ阪に経験科挙的に設明L置き然る後に於τ微妙子炉-讃歎し工この語を用ひ
経済現象の自然的調和を説明する校球ELたのではな︿.ニの自然的調和の原理はこれを第一第
を知ら古るよ一h起る誤謬でめる。彼はかの形而上血干に於けるが如︿ 4ω 超経験的なる概念を以て
ア ダ ふ ・ λ ミ λ﹁官閤民論﹂の基本的考察
、
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勢働ω質及量を決定する非自然なる事情のみを論じて居るこどは、 スミスがこ、に示して居る肝
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議
究調象の凪別に闘するこの見解を徹せL めて居るのである。
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究にこの雨者の岡引先方法について見るにラミーは精神科挙は行匁の常不嘗(官。宮町。二日目u
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E百円)を問題どするこどを認めてゐるが放に、その研究方法は自然現象ωそれに於ける
J 賞践的方法がそω
草に存在(自主世問題ごするのみでな︿.痕備判断等今日の血中問論に於て所 -間
Wド
夕、
7UFF1
等の自然
τ居るのでゐる。事賞彼が宮悶民諭中に於て理論的研先方法、展
中に周ひらる、ことが意味され
史的研究方法の外に夏に質践的研究方法を適切に用ひたるこごは"ノカ
τは鬼得ざるご--ろでゐるが、その骨子は般にこ、に見ら
科率的意識に規制せられL経焼事に於
λミスの所論自然哲事ご精紳皆同学ごの別は今日の由学問論に於ける自然科事ピ精神科拳ぜ
る、のでゐる。
新︿て
の別に大健相営すべきものでめるこ tが知らる、のであっ t従ってスミーが精紳哲問中ω 一部門ご
して打立てたる彼の経済血中は今日所説精刺科事に相嘗すべきものである。
次にスミスは道徳哲撃の目的について越べてゐる。的それは﹁躍に桐人ピL てのみなら十家族、
闘家及人類的大枇舎の成員正L て内人闘の幸頑己完成会宮古志向耳目自品目U2paso
﹃曲目E
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何に存するかを例究するこご﹂が精一岬哲撃の目的であって上越ω締τの哲卒中諮に最も重要なる
第二十五巻
第六都
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= 宮内出同町内ロ仲買Enra。﹁ちま自問MF5でbるニぜを逃ぺτ居
アダム・スミ九﹁宙岡民論﹂白基本的考察
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注目円。﹃
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﹃岳町自由昨日自﹄ uO
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一一一一一一一…一一一一一一一一一一
アダム・スミス{円前闘民諦﹂由基本的考察
第二十五巻
-一七O
る経済率なる新な皐を確立する潟に彼の生涯ω最 善ω努力を捧げたのである。
スZ ス経済皐の目的
第六時帥
BEO 仕切。目。門医口問砂町耳]呂田問。。品 pmR民自由 ω品。号、自品目日中
RF何 E
回目的困なるものはそれの篤になる様仁行錦がな古れ而して行錯
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吉一五Lて居るが旦ミ旦経済率の目的は卸守ミ-経済準
λミ旦経済挙を根本的に理解せんごするならば、ま允旦ミ旦経済皐の目的を明仁
1ミーが彼の生涯の最大なる使命ぜし彼の率的生命の最も盛でめった十数年の間専
ミ旦の知的興
λ
1
臨怖の産物でゐるごしτ解せんピするならばこの大著の異意を根本的に読み取るこ己は到底出来な
ι その心血を注νだ大若である。故に若しこれを以て車に経済的樹象芥に艶す手
富国民諭は
しなりればならないのである。
のである。故に
の目的闘でゐって彼ω経済率的研究の一切がニれを目的 Zしこれが怨になきれて居るピころのも
がそれを目的ピする Zζ ろのものである)
ED問 巳 dqE岳民MORZS 払自ω
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五
を先づ知るこどが、彼の絞裕血干の研究に卦し有する意義弘以下関にきる、でゐろう o
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排てよ越の如きギ yvャ的精肺哲息干の精品刊に立ってスミーが彼の経済事を打立てた EZ9A昔
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らない。而してこれが卸ち旦ミス経済事ω目的をなす正こんのものでゐる。
前遁せしさこみの人間愛に富む彼の性格が、経済的謝象界仁劃してこの人格的関係を生守るに
ω思想に於て求めて見るこ Eは彼の経済拳の目的を
至れる内面的契機を富国民論自身仁於りる彼
校本的に理解せんが震に意義ゐるこ芭であるピ思ふ。
彼は初め英国教曾の借侶たらしめられんが治仁オツタ旦フォード大事に逢られたのであるが、
飯仁それ以前グラ旦ゴ!大挙に於τ、後年彼がその精紳哲事の講座を継承するに至るべき恩師
国民nFE
。ロ の講義によら強き戚化金受けたる彼は、骨師時血問中世的紳皐的であったオツク 1 7ォ !
r大事の正規の曲学科を好ま守して古典、倫理挙、政治皐等の研究に全力を奉げたのである。富岡
民論中に於りる以下の彼自身の訴は彼が中世的超現世的のものよbも古代的超現世的なるものへ
興味含有するに至れる内面的契機をよ︿現はして居るご思ふ。即も彼は﹁人聞の幸一刷並に完成が
何に存するか正一再ふこどは、古代の精榊哲挙が研究せん Eした目的であった。この精励哲半に於
ω半繭並に完成に役立つこごであるごLτ 考へられた。然るに精紳哲拳
第二十五巷
第大腕
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ては人生の義務正は人生
U 制民間﹂の基本的考楳
アダム・スミ丸﹁ 旧
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並に自然哲向学が紳挙に役立つものさしてのみ敬へちる、に至った時に於ては人生の義務以来世の
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生活の幸繭に主ごして役立つもり ELて考へられた・-・:龍排t禁欲的道徳ピが多︿の場合準校
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アダム・スミス﹁富岡民論﹂ O基本的考察
第一一十宜容
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第大統
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四
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τ財産ゐり地位ゐる人々は人川的責い施力を鎌足品せるこどが出来るが一般山人
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人々に於て級協抑的生活に拘る二 E著しきこごを髄山糊したが殺でゐろ フ。印彼は富岡民論り中に於
然るに彼が其中特に級協相事に最善を致すに至った所以は此人生り辛踊ご完成が枇合の大多数の
満足しっ、止まったのである。
b まで十周年に渡って二の講座に蓄に
を自ら講するこピ、なり一七六三牛大離を去って仰凶に遊 止
ゴ1大卒の精紳#同事
ω講座を担賞するに至 b彼が最重要叫する人生ω事踊ピ完成を目的ごする胤
郎彼は品開臓の彼の趣味仁泊せ百るを品川つ T流入等の巾山言にもごって鮪闘したのであるが後グラス
完成ピを目的 Eする精紳哲皐の研究に愈々波頭するに至ったこごは嘗然 E考へらる、のである。
桶と完成ピ e
T念正する人道主義的精紳ごなって畿日成L斯︿て彼は成長する仁つれて人生ω卒緬 E
一抑は現世に於ける人生の幸一服完成を重干るギリジヤの人道主義的人生訓に鯛れt枇曾の人々の幸
事の多︿のもの、質放であるこ子三週べ
τゐる。郎も前述せL Z一﹄ろの、彼的性絡をなす愛の精
のが最も甚L︿腐敗ーした芭ころのものぜなった。﹂吉云ひ而してまた炉、る朕践が営防欧洲諸大
教育の精脚哲山品干の大部分を形成L
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ι 。新︿の如︿にし 哲風干の総工の部問中迄に最も重要なる b
t二
ζ ごが殆 Y﹂由来な
ν。彼等が働︿こ百一か出求るや脊や
にt つてはそうは行かぬ。﹁某等の人, Mは 数 百ω潟に用び得・ 0時間を殆どもだない。彼等内雨親
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れ t同時に、 彼等の勢
彼等は彼等の生活資料を得るこごの出来る何等かの仕事に従事Lなりればならない。真にその仕
-訓練を興へなレ。然るに、
τ理解カに殆y
事は一般に単純且一律であっ
働は間断な︿且激烈であるが故仁彼等は他山事例に従事L またはこれを考へるこごにすらも殆ど
円
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身。ごr
﹂正一再ふてゐる、また現代的批曾に於ては
暇はな︿而してそう云ふ気には一見になれないりである o
﹁小敷市り人の能力は大レに畿日比せしめられるが而も、枇舎の大多数の人々 (昏mqE
roHMロ
切
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ヨEOE222)
官。匂一巾)に於ては人間ω性質の高向なる部分り絡τは(色匹。ロ。E 2 3耳
大いに削 h去られ消滅きせらる、 J t 云ふてゐる。而も彼は﹁会々心に於て存するものであるご
考へたωである。郎生活山貧困が耽曾山大多数ω人々に正って奥山り人生
ころ的幸踊又は不幸・は身礎的朕越よりも心的健康又は不健康、完全又は不完全なる吠践に必然に
依存するもωでめる
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の幸一酬でゐるごニろω人間 ω精紳的諸能力的畿財此に大なる防省ごなってゐる一品質を彼は明に見た
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のである。
FT念正する彼の人道的精神は枇曾の貧困なる多数の人々の経梼
於弦枇曾ω人々の辛踊ご完成
τ彼は此人格的関係の上に立って人間
第二十五巻
"・..".,~,
的生活を増進せんごする会盆的精紳正なって脇田展し来るニピは常然でめった。卸もニ、に経済的
アダム・スミス﹁白岡民繭﹂ゆ基本的考察
、
調象田抑に謝する彼の人格的関係が成立するのでゐる。か︿
議
の幸頑芭完成正を目的 Zする精紳哲血干の中に人間の経済的生活を増進し以て人閉山幸繭t完成を
論
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アダム・スさ
λ﹁苗圃民論﹂自基本的考察
第二十五巻
四
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が経済事を富国民論中に於て含岳民
Zは以上の意義に於て解すべきでゐろう。
か︿て唱。釦
EZop(閥民のん品)なる概念は、彼の経済息?の目的を最も簡明に表は[一居るご
町
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ころのものであるが故に彼の鰹糖事の目的を更に明般にせんとせば・回の﹁園民の官﹂の性質を彼の
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P52。ごF04司2 5 0Z
円 色0
5)をもって彼の経済撃の課題ごするに至ったのでめる。
である o従って彼は﹁諸岡民ω宮ω性質並にその諸原因砂研究﹂(﹄P
HZ日々古zpnZ創宮司 E丘
生活を豊にするこ吉郎、﹄の意味に於て﹁岡民を富ます﹂-﹄子炉﹄以 彼は彼の経済事的目的芭したの
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生活の錦に用ひらる叩へきものにからでゐる。か︿て結局岡家的成員ごしての人 b印図民の経済的
局一に踊るものである o何ごなれば後の牧入は岡氏
に劃して十分なる牧入を閥家に供給するこどでめる。・・・﹂と云ふτ居るがこの二つの目的は結
ω枚入よ b得られ而も悶家を週L結局人民の
04E
(宮司同
BZBORErω 官自白岡町仲宮町内 019)でめ h : ・ 而し司第二はるり仕事
巾創立自民E
彼は・﹄の血中の目的を明示して ﹁第一は人民に濁して十
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r枚入叉はE官官wr官官rrこご
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q 富市OE己EBB-喧(かの芸r重要な品事)ピ呼んで居るニ
計るこピを目的ごする極焼事なる一部門を建設するが第に彼的心血を設内、に至 ρたのである。彼
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居る。
n山 牧 入 に つ き 周 民 の 官 を 最 害 せ ぎ る 方 法 を 研 究 し て
と LてJi::め更にそれが
提
EoEミ(倒民の官の佐賀)を明仁するこピを重巴其諸原図の腕究ご並べて彼の大著の題名古せL所
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以は唱﹄の重要なる意義を有する己ころりものが屡々一謀って解せられ震に経済皐の奥目的が謀られ
r﹂而してこの結果が重商主義の原
﹁富が貨幣即金銀よち成る芭考へるこ古は俗見である﹂が﹁この俗見の結果欧洲の総ての闘
従ってまた経済事研究会健が不嘗なるものごなった芭考へたが放でゐ品。例へば彼は重商主義に
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τ
1
民は白闘に金銀を堆積する錦のあらゆる可抱な昌手段を皐ん
理ごなったのであ b斯︿て重商主義はこの意味に於τ困を官ますこ芭(件。自民会岱mgE与)をそ
の目的正し従って辛の師引先は奥の経掛皐正して不常のものEなった'﹄正を示してゐる。卸-え見
Lて
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はこの彼が重商主義の富の概念である古考へたるごころのものに劃して異の宮の概念を間明し以
当日比
REEEBE品
nrozmztqE3ロ自由円三岳弘-50ロ
λミ旦は宮国民論の胃頭に於てその性質を設明
て経糖曲中の奥の目的を明にし以て経済事会憧の研究を正しきもの Zなさん正したのでゐる。
斯(﹁図民の富﹂の性質を重じ北る
内4mqE民
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一ωPOPE
宮口E-ZF050町
τゐる。
rpμEE--﹃noECER--zt云ム
。。一2SEEn一虫色町伊豆町n
第二十五巻
俸六部
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先づこの﹁国民の官﹂の内容について注意すぺきこごは彼が﹁図民の官﹂についてその消費性を重
じたニ芭である。卸彼はこれを﹁岡氏が年々消捜する己ころの必要品及促宜ロ開﹂である Eして居る
アダム・スミ A﹁吉岡民諭﹂心基本的考畠
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主oロ(年々の消費)耳払耳目︼吾(臭の宮)月弘司ZEO
のであるがまた-﹄れを図民の Eロ
議
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(異の牧入)等ピ呼んで居る。郎丸彼は異ω省は消費財であるこどを高調するものであって、重商
簡
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アダム・スミス﹁富岡民諭﹂白基本的考察
第一一十五巻
一一七六
第六掛
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中流以下り人々的会的投が禁盆 l於ーのみなら千禁制倣仁於
τも中流及中流以上的人々全閥的消
を高めるこ正を念ピLたる ζ Zよb見るも阪に明なるのみなら争、彼は﹁件闘に於て下肘民又は
ある。 このこどは上越した如(閥民中貧Lき大多数りもの(内﹃再開
E 仲﹃o々。ごZ301この生計
問題につき真に注意すべきは彼が岡民ω中にても就中多数的貧しき人々を脱中に於て居るこ Zで
一員ピL ての人聞の卒踊及完成﹂を計るにゐりごするこ古よ hも亦営然でゐる。然し-﹄の主健ω
が富の消費性を重宇るこどよりも常然であるがまた彼が精紳科準会髄ω目的を﹁岡家其他枇曾の
﹁園民﹂自身卸岡民的批曾を構成せる成員自身でゐるこごが注意せらるぺきである。このこごは彼
次にこの﹁闘民の富﹂の主髄について先っそれが重商主義ω場合に於りるが如{闘ではな︿しτ
﹁人聞の幸一淵及完成﹂を計るにあb 正してゐるこごのみよhするも阪に嘗然の・﹄どでめ一る。
の只一つの目的であ b眼目である﹂ Z述べて居る。而してニのこごは彼が精紳科血中全般の目的を
産きる、消費財﹂をもって岡民の宮ごしたるこ
Fr稀讃して居品。彼はまた﹁消費は総τの生産
を極力非難し、 これに反L て重農主義が倫狭きに過ぎはしたが而も﹁枇曾勢働によって年々再生
o民会2 0
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自与 Egq) を富ごした芭考へこれ
主義が﹁貨幣なる消費L 得ぎる宮﹂ (FOEnBE
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費量よりも誌に大であるご一耳ふニ Zは泣意すべきこピである﹂芭述べて居る。まだ官同民論会醐胞
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の計査を述吋るに嘗つτ其前四篇ω目的につき﹁人民の大多数のもの、牧入が何に於て存するか
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) 彼が祉官。大多勤をなす貧者自生計を重じたととは 1p
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z云ふこごを説明するこ芭 (4021弘ロ日三百件﹃Enoロω町
官。唱円仰とを目的ごするものであるごなL彼が枇曾多数の貧者にウいて述べるに蛍つτ用ゐて居る
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λがその経糖由宇の目的正せし己こんの﹁国民を官ます﹂
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o官01町二なる語を特に用ぴてゐるこごは注意すぺき ﹄ごである。
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上述せしさころよりして子、、
は園民枇曾の大多数をなす貧しき人々仁人間ごしての生活に必要なる生計を興へる事を以て眼目
正しτ 居るニ古が明ごなったのでゐるが、現に旦ミスはその若の中に於て一方彼がロ22自民自
{必要品)ピ云へるものが皐仁肉種的生命を支へる銭に欠︿可かなゴる己ころのものご云ふが如き
狭義のもω にあら5 るこ子宮特じ注意する己共にまた他方依裕ゐる階級的蓉修を蕗々に非難Lて
居るりでゐる。
第二十五巻
キに願者に現ちはれて居る。
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スミーはか︿の如き意味仁於τ闘民を宮ます三千点こごをもって彼の経済事的研究会館の目的
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ごしたのでゐるが、然し真に此目的の有する近代的意義己此近代的意義を唱﹄れに興ふる根祇正し
τの文化史的事情ごが明仁吉れねばならぬのである。先づその近代的怠義 4 h逃ぺんに、
の経積皐の目的正せし芭ニろごギヲジヤ精紳科皐の目的正の聞に於りる形式上の一致の下仁か︿
アダム・スミス﹁古制民論﹂の基本的考察
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る、質質上の意義の相違が明にされねばならぬのである。即スミメの経済皐はギ P Vヤの精紳科
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﹁宮岡島論﹂白基本的考察
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ギ叫ノシヤに於けるが如注人附一小卒等削に止まh得g bし Z共に他方新に起・ 9来れる時代はか、る
先づ一方中世を通じキ y
λ ト歌山,統般を受りて人格符重山り念を加へ家ムリL近代的精神はもはや
事情に目
のみをもってしては説明L得べきものではな V真に進んでス主ーの立った新なる附代の文化史的
越せL t・-ろの彼の性格が人道的精一脚に豊なちし-﹂E、嘗時多(の人々が貧困に憎み居b L事賞
然らば彼内経隣組・
ω目的が斯る況代的意義を有するに至 hJし所以は何でゐるか。このこ苫は前
吉一宮ふこ Z のみ J bするも彼は具に近代経携帯ω組たるに慣するのである。
ての問題は具に枇曾的諸制貼よ b考察苫れるに至った
ωである。而してこの経済牟の問的の磁立
全国民の富の概結よ h経済の綿ての問題を考袋したのであって、新(て彼に於て初出て経済の総
闘民論はこれピ反謝に枇曾大多数の貧困者の辛調会その主眼己子えしたのでゐ品。郎も彼は具に
例へばア91ト1 ト戸に於
、る奴隷階'泌を必然のもの Z考へまた臭り文化ω持に必要なものであるピ事え考へたのでゐる。
τも此等奴隷は天の命でゐる正して考へられたのでゐるが旦ミ の常
ゐって市民の下に隷属せる貧困なる生産的労働者階印棋を意味しないのでゐってギ yvヤ思想はか
品のでゐるが而もギリ JVヤ精肺哲且干の目的正せし人間(自自)は、主正して市民を意味するもので
人聞の幸繭正完成)を目的ごするものなるが故に形式上に於てはギ yvヤのそれ Z 一致して居る
捜
貧困的般態 4 b人類を救梼すべき可能ω盟問信を人々に有せ L Uるに至ったのでゐ品。
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論
郎十七世紀に於げる議文化岡家に於る哲曲学者及自然科皐者聞の協力が数物的自然科盟午、其哲率
的基礎附、其生活への路用を結巣Lたこ古は人類内思怨生活に一大革命・どもたらしこ、に文化ω
新なる指導的諮思想が生μ出る-て己、なったのでゐる。卸理性の自体・認識による自然内支配、
枇曾生活に品到する理性的支配ω理想、諸閥民聞の文化の進歩に岨到する漣棉の概念、科準に件ふ人
類の絹へ F る進歩の信仰等が卸それであった。
この新なる思想的地盤に立った旦ミスが科学りカによ h枇曾に多数ω貧困者の存する原因を究
λ
が・国
明にし其等のものを経済的に高上せしめ得る可能を信宇るに至るは常然であるが・真に蛍川英凶
政府の欧訓側諸国中最も俊秀なる制度の下に岡民り生計ω向上 1行く紋般を目撃せし子三
民的経済生活ω調和的畿展的可能に劃する信念を一一居強めるに至るは嘗然でゐる。
然L ながら賞時の文化史的事情は旦ミーの人道的精神をしτ車に一岡民内的調和的後展の可能
を信号しめたるに止まら宇夏に康︿闘際的経憐生活の調和的資展の可能をも信 Arしむるに至った
のである。郎ち前遁せし新時代の思想生活の大革命がもたらせる人類の連帯的援瓜可能の思砲が
r何時の時代にも見得なかったぜころの蹴鎖せる
十人世紀山後宇期に於てロ 17の全盛期以筏求
τ生悲し大文化ω観念(品母国内問ユ同品2mg印刷自
卒和服銭が各図閥に存した芭云ム事賞ご相待つ
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第六都
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麓"伎は富岡民諭 '
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問巳E﹃)の下じ於てスミ旦が岡際的経済生活ω調刺殺展り可能セ信干るに歪札るは常然である。
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新︿て彼の経済問申は結局彼が精榊哲事の円的正した言ニゐの EpoEHV2
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官ιの謀本的考録
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アダム・ムミス﹁宮闘民諭﹄山基本的考袋
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国家並に人
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Z邑oEなる複数形を周ひたこピは此意義仁
ω意味を十分明にした Z思
1経済畑中の一切はこの目的より規定苫れるもの
所以も此﹁岡民を官ます﹂ご云ふ目的が新︿して此大著
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化史的事情も以上に於て明に古れたのであるが、今これ -fTUFF-経済皐の根祇をなす守閥的な
此目的成立の基礎的保件冗る旦ミスの調和的人生観及び-﹄の人生観の根祇をなす伺人的並に文
会館 生命をなす・ものだからである。
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がスミーの比大著を特に﹁官闘民論﹂ご呼
であり従ってその劉象もその方法も亦これより規定されるこざは後に明にするが如︿でゐる。私
0・ スミ
ふが、前越せし目的悶なるもωの本質よ -
以上に於て私はスミス経済構の目的たる﹁国民を宮ます﹂己一式ふこご
於て解するこごが出来るでゐらう。
Z Zなるのである。 エミーが其著ω題名に於て特に
ミス経済事ω目的たる﹁閥民を官ます﹂三去ムこさは結局国際枇品目に於付る諸の﹁岡民を富ます﹂こ
τ の人間的辛踊完成)を以てその目的ごするに至ったのである。新︿してス
類大刷合叫成員ごL
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る人生制及年倒的なる倒人的並に枇曾的事情に劉比する時、彼の調和的なる人生翻が彼の経済事
会韓日現れて居る所以が最も明 Zなるでのらう。
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なは遜んでスミス経済事の謝象設に方法を考へねばならぬのであるがこれは改めt諭中るとご
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