http://utomir.lib.u-toyama.ac.jp/dspace/ Title 市場経済に関する学史的

 Title
市場経済に関する学史的系譜と環境論の位相
Author(s)
桂木, 健次
Citation
富山大学紀要. 富大経済論集, 49(3): 599-608
Issue Date
2004-03
Type
Article
Text version
URL
publisher
http://hdl.handle.net/10110/3074
Rights
http://utomir.lib.u-toyama.ac.jp/dspace/
市場経済 に関する学史 的系譜 と環境論 の位相
桂
木
健
次
は じめに
問題視角 としては,経済活動/人 々 (
社会) の豊 さのために,市場 にたい し
ていかな る政府 ほかか らの社会的干渉 と介入 ・規制が要請 され るかを,環境論
の位相か ら考 え る。 まず,市場経済 モデルをめ ぐる問題が何 かを図示す る。
同感 ・倫理 ・神
■
市民的主体の形成 :市民社会論
(
市民社会の倫理的基準 と合意)
上
市場 メカニズム (
市場経済)
調整 (
一般均衡) :理論 モデル
等価性モデル もしくは 「
市場ゲーム」(
競争)
←
制度 と非市場
(
社会 システム)
自由主義 (
主体 と競争)
自助/契約の社会的再定義 ;思想モデル
Smi
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)
」
各人が 「
公平な観察者 (
をその内面 に持 って い る
†
国家 または社会的規制 (コン トロール)
1.「社会 (
内)均衡」 という位相
市場 システム的社会 の成立 (アダム ・ス ミス的課題 は何 だ った′
のか) をまず
整理す る。 ス ミスは, その 「
社会的体系 (
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」の原理 的定立 において,
-1
1
7(5
9
9)-
『道徳情操 の理論 』(6版) における①「
徳」の適合性 と「
情操」の是認原理⇒「
観
察者」と しての「同感 (
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」,② 「公平 な(
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mpar
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)
」同感 :人 間の社会
化(
市民化)
過程での経験 の内面化 の市民的形成 として提示 した。 それは,経済
科学的には<市場 >経済 システムの学で,方法論的個人主義に基礎を置 くとニュー
トン力学的な経済学 を呈す る。 つ ま り,個人の選好や評価 を説明す ることでは
「
神 のみえ ざる
な く,選好や評価 を需給 を通 した 「
市場取引で表 され るもの」(
手 」)として受 け入れ ることによって,経済 システム ・政治 システム ・社会 シス
テムのSubs
ys
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e
mへの分化(
国富論第5
編)
が学的編成 としてな された。故 に,
経済 システムとしての 自己調整的市場 (
一般的均衡,競争的市場均衡) とした
ス ミスの「
見えざる手」は,一つの均衡点か ら他の均衡点への調整であ って,市
場 それ 自身 には 自己組織化 を しない とい うことの黙示 であると同時 に,「
望ま
しい状態」と価値判断 されていて, この構 図は現代 にいた って も古典派復活論
者(
マネタ リス ト, サプライサイ ド,合理 的期待形成論)
,新古典派 に継承 され
てきたが, ス ミスにおける検証 (
経済的均衡 における社会性)がスポイル され
て しまっている。
2.ケ イ ンズ, 国 家 ・社 会 的規 制 , お よ び制 度 派 経 済 学 の位 相
ケインズにおいて注 目すべき点は,資本主義の未来を 「
酸素吸入テン トの中」
に管理 されるべきであると見定め, その酸素 を供給するのか政府の役割であると
了解 したことである。ハ ンス ・ブレムスのいう 「
不完全雇用均衡 」である。(
1
)国
民所得 とい うマ クロ管理すべ き経済活動集合 (
GNP概念) を 短期的政策志 向
(
流動性選好) として理解す るか,長期的関連 (
GNPと経済的福祉) の国民所
得決定理論であるかをめ ぐり, ケイ ンズ理解が分かれ るところであるが,ケイ
ンズに対 してラスキ ンによる批判がある。 内部性 という限 られた地平線上で個 々
の企業が利潤最大化 を追求す る市場社会経済 システムでは, 自然の恩恵を最善
に利用す る課題への対処 は困難であ り,時代 はます ます 「
外部性」 とい う内部
ー1
1
8(6
0
0)-
の計算 か ら漏 れ る福祉 の観点 か らの重要性 が増 しつつ あ るとす る。 しか し,
「ケ ンブ リッジがケイ ンズをつ くった」 と言 われ る社会倫理的背景 (マー シャ
ル, ピグー とケイ ンズ) を考察すべ きとい う指摘 もなされた。
均衡論 と並んで社会経済学的視点 (
「
有機的成長論」
) への関心 と 「
生物学的
方法論」へ展開があ り,「
経済騎士道 的倫理観 に支 え られた建設的競争」 とい
う視点である。 自由競争 (
市場)の下での生産資源の最適配分 は 「
理念的状態」
情報) の不完全 とい う意 味での
で, その配分 を妨 げて い る要 因を 「知識 」 (
「
外部経済性」に求めた 「
新l
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」(
1
9
0
7
,
マーシャル-ケイ ンズ, ピグー)
であろう。 神 の もとでの利殖 を失 った嘩 代 における倫理体系を強 く意識 して,
物質的な豊 さに価値 を求 め るのでな く, 「
私 にとっての問題」 とは市民 を幸福
にす ることが利益 にな るとい うわが孫達
(
1
0
0
年後) の 「
経済的可能性」 を射
程 にいれて,富の蓄積が社会的重要性 を失 う 「自分の行為 による遠 い将来 の結
果への関心」「
手段 よ り目的を高 く評価,効用 よ り善」 を選択
(
「
紡 ぎは しない
野のユ リ」 に も敬意 を払 う) とした ことは見逃せない去 (2)
制度派経済学の把握位相 は,経済活動の主体 の定義 (カ ップ) に特徴付 け ら
れ る。 「
制度的人間」(I
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)行動
(
思考習慣,行動習慣) として,経済社会 を 「
全体社会 システムのサブシステ
ム」一開かれて動態的なサ ブシステム(
システム論 的アプローチ)
で把握 した と
ころにある。 「
社会的費用」とい うカテゴ リーでは,経済の開放的体系的性格 と
い う方法論 的指針 において,「
外部性 」(
大気汚染)
とは,営利的企業 にとっては
「
外部的」であ って も,経済の全体 システムにとって は 「内部的」とい うカテゴ
リ」 での「
社会的費用」の定義である。 制度派か らみれば,需要 と供給 の均衡 も
サブシステムの小部分で しかない。 こうした制度派経済学の特徴 は,
・生産 と消費の開放体系
・進化 :技術変化 と循環的累積的因果関係 の動学的プロセス
・計画化への認識
・規範的科学(
社会 目標 ・目的の定式化)
-1
1
9(6
0
1)-
としてまとめ られる。 (3)
(1)ハ ンス ・ブ レムス (
駄 田井正訳)『経済学 の歴史(
1
63
0- 1
98
0)
』多賀 出版(
1
996) 第 Ⅴ部
(2) Ge
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pp.
1
051
27,
1
993
(3) 上 村雄彦 『カ ップ ・ミュル ダール ・制度派経済 学 一一 つ の経済学批判』 日本 図書 セ ン
ター (1
997)
3.パラダイム (
視座)の進化
古典派経済学的 ・ニ ュー トン力学的 「
変化」概念では,「
合理的 (
功利主義
的) ・演緯埠方法論 (
-神 を 自然界か ら,人間をほかの生 き物か ら区別)」 か
らの 「
永続的進歩への線形的史観 (
短期的機会追求)」 による,市場均衡 ・定
常状態 (
静学的均衡)への回復過程-変化があるだけである。
これに比 して,制度派経済学成立の視座 (
背景) にはダーウィ ン的変化概念
・
があ り,s
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mの累積的変化-成長過程 :発展的 (
力学的ではない)定理 と言
える。 (1)
例えば, カ ップの 「
利用可能資源の範囲内での最低費用での人間の不可欠な
▼
必要充足 とい う原理 」である。 ho
moe
c
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us (
孤立的個人) とす るホ ッ
プスのいう 「自然的状態」では,社会的存在 (
集団) としての人間個 々の欲望
充足や行動が欠落 していろ故 に,個 々人間の 「
交換 ・契約」が無数 に連結 して
「
市場経済 メカニズム」が形成 されると説明され る。 また, 新古典派的消費行
homoe
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us
)論 もパ レー ト最適な資源配分 とい う 「虚構」 の仮説 に
動(
止 ま り,選択の善悪が問われない。「
経済」 とい う人間の欲望充足 に不可欠 な
物財の調達 におけるi
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な仕方の経済行動 は,合 目的的な行動の論理
化 された視野か らは外れて しまう (
形式的定義 としての 「
経済」)
。
制度派 といわれ るように,社会分析への規範的接近 (
①社会的効率の判断基
準②操作可能性)が,行動基準 ・成果の量的指標 (
国民所得) に求め られ始め
-1
2
0(
・
6
0
2)-
た ので あ る。 「オー プ ンシステム と しての経済 システム (
全体 システム)」 は
動態的状態 の
「
他 のサ ブ システム」, と りわ け 「
生態系 と経済系 のバ ラ ンス」(
維持) に開かれ るとい う定義 まであ と一歩 である。 (2)
(1)上村,
前 乱 第 3章
(2) この件 に近 い問題視野か らの塩沢由典 『市場の秩序学』(
筑摩書房 ,
1
990) は,
「
定常系を再生産す る」ところでの 「
経済」定義の取 り戻 しを提唱 していて注
目され る (
第1
0章)
。
4.市場 と非市場 (
制度 ・自然環境) との均衡か らの批判的視座
成長 の限界論 の先達 には, F.
ソデ ィによる経済成長理論への批判がある (1)。
ソデ ィ 「デカル ト学派 の経済学」(
1
9
2
1
)では,「富 は貯蓄できず, ただ支 出
しうるだけの フ占-」 とす る点で,古典派 やケイ ンズの長期的均衡論への批判
真 の富 (
資源 )
」 は太陽か ら来 るエネルギー フローで, それは
が顕著 である。 「
経済過程では消費 され るだけであ り,「
資本」とい うのは 「
物理 的 にはある対象
に具体化 されたエネルギー」 の様態で,エ ン トロピー法則 に支配 され連続的減
耗 の法則 に従 っている 「
本来的には蓄積できない」 とい う視点である。 これは,
最初 の資本 を植物 (
太陽エネルギーを蓄積) とし,エネルギーを経済学 の出発
点 とした。 アイジオ クラ- ト (
重農主義) が土地 に富の源泉 を突 き止 め, マル
クスであ って も交換価値(
富の貨 幣価格)
の起源 を「
人間労働」とい うことで示 そ
うと したのであ って,人間労働 に富の起源 を示 めそ うとしたのではな く, イギ
リスは化石燃料 に蓄え られたエネルギーで作 った商品を,他 の諸地域 の食料 と
交換 しているに過 ぎない と喝破 した。
枯渇性資源 の世代間配分 :こう した資源経済的思考 を挟んで,経済理論 の適
時基準への関心が出てきた。市場が, それぞれ 自己の選好 を もつ利 己的な経済
諸主体 を前提 に成立 しているとすれば,将来世代 に対 しては,現在市場率 よ り
低い 「
社会的割引率」 を適用 (
ゼ ロやマイナスの割引率 さえ) して次世代 を射
-1
2
1(6
0
3)-
程 に入れ る理論が成立できる。
しか し, まだ生 まれていない未来世代 の諸主体 は,野生生物 同様,現在の市
場参加 し入札す ることが出来 ないとい う市場の失敗がある。 将来世代の需要 を
差別 しないためには 「割引率 をゼ ロ」 と仮定す る (
G-レ-ゲ ンの提言) しか
ない。 こうした 「
割引率」 とい う経済外的な問題意識 は,制度派経済学の研究
題 目で提唱 されたのであ り,将来世代 についていかなる割引率 を適用す るか と
い う回答 は経済理論 (
古典派 ・新古典派) の中にはなか った。
サ ミュエル ソンの 「世代交代 モデル(
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)
」:
新古典派 内における内省である。 「
適時的な資源配分 は,部分的 に重な'
りあ う
世代間の取引か ら生 じる」 と付 け加えたのである。 しか し,その定義的限界 は,
枯渇性資源が昔 の世代か ら通有 して償却 されてきて,現在世代か ら新 しい将来
世代 と部分的に重な りあ うその世代 の稼 いだ所得 の一部 と交換 され るとい う仮
定 であるが, この場合,「内在す る次世代へ と手渡す枯渇性資源」 の過少評価
が拭 い去 りがたい。
将来需要 に も現在市場や一定 の価値 を与 えるとい うこと (
割引率設定)の問
題 は,将来世代 を価値評価す る 「
倫理」的価値判断が必要で, また技術 とテク
ノロジーの歴史 (
見通 し)が必要 とされ る。
(
(1) H.
E.
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(
1
98
7)
,桂木 「負債 と しての資本論 」 『環境経済
学 の研究 』,
8章,(
松香堂, 1
996).
5.環境経済学的視座へ展開
環境価値評価 (
CVM) と 「富」の定義 :
マクロ管理的必要か ら,古典派 (ス ミス)の 「
人間生活の必需品 ・便益品 ・
娯楽品」 を どの程度享受できるか (自分が支配できる労働の量 または他人か ら
購買 で きる労働 の量) とい う延長上 に, 国民経済計算体系 (
SNA)指標が作
ー1
22(6
0
4)-
成 され るようにな った。 しか しそれは, ス ミスにおける 「
価値の尺度」 として
苦痛,負効用」 を含 む もの としての 「
労働」 の定義で,その
? 「
労働」とは 「
代償代価 としてのマクロ把握であった という限界があった。重農主義,ぺテ ィ,
そ してスチュアノ
ー トでは,「自然の支配 (
統治)」 を説 いて, 自然 と社会 とを連
関 させ る自然的秩序 のパースペ クテ ィブの うちに経済的価値循環 を算定 しよう
丁市場
と したに もかかわ らず, ス ミスを始 め と古典派 ・マル クス経済学では,
内循環」 を価値再生産 の理論 としての 「
労働」への還元 に限定 して しまった。
以後,経済学 は基本的に, 自然 ・環境 ・人 口とい った問題 を経済学的枠組みか
ら外 している。 近年 の国民経済計算体系の見直 しにおいて,価格 によって表象
化 しきれない環境や資源問題 を処理不能 だ とした経済学の方法 その ものを問い
直 し再構成 しようとす る方 向が出てきている。 (1)
環境政策か らの要請 (
成長の限界 と倫理上か らの視座 (
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):
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hanは,法 (システム) が中立 ではない こと (
資源 の効率性 は法 か ら独
qui
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y(
衡平) の観点 :公正,違法, アメニテ ィ,子
立 では取 り扱 えない), e
孫への影響,情報 な どでの偏 りか ら派生 す る 「所得効果,取 引費用 の存在 」
,
e
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c は 「コースの定理」 を成立 させない (
パ レー ト最適基準 が働かない) と
した。 そ して,社会的弱者 (
消費者),住民が静寂 な環境 を享受す る権利 であ
qui
t
y(
衡平) :
るアメニテ ィ権 を提起 し,経済学的研究の 「
外」 におかれ るe
規範性 を どう導入す るかを強 く意識 した。(2)
シ トフスキーにおいて も, 「経済 の枠外 」(
市場 を通 さない<満足>の価値)
,
「
非経済的な もの」 が考察 された。 そ して,資源 の無駄 な消費 (
追加 コス ト)
-消費者行動 の 「
動機」 (
心理学的,功利主義的分析)への経済評価が姐上 に
あが り,以後,新古典派 において もまた, CBA (
費用対効果) の経済評価 が
政策的道具 として取 り上 げ られ るに至 った。(3)
●
現世代 の うちでの形式的対等の市場参加者 の間に横 たわ る,資産 ・情報 ・健
康 における非対称性 だけでな く,環境悪化や資源枯渇 とい った人間社会 の外界
とか,将来世代 の現世代 における市場の意思決定への参加機会が閉 ざされてい
-1
2
3(6
0
5)-
ることへの政策的修正 ・補正措置 (
ルール) を制度化す る選択肢が求め られて
いる。 イギ リスのSt
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mにせ よ,「社会的責任投資 (
SRI
)
」
とい うエ コファン ド的金融商品の運用が欧州全域で8
0
年代以降に広 ま り, また
高齢化社会 を地域 コ ミュニテ ィが支 える医療サー ビス市場 の コ ミュニテ ィ制約
性 にせ よ,市場 に委ねて しまわない 「
社会的規制」 の要請がある。 (4)
(1) D.
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,
1
990
(2) ミシャン 『経済成長 の代価』.
(3) シ トフスキー 『人間の喜 び と経済的価値』(1976,
p.
1
23)
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(4)∫
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1
997)
.
6.結 語
「
社会 システム」(
制度) と市場経済の位相 においては,
・ス ミスのい う 「同感の情」 を社会的形成 の要 として再定義す る
・資本への コン トロールを社会的規制 としてお こな う国家の位相
(
地方 ・コ ミュニテ ィ単位,中央集権 と区別 され る包括的政府 の形成)
・サ ミュエル ソンの 「
世代交代 モデル」 にみる 「
適時的な資源配分が部分的
に重 な りあ う取 引か ら生 じる」 定義 の世代 的限界,将来世代 を価値評価
する 「
倫理」的価値判断の問題
がある。 ここで注 目しておきたいのが ドイツの経済政策思想である。 自由主義
学説 (
オイケ ン, レプケ) の見地か ら,社会 の骨格 をなす法体系 ・法制化 に,
独 自の文化 ・歴史 ・伝統 ・価値観 を織 り込んで,「
連帯 ・対話 ・協力」 を重視
●
する 「
社会的市場経済」 として提起 された経済秩序構想である。曲折を得て統
合志 向の政策理念 として後 には再評価 され,経済 と社会 に潜在的に存在す るさ
まざまな係争 を調停 して,社会的発展を最大化す る政策のための市場経済 とい
-1
2
4(6
0
6)-
う思想 的背景 をな している。 統治 (ガバナ ンス) のあ り方 として,「
規制 のな
い市場 はあ りえない」 とす る 「
新 しい社会均衡」 の必要が認識 されている。
他方では,近年のイギ リスにおける環境経済学的研究の動向に目を離せない。
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h (マ コ- レ-環境研究所) は
ヨー ロ ッパ生態経済学 を率 いているC
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たちの) デ ィシプ リンかつ ネオ ク
独 白的 に,英米 で主導 的な (
従 ってP
ラシカルな経済学 に対す る代替的な 「
生態環境経済学」を主張 し, スコッ トラ
U委員会か らの協賛 を得つつある。 『温暖化 ガスの経済学』および
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"(
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)
の著書 は,前節で指
摘 したJ.E
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Yの論 旨と重 な りなが ら,s
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の参加す
る効果的な環境政策 の視座 を, これまでの
知 の生産者) 中心 に 「
知性
「
人」(
史」 か ら,「
集 団」 や 「
思想 の消費者」 に焦点を当てて 「イデオ ロギーの型」
を解明 しようとす る新 しい思考潮流 の中にある。(
1
)
との論点 は,環境経済政策学会 2
0
0
2
年大会 (ト 3 「自由論題 (その 2)
」)
への報告 に対す る討論者 コメ ン ト (
桂木健次)で も更 に深め られている。
定常開放経済 -持続可能性 を巡 っては今,
・グ リー ン派
(
Da
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y)
「
GDPで計測で きない環境への負荷」 を厚生指数
に組み込んだ とい う評価)
SE:現代社会的課題
・レ-ゲ ン, ボールデ ィング 「
定常状態の経済」S
の トー ンがあ って,S
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yか らDa
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yに至 る論 旨を 「経済系を生態系の二
部 (
その許容範囲)」 に置 くとす る点では共通 している。
ほかに,姫野順一 (
長崎大)が近年注 目す る
・効率性 と規模問題の区別 :光合成の太陽エネルギー量 (
生物物理学的限界)
・道徳的原理 と派生す る世代 内 ・間公平 の倫理社会学的限界
に更 に踏 み込んで定義 されな くてはな らない とす るC
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hの主張 に も目
をむけることが必要 にな って来た。(2)
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後書 き
本稿 は,経済学史学会 『第6
4回大会報告集 』(
2
000年 11
月 11日, 1
2日 一橋
市場経済 の理解 と評価 :経済学
大学) の経済学史学会 50年記念 シンポジウム 「
史 研 究 の 立 場 か ら」 で 行 っ た 第 2報 告
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