夏色ユニフォーム 遊森 謡子 タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 夏色ユニフォーム ︻Nコード︼ N9139V ︻作者名︼ 遊森 謡子 ︻あらすじ︼ 俺︵領主︶の花嫁として、異世界から召還された彼女。俺は恋に 落ちた。しかし帰還をあきらめていない彼女は、結婚だけは保留の 方向。俺のことを憎からず想ってはくれているようだし、きっとい つかは! ところが、彼女の態度が急変した。﹁ごめん。結婚、無 理﹂︱︱俺、何かした!? ※単独でもたぶん読めますが、﹁金色 フェスティバル﹂︵全五話︶の続編になりますので、そちらを読ん でからの方がより楽しめると思われます。 1 第一話 クールでスーパーな秘書︵前書き︶ 前作ほどにははっちゃけてませんが、お楽しみ頂ければ幸いです。 2 第一話 クールでスーパーな秘書 ﹁⋮⋮来ない?﹂ 秘書のディーンは、俺の執務机の前に直立不動したまま、口を半 開きにして動かなかった。 俺が領主になり、彼がその下についてまだ日は浅いが、彼がこれ ほどまでに驚きをあらわにしているのを初めて見た。 ﹁いらっしゃらない、とおっしゃるのですか? 花嫁が?﹂ 信じられない、といった声音で、ディーンが確認してくる。こう やって、話したことをすぐに飲み込まずに聞き返すこと自体、珍し い。 俺はおそるおそるうなずく。 ﹁う、うん﹂ ﹁新領主のために、神によって召喚された花嫁が? いったんは姿 を隠してしまったものの、ジェイド様ご自身が発見された、その花 嫁が? 代々、領主自身に見出されては結ばれてきた、その花嫁が ?﹂ わかりきってることを誰かに説明してるような、嫌味な言い方は やめてほしい。 俺はため息をつき、言いにくいことをもう一度、はっきりと区切 るようにして言った。 ﹁彼女は、領主館には、来ない。街なかに部屋を借りたそうだ﹂ ﹁⋮⋮館に、お部屋をご用意していたのですよ?﹂ ディーンが一歩前に踏み込む。黒縁の眼鏡が光る。 俺は窓の外に目をやるふりをして、ちょっと身体をそらした。 ﹁ジェイド様のご着任も、それによって召喚が起こるとわかったの 3 も急だったので、それはもう急ぎに急いで調度を整え、領主夫人と なるお方が快適に暮らせるようにと⋮⋮! それなのに!!﹂ うう。目が怖い。彼は俺と同年代だけど、先代の秘書でもあった 男だ⋮⋮色々とプライドもあるんだろう。 ﹁館にさえおいでいただけないなどと、レイフェール三百年の歴史 で前代未聞です。一体、花嫁に何をなさったのです!? 怯えさせ るようなことをなさったのですか、それともあなたは女性に見向き もされないほど根性無しのすっとこどっこいなのですか!?﹂ ﹁そっ! そんなことはない! チヅだって、俺のこと﹃いい人﹄ って﹂ ﹁そんなものは﹃お友達﹄と同義でございます﹂ ディーンはばっさりと切り捨てた。ぐっ。 ﹁よろしいですかジェイド様。領主としてどころか、社会人として も何の実績もないあなたが最低限の信用を得るためには、何が一番 手っ取り早いとお考えですか?﹂ 彼は俺の返事を待たずに、 ﹁そう、﹃結婚﹄です。結婚していない人に社会的信用がない、と いう意味ではございませんからね。妻子を幸せにする覚悟があるこ とをアピールするのが、領主として領民に信用される近道ではない かと申し上げているのです﹂ ﹁結婚を仕事に利用するような考え方は好きじゃないっ﹂ 俺は立ち上がった。 ﹁どちらへ?﹂ ﹁もうプライベートな時間なんだから、どこでもいいだろ!﹂ ﹁チヅ様の所ですね﹂ ⋮そうだけど。 ﹁いってらっしゃいませ。とにかく一度はチヅ様に遊びに来ていた だけるよう、健闘をお祈りしております﹂ 4 ディーンは、白っぽい薄緑の前髪をサラリと額に落としながら、 優雅に頭を下げた。余計なお世話だ。 日中の強い日差しもようやくおさまり、領主館の白い壁を夕陽が 穏やかなオレンジ色に染め上げていた。俺は一人、街へ出る。治安 の良さは、レイフェールの自慢の一つだ。 仕事帰りの人々が、俺に気づくと﹁こんばんは、領主さん﹂﹁領 主さん、お疲れ様﹂と気さくにあいさつしてくれる。明日も頑張ろ う、と思う瞬間だ。 街の中央の広場︱︱彼女と一緒に働いた場所︱︱に出ると、﹃R osaline's﹄はすぐそこだ。俺は街灯が点ったばかりの道 を、急ぎ足で店に向かった。 ロザラインおばさんの外見に似合わず、可愛らしい木製のドアに は、花の形のスリットが彫り込まれている。中から漏れた光が、玄 関のウッドデッキに花の形を落としている。 俺が手をかける前にドアが開いて、 ﹁あら、いらっしゃい!﹂ お年寄りのお客に手を貸して、見送りに出てきたアナイス︱︱お ばさんの姪で、やはり祭典の時に一緒に働いた仲間︱︱が、俺を見 てそばかす顔をほころばせた。振り向いて奥に声をかける。 ﹁チヅ! ジェイドよ﹂ 首を伸ばして店内を見ると、奥でトレーを手にしたチヅが、こち らを見て片手を振ってくれた。自然と、頬が緩む。 段差をゆっくり下りるお年寄りに会釈して二人とすれ違い、急い で中に入ると、穏やかな喧騒と食器の触れあう音に包まれた。オー プンキッチンのカウンター席に向かう。 俺がいつもの席に座る前に、チヅが氷の音を鳴らしながら水の入 ったグラスを置いてくれていた。幸せな気分になる。 5 ﹁いらっしゃい!﹂ チヅは今日も、こちらが明るくなるような笑顔を見せてくれた。 ﹁今日も私のおススメのやつでいいの?﹂ ﹁うん﹂ 俺はチヅの、やや茶色がかった生意気そうな瞳を見つめてうなず いた。 ここの人間はみなグリーン系統の髪の色をしているが、彼女だけ はつややかな黒髪で、目を引く。 そのあごまでの長さの真っ直ぐな髪を見ながら、伸ばせばいいの に⋮と思ったり。でも、チヅがカウンターの中のマテオに注文を言 っている後ろ姿を見ると、白いうなじが綺麗で、やっぱり短い髪も 似合うなと思ったり。 要するに、チヅならなんでもいいんだけど。 食事をしながら、時々チヅを目で追う。彼女はするするとテーブ ルの間を動き回り、料理を運んだり、皿を下げたり、常連客とフレ ンドリーに話をしたりしている。 チヅ・ハタノはこの春の祭典で、新領主の花嫁として異世界から 神によって召喚された。 しかし、レイフェール領民の面前で、結婚を保留する発言をした。 それも、領主である俺に恥をかかせない、たくみな言い回しで。 以来ここで働いている彼女は、この街では有名人だ。そんな彼女 に話しかける客は多い。揶揄するようなことを言う客もいるが、彼 女はそれに振り回されることも、無視してしまうこともない。ちゃ んと話を受けてから、上手に流す。 そういえば、チヅはすでに社会に出て働いていたんだよな。見た 目は若いけど、俺より先輩だ。 そんな機転のきく彼女に、強く惹きつけられる一方で、この苦肉 の策に込められた気持ちを考える。 6 彼女にしてみれば一方的に召喚されただけなのだから、ニホンに 帰りたいと思うのも当たり前だ。こちらの世界で暮らすことを受け 入れるとしたって、結婚するもしないもその相手も、彼女の自由だ。 そもそも、この召喚と結婚を不憫に思って、チヅを最初に見つけ て匿おうと思っていたのは、他ならぬ俺自身なんだし。 でもその後で、変装を解いて本来の姿に戻った彼女を見た瞬間︱ ︱俺の中に少しだけ残っていた﹁理解のある男﹂の部分は、たちま ち霧散した。 ニホンに帰したくない。こちらにいて欲しい。他の男と結婚する のも絶対ダメ。 今だって、祭典の時にお披露目だけでもできて良かった、領主の 花嫁︵予定︶だって他の男どもに知らしめることができたからな! なんて思ってる。 俺はとっくに、﹁いい人﹂じゃなくなっているな⋮⋮ごめん、チ ヅ。 食器を下げに来たチヅに話しかけた。 ﹁あの⋮⋮今度の休み、領主館に遊びに来ない?﹂ チヅは、色んな意味を含んだ笑みを口元に乗せて、黙ったまま軽 く首をかしげた。 領主館に住まないか、と誘った時も﹁事実婚になると困るから嫌 だ﹂と言った彼女だ。遊びに行くだけでも何か誤解を受けるのでは ないか、と警戒してるんだろう。 ﹁例の、召喚の時にチヅが映った鏡、領主館の敷地内にあるんだけ ど﹂ ぴく。チヅの表情が動く。お、興味を持ったかな。 ﹁それと、昔の召喚についての文献が見つかったよ﹂ ﹁行く﹂ 即答。やはり、ニホンに帰るための手がかりを知りたいんだろう。 7 でも⋮⋮たぶん、チヅには読めないと思うけど。 8 第二話 ジェントルでシリアスな領主 そして、領主館のある一室。 ﹁筆記体⋮⋮!!!﹂ チヅは本を開いた腕を伸ばしたまま、がっくりとテーブルに突っ 伏した。 ﹁ひっくり返って、裏返った上に、さらに崩した筆記体! 何たる 不親切!﹂ ﹁うん⋮⋮俺はかろうじて読むだけ読めるけど、古語だからうまく 訳せないんだよね﹂ L字ソファーの斜め向かいにいた俺は、彼女の手から本をそっと 外し、パラパラとめくってみる。 こちらの文字は、彼女の世界の文字と似てはいるものの、反転し ているうえに上下も逆さまなのだそうだ。 そこへ、音もなくディーンが近寄ってきて、ガラスのポットから 冷茶のお代わりを注ぐ。 ﹁ありがとう、ディーンさん﹂ 顔を上げてお礼を言ったチヅは、やっと周囲を見回す余裕が出て きたらしい。 ﹁このお部屋、何だか爽やかで落ち着くね。布使いがいいよね﹂ と、布張りのソファを撫でたり、タペストリーを眺めたりしている。 ﹁これも可愛い﹂ クッションカバーをチヅが褒めると、ディーンは玲瓏な顔で上品 に微笑んだ。 ﹁こういったものがお好みでしたら、ご希望の柄のをお作りします よ﹂ ﹁え? もしかして、ディーンさんの手縫い!?﹂ ﹁刺しゅうなどもお入れしましょうか﹂ 9 ﹁スーパー秘書⋮⋮!!!﹂ チヅは瞳をキラキラさせて、ディーンに見とれている。む⋮⋮早 く出ていかないかな。 ﹁それでは、ごゆっくり﹂ 俺の視線に気づいたのか、やっとディーンは出ていった。 ドアが閉まるなり、チヅがちょっとこちらに身を寄せた。ドキッ とする。 彼女は手を口元に当て、声をひそめて言った。 ﹁ねえジェイド、もしかしてこの部屋って、﹃私﹄の部屋?﹂ ﹁あ、うん⋮⋮まあ、そう﹂ 女性的な調度の数々から、チヅは気づいたらしい。そう、今俺た ちがいるのが、ディーンが用意した﹃領主の花嫁の部屋﹄だった。 ﹁だよね。わざわざ用意してくれたんだよね。手縫いカバーまでだ よ? なんかちょっと、悪いことした気分﹂ チヅは自分の膝に肘をついて唸っている。チヅのせいじゃないの にな。でもそんな表情にも見とれてしまう俺は、相当重症だ。 いつか本当に、彼女がこの部屋の主になったら⋮⋮と想像してし まう。 ややして、ノックの音。 ﹁ジェイド様、よろしいですか﹂ ﹁うん? チヅ、ちょっと待ってて﹂ 廊下に出ると、ディーンが声を低めて言った。 ﹁ウィスロームの領主さまご夫妻から、確認のご連絡が。変更はな いかと﹂ ウィスロームはレイフェールの東に位置する地で、古くから親交 がある。人の行き来はもちろん、技術協力や物品の売買なども頻繁 だ。 俺が新領主として着任し、ほぼ落ち着いたので、目上のウィスロ 10 ーム領主夫妻を招いて会談の機会を設けてもてなすことになってい た。その日は数日後に迫っている。俺にとっては初めての﹃外交﹄ だ。 ﹁異世界からの婚約者どのにお会いするのを、楽しみにしていると のことでした﹂ うっ⋮⋮そうだよな、向こうはこちらの風習を知っている。当然 結婚するものと思っているのだろう。しかもあちらのご夫妻は、相 当な珍しもの好きと来てる。そんな彼らに、異世界からの花嫁を会 わせない方がおかしい。 ﹁あちらもご夫妻でいらっしゃるのですから、できることならチヅ さまにお付き合いいただきたいですね⋮⋮せめて会食は﹂ ディーンがちらりと、チヅのいる部屋のドアを見やる。 ﹁チヅ、は⋮⋮嫌がると思うけど﹂ ﹁そうですね﹂ 即答か。 ﹁しかし、それを何とかするのがジェイド様です。こうして館にも 遊びに来て下さったのですから、望みがないわけではありません﹂ ﹁うん⋮⋮﹂ ﹁ダメ元で当たってみて下さい﹂ ダメ元って。 でもやはり、望みは薄いかも⋮⋮領主会談の会食に二人で出たら、 いかにも夫婦という感じになるし。それをチヅが受け入れてくれる かどうか。 とにかく、タイミングを見て切り出してみよう。 部屋に戻ると、チヅはまたさっきの本とにらめっこしていた。眉 間にしわを寄せて本を呼んでいるチヅ⋮⋮でも本は逆さま。うう、 可愛い。 ﹁そろそろ、﹃鏡﹄を見に行こうか﹂ 11 俺は声をかけた。 領主館から渡り廊下でつながった建物が、礼拝堂になっていた。 建物自体は小さいが、歴史を重ねた荘厳な石造りの建物だ。外は暑 いが、ここはひんやりとしている。 ﹁これが﹃鏡﹄? 大きな入れ物に見えるけど﹂ 祭壇の前、腰の高さの台に置かれた器を、チヅがのぞきこむ。よ く磨かれた銀色のそれは、チヅの言うとおり足つきのボウルのよう な形をしていた。 ﹁俺がここに来て、着任することを神に報告する祈りをささげたら、 急に中から水が湧いて器が満たされたんだ﹂ ﹁へぇ⋮⋮﹂ ﹁そして祭典の初日の朝、司祭がここに来たら、水が硬い鏡になっ ていて、チヅの姿が映ってたんだって。しばらく経ったら、鏡はま た水に戻って、器の底に吸い込まれるように消えたそうだよ﹂ ﹁ふぅん⋮⋮で、鏡に映った私を写真に撮って、指名手配ポスター にしたのよね﹂ そ、そうです。 ﹁どうも私、写真にはいい思い出がないのよね。小学生の頃とかさ、 集合写真なんかで﹃はい、チーズ!﹄って時に、みんなが揃ってこ っちを見てニヤニヤするわけ。チーズチーズうっさいわー! って の﹂ チヅはぷりぷりしている。俺はあごに触るふりをして、こっそり 忍び笑いした。 チヅは器のふちにちょっと触れながら、俺に話しかけてきた。 ﹁ジェイドもさぁ、いきなり故郷に呼び戻されて、違う世界の女と 結婚なんて聞いて、びっくりしたんじゃない?﹂ ﹁そ、そりゃあ、ね⋮﹂ でも、年頃の男としては、唯一自分のためにやってくる女性⋮⋮ 12 と聞いて一瞬ときめいてしまったのは、仕方がないと思う。 ﹁最初は、私と立場が似てるな、と思って同情しちゃったよ。でも、 さ﹂ チヅはゆっくりと、教会の中を見回しながら言った。 ﹁女性はたくさんいるんだから、私を特別視する必要なんてないよ。 ジェイドは優しいから、自分のために召喚された女を気にしてくれ てるんだろうけど⋮⋮結婚相手は、ちゃんと選んだほうがいいと思 う﹂ 俺は返事に詰まった。 これ、は⋮⋮正式に、振られてる、んだろうか。 胸のあたりがずしりと重くなる。 立ちつくす俺に、チヅは微笑みかけた。 ﹁それでも私と結婚したいと思ったら、そこから始めたっていいん じゃない? 私もそうするから﹂ 俺はハッとした。 振られたのとは違う⋮⋮チヅは、同じスタート地点に立とうとし ているだけだ。 召喚した側、された側という関係ではなくて。 ﹁⋮⋮俺がこの召喚に縛られないようにって、気にしてくれてるん だね。でも⋮⋮﹂ 一つ、はっきりさせておかないと。 ﹁俺には、選択肢なんてないんだ﹂ 言うと、チヅは目を見開いた。 ﹁なに言ってるの? 異世界人との結婚は、強制じゃないんでしょ !?﹂ ﹁あっ、そういう意味じゃなくて﹂ 13 あわてて俺は言う。 ﹁選択肢がないっていうのは⋮⋮つまり⋮⋮好きになる人って、選 べないよね?﹂ ﹁え?﹂ ﹁この人だと思ったら、この人しかいない、ってならない?﹂ チヅの頬が、花のつぼみが色づくように染まった。 ﹁俺にとっては、それがチヅなんだ﹂ うわ、言ってしまった。 俺はあわてて祭壇に向き直ると、照れ隠しの勢いで、祈りの姿勢 をとって神に祈った。 チヅを召喚して下さった神よ、どうか彼女が俺に振り向いてくれ ますように。 組んでいた手を解いて、チヅの方に向き直ると⋮⋮彼女は俺に背 を向けて、下を向いていた。 ﹁そろそろ戻ろうか。⋮⋮チヅ?﹂ ﹁⋮⋮ごめん。結婚、無理﹂ ﹁え?﹂ 一体、どうしてそうなったのか、わからなかった。 チヅはそのまま急に、俺の顔を見もしないで、外へ走り出して行 ってしまった。 お、俺、何かした? さっきまで、いい雰囲気だったのに。 一瞬立ち尽くしてしまった俺は、我に返ってあわてて後を追った けれど、彼女はそのまま領主館を出てしまっていた。 雨あられと降って来るディーンの小言を聞き流しながら、俺はさ っきの出来事の何が悪かったのか、ぐるぐると考え続けていた。 14 翌日の夕方も、俺は﹃Rosaline's﹄に夕食を食べに行 った。チヅは俺を見てニコリとあいさつしてくれたけど、料理を運 ぶとサッと俺から離れて行った。 仕事中の彼女にあまり話しかけるわけにもいかず、その日は俺に も残してきていた仕事があって、俺はすごすごと領主館に帰るしか なかった。 自分で原因に気づかなくては、と考えに考えた。そうしなくては、 チヅに何と言って話しかければいいのかさえ分からない。 しかし、何も思いつかないまま、数日が過ぎた。 15 第三話 レディでガールな彼女 ウィスローム領主夫妻との、会談の日がやってきた。 ディーンの冷たい眼差しに見送られ、俺は領主館の玄関ホールに 出て夫妻を出迎えた。夫妻はもう引退間近と言われるほどの高齢だ が、かくしゃくとしていて、礼服がしっくりと似合っている。若輩 の俺にも、礼を尽くしたあいさつを述べてくれた。こちらも心から の歓迎の意を伝える。 応接室へ案内した。道すがら、夫妻が何かを探すようにあたりに 目を走らせ、でも何も言わずに俺に視線を戻して会話を続けた。 俺は内心、ため息をついた。 会談はスムーズに進み、今後もウィスロームとは友好的にやって いけそうだという手ごたえを感じて、俺はひとまずほっとしていた。 しかしとうとう領主館の食堂で、夜の会食のために席に着こうと 言う時、ウィスローム領主に穏やかに尋ねられた。 ﹁婚約者殿の姿が見えないようですが、どうなさいました? もし や、体調でも⋮⋮?﹂ ⋮⋮そういうことにするしかない、かな。 俺が口を開きかけた時、食堂の入口から、するりと入ってきた人 影があった。 ﹁こんばんは! 遅くなって申し訳ありません。チヅ・ハタノです﹂ チヅが立っていた。 俺は呆然とした。彼女がなぜここに来てくれたのか、そのことに も驚いたけれど、それだけじゃない。 チヅは、モスグリーンの広い襟のついた、白い半袖シャツを着て いた。胸元には、えんじ色の細いリボン。膝丈のスカートは、やは 16 りモスグリーンのプリーツ。 そ、その服装は。 俺が口をパクパクさせている間に、チヅはさっさと近寄って来る と、俺の足を軽く踏んづけた。俺はあわてて、彼女を領主夫妻に紹 介した。 ﹁ずいぶんお若い方ですね!﹂ ﹁可愛らしいなんて言ったら、失礼かしら﹂ ご夫妻は一気にテンションが上がった様子でチヅを迎え、食事中 もニホンについてチヅにあれこれ質問しては、学校制度や娯楽の話 などを聞いて感心したり笑い声を上げたりしていた。 会食が終わると、ご夫妻は ﹁チヅさん、楽しいお話をありがとう。お勉強、頑張って下さいね﹂ ﹁ジェイド殿が結婚を急がないわけがわかりましたよ。大事にして 上げて下さいね﹂ と口々に言って、客室に引き上げて行った。 俺は後のことをディーンに任せて、チヅを連れて﹃花嫁の部屋﹄ ︵予定︶に急いだ。 ﹁ち、チヅっ﹂ ドアを閉めるなり話しかけようとした俺を、チヅは腰に手を当て て睨みながら遮った。 ﹁何で早く言わないのよ、﹃俺の初外交を成功させるために、珍し もの好きの大御所に会ってくれ﹄って。ロザラインおばさんに﹃今 日の会食、あんたは出ないの?﹄って聞かれてびっくりしたわ﹂ あの生意気そうな瞳が、軽く細められる。 ﹁それはっ。チヅが、夫婦みたいに思われるのを嫌がるんじゃない かと思って⋮⋮﹂ ﹁そんなの、色々と手はあるでしょうが。こういう風に﹂ 17 チヅはちょっとスカートをつまんで、くるりと回って見せた。 ﹁似合う? マテオの妹さんに借りたんだ。こちらの上級学校の、 夏の制服﹂ 確かに、制服は万能な礼服︵チヅの世界でもそうらしい︶なので 今日の会食には相応しかったし、チヅは年齢よりも若く見えるので まったく問題なく似合っている。可愛い。じゃなくてっ。 ﹁が、学生だと思わせるため⋮⋮!?﹂ ﹁うん。昼間はこちらの世界のことを勉強して、夜は社会勉強で働 いてるって設定ね。まだ学生なら、実質夫婦みたいには見られない と思って。アナイスが﹃学生でイケる!﹄って言ってくれたから、 思い切ってみました﹂ お、思い切り良すぎ。 ﹁祭典の時はガングロで、次は制服コスってのもどうかとは思った んだけどね﹂ チヅはニホン語で何やらつぶやいている。 いや、それよりも。 ﹁チヅ、ごめん⋮⋮!﹂ ﹁え、何?﹂ ﹁何って、俺のこと嫌になったんじゃ? 自分でも何をしたかわか らないなんて、本当に最低だと思うんだけど、俺あの時、礼拝堂で 何かやったんだよね!?﹂ こぶしを握り締めて言うと、チヅは気まずそうに視線をそらせた。 ﹁あ⋮⋮あの時のことは言わないで﹂ ﹁そんなのダメだ。また同じことを繰り返して、チヅを傷つけたく ない﹂ ﹁そうじゃないの、そうじゃ⋮⋮﹂ あの時のように、チヅは背を向けて下を向いてしまった。細い肩 が震えて⋮⋮。 18 ⋮⋮え? わ、笑ってる!? ﹁ぷっ、ご、ごめ、ああでも笑っちゃう思い出すと! もうホント、 悪いのは私なの! 笑うなんて、こちらの人にとって本っ当に失礼 なことだと思って言えなかったんだけど、どうしても!﹂ ﹁???﹂ どうしていいかわからずに絶句していると、チヅはこちらに向き 直った。口元を押さえ、目に涙をためている。 ﹁あは、春の祭典の時に、こっちの風習には度肝を抜かれたけど、 まさかこんな伏兵がっ。あ、あのね﹂ 彼女は一つ深呼吸をした。 ﹁礼拝堂で、ジェイドが、お祈りのポーズをしたじゃない?﹂ ﹁⋮⋮こう?﹂ 俺はそれをやってみせた。 両手を組んだ状態で、親指と人差し指を真っ直ぐ伸ばす、祈りの ポーズ。 チヅはとうとう、お腹を抱えて笑いだした。 ﹁ぶはは! それ﹃カンチョー﹄! 小学生の時やった! ね、こ っちでは結婚式の時もやっぱり全員でお祈りするんでしょ? 全員 で﹃カンチョー﹄って、あっはっは、ごめんなさい神様ごめんなさ い、でも結婚無理、ていうか結婚﹃式﹄が無理!﹂ 笑ったり謝ったりするチヅを前に、俺は呆然とするしかなかった のだった。 ⋮⋮何?﹃カンチョー﹄って。 ◇ ◇ ◇ 19 マテオに制服を返すというチヅを、俺は﹃Rosaline’s﹄ の前まで送った。もう夜も遅い時間で、あたりにはほとんど人影が ない。虫の声さえ、はっきりと聞こえる。 店の裏口の前で、制服姿のチヅは振り返った。窓から漏れる明か りで、ぼんやりと笑顔が見える。 ﹁それじゃあ、今日はお疲れ様でした、領主さま。明日も頑張って﹂ ﹁来てくれて、ありがとう﹂ 俺はチヅにお礼を言った。 少し、沈黙が落ちる。このまま別れるのは、何か違う気がした。 そして、チヅも同じ気持ちでいるのが、瞳を見つめているだけでわ かった。 ﹁仕事してるジェイド、今日初めて見たけど、様になってたよ﹂ チヅがふわりと笑う。 ﹁良く考えたら、異世界人の私がジェイドのことあっさり信用して るんだもん。きっとあなたには、外交の素質があったんだね﹂ 褒められた俺は勇気を得て、チヅに一歩近づくと、ためらいなが らも腕を彼女の身体に回した。チヅは大人しく、俺の胸に身体を預 けてきた。何か、ハーブのような香りがする⋮⋮これが、チヅの香 り。 チヅがゆっくりと、見上げた。俺は顔を近づけようとして︱︱。 俺たちは視線を合わせると、同時に笑ってしまった。 ﹁⋮⋮なんだか、この服装のチヅには、何もできないよ﹂ ﹁ジェイドがまともな神経の持ち主で、良かったわ﹂ チヅはその姿勢のまま、ささやいた。 ﹁あれ、そのうち、ちゃんと慣れるからね﹂ そう言ってチヅはパッと身体を離すと、﹁おやすみなさーい﹂と 手を振って、ドアの向こうに消えて行った。 20 俺はふわふわとした足取りで、領主館への帰途に着いた。 出迎えたディーンが、俺の顔を見て何か悟ったらしい。 ﹁進展があったのですね!﹂ ﹁うん⋮⋮まあ、チヅが慣れて爆笑しなくなったら、改めてちゃん と結婚を申し込むよ﹂ ﹁は? 爆笑?﹂ ディーンは眉間にしわを寄せている。 彼女がこちらの祈りのポーズに慣れるくらい、こちらにいてくれ るなら。 その間にきっと、俺を選ばせてみせる。覚悟しておいて、チヅ。 俺は振り向いて、星屑のきらめく夏の夜空に誓った。 ︻夏色ユニフォーム 完︼ 21 PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n9139v/ 夏色ユニフォーム 2013年11月18日13時54分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 22
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