PDFダウンロード [13.59 MB] - 全日本仏教会

1961年1月16日第3種郵便物認可 1993年8月1日
第390号(毎月1回1日発行1部50円)
鰹騨蓉籔2騨についてはう
悼,.喝4r’o
渉診幽幽幽幽拶渉渉渉拶拶渉影渉藤織渉拶総懸渉拶謙譲渉拶拶拶渉蟹騙渉影拶拶渉渉拶渉拶砂
No.390
1993.8
歓欝欝∵譲響、集
自民党議員との懇談会(関連記事2頁)
磯回全日本仏教会JAPAN BUDDHIST FEDERATI。N
’ げ 甜 r7 _ 鐸」 r r 、 A ノ 賦、 、,鴫 艦P} 吹
れるよう、要望いたしてまいりました。
の特性及び歴史的慣習を十分斜浴して審議さ
の三点を中心に宗教法人への課税問題は、そ
囲の不拡大、③収益事業の税率の引き下げ、
収益への非課税制度の堅持、②収益事業の範
調査会及び全国組織委員会に対して、①金融
の税制改正に際し、貴党の政務調査会・税制
︵一︶税制改正について 本会では、毎年
事項を読み上げた。
教会の現況を説明した後、以下のような要望
長が挨拶を行い、続いて旗本事務総長が、仏
挨拶を行った。本会からは、最初に石上理事
長、北川正恭文教部会長ら党の役員が次々に
郎﹁宗教・社会教育に関する連絡協議会﹂会
始まり、塚原俊平全国組織委員長、塩川正十
懇談会は、井出正一文教局長の開会挨拶で
長をはじめ、各宗派の代表者が出席した。
かけで、毎年開かれているもので、石上理事
の要望を幅広く聞きたいという自民党の呼び
との懇談会が開催された。この会は、仏教界
町の自民党本部で、本会と同党文教関係議員
去る六月四日午前入時半から、東京・永田
では法人税率が二十入%であることに目をつ
下の中小企業で課税所得のうち入○○万円ま
この点をマスコミは、敢えて資本金一億円以
む収益事業の法人税率は現在二十七%です。
であります。ご承知のように、宗教法人が営
おりますのは、悪意ある一部門マスコミ報道
この問題に関し、最近、私たちが注目して
う、特にお願いいたす次第であります。
であり、このような税制改正になりませぬよ
教分離﹂の原則を脅かすことを懸念するもの
憲法に保証されている﹁信教の自由﹂、 ﹁政
が、 ﹁税制改正﹂の名のもとに、国家権力が
民の一人としては当然のことでございます
もとより、国家財政に協力することは、国
かねません。
そのものの存在すら危うくすることにもなり
化の高揚に著しい支障をきたすと共に、宗教
その活動を縮小させ、宗教のもたらす精神文
ます。しかるに、宗教法人への課税強化は、
教活動を円滑ならしめるためのものでござい
も、本来営利を目的としたものではなく、宗
であります。一方、宗教法人が営む収益事業
おりますことは、申し上げるまでもないこと
申し上げるものであります。
に対し、一層の御理解と予算の増額をお願い
期待するものであります。何卒文化財の保護
で、この点に就いても保護の手が及ぶことを
な文化財も依然として数多く存在しているの
大しているようですが、未指定の物件で貴重
とが望まれます。更に、現在指定の範囲が拡
あり、しかも今後それがいよいよ充実するこ
従って国及び地方公共団体の保護は不可欠で
現在とでは大きな変化を遂げた場合も多く、
築の場合、建立当時のその寺院の経済状況と
しかるに実際問題として、たとえば寺院建
ありません。
いなる影響を及ぼしていることは申すまでも
しかも現代に生きる私たちの精神の営みに大
欠くことの出来ない貴重な文化遺産であり、
財は、我国の歴史文化の正しい理解のために
︵二︶文化財の保護について 国宝・文化
お願い申し上げるものであります。
について誤解されませんよう、特にご理解を
たないからであります。この点、仏教界全体
かも率にすると入万の寺院のうち一割にも満
収益事業は極めて小規模な場合が殆どで、し
な違和感を禁じ得ません。それは寺院の営む
︸ ﹁
比較して、宗教法人が、如何にも優遇されて
いるかのような報道をいたしております。け
宗教が人心の安定をはかり、教育、文化、
ぶって、一般企業の法人税率三十七・五%と・
一2一
れども寺院の実態に照らしてみた場合、大き
社会福祉、その他公益の増進に寄与いたして
‘一 、
.㌻一一
仏
全
1993年8月1日
1993年8月1日
仏
全
信教の自由に関する委員会
首相及び閣僚の靖国神社公式参拝
本会は、過去十二回にわたり、 ﹁靖国神社
中止 の 要請
十日午後二時から、明照会館会議室で開催さ
第一回信教の自由に関する委員会は、六月
法案﹂、首相及び閣僚の﹁靖国神社公式参拝﹂
であり、純然たる宗教施設であることは明白
祀の対象とした戦没者を神霊として祀る神社
現在の靖国神社が、特定の基準をもって合
た。
に対して、反対の意志表明を行ってきまし
れた。
れた弁護士の小池健治氏が﹁靖国神社問題と
はじめに、本委員会に参考人として出席さ
信教の自由、政教分離﹂のテーマで、講演を
行った。続いて、議事に入った。
であります。
したがいまして、一宗教団体である靖国神
どのような形式をとりましても、憲法に定め
社に首相及び閣僚が公式参拝をすることは、
る﹁信教の自由﹂、 ﹁政教分離の原則﹂に背
反することは疑いの余地がありません。
私達は、これら憲法の規定こそ、今日の平
思い起こしたいと思います。
和な日本の礎となっていることを、もう一度
戦没者の追悼は、各御遺族がそれぞれに真
実と仰ぐ宗教によってなされるべきものであ
これは、本会が過去十二回にわたり﹁靖国
ることになった。
が、靖国神社への公式参拝を行わないよう、
祈念する日﹂がまいりますが、首相及び閣僚
本年も、まもなく﹁戦没者を追悼し平和を
0法輪旗 たて90㎝よこ塒㎝ 七、四〇〇円
1
○手 旗 たて70㎝よこ00㎝ 八○
、○○円
○仏旗︵小︶たて70㎝よこ㎜㎝ 九、三〇〇円
○仏旗︵中︶たて90㎝よこ燭㎝一二、○○○円
○一旗︵大︶たて蜘㎝よこ㎜㎝三二、 ○○○円
(天台座主狙下)
お申し込みは全日本仏教会財務部
、 ’ 唱.
一
議題 本年度の活動方針について
﹁首相及び閣僚の靖国神社公式参拝中止の
要請﹂について審議。昨年提出した﹁要請﹂
文を一部修正し、本年も内閣総理大臣に対し
て提出することになった。
︵小池氏の見解は十四∼十五面に掲載︶
靖国神社公式参拝中止を要請
本年度も、内閣総理大臣に対して﹁首相及
び閣僚の靖国神社公式参拝中止﹂を要請する
神社法案﹂、 ﹁靖国神社公式参拝﹂に反対の
強く要請いたすものであります。
ことが決まり、下記のような要望書を提出す
声明を発表してきた経緯をふまえて、信教の
財団法人 全日本仏教会
りましょう。
自由に関する委員会︵野村盛彦委貝長︶が、
、鴻 嘱一 ’
理事長 石上智康
・﹂ノ﹁國︸
理事長に答申したものである。
緊 , ■
一3一
2,qoO円
箱入
ご染筆
山田恵諦会長
に対する見解の相違をみると、出家者が依存
している社会の意識・常識などが色濃く投影
していることが理解される。
が、私は、様式化され制度化された表層レベ
文化の概念については、様々な定義がある
業・センダラ問題を考えるについて
しているか否かに関わらず、文化をして文化
ルの下に、深層的なレベルがあり、人が意識
文化と社会の視点より一
たらしめているレベルがあるのではないかと
考える。身近かな仏伝を例にとると、釈尊が
究会が、去る六月七日午後一時半から、浄土
第二十三回﹁業・施陀羅問題﹂に関する研
約千五百年間の歩みをたどることと、日本仏
から始って、インドから仏教が消えるまでの
の自覚を得ることを第一としているが、仏陀
のことは、人々の考え方を一定の枠の中に強
り理解できない、ということが出てくる。こ
もの﹂であり、人々はアーラヤに馴染んでお
理由は、悟られたことが﹁世の流れに逆らう
悟を開かれた後に説法を躊躇されたが、その
真宗本願寺派宗務所会議室で開催された。
教の歴史を比較検討することにより、初期仏
力に拘束している極めて執拗な深層レベルの
泰 教
高野山大学教授・谷川泰教師が、 ﹁業・セ
教研究の意義が確認されると考える。この意
高野山大学教授
ンダラ問題を考えるについて一文化と社会
目にみえないシステムとしての文化ではない
考える。
のことながら制度としての差別と、世界観と
る。当時、釈尊がよって立つ文化には、当然
味で、 ﹁業・旛陀羅問題﹂は、インドと日本
私の専門領域は、インド仏教学であるが、
差別の実態に学び、その残酷さを考える
しての業・輪廻思想が組み込まれていたこと
の視点よりl﹂のテーマで、要旨次のよう
特にインドの初期の仏教とジャイナ教の文献
時、人をして心ならずも差別に加担せざるを
は、定説となっている。なかでも、最も重要
かと思う。釈尊は、それに逆うことの意味を
を通して、それを比較し、仏教本来の在り方
得なくするシステムは一体何なのかに思い至
な位置を占めるのは、言語体系であると考え
の仏教の歴史を批判的・客観的にみつめる一
を探ることをテーマとしている。これまでの
ると、文化の概念への関心が生じてくる。
る。釈尊は弟子の一人に、 ﹁教えを説くのに
な発表を行った。
初期仏教の研究は、ごく一部の人を除いて、
業・栴陀羅の文化史的背景あるいは文化構造
サンスクリットに統一してはどうか﹂と問わ
充分に理解しておられたのではないかと考え
各宗派が仏教としてのアイディンテティーを
に留意する視点は、文献学を主とする者にと
れ、 ﹁それぞれの言葉で話せばよい﹂と答え
つの視座として、斎えられるのではないかと
得るための、ある意味では後向きの作業とな
り、馴染みが薄いが、たとえば、出家者の戒
たといわれる。恐らく釈尊には、インド文化
仏教研究の目的を、自らが仏教徒であること
っていたのではないかと考える。私は、初期
律制定のいきさつや、出家者団体相互の戒律
※ ※ ※
川
軍.
h 脚冨1 r
門 ,77
.シ
_ 「、
笥 ∼
谷
仏
全
1993年8月1日
一4一
1993年8月1日
仏
全
身分制度が付合して出てくる。そこには明ら
型だけであったものが、次の段階では、業と
ャッドにおいてである。特に、輪廻思想とチ
献の上で具体的に表われるのは、古ウパニシ
業思想の起源は、ウパニシャッド以前のヴ
ェーダの祭式にあることは常識であるが、文
それを覆う形で存在すると考えられる。
り、それは、インドの場合は、一つは﹁カル
文化の概念をみると、その根底に思想があ
い出せるのではないかと考える。
上で共通の文化の概念をもつことにより、み
の古代文化のみならず、今日の社会を言える
て、差別問題解決に向けての方向は、インド
があったのではないかと思われる。したがっ
れる、言葉のもつ様々な規制力に対する警戒
の特徴である﹁サンスクリット化﹂に象徴さ
ンのダルマ社会が現実に機能していることを
てしまったことになる。このことは、バラモ
果的にヒンドゥのダルマの構造に飲み込まれ
に、仏教的ダルマ社会を作ることにより、結
ないが、仏教はバラモンのダルマ社会の外部
家﹂とは、このダルマを捨てることに他なら
値体系は守ちれるという。したがって、 ﹁出
能を果たすことによって、社会とダルマの価
ぞれに割り当てられた固有の社会的役割・機
四つのヴァルナ集団のみから成り立ち、それ
持されるという。そして、社会は本来的には
価値体系で、人間社会の秩序はこれにより維
ヴェーダに淵源を有するバラモンの伝統的な
会を貫く文化の概念であり、神の啓示である
もう一つの﹁ダルマ﹂の概念は、インド社
既に仏教以前からあったことを示している。
的身分制度とその差別の構造が結合した形が
端初になるが、このことは、業と輪廻と社会
る意図が窺える。これが﹁説明的な業論﹂の
まま経典として用いてきた歴史がある。大乗
視するのではなく、むしろ差別的表現をその
大乗仏教といえども世俗社会の意識を全く無
大乗仏教は、一切衆生悉有仏性であるが、
たことも知られる。
題を介しても、差別問題と関わるようになっ
本来は禁止されていなかった、 ﹁肉食﹂の問
観念が、サンガに強く反映することにより、
ンガの外護者であった支配階層の浄・不浄の
性に依拠していたことも知られる。また、サ
社会的身分制度の影響を受けたサンガの清浄
訳ではなく、比丘になる資格が、業・輪廻・
るように、誰れでもが無条件に比丘になれた
うを顧みると、構成員の出身別比率にみられ
このことを念頭において、サンガの在りよ
使命と考える。
中に確認していくことが、我々に果せられた
ん。その影響の度合いを釈尊以降の仏教者の
状況の影響を完全に無視して存在し得ませ
人でも、それぞれがよって立つ時代的社会的
ャンダーラの関係でみると、初めは輪廻の原
マ﹂であり、もう一つは﹁ダルマ﹂の概念が
かに業によって社会的身分を説明しようとす
示すものであり言語が持っている規制力とい
要がある。
仏教のみが栴陀羅を差別的にあつかった訳で
いう、理想主義的仏教像に対して、はたして
業の思想は、今後、自己が自覚的に仏教徒
うものであろう。
それが額面どおり受け取れるものか否か、再
であることを実践していくために重要な思想
はなく、これは仏教の伝統であると認める必
吟味を迫まる研究も最近では幾つか出されて
くことが大切である。
として、 ﹁自覚的業論﹂へと転換を計ってい
全てが社会的存在であり、出世間を標榜する
いる。それらは、仏教を伝承してきた人達も
仏教が身分差別を否定して平等を唱えたと
谷川泰教師
一5一
σ
﹂㎜ 7 真宗大谷派宗務総長細 川 信 元参 務熊谷宗恵 同 稲 垣 俊 一 同 伊賀閲信 同 雨 森有慶 同 内藤義英京都市下京区烏丸通り七条上ル 常葉町七五四〒㎝ 〇七五︵三七一︶九一八一
一6一
。 曹洞宗宗務庁
●
≡
仏
全
1993年8月1日
■
三
能
正
鹿
英
散
言
忍
剛
心
天台宗務庁
二
総本山金剛峯寺
三
〒備 〇七五︵五四一︶五三六一
東瓦町九六四
賢
井
真言宗智山派宗務庁
総本山智積院法務所
中
村
臨済宗妙心寺派
天台座主山田恵諦
管 長
化 主
田
山
嶋
京都市東山区東大路七条下ル
別院執事
宗務出張所長
轍化部報
財務部長
執 事 中
轍学部報
法務部長
執 事 白
宗務総長
寺務長
藤
宗務本所
管 長春見高
宗務総長小倉宗
宗
総務部長
執 事
上
高野山真言宗宗務所
髄 .駐竹内崇
繍 藩嚴新居祐
総務部長羽賀文
教学部長大野鎮
財務部長本多二
勝
徳
中
事
繍務部三嘆
轡部蹄嬉
二
宗
〒枷一01 0七七五︵七九︶○〇一
一7一
鵬務部噺安
三細民宮田正
法務部長森 弘
賢
田能裕
田
師 吉 山
大津市坂本四丁目六番二号
賢説
正
長務 長務. 長
工務 長葺
山 林 部長木.
寳
︿大法会事務局﹀
史
学
部
執 行南
岡
副委員長橋本玄
副委員長細川景
総務部長山中清
管待部長山本健
募財部長中島義
〒鵬 〇七五︵四六三︶三一二一
京都市右京区花園妙心寺町
高 山 多
脳 本 紀
義 発 頴
寛 俊 信
田 灘会部首中
内事長常
企画室長山
同和局 長 佐 々 木
〒棚一02 0七三六︵五六︶二〇一一
和歌山県伊都郡高野山=二二
高野山東京別院
主 影青山良知
〒㎜ 〇三︵三四四一︶三三三入
東京都港区高輪三一一五1一八
三
正
保
聖
村
二
雄
峯
真
磯
宥
社参 庶参 会 務 務
部 部 総
財参 教参
務 部 総 務 室 長 興
俊
一
昭
二
延
義
勝
進
一
洲
観
峯
二
政
二
兼
二
憲
司
二
野
芸
西
花
o
==
囲田
=「r
1993年8月1日
仏
全 ==
●
囲一誓
真言宗豊山派宗務所
管 長吉 田 俊 誉
宗務総長川 田 聖 定
教 務 部 長 小 野塚 幾 澄総務部長白 井 正 雄
財務部長浅 井 侃 雄
教化部長杉 山 康 信
総合教化研究所市橋俊昭 事 務 局 長
東京都文京区大塚五−四〇1八〒m O三︵三九四五︶〇六三九
総本山仁和寺真言宗御室派
罰 闘吉田裕信
繍奮総嚴田中純慮
繍務三三村 田 文 英
猟学部斯福島智 秀
騰務部東堀川和海
京都市右京区御室大内三三猛x。。蓋顛叢誌橿
本門面立宗本山些些寺
講 有御 牧 日 勤
宗務総長植 田 日 朝
京都市上京区御前通一条上ル 東竪町一一〇番地〒㎜ 〇七五︵四六一︶一一六六
念法眞教教団総本山金剛寺
燈 主小 倉 籔 現
大阪市鶴見区緑三一四−二二〒鵬 〇六︵九一一︶二一〇一
孝道山本仏殿
統 日岡 野 正 貫
副統理岡 野 鄭 子
横浜市神奈川区鳥越三八〒謝 〇四五︵四三二︶一二〇一
浄土宗西山深草派総本山誓願寺
灘 銀鵜飼慶範
綜繧総嚴深 津 実 乗
藤翌翌週噺講謹㎝梱煙
一8一.
O
……
≡
」
国
仏
全
1993年8月1日
=
=
●
囲一一7 京都仏教会
会 長東伏見慈沿
理事長有馬 頼 底
常務理事大島亮 準
同 清瀧智 弘
同 荒 木 元 悦
理 事平野暎哉
同 大西真興同 江 上 泰 山
同 田 辺 瑚 海同 宮城高年
同 岡 辮 有
京都市上京区今出川通鳥丸東入 相監寺門前町峰入四−一〒㎝ 〇七五︵二二三︶六九七五FAX O七五︵二二三︶六九七六
神奈川県仏教会
会 長福永隆 昭
副会長小 崎 竜 雄
同 横 山亭 明
同 柳下高道
同 佐藤行信
事務局長本 間 孝 康
貫 首壬 生 台 舜
聖観音宗 浅草寺
灘 銀蓮生善隆
岐阜市西野町三一一 本願寺岐阜別院内〒珈 〇五八二︵六六︶七八〇三
岐阜県仏教会
東京都台東区浅草二一三一一既x。。王 三三嬰 ㌍坐一
執事長小岩井 貫 承
綜螺嚴岡田高功
潴 賑井上紀生
真言宗大覚寺派大本山大覚寺
香川県善通寺市善通寺町 三⊥二一一〒窺 ○入七七︵六二︶〇一一一
綜讃護加藤勝真
纏罎嘱喋魔赫
横浜市中区大平町九六 西有寺内〒謝 〇四五︵六六一︶〇一六六
藷市肪罐轟繁謳。主
一9一
O
……
≡
」
團
1993年8月1日
仏
全
財 団 法 人 埼 玉 県 佛 教 会 会 長 江 連 俊 則 副 会 長河 野 亮 永 同 酒井文雄専務理事目 黒 靖 淳浦和市高砂四1=ニー一入 埼佛会館〒鰯 〇四入︵入六一︶二=二八FAX O導入︵入六四︶六六四九
静岡県佛教会会 長石 上 糸貫事務局長塚 本 智 見会 計量 木 仁 永広 報岡 田 二黒静岡県富士市厚原五二 碧雲寺内〒姻−020五四四︵七一︶三六〇五
社団法人全日本仏教婦人連盟名誉会長 一 條 智 光会 長山本 杉理事長友廣 和 役 員 一 同 東京都豊島区北大塚ニー一一一分室 〒塒 東京都新宿区西新宿 新宿センタ﹂川駈⊥ ︵INA生保㈱内︶電話 〇三︵三三四四︶六七九四
社団法人日本仏教保育協会名誉会長大 谷 光 照理事長上村映雄東京都港区芝公園四−七一四〒鵬 〇三︵三四三一︶一五一九
総本山金峯山寺管 長五 條順教奈良県吉野郡吉野町吉野山〒鰯一31 0七四六三︵二︶入三七一
真言宗須磨寺派大本山須磨寺管 長小池義人神戸市須磨区須磨寺町四−六−八〒棚 〇七入︵七三一︶〇四一六
難蛛翻蝉灘謙灘 振丹羽観堂京都市左京区永観堂町四八〒伽 〇七五︵七六一︶○○〇七
真言宗中山寺派大本山中 山 寺兵庫県宝塚市中山寺ニー十一−一〒鰯 〇七九七︵三六︶六五一七FAX O七九七︵八七︶九八七七
一10一
00
==
﹂㎜≡
D一=
“”
仏
全
1993年8月1日
1993年8月1日
仏
全
0
﹂㎜=7 会 長高見寛康副会長大 谷 昭 世 同 広 瀬 照 晴専務局長 山彦 橋 恵 俊神戸市灘区原田通三丁目五−十八 金剛福寺内〒㎝ 〇七八︵八六一︶四〇四四
愛知県仏教会会 長江 川 辰 三副会長牧 三教 同 岩 田 文有 同 玉井康之名古屋市中区新栄一一二一二一 曹流寺内〒卿 〇五二︵二四一︶四七一二
財団法人国際仏教興隆協会名誉総裁山 田 恵 諦理事長川井 匡俊脚本譲竺蜘春見文勝 役員 一 同東京都目黒区中目黒五−二四− 五三 祐天寺内〒塒 〇三︵三七一一︶七六〇八
浄土宗総本山知 恩 院門 跡中村康隆執事長寺本哲榮 内 局 一 同京都市東山区林下町四〇〇〒伽 〇七五︵五三一︶二一一一
福岡県仏教連合会会 長黒 田 英 之北九州市小倉北区三萩野 ニー入−二一二 西蓮寺内〒蹴 〇九三︵九二︸︶四五七六
新潟県仏教会会 長中村啓 識長岡市上田町徳聖寺内〒脚 〇二五入︵三三︶一五三六
京都府仏教連合会理事長松村 了 昌京都市下京区堀川通花屋町下ル 西本願寺広報部内〒㎝ 〇七五︵三七一︶五一入一
真理 舎主 管友松諦道’東京都千代田区外神田三−四一一〇 神田寺内〒皿 〇三︵三二五一︶八六八三
一11一
0 兵庫県仏教会
==
””
D
≡
真言宗豊山派総本山長谷寺化 主吉 田 俊 誉寺務長三津田 辮 秀総務執事 渡 邊 隆 榮教務執事 伊 東 聖 純法務執事高 梨 堅 堂財務執事田 嶋 信 雄弾婁露花園昌成奈良県桜井市初瀬七三一−一〒瑠−010七四四四︵七︶七〇〇一
日蓮宗総本山身延山久遠寺法 主岩 間 日 勇総 務藤井教雄 外山務員一同山梨県身延町身延三五六七〒姻1250五五六六︵二︶一〇=㈹
、曹洞宗大本山総持寺貫 首梅田信隆横浜市鶴見区鶴見二一一−一〒脚 〇四五︵五八一︶六〇二一
財団法人日本佛教鐙画会理事長中山静麿東京都板橋区舟渡孟。三︵三九六岬垂処
大本山成田山新勝寺貫 首照 碩千葉県成田市成田一〒㎜ 〇四七六︵二二︶一コ=
大本山高尾山薬王院蘇讃旺嘉題苅三ま五
本願寺築地別院輔京出張所羅北 條 成 之東京都中央区築地三−十五卜一〒期 〇三︵三五四一︶一=一=
一12一
。 財団法人
==
●
4㎜曇
D≡
開”
仏
全
1993年8月1日
仏
1993年8月1日
全
==
“. “”
一=
」
②
囲 7=
国
●
■
真言宗智山派大本山 川崎大師平間寺
貫 首高橋隆 天
総 肩馬本 克美
院 代原 隆 、執 皆野 澤隆幸
川崎市川崎区大師町四−四入肝枷x。。甥二林楚咽だ駒
西新井大師
総 持 寺
東京都足立区西新井 一−一五一一〒鵬 〇三︵三八九〇︶二三四五
曹洞宗大本山永平寺
貫 首丹 羽 廉芳
他役寮一同
福井県吉田郡永平寺町〒㎜1120七七六︵六三︶ごコ○入
大雄山最乗寺
山 主余 語 翠 巌
紀 綱阿部顕瑞
副 寺豊島健生
外役寮一同
神奈川県南足柄市大雄町=五七〒㎜1010四六五︵七四︶==二一
大本山護 國 寺貫 主小林良弘
執 事岡本 永 司
院 代上谷良祐
東京都文京区大塚五−四〇1一〒皿 〇三︵三九四一︶〇七六四 〇七六五 入溝〇六
日蓮宗大本山 池上本門寺
貫 首田 中 日 淳
東京都大田区池上一一一−一〒蜘 〇三︵三七五二︶二三三一㈹FAXO三︵三七五二︶三三五〇
日光山輪王寺
門 跡萩原貞興
執事土中 里 昌 念栃木県日光市山内二三〇〇番地〒謝−140二八入︵五四︶〇五一三
一13一
弁護士
池 健
たが、閣僚は十五名が参拝を行い、前年より
も三鷹増えたということである。つまり、首
相の公式参拝は国内の反対はともかくとし
て、諸外国からの反発が強いためにできない
が、閣僚は公的性格の強い参拝をしていると
いうことである。
今年も六月二日の朝日新聞によれば、 ﹁首
らの反対があり、公式参拝はされずに来ている。
様々な議論が沸騰する。その一番のピークは
と、首相の靖国神社公式参拝をめぐって、
ここ十数年来、毎年八月十五日が近づく
※ ※ ※
な見解を発表された。
の自由、政教分離﹂と題して、要旨次のよう
護士の小池健治氏は、 ﹁靖国神社問題と信教
かれた。委員会に参考人として出席された弁
て、公式参拝という国家権力が宗教に関与す
したがって、政府が推進団体の意を踏まえ
社頭一礼の参拝方法を批判するものである。
いう点である。それは、中曽根首相が行った
く、その後に神社本来の姿を護持顕現すると
は、靖国神社公式参拝の定着化だけではな
である。ここで注意しなければならないの
案理由の説明があり、採択されたというもの
よう、神社本庁に希望する﹂の点について提
神社本来の姿を護持顕現する運動を展開する
議貝から、 ﹁靖国神社公式参拝の定着化と、
新報に載っている。評議員会においてある評
これに関して、興味ある記事が最近の神社
したことによる。
原因は、一九七四年五月に衆議院法制局が
後、この法案が日の目をみなくなった大きな
七四年に五回目の提出で廃案となった。その
出され、その後提出、廃案を繰り返し、一九
先ず、一九六九年に﹁靖国神社法案﹂が提
としているのである。
り、それを推進者側は実現、定着化させよう
この成立ができないために出て来たものであ
である﹁靖国神社法案﹂というものがあり、
参拝は、靖国神社国家護持問題の一つの課程
今日当面の問題となっている靖国神社公式
題へ
今年もそうした推進団体かちの強い働きかけ
相今年も見送る方針靖国神社公式参拝﹂の見
るという、当該の外から見れば支援を受けた
第一回信教の自由に関する委員会が、去る
出しで、宮沢首相は終戦記念日に公式参拝を
と思われるその当該の宗教団体が、実は宗教
が、いわゆる表敬法案たる私案を提案した。
一九七五年二月に藤尾衆議院内閣委員長
一、靖国神社法案から靖国神社公式参拝問
行わないことをあきらかにしている。しか
本来の活動を阻害され、信教の自由を害され
これが今日の公式参拝への転換点である。
が、その後は特に中国を中心とする諸外国か
一九入五年の中曽根首相の公式参拝であった
し、昨年の新聞記事によれば、推進団体であ
ていた、という点に興味を持つのである。
的色彩がでてくる。
初めて靖国神社を参拝する。その後順次に公
﹁靖国神社法案の合憲性﹂という文書を提出
る日本遺族会が首相に靖国神社公式参拝を要
首相が公式参拝をしないから安心なのかと
様子を見ると、首相は公式参拝を見送りはし
いうと、実はそうではない。すなわち昨年の
請という中で、自民党が参議院選で公式参拝
があると思う。
仏
’口
六月十日午後二時から、明照会館会議室で開
小
同年八月十五日に三木首相が私人として、
を選挙公約にしていたという指摘があり、そ
の火種はなかなか消えておらず、したがって
艶’
脳’ 一
「 噛 「,
仏
全
1993年8月1日
一14一
1993年8月1日
仏
全
また同年に、 ﹁靖国神社における公式参拝
公式参拝問題が取り上げられたのは、一九
求め、 ﹁これによれば、憲法二十条三項によ
って禁止されない国及びその機関による宗教
的活動又は宗教上の行為が存在し得ることは
七五年であるが、この時に吉国法制局長官が
国会で、 ﹁公式参拝は憲法二十条三項の重大
明かである﹂とし、これを受けて公式参拝は
の実現を推進する﹂ことを運動目標とする英
霊にこたえる会が発足した。
な問題になる﹂との答弁を行った。その後、
行われた。
そして一九入四年、首相の私的諮問機関で
ある﹁閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会
靖国神社の公式参拝問題については、この
二、靖国神社公式参拝と政教分離
しては見逃すことができないことである。
て危険な問題を包蔵しており、特に宗教者と
てこの問題は靖国神社と国家との関係の極め
式参拝が進められているのである。したがっ
国家護持、あるいは国営化の一里塚として公
でに四十年前からの動きがあり、靖国神社の
このように、靖国神社公式参拝問題は、す
首相の靖国神社公式参拝が実現した。
に基づいて、一九入五年入月十五日に中曽根
題点
3 ﹁靖国懇﹂報告書・政府見解とその問
的に判断すべきである﹂との判断を下した。
諸般の事情を考慮し、社会通念に従って客観
為の外形的側面のみにとらわれることなく、
るかどうかを検討するに当たっては、当該行
為を言い、ある行為がこの宗教活動に該当す
助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行
的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、
三項にいう宗教活動とは、行為の目的が宗教
果基準﹂を設けた。すなわち、 ﹁憲法二十条
津地鎮祭違憲訴訟最高裁判決は、 ﹁目的効
果基準
2 津地鎮祭違憲訴訟最高裁判決の目的効
くとも違憲説に極めて近いといえる。
の見解は違憲だと断定はしていないが、少な
の疑いをなお否定できない﹂としている。こ
ないが、このような参拝が違憲ではないかと
また、宗教者として信教の自由がその生命
きない。
として、国民の一人として無視することはで
分離の原則という憲法の根幹を揺るがす問題
きな原則である。この靖国神社問題は、政教
争の反省から出た、平和憲法へとつながる大
違憲問題において、政教分離の原則とは戦
お わ り に
る。
その他の判決においても大勢は違憲判決であ
違憲﹂との明確な違憲判決が出された。また
いは政教分離原則に照ちし相当限度を越えて
は、 ﹁国と宗教法人靖国神社とのかかわりあ
その中でも、一九九一年の仙台高裁判決で
の靖国訴訟が提起された。
拝の違憲性をめぐって、大阪、姫路、福岡等
中曽根首相の公式参拝があった後、公式参
4 仙台高裁判決、その他の判決
は変更され、社頭一礼の参拝方法がとちれる。
このようにして、従来の﹁政府統一見解﹂
問題が起こってから様々な見解が出されてい
一九入五年八月九日に﹁靖国懇﹂報告書が
線である以上、政教分離の原則が破られるこ
一九入○年に﹁政府統一見解﹂が出され、
﹁政府としては違憲とも合憲とも断定してい
る。
出された。この報告書は公式参拝の合憲性の
とのないように見守る必要がある。
− _’ 冒−「
ヒ十脇r・ 乍‘
E ∼ザ
一脚
︵靖国懇︶﹂が発足する。この靖国懇の報告
1 内閣法制局の従前の見解
理由づけを最高裁判決の﹁目的効果基準﹂に
小池健治氏
一15一
告、決算報告、平成五年度事業計画案、予算
日午後三時より、セントラルホテル・フクオ
伝道会館を会場に開催された。平成四年度会
案などの審議につづいて、昨年九月に開催さ
東京都仏教連合会の理事会及び総会は、去
務報告、決算審議、監査報告などにつづい
れた第三十五回全日本仏教徒会議九州大会の
カを会場に開催された。平成四年度事業報
て、新しい役員の選任が行われ、会長に岩崎
決算報告が行われた。次に、この大会の関連
る六月十四日午後二時から、築地本願寺第二
宗秀、理事長に白川謙敬、事務局長に菊地昌
教婦人連合会の設立に向けて、準備委員会か
行事として計画が進められている、福岡県仏
が﹁イスラム教的思考と仏教﹂というテーマ
ら詳細な報告が行われた。最後に全霊事務局
雄の各師が選ばれた。その後、ひろさちや氏
で講演を行い、五時半からは、新旧役員の歓
がルンビニー復興事業への協力を要請し、五
時半からの懇親会へと移った。
送迎会がもたれた。
一方、福岡県仏教連合会の総会は、七月五
り
加
鴎話 馳脚 臨師 一
店嚇 ⋮
”
嚇奪◆曝◆も◇曝◆奪◆曝◆奪◆奪◆毒◆も◆も◆も6も◆毒◆毒◆も◆≠
◆ 具
用
◆ 院
榊 寺
燕 東 飛
轡 ψ
騨 榊
アもらららるうキらホらもらちもアもうららららもらならららきううらねら
同和委面会・研究会
六日
五日
一日
松原哲明師出版記念会出席
同和担当者連絡会
福岡県仏教連合会総会出席
総持寺差別戒名追善法要参列
一七月1
七日
全青協墨蹟展出席
七日
六日∼十一日 ネパール現地調査
+日
信教の自由に関する委員会
部落解放研究所創立二十五周年記
石倉 光昭︵全仏評議員︶
七月三日、六十四歳で遷化
二+一日
+六日
+四日
+,一日
法律相談室
局内会議
文化庁宗務課との懇談会
局内会議
東京都仏教連合会総会出席
真言宗各派同和研修会出席
二+入日
二+七日
二+六日
二+三日
総務委員会
加盟団体代表者同和研修会
日宗連理事会
三日 日宗連理事会
本 仏 教 会
〒一〇五 東京都港区芝公園四−七一四
二+九日 高知県仏教会訪問
発行人 籏 本 宏 昌 発行所 財団法人 全
局内会議
ルンビニー委員会
局内会議
二+二日
−六月−
二+四日
五日 増上寺法主晋山式参列
九九三年八月一日発行
三+日
四日 自民党文教関係議員との懇談会
念東京集会出席
法律相談室
」9務︷謹書録董曇
時宗宗務長
日
盟店
計鳳会
浅草通
軸 榊 鱒 齢” 輔 ”
榊榊 ”
榊榊榊
局内会議
一 仏
全
1993年8月1日
一16一
h