論 文 内 容 要 旨 界面での物質輸送および差スペクトルの理論解析

論
氏
名
学位論文の
題
文
目
内
容 要 旨
坂口 俊
提出年
平成 25 年
界面での物質輸送および差スペクトルの理論解析
論 文 目 次
CONTENTS
Mass accommodation mechanism of water through monolayer films at water/vapor interface
I.
INTRODUCTION ............................................................................................................................ 2
II.
METHOD
A. Space-dependent free energy and friction........................................................................................... 6
B. Molecular Dynamics Simulation ......................................................................................................... 8
C. Langevin Dynamics Simulation ........................................................................................................10
III.
RESULTS AND DISCUSSION
A. Density profiles ...................................................................................................................................11
B. Free energy and friction profiles .......................................................................................................12
C. Mass accommodation dynamics .........................................................................................................16
D. Effects of the surface density .............................................................................................................19
IV.
CONCLUSION ..............................................................................................................................20
Molecular dynamics sturdy of water transfer at supercooled sulfuric acid solution surface
covered with butanol
1.
INTRODUCTION .........................................................................................................................36
2.
CALCULATION METHOD
A. Force Field ..........................................................................................................................................40
B. MD conditions .....................................................................................................................................42
C. Scattering simulation .........................................................................................................................45
3.
RESULTS AND DISCUSSION
A. Surface structure ................................................................................................................................47
B. Mass accommodation coefficients ......................................................................................................48
4.
SUMMARY .....................................................................................................................................52
Theory and efficient computation of differential vibrational spectra
I.
INTRODUCTION ..........................................................................................................................71
II.
GENERAL THEORY OF DIFFERENTIAL SPECTRA
A. Decomposition into Configuration and Time Evolution...................................................................73
B. Configuration Term ............................................................................................................................75
C. Time Evolution Term .........................................................................................................................75
III.
CALCULATION PROCEDURES
A. Configuration Term ............................................................................................................................77
B. Time Evolution Term .........................................................................................................................77
C. Stability Matrix with Nose-Hoover Thermostat...............................................................................80
IV.
SOME SPECIFIC CASES
A. Temperature Change .........................................................................................................................82
B. Mass Change .......................................................................................................................................84
V.
MD COMPUTATION
A. MD Conditions ....................................................................................................................................86
B. Evaluation of convergence .................................................................................................................86
C. Evaluation of the perturbations ........................................................................................................88
VI.
RESULTS AND DISCUSSION
A. Accuracy - comparison with numerical spectra ................................................................................89
B. Efficiency – convergence behaviors ...................................................................................................89
C. Validity of first-order perturbation ...................................................................................................90
VII.
CONCLUDING REMARKS
差スペクトルを計算する方法論の開発 ...............................................................................................105
論 文 内 容 要 旨
1「気液界面における物質輸送の研究」
<概要> 気液界面を介する物質輸送の速度は界面の状態によって大きく変化する。特に、Langmuir
膜のような単分子膜が覆っている界面からの水の蒸発速度は、界面を覆っている直鎖アルコールの炭素
鎖数 n が 12<n<22 の範囲で増加するにつれ、指数関数的に減少することが示されていた。1 2000 年に
入って、従来の方法では測定することが出来なかった n<6 の短鎖の直鎖アルコールが存在する界面での
水の蒸発速度が、硫酸水溶液を用いた真空系の実験によって測定できるようになった。その結果は n=4
界面の場合、蒸発速度にほとんど影響を及ぼさないという、長鎖の実験 1 とは対応のつかない結果とな
った。2 この二つの実験では単分子膜と溶液が同時に異なる界面を比較しており、界面の様子と分子の
取り込みの関係をこれらの実験のみからでは正確に理解することは難しい。このように界面での物質輸
送は、界面化学の基礎であるがそのダイナミクスなどには未解決の点も多い。そこで本研究の目的は、
【単分子膜の炭素鎖の長さの変化】と【溶液の変化】が与えた水分子の取り込みの変化を分子動力学シ
ミュレーションより明らかにすることである。
<方法> 蒸発速度を計算するためには、気相側からの水分子の
取り込みの速度を計算すればよく、取り込みの速度を決定する
物理量が、界面での取り込み確率  (= 液相に取り込まれた粒
子数 / 界面に衝突した粒子数) となる。計算より【単分子膜の
炭素鎖の長さの変化】および【溶液の変化】が水分子の取り込
み確率にどのように影響を与えるかをLangevin dynamics お
よび Molecular dynamics を用いて解析を行った。
<結果および考察> Langevin dynamics を用いて算出した取
り込み確率 α の結果を図 1 にまとめる。この結果では、炭素鎖の
図 1 Langevin dynamics で計
長さ n に対して取り込み確率 α が指数関数的に減少していること
算した取り込み確率 α
がわかる。これより、n=4 の単分子膜は蒸発速
度を減少させる働きがあることが確認された。
この結果より n=4 の単分子膜が蒸発速度に影
響を及ばさないという実験結果 2 は、その溶液
中の硫酸イオンの影響によることが明らかと
なった。
硫酸イオンの影響としてブタノール膜の一
図 2 界面での密度分布
および配向分布
部がプロトン化される。実際にブタノール膜が
プロトン化された界面での密度分布および炭素鎖の配向分布の結果を図 2 にまとめた。密度分布から、
BuOH2+は液相に溶けており、その結果表面での炭素鎖のパッキングが弱くなっている配向分布があら
われることがわかる。この表面での単分子膜の整列具合のランダム化が水分子の取り込みのダイナミク
スに影響をあたえ、結果として取り込み確率が増加することを示した。発表では、紙面で紹介すること
ができなかった結果も共に紹介していく。
2「差スペクトルの計算手法の開発」
<概要> IR や Raman などのスペクトルから系の状態を観測する、というスペクトル解析は非常に広
く用いられている解析手法である。系の状態が変化すると、スペクトルにその変化に起因した新しい振
動成分が現れる。つまり、二つのスペクトルの差をとると、その二つでの系の変化に対応する振動成分
にのみピークが現れる。これが差スペクトルである。差スペクトルを見る長所として、変化に対応する
成分のみを明瞭に取り出すことができることがあげられるが、短所として、差スペクトル自身の強度が
非常に小さいことがあげられる。それは、一般的にその系の差が微小であるために、スペクトルの差も
小さくなることが原因であり、往々にしてその差は元のスペクトル強度の 0.1%程度である。5.6 シミュ
レーションを用いた計算化学においては、差スペクトルを計算することは現実的に非常に困難な課題で
あった。それは、差スペクトルが計算できるほどの非常に高い SN 比でスペクトルを得ることに莫大な
計算コストがかかるためである。そこで本研究では、コンピュータシミュレーションより差スペクトル
を計算する新しい理論を提唱し、その計算アルゴリズムを開発し、実際に液体 Ar を対象として差スペ
クトルの計算を行った。7
<結果と考察> 今回、系の【差】として液体 Ar 中の一つ
[arb. Unit]
の原子の「質量が変化した場合」、「原子間の相互作用ポテ
ンシャルが変化した場合」
、「系の温度が変化した場合」の
3 種類の差を考えた。計算した【スペクトル】として速度
相関関数を利用した。図 3 は、質量変化における差スペク
トルの計算結果である。図 3 には、スペクトルの差から差
スペクトルを計算する従来の計算手法で求めた結果も同時
に載せている。両者の計算結果はよく一致しており、今回
の方法論が正しいことを示している。そのうえで、今回の
新しい理論方法では、差スペクトルを前者と同じ統
計誤差の範囲に収束させるまでにおおよそ 3000 分
図 3 今回の計算手法とスペクトルの差から
の 1 の計算時間に抑えることができることを実証し
求めた液体 Ar における差スペクトル。点線
た。発表では計算結果および今回の計算手法に関し
が前者のもので、実線が後者のものである。
ての説明を行っていく。
エラーバーは標準偏差の大きさ
あらわしている。
1. Barnes, G. T. Colloid Surface A 1997, 126, 149.
2. Lawrence, J. R.; Glass, S. V.; Nathanson, G. M. J. Phys. Chem. A, 2005, 109, 7449.
3. Sakaguchi, S.; Morita,A. J. Chem. Phys., 2012, 137, 064701.
4. Sakaguchi, S.; Morita,A. J. Phys. Chem. A, 2013, 117 ,4602.
5. Garczarek, F., Gerwert, K. Nature, 439, 109-112 (2006)
6. A.Yamakata, M.Osawa, J.Am.Chem.Soc. 131,6892(2009)
7. Sakaguchi, S.; Ishiyama, T.; Morita, A. to be submitted
論文審査の結果の要旨
坂口氏の研究業績は、単分子膜に覆われた水表面を透過する物質移動の理論、および振動差スペクトルを
効率的に計算することを可能とする理論の開発の 2 つから成る。どちらの業績も、それ自体で博士に価する
独立した成果であるといえる。
水表面を Langmuir 単分子膜で覆うことにより、水の蒸発速度が劇的に遅くなる現象は昔から知られていた。
しかしその物質透過のメカニズムを分子シミュレーションを用いて分子レベルで明らかにすることは必ずし
も容易ではない。それは、水の透過現象が長時間の拡散過程を伴い、しかも極めて多数回の衝突のうちにわ
ずかに浸透するまれな現象であるためである。坂口氏は、透過の自由エネルギー面および摩擦係数曲線を分
子シミュレーションによって計算し、それに基づいて Langevin 動力学を用いてこの問題を明らかにした。長
鎖の単分子膜が覆う際には自由エネルギーの障壁が生じ、その高さが取り込み確率を支配する。その高さは、
単分子膜を浸透する水分子が界面で特有の water finger 構造を誘起することによって決まることを示した。
さらに近年の実験では、短鎖の単分子膜は水の物質移動に全く影響しないことを示しており、分子シミュ
レーションによる結果とは異なることが分かっていた。坂口氏は、実験が行われた条件を精密に検討し、短
鎖の単分子膜の実験において使われる酸性条件の水溶液が、表面のアルコール分子の一部をプロトン化する
ことで実験事実を解明した。単分子膜のプロトン化平衡と膜構造、さらに取り込み過程への影響を統一的に
明らかにすることに成功した。
また、坂口氏は微小な差スペクトルを一般的に計算する手法を開発する研究も報告している。実験計測に
おいて得られるスペクトル情報から、特定の部位の変化を抽出する工夫として、差スペクトルを計測するこ
とは広く用いられている。溶媒和構造の解析や電極界面、膜タンパク質のイオンチャンネルの測定など、そ
の例には多数ある。しかし、差スペクトルを分子シミュレーションによって計算して解析することは非常に
難しい問題であった。2 つのスペクトルの差を精度よく計算するには、非現実的なほどの統計平均と良好な
S/N 比が必要であるためである。坂口氏は、2つのスペクトルを計算して差をとるのではなく、差スペクト
ル自体を摂動論に基づいて計算する独自の手法を開発した。それを液体 Ar のモデル系に適用したところ、従
来より桁違いに効率よく差スペクトルを計算することができることを実証した。この手法は、今後広く差ス
ペクトルの理論解析に応用されることが期待される。
以上のように、坂口氏の業績は、従来の分子シミュレーションでは扱うことが難しかった問題に対して、
独自の工夫や理論開発を行うことによって可能とする成果を示しており、分子シミュレーションの可能性を
広げる意義をもっている。これは十分に博士に価するものと判断された。自立して研究活動を行うに必要な
高度の研究能力と学識を有することを示している。したがって,坂口俊氏が提出した博士論文は,博士(理
学)の学位論文として合格と認める。