本文は - 化学と生物

巻頭言
Top Column
サイエンスコミュニケーション
福田雅夫
化学と生物 ●
日本農芸化学会
長岡技術科学大学技学研究院生物機能工学専攻
10 年ほど前に上越の北陸センターで実
から食用油が製造されていることなどを説
施された遺伝子組換えイネの隔離ほ場試験
明したところ,妻は「組換え食用油は気持
の説明会の司会を引き受けたことがあっ
ち悪い」と言い出した.食用油には遺伝子
た.説明をする農林水産省の担当者と会場
組換え DNA やタンパク質は含まれていな
の聴衆の意見はかみ合わず,最後は時間切
いのだから非組換え食用油と違いがないと
れで議論を打ち切らざるをえなくなり,罵
説明したのだが,未知のモノに対する違和
声を浴びながら閉会を宣言したことを覚え
感が妻を捉えて放さず,結局,説得するこ
ている.その後,隔離ほ場試験は周辺のイ
とはできなかった.サイエンスコミュニ
ネとの交雑を避けるために緩衝地帯を設け
ケーションとは別次元の妻の根拠のない感
たり栽培時期をずらすなどの工夫をして実
覚を説得すること自体に無理があり,新し
施され,無事に終了した.遺伝子組換え反
い技術の宿命なのかと諦めざるをえなかっ
対派は,隔離ほ場試験の差し止め訴訟を起
た.自分の妻も説得できないとは,科学者
こしたり,損害賠償を求めた裁判を続けて
の端くれとして恥ずかしい限りである.
起こしたがいずれも敗訴した.先日,北陸
このことを悔やんでいて 10 年前の市民
センターを訪問した際に驚愕の後日談を聞
講座での記憶がよみがえった.遺伝子組換
かされた.反対派は,10 年の間に手を変
えにかかわる市民講座を担当し,輸入され
え品を変えて裁判を起こしては敗訴しなが
た遺伝子組換えダイズから製造された乾燥
ら訴訟を起こし続けているとのことであっ
納豆を出したときである.実は私は納豆嫌
た.現在は,隔離ほ場試験にかかわる実験
いであるが,その素振りを見せずに乾燥納
ノートの開示を求めた裁判を起こしている
豆を食べたところ,多くの参加者が興味深
そうである.
げに口にしたのである.高齢の市民が多く
この話を妻にしたところ,日常生活に遺
を占めていたが,小学生の子どもとその母
伝子組換えが使われていないのに遺伝子組
親も食べた.前述の隔離ほ場試験の説明会
換え反対にこだわるのは不思議だねと言わ
に反対派として参加された農家の方が一人
れ,またもや愕然とした.経済産業省で審
参加されていたが,この方も乾燥納豆を食
査した遺伝子組換え案件は 1,800 件近くに
べた.この方は,遺伝子組換え作物が地域
および,多数の遺伝子組換え技術を活用し
で栽培されることによる風評被害を懸念し
た製品が市場に出ている.実験や検査用の
ており,遺伝子組換え作物自体に反対して
試薬などが多いが,洗剤用酵素など身近な
いるわけではなかった.私の妻を含め,ど
商品も含まれている.食品の製造に遺伝子
うも多くの人が遺伝子組換え産物を得体の
組換え酵素が使用されている場合もある.
しれない未知のものと想像して不安や気味
厚生労働省の管轄では遺伝子組換えワクチ
悪さを感じているようである.遺伝子組換
ンも使用されている.私自身は,現在の日
え技術に限らず,具体的に見て触れること
常生活に遺伝子組換え技術が大きくかか
により新技術を理解する体験型サイエンス
わっており,遺伝子組換え体や遺伝子組換
コミュニケーションの重要性を認識した次
え DNA 自体はないものの遺伝子組換え産
第である.
物が身近に少なからずあることを実感して
おり,学生にも話してきた.灯台もと暗し
だったと反省しつつ,遺伝子組換えナタネ
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.447
Top Column
化学と生物 Vol. 54, No. 7, 2016
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プロフィール
化学と生物 ●
日本農芸化学会
福田 雅夫(Masao FUKUDA)
<略歴>1976 年東京大学農学部農芸化学
科卒業/1980 年同大学大学院農学系研究
科農芸化学専攻博士課程中退/同年同大学
農学部助手/1991 年長岡技術科学大学工
学 部 助 教 授/1995 年 同 大 学 工 学 部 教 授,
現在に至る<研究テーマと抱負>細菌にお
ける芳香族化合物の代謝酵素システムの解
明と利用,特に放線菌の奥深い代謝酵素シ
ステムの解明と利用を目指す<趣味>音
楽,温泉,PC