本文は - 化学と生物

巻頭言
Top Column
微生物研究の未来は?
土屋英子
化学と生物 ●
日本農芸化学会
広島大学名誉教授
この夏のオリンピックでは,日本人アス
リートの活躍に一喜一憂された方々が多
かったことと思う.スポーツの記録は毎年
更新されていく.もちろん訓練方法などの
進化もこれを支えているのだろうが,ヒト
の身体能力はどこまで伸ばせるものなのだ
ろう,新たな進化はあるのだろうか.
さて,ヒトを含む多様な生命体が現在地
球上に存在するが,地球上の生命の誕生に
は火星からの生命の元(原始細胞,または
微生物)が火星隕石によってもたらされた
ことによっているという仮説をご存じだろ
うか.カリフォルニア工科大学のジョゼ
フ・カーシュヴィンク教授らの提唱するも
のである.生命の誕生にはまず RNA の生
成があって可能となったという考えはほぼ
間違いないことだと考えられるが,生命が
誕生したと考えられる約 40 億年前の地球
はほとんどが高温の水で覆われており,高
分子の RNA はもとより構成因子のリボー
スの生成も極めて困難な環境だったと考え
られるそうである.RNA 分子の生成は当
時の火星上では可能と考えられ,原始細
胞/微生物が存在していた可能性は十分あ
るということである.加えて,隕石に存在
した微生物は地球に到達する過程で熱によ
り完全に殺菌されることはなく,複雑な有
機化合物や微生物を惑星間パンスペルミア
と呼ばれるプロセスで火星から地球に運ぶ
ことが可能なことは,多くの実験で確かめ
られているそうである.惑星間パンスペル
ミアというのは,たとえば大型の天体が火
星に衝突してその衝撃で多くの火星隕石が
宇宙に放出され,地球に飛来したというこ
とを意味している.現在の火星上に生命体
が存在する可能性は低いようであるが,果
たして過去の火星微生物の痕跡が今後見つ
かるか,興味が尽きない.
昨今の微生物関連の話題で興味深いもう
一つのものはヒトとの共生菌で,本学会員
諸兄姉にも,関連した研究をされている
方々がおられると思う.腸内細菌のメタゲ
ノム解析が始まった頃,
誌の解説
記事でヒトが腸内に 1 kg もの細菌を保持
していることを知り,大腸菌 1 kg を液体
培養で得るには…と思わず考えたことを思
い出す.現在では,メタゲノムデータを基
にさまざまな疾患や免疫,さらには脳の活
動と腸内細菌叢の関連が研究され,こちら
も今後どのような展開があるのか期待が膨
らむ.
しかしこのような研究を,若い世代の人
たちはどう捉えているのだろう.近年,微
生物学関連分野に限らず,どこの大学の研
究室でも博士課程後期への進学者の低下が
問題になっている.確かに,学位取得後の
研究継続の困難さを考えると安易に進学を
進められないのも事実で,学生確保に大学
は苦労している.だが振り返って,われわ
れ団塊の世代が大学院で勉強していた頃
も,学位取得後の就職の状況は今以上に芳
しいものではなかった(と思う)
.それで
も進学したのは,もっと研究を続けたいと
いう思いと,先は何とかなるだろうという
図太さだったのかもしれない.この拙文を
読まれた若い方には,とにかく努力を続け
ていれば道は開けるということを伝えた
い.この夏のオリンピックで,多くの若い
アスリートが諦めずに努力してメダルを勝
ち取っていたように,サイエンスの世界で
も多くの研究者が育ち,新しい発見をもた
らしてくれることを期待したい.また,こ
れは自身への反省でもあるが,中堅の研究
者の方々には研究の面白さを幅広い世代に
伝えるべく,いっそうのご努力をお願いし
たいとも思う.
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.863
Top Column
化学と生物 Vol. 54, No. 12, 2016
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プロフィール
化学と生物 ●
日本農芸化学会
土屋 英子(Eiko TSUCHIYA)
<略歴>1979 年東京大学大学院農学系研
究科博士課程修了/同年広島大学工学部助
手/1988 年 同 助 教 授/1997 年 同 教 授/
2015 年 定 年 退 職・ 同 大 名 誉 教 授<研 究
テーマと抱負>真核生物のクロマチン再編
因子の機能解析,および細胞周囲を調節す
る生理活性物質の探索を出芽酵母を材料と
して研究<趣味>ものを作ること