本文は - 化学と生物

日本農芸化学会
今日の話題
ある種のシダにおいてジベレリンは時空間的なコミュニケーションツールとして使われてきた
シダの性決定のしくみがわかってきた
化学と生物 ●
植物ホルモンのジベレリン(gibberelline; GA)は,
種子発芽,茎の伸長,開花,果実の成熟などさまざまな
(1, 2)
れた.
An の生合成の理解に先立ち,筆者らはまず An の感
.しかしな
受性と分泌量の関係について調べた.すると成長初期の
がら,これらの作用の多くは被子植物で観察されてきた
前葉体は An に対する感受性が高い一方で An の分泌は
ものであり,それ以前に誕生した植物における作用はよ
行わない,成熟期になると逆に感受性がなくなり分泌が
くわかっていなかった.被子植物以前の植物は,裸子・
盛んになることがわかった.すなわち,An に対する感
シダ・コケ植物に大別される.最も古いコケ植物では,
受性と分泌量はアンチパラレルな関係にあった.
生長・発達過程において促進作用を示す
一部の GA 生合成酵素遺伝子がないため最終産物の活性
次に,An 合成に GA 生合成経路が関与するかを検討
型 GA を作ることができない (3).次に古いシダ植物では
した.なぜなら,An と GA とは構造的共通性が高い一
GA は生合成されるものの植物体に投与しても茎の伸長
方で,活性型 GA に必須な 3 位水酸基がない,6 位カル
(4)
(5)
が見られない .一方,安益ら は最も古いシダ植物に
ボキシル基がメチルエステル化されているという構造的
属する小葉類の一つイヌカタヒバにおける胞子形成に
な相違があったためである.そこでまず,GA の生合成
GA が必須であることを示した.では,シダ植物におけ
の初期段階の阻害剤であるウニコナゾールの造精器誘導
る GA は胞子形成においてのみ必要なのだろうか.
に対する効果を調べたところ,阻害が認められたことか
筆者らは,いくつかのシダ植物に特徴的なアンセリジ
ら,An 合成と GA 初期生合成経路は共通であることが
オーゲン(Antheridiogen; An)を介した造精器誘導現
予想された.そこで,カニクサにおける GA 生合成・シ
(6)
象に注目した .An とは前葉体世代のコロニーにおい
グナル伝達関連遺伝子の単離を行い,GA の生合成や信
て先に成長した個体が分泌する物質で,遅れて成長した
号伝達にかかわる遺伝子の全長 cDNA を単離すること
周りの個体を雄化させる作用があり,これによって他家
に成功した.
受精が促進されると考えられている.この不思議な現象
次に,An による情報伝達が GA 受容機構により行わ
は古くから多くの植物学者を魅了し,1980 年代には山
れるかについて検討した.GA 受容の初発反応である
(7)
根ら によりフサシダ科に属するカニクサの An の構造
DELLA タンパク質の分解をウェスタンブロットにより
決定が行われている.ここで注目すべき点は,構造が明
調べた結果,GA 処理同様,An でも DELLA タンパク質
らかになったカニクサの An が GA の基本骨格である
分解が起こることが明らかとなった.さらに,An 処理
(8)
-ジベレラン骨格をもっていたことである .この構
により変動する遺伝子を GA のそれと比較した結果,両
造的特徴から An の生合成経路が植物ホルモンである
者のパターンは非常に類似していることがわかった.こ
GA の生合成経路の一部と重なっている可能性が考えら
の結果は,An と GA のシグナル伝達経路が共通である
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化学と生物 Vol. 55, No. 1, 2017
今日の話題
り活性型 GA 変換されて初めて生理活性をもつと仮定し
た.実際,An を GA3ox の特異的競合阻害剤であるプロ
ヘキサジオンとともに添加したところ造精器誘導が阻害
され,同時に GA を添加するとその阻害は解消された.
この結果は,3 位水酸基をもたない An が作用するため
に 3 位水酸化を触媒する GA3ox が必要であることを示
しており,上記の仮説を強く支持した.
最後に 6 位カルボキシル基に対するメチルエステル化
化学と生物 ●
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が謎として残った.筆者らは,カニクサ前葉体群落内に
おける個体間の物質移動おいて,3 位水酸基を欠如した
GA 前駆体よりもメチルエステル化された GA 前駆体の
ほうが効率的ではないかと考えた.そこで RI ラベルし
た An と GA を培地に加えて前葉体を生育させたところ,
An のほうがより多く前葉体に取り込まれることが明ら
図 1 ■ アンセリジオーゲンによる造精器誘導メカニズム
かとなった.さらに,若い前葉体のみが An を脱メチル
カニクサ前葉体群落において,先に成長した個体から分泌された
アンセリジオーゲンは,遅れて発生した個体内でジベレリンに変
換されることで造精器を誘導する.
化できることをガスクロマトグラフィー質量分析法によ
ことを示唆する.そこで実際に An が GA 受容体 GID1 で
筆者らは,シダ植物において GA は胞子形成だけでな
受容されるのかについて検討したが,単離されたカニク
く,性決定においても重要な役割を果たしていることを
サの 2 つの GID1 と An との結合は認められなかった.し
明らかにした.また,その性決定のしくみは,GA 生合
かしその一方で,GID1 と GA との結合を競合的に阻害
成経路を成長段階の違う個体間で 2 つに分けて所有する
する化合物 TSPC を処理すると造精器誘導は阻害され,
というたいへん巧妙なやり方であった.先に安益ら (5)
その阻害は GA を同時に添加すると解除されることがわ
は,GA およびその受容機構をもたないヒメツリガネゴ
かった.以上の結果から,An そのものは GID1 により
ケでも,シダ・種子植物の胞子・花粉形成にかかわる転
受容されないが,修飾を受けて GA に変換後 GID1 受容
写因子 GAMYB とその転写制御機構をもちコケ植物の
体に受容され造精器誘導を引き起こすと考えられた.
胞子形成に関与することを報告している.このことは,
り直接的に証明した.
以上の結果を図 1 にまとめた.今回の研究において,
つづいて,定量的 RT-PCR により前葉体生育過程にお
コケ植物の時代にすでにあった胞子形成システムを丸ご
ける GA 関連遺伝子発現の消長を調べた.その結果,
とシダ植物の時代に GA の制御下に置いたと考えれば説
GA 生合成過程の最終段階を触媒する GA3ox を除くすべ
明できる.そして,この GA 制御機構を,種子植物の時
ての酵素が成長に伴い発現が増大する一方,GA3ox お
代になって今度は茎や根の伸長制御にも活用したのかも
よび受容体 GID1 は成長初期において最も強い発現を示
しれない.GA 研究者としての興味は尽きない.
し,成長するにつれ発現が減少することがわかった.こ
の GA3ox を除く生合成遺伝子と受容体遺伝子のアンチ
パラレルな発現パターンは,An の分泌量と感受性の関
係とよく一致していた.一方,GA の 3 位水酸基を添加
する反応を触媒する GA3ox 発現は,GA 生合成酵素群の
なかで唯一例外的な発現パターンを示したが,これは
An が 3 位水酸基をもたないことを考えると理解できる.
すなわち,An は活性をもたない活性型 GA の前駆体と
して成熟前葉体から分泌され,受容側である若い前葉体
に取り込まれた後,若い個体のみ存在する GA3ox によ
化学と生物 Vol. 55, No. 1, 2017
1) S. G. Thomas, I. Rieu & C. M. Steber:
, 72,
289 (2005).
2) K. Aya, M. Ueguchi-Tanaka, M. Kondo, K. Hamada, K.
Yana, M. Nishimura & M. Matsuoka:
, 21, 1453
(2009).
3) K. Hayashi, K. Horie, Y. Hiwatashi, H. Kawaide, S. Yamaguchi, A. Hanada, T. Nakashima, M. Nakajima, L. N.
Mander, H. Yamane
:
, 153, 1085
(2010).
4) K. Hirano, M. Nakajama, K. Asano, T. Nishiyama, H.
Sakakibara, M. Kojima, E. Katoh, H. Xiang, T. Tanahashi,
M. Hasebe
:
, 19, 3058 (2007).
5) K. Aya, Y. Hiwatashi, M. Kojima, H. Sakakibara, M. Ue-
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今日の話題
guchi-Tanaka, M. Hasebe & M. Matsuoka:
, 2, 544 (2011).
6) J. Tanaka, K. Yano, K. Aya, K. Hirano, S. Takehara, E.
Koketsu, R. L. Ordonio, S.-H. Park, M. Nakajima, M. Ueguchi-Tanaka
:
, 346, 469 (2014).
7) H. Yamane, N. Takahashi, K. Takeno & M. Furuya:
, 147, 251 (1979).
8) H. Yamane:
, 184, 1 (1998).
(田中純夢,上口
(田中)美弥子,名古屋大学生物機能開
発利用研究センター)
プロフィール
Copyright © 2017 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.55.2
化学と生物 ●
日本農芸化学会
田中 純夢(Junmu TANAKA)
<略歴>2011 年名古屋大学農学部資源生
物化学科卒業/2013 年同大学大学院生命
農学研究科博士前期課程修了<研究テーマ
と抱負>ジベレリン,進化,性決定,シダ
植物<趣味>料理
上 口( 田 中 )美 弥 子(Miyako UEGUCHITANAKA)
<略歴>1980 年京都大学農学部農芸化学
科卒業/1986 年同大学大学院農学研究科
博士後期課程満期退学/同年大阪府立公衆
衛生研究所研究員/1996 年名古屋大学研
究員/2008 年同准教授,現在に至る<研
究テーマと抱負>植物においてジベレリン
の合成やシグナル伝達がどのように進化し
ていったかを明らかにすることにより,植
物の伸長や生殖といった植物の基本的なあ
り様を理解する<趣味>読書・音楽鑑賞・
ボランティア活動<所属研究室ホームペー
ジ>http://bbc.agr.nagoya-u.ac.jp/ yuyo/
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