次世代施設園芸について - 化学と生物

ence
バイオサイエンススコープ
農政新時代を切り拓く技術の現在と未来 -6
次世代施設園芸について
綱澤幹夫
農林水産省生産局園芸作物課花き産業・施設園芸振興室長
化学と生物 ●
日本農芸化学会
はじめに
せることも重要です.
事業創設までの経緯
野菜や果樹,花きといった園芸作物はわが国の農業産出
額の約 4 割を占め,わが国農業の重要な柱となっています.
また,新規就農者の 7 割以上が取り組みたいと選ぶ魅力ある
分野でもあります.一方で,園芸作物は貯蔵性が低く,1 年
1. オランダの施設園芸
オランダは,九州と同じくらいの国土面積で,農地も日
を通じて安定した供給を行うには,計画的な生産が可能な施
本の半分以下しかありませんが,約 1 万ヘクタールの施設面
設園芸が不可欠です.現在,わが国では,簡易なビニールハ
積で世界第 2 位の輸出額を誇る農産物輸出大国となっていま
ウスから鉄骨ハウス,高度に環境が整備された植物工場まで
す.オランダの施設園芸は,産学官が連携して形成されたク
幅広く,全国に約 46,000 ヘクタールの施設が展開されていま
ラスターが中心となって機械化,ICT の活用などの先端技術
す(図 1)
.
の現場への応用が積極的に行われた結果,トマトの収量は
期待される施設園芸ですが,課題もあります.冬に加温
が必要な品目も多く,経営コスト削減や地球温暖化対策の面
10 アール当たり 60 トン以上(わが国は平均 11 トン)となっ
ています.
から化石燃料依存からの脱却が必要です.高品質な作物生産
平成 25 年 5 月,当時の林 芳正農林水産大臣はオランダ
を実現している農家の方が培ってきた「匠の技」を新たに農
に行き,園芸生産者,研究機関,関連企業などが連携して施
業を始める若い世代がスムーズに習得し,順調に経営を続け
設園芸のクラスターを形成している「グリーンポート」と呼
られるようなしくみづくりも必要です.46,000 ヘクタールの
ばれる施設を視察しました.ウエストランド市のパプリカ農
うち温度や湿度,光などの複数の環境を制御できる装置を備
場においては,約 4 ヘクタールの広さをもつ温室で,ICT 技
えた温室は 700 ヘクタール程度であることから,今後とも天
術,生産施設に併設された出荷施設,ロッテルダムから購入
候に左右されずに野菜などの安定供給を確保するためには,
した二酸化炭素を光合成促進に利用する技術など生産性の高
環境制御装置を導入した温室の割合を高め,生産性を向上さ
い農業が展開されている様子を,また,ワーヘニンゲン大学
図 1 ■ わが国の温室の設置面積
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化学と生物 Vol. 54, No. 12, 2016
においては最先端の研究や産学官の強力な連携もご関心を
実需者が一堂に会して契約栽培を推進することであり,これ
もってご覧になりました.パプリカ農場を視察した林大臣
は,高いレベルでの周年生産が周年の需要先と結びつくこと
(当時)は,
「進歩した施設園芸の姿を目のあたりにすること
によって,経営収支の早期安定化につなげることを狙ったも
ができた.オランダと日本では気象条件も違うので,そのま
まオランダのものをもってくることはできないが,学ぶべき
日本農芸化学会
●
また,コンソーシアムには,上記の必須構成員のほか,
ところは大いにあった」と発言し,その後の国会において
研究機関や普及機関も参画することにより,研究機関のもつ
も,「次世代施設園芸の産地を全国的に展開していきたい」
高度環境制御技術の円滑な導入や普及組織による経営,栽培
と答弁し,オランダ農業も参考にした事業の本格的検討が開
技術指導など技術的なバックアップが得られることも期待し
始されました.
ています.
2. 産業界と農業界の連携
化学と生物 のです.
3.2 地域資源エネルギーの活用
生産をエネルギーに依存する施設園芸農家にとって,地
「オランダの技術は特別なものではなく,産学官の連携に
政学的リスクの高い化石燃料依存からの脱却は極めて重要で
強みがある.日本の民間の技術力ももっと農業に活用するこ
す.オランダでは,北海由来の天然ガスを燃やして発電や熱
とが重要」と林大臣(当時)が指摘されたのを受け,施設園
利用などを行っていますが,本事業では,これに代わり,わ
芸分野における産業界と農業界の連携強化を図るとともに,
が国に豊富に存在する資源である木質バイオマスなど地域資
幅広い参加者から意見を聴取し,今後の政策へ反映させるべ
源活用したエネルギーを施設園芸に活用することといたしま
く,平成 25 年 10 月には「次世代施設園芸セミナー」を開催
した.
しました.本セミナーには,民間企業 53 団体をはじめ,総
本事業が始まるまでは,木質バイオマスボイラーの施設
勢 180 名の参加がありました.冒頭には林大臣(当時)とと
園芸への導入事例は,一部の県を除き少数にとどまっていま
もに,日本経済団体連合会の十倉農政問題共同委員長(住友
したが,林野庁では近年,木質バイオマスの利用促進を図っ
化学株式会社代表取締役)からもご挨拶をいだたきました.
ており,中山間地域の振興や農業と林業の連携の観点から
これを皮切りに全国の 8 カ所でも「地域セミナー」を実施
も,今後進展が期待されるところです.
し,延べ 431 団体 844 名の参加を得て,事業のあり方につい
て幅広い意見交換を行いました.
本事業では木質バイオマスを含む地域資源の確保が最も
重要なことから,都道府県がその安定供給の責任を担うこと
といたしました.
3. 次世代施設園芸導入加速化支援事業
林大臣(当時)のオランダ視察やセミナーなどを通じた
ちなみに,事業の政策目標事業要件として事業実施地区
においては周辺地域に比べて化石燃料使用量を 5 年間で 3 割
ご意見をもとに,平成 25 年度補正予算において「次世代施
削減することとしています.
設園芸導入加速化支援事業」を創設し,以降,平成 28 年当
3.3 施設の集約化と高度化
初予算まで約 120 億円の予算を措置し,全国 10 地区で施設整
備が進められています.
本事業の趣旨は,「先進技術と強固な販売力を融合させ,
木質バイオマスなどの地域資源エネルギーを活用するととも
に,生産から調製・出荷までの施設の大規模な集約化や,
現在の施設園芸産地は,個々の農家が生産物を集出荷施
設に搬入し,そこで選別,梱包,出荷する形態が多くなって
いますが,搬入などの流通コストの低減を図るためには,
「生産場所=出荷場所」となることが理想です.
オランダのように,大規模な施設で生産から調製,出荷
ICT を活用した高度な環境制御を行うことにより,低コスト
までを一気に行うことができれば,大幅なコスト低減が可能
な周年・計画生産を実現し,所得向上と地域の雇用を創出す
となることから,本事業では中核となる施設,すなわち地域
ることを目的とする」としています.オランダ農業も参考に
資源エネルギー供給施設,完全人工光型植物工場を活用した
した大型施設園芸の導入に際しては,いくつかの点で,従来
種苗供給センター,高度な環境制御を行う温室,出荷施設の
の補助事業にはない考え方が盛り込まれ,また,その整備に
4 施設を 1 カ所に集約して整備することを必須としています.
際しては,わが国の条件に合わせる形でオランダ施設園芸の
温室は,大規模化のメリットが享受できるよう,おおむ
アレンジがなされました.以下,その特徴的な部分を説明し
ね 3 ヘクタール以上の大きさとしているほか,ICT を駆使し
ます.
た高度な環境制御装置を導入することとしています.これに
3.1 コンソーシアム(協議会)が事業実施主体
より計画的な周年栽培が可能となり,実需者との結びつきが
これまでの施設園芸の導入支援に係る補助事業は,農業
より強固なものになると考えています.
生産の強化の観点から,事業実施主体については農業生産法
なお,本事業は,大規模な面積の土地や地域資源エネル
人や農業協同組合など生産者や生産者団体を対象にしてきま
ギーの確保が条件となっているため,地域において適地を得
した.本事業ではオランダの施設園芸クラスターに倣い,産
るのが容易でないと考えられたことから,事業実施地区の地
業界と農業界の連携強化を図る観点から,民間企業,実需
目は農振農用地に限らず,工業用地などでも整備可能とした
者,生産者,都道府県などを必須構成員とするコンソーシア
ところです.
ムを事業実施主体としています.特に重要な点は,生産者と
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図 2 ■ 次世代施設園芸導入加速化支援事業
実施地区
3.4 オランダ施設園芸のアレンジ
次世代施設園芸の整備に際しては,先に述べた地域資源
候を利用したいちごの周年生産が行われており,富山県拠
エネルギーの利用として天然ガスの代わりに木質バイオマス
点では水田単作農業からの脱却を目指したトマトや花き
などの地域資源を活用する点以外に,以下の 2 点でオランダ
(トルコキキョウ,ラナンキュラス)の生産が行われてい
●
の大規模施設園芸のアレンジを行いました.
化学と生物 ③地域の特色を活かし,たとえば,北海道拠点では冷涼な気
ア 台風などへの耐久性
ます.また,降雪への対応のため,富山県拠点ではあえて
連棟にせず単棟ハウスを整備しています.
緯度の高いオランダでは,日射量を確保するため,ハウ
④施設園芸のモデル拠点として人材育成の機能も有してお
スの柱は細くなっています.一方,わが国においては,日
り,たとえば高知県拠点では隣接する担い手育成センター
射量も重要ですが,むしろ台風や降雪といった気象条件に
と,宮崎県拠点では JA の担い手育成システムと連携して
備えることが重要となっています.このため,次世代施設
います.
園芸の整備に際しては,ハウスの柱を太くすることで台風
各拠点の整備計画はおおむね 2∼3 年となっており,28 年
被害などへの耐久性を高めています.
9 月 30 日現在,富山県拠点,宮崎県拠点,兵庫県拠点,高知
イ 品質の追求
県拠点,静岡県拠点,大分県拠点の 6 拠点が竣工し,北海道
オランダのトマト生産においては,品種を絞ったうえ
拠点では整備面積の半分の 2 ヘクタールについて生産が始
で,収穫量の向上を追求することが第一の目標となってい
まっています.残る宮城県拠点,埼玉県拠点,愛知県拠点と
ます.わが国においては,収穫量を求めながらも食味,品
北海道拠点の残りの 2 ヘクタールについても施設整備が進ん
質も追求していくこととしています.
でおり,28 年度中には全 10 拠点が完成する見込みとなって
事業採択地区の概要
います.
今後の方向性
本事業は,平成 25 年度補正予算において設立され,平成
26 年 2 月には,北海道,静岡県,富山県,兵庫県,高知県,
本事業の創設に触発される形で,新たな施設園芸の取り
宮崎県の 6 地区が採択され,その後,平成 26 年 4 月には宮城
組みが各地で起こっています.たとえば,民間企業が中心と
県,埼玉県,大分県の 3 地区が,27 年 4 月には愛知県が採択
なって共同出資会社を設立し,ICT を活用した高度環境制御
され,計 10 地区で実施しています.各地区の概要は図 2 のと
による大規模施設園芸団地を建設し,生産法人に貸し出す仕
おりですが,いくつかの特徴について述べると,以下のとお
組みが計画されています.これは,本事業による運営と重な
りです.
るものです.また,民間企業と農業生産法人が共同出資会社
①品目はトマトが多くなっています.これはトマトの需要と
を設立し,木質チップを燃料とするバイオマスボイラーを利
単価が安定していることや,環境制御による生産性の高い
栽培技術が確立していることによります.
②地域資源エネルギーは木質バイオマスのほか,廃棄物由来
用した大規模施設園芸を実施している例もあります.
また,本事業で得られた知見,
①高度な環境制御技術を駆使した栽培技術の確立と普及
燃料や温泉熱などの固有の資源を活用しているところもあ
②地域資源エネルギーの活用のノウハウ
ります.
③実需者を巻き込んだコンソーシアムによる安定的な販路の
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しているとのことでした.もちろんこうやって作られたトル
確保
については,全国的に展開できる可能性があることから,拠
コキキョウはわが国の「仕立て栽培」で生産されたものとは
点で得られた知見を全国で横展開すべく「強い農業づくり交
品質面で大きな違いがあり,栽培方法の優劣を云々するもの
付金」に次世代型の施設園芸整備を行う場合の「優先枠」を
ではありませんが,施設内の環境を自在にコントロールでき
設けているところです.
る手段を有することが,従来にない発想を生み出しているこ
さらには,地域での経営の核となる人材の育成および高
とも確かです.そして,これらの技術を構成する各要素は,
度な栽培技術の普及については,施設園芸の担い手の高齢化
決して天才による飛躍的発想に基づくものではなく,むし
が進むなか,早急に取り組むべき課題であり,拠点を活用し
ろ,従来の技術を応用したり,少しだけ改良したりといった
た研修などを行うなどの取り組みを進めています.
積み重ねであり,この積み重ねが気がつくと大きな違いを生
おわりに
み出しているように思います.
農林水産省では,次世代施設園芸の各拠点の運営をいち
早く軌道に乗せ,全国のモデルとして,得られた成果をほか
の地域へと普及させることにより,施設園芸団地の構造改革
日本農芸化学会
本事業は,施設園芸の先進地であるオランダに学ぶべき
ところは学びながら,わが国の技術や資源を駆使し,わが国
の気象条件などに合わせてオランダの取り組みをアレンジし
つつ,これまでになかった規模での施設を集積した事業であ
●
に多くの若い才能が参入することを心より望む次第です.
さらに詳しい情報をお知りになりたい方は,以下の情報
をご覧ください.
り,「攻めの農林水産業」の旗艦というべきものです.
もとより施設園芸は露地栽培に比べて生産性が高いもの
ですが,その改良・普及は農家個々の努力に委ねられてきた
面が強くありました.研究者をはじめとする多くの関係者に
より,生産現場で起きている事象の丹念な観察が行われると
ともに,センサー技術やビッグデータの利用など農業以外を
含むさまざまな分野の研究の蓄積と融合の取り組みがなされ
化学と生物 と地域農業の発展につなげることとしております.この分野
たことで,農家の「匠の技」の一部を数値化し,複合環境制
御技術に置き換えることなどが可能となりつつあります.次
世代施設園芸は,これらの成果を利用することでこれまでの
施設園芸の生産性をさらに一段高めたものです.
先日,ある会議でオランダの花き生産者からトルコキ
キョウの年 6 回収穫に挑戦している話を聞く機会がありまし
た.普通は年 1 回のものを 6 回作るのですから,どのような
特別な技術が使われているのかと思って聞いてみると,施設
内の環境制御を前提として,機械による苗の自動定植と一斉
収穫,スチームによる土壌消毒を繰り返すことにより,定植
から次の定植まで 9 週間のサイクルを実現することで可能と
化学と生物 Vol. 54, No. 12, 2016
・農林水産省の HP: http://www.maff.go.jp/j/seisan/ryutu/
engei/NextGenerationHorticulture/index.html
・日 本 施 設 園 芸 協 会 の HP: http://www.jgha.com/jisedai/
h27/pl/h28jisedai2.pdf
プロフィール
綱澤 幹夫(Mikio TSUNASAWA)
<略歴>1987 年東京大学農学部農業生物学科卒業/1989 年同大学
大学院農学系研究科農業生物学専攻修士課程修了/同年農林水産
省入省,現在に至る<研究テーマと抱負>まずは次世代施設園芸
拠点 10 カ所をしっかりと軌道に乗せていくことが,わが国施設園
芸農業を次の展開につなげていくうえで重要と考えており,その
ための役割を果たしていきたい.花きの生産,流通,販売の関係
者と一緒に,国産花きのシェアの回復と,輸出を含めた需要の増
大に取り組み,わが国の花き産業と花きの文化を振興していきた
い
Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.920
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