本文は - 化学と生物

日本農芸化学会
今日の話題
希少な不飽和脂肪酸と高度不飽和脂肪族アルコールの微生物生産
皮膚菌叢の健全化を通じた健康維持への応用
化学と生物 ●
魚油などに含まれるドコサヘキサエン酸とエイコサペ
細菌
subsp.
は,植
ンタエン酸,天然油脂中に希少なアラキドン酸(AA)
物油を基質として,脂肪酸と脂肪族アルコールのモノエ
は優れた生理活性を保持する脂肪酸である.これらの機
ステル体(ワックス)を菌体内に蓄積する(図 1).こ
能性脂肪酸を微生物や藻類で生産する研究が以前より盛
のワックス内の脂肪酸は,β-酸化の作用により,基質の
んである.その手法は,糖などのバイオマスを基質とし
構成脂肪酸よりも炭素数が 2 または 4 個少ない脂肪酸を
た培養により生産する培養法である.代表例は,京都大
含 ん で い た (1, 2). た と え ば, オ レ イ ン 酸(9-
学の清水・小川らによって見いだされた糸状菌
が生産する AA 含有微生物油脂であり,すで
-C18:1,
C に続く数値は炭素数,“:”に続く数値は二重結合
数)を含む菜種油を基質としたとき,パルミトオレイン
に産業化されている.培養法と区別される方法として,
酸(7-
脂肪酸などの構造を微生物で改変する微生物変換法があ
C14:1)などの天然油脂中に希少な不飽和脂肪酸に変換
る.たとえば,リノール酸の二重結合の位置と幾何配置
された.同時に生産される不飽和脂肪族アルコールも希
の改変による共役リノール酸への変換,二重結合への水
少な脂質である.これらの物質は,希少であるがゆえに
酸基の導入によるヒドロキシ脂肪酸への変換など,多数
その機能性は不明であるが,筆者の最近の研究では,後
の研究が行われている.筆者も,独自に見いだした微生
述の POA の機能性を見いだした.
物変換法による希少な不飽和脂肪酸と高度不飽和脂肪族
アルコールの生産について報告した.
-C16:1, 7 -POA)とミリストオレイン酸(5-
細菌
-
sp. は,前記と同様にワックスを菌
体内に蓄積するが,
と比べて脂肪酸の炭
図1 ■
subsp.
による植物油からの希少不飽和脂
肪酸と不飽和脂肪族アルコールの生産
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(Atopic dermatitis; AD)と密接に関係している.健常
者の皮膚の 6 -POA 含量は平均 2 µg/cm2 であり,
がほぼ抑制され,健全な皮膚菌叢(スキンマイクロ
バイオーム)が維持されている.しかし,AD の炎症部
では 6 -POA などの皮脂量が減少して
抑制の
タグが外される.その結果,皮膚菌叢のバランスが崩
れ,
s が顕著に増加して AD の炎症悪化に関与
する.6 -POA を皮膚に供給すれば良いと考えられる
が,この物質は天然油脂に有効な供給源がない.そこ
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で,筆者は最近,9 -POA および 7 -POA が
に
対する抗菌活性を保持すること,しかも有害菌だけに選
択的に作用する抗菌活性を利用し,皮膚菌叢を健全化さ
せ,AD などの疾患の予防を目指す研究を開始した (4).
最後に,人によって意見が異なることであるが,筆者
の考えを述べたい.現代人,特に日本人は,過度の綺麗
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好きではないだろうか.石鹸で体をゴシゴシと洗い,殺
図2 ■
sp. によるアラキドン酸含有微生物油脂
からのアラキドニルアルコールの生産
菌・除菌剤,抗菌グッズで皮膚菌叢をトコトン排除する
点線内が微生物による反応.
有害物質を遮断する機能をもつ皮脂を取り除くことであ
ことは,本当に良いことだろうか.洗い過ぎることは,
り,アレルギー物質や有害微生物が侵入しやすくなる.
素数を短くする活性が弱い.AA 含有微生物油脂を基質
皮膚菌叢をすべて排除した場合,ここに
など
としたとき,炭素数と二重結合の位置・幾何配置を変え
の有害菌が入ってきたとしたら,それが顕著に増加し,
ることなく,AA のカルボキシル基を水酸基に還元して
疾病を引き起こさないだろうか.もちろん,体の汚れや
アラキドニルアルコールに変換した (3)(図 2)
.この反応
臭いを排除するために石鹸で体を綺麗に洗うこと,およ
には ATP と NADH が必要である.化学法でも同様の反
び食中毒菌や病原菌を除去するための殺菌・除菌は必要
応は可能であるが,禁水性試薬と高引火性溶媒を用いる
不可欠である.しかし,それが過度になってはダメであ
ため,工業化困難である.生成物をグリセリンの
-2 位
ると考えている.適度な洗浄で皮脂量を健全な状態に保
にエーテル結合させたアラキドニルグリセロールエーテ
たせ,適度で選択的な殺菌・除菌で皮膚菌叢を健全な状
ルは,エステル結合型であるアラキドニルグリセロール
態に保たせておくことが肝要であると考えている.読者
エステルよりも結合が安定である.後者のエステル型物
の皆さんのご意見はどうでしょうか.
質は,生体内でカンナビノイドレセプターに結合する機
能性脂質である.エーテル型物質も同じ活性をもち,ウ
サギの眼圧を低下させる機能性が報告され,緑内障治療
薬などとして期待されている.
限定的な植物油に存在する 9-
-C16:1(9 -POA)な
どのモノエン酸(二重結合が 1 個の脂肪酸)は,目立っ
た機能性がない物質として注目されてこなかった.しか
し,2008 年に 9 -POA の脂肪肝抑制作用が報告されたこ
1) T. Nagao, Y. Watanabe, K. Hiraoka, N. Kishimoto, T. Fujita & Y. Shimada:
, 86, 1189 (2009).
2) T. Nagao & Y. Shimada:
, 22, 250 (2010).
3) T. Nagao, Y. Watanabe, S. Tanaka, M. Shizuma & Y. Shimada:
, 89, 1663 (2012).
4) T. Nagao, S. Tanaka, A. Kurata, H. Nakano & N. Kishimoto: 106 回アメリカ油化学会講演要旨集,BIO 部門,p.
4, 2015.
(永尾寿浩,大阪市立工業研究所生物・生活材料研究部)
とを契機として,POA の機能性に関する研究が欧米で
盛んである.一方,ヒトの皮脂中に存在する 6-
-C16:1
(6 -POA, サ ピ エ ン 酸 と も 言 う) は,
に対する抗菌活性を保持し,アトピー性皮膚炎
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プロフィール
日本農芸化学会
永尾 寿浩(Toshihiro NAGAO)
<略歴>1989 年大阪大学大学院工学部醗
酵工学科卒業/1991 年同大学大学院工学
研究科醗酵工学専攻修士課程修了/同年大
阪市立工業研究所生物化学課研究員/2001
年大阪大学大学院工学研究科応用生物工学
専攻にて博士(工学)の学位取得/2002 年
大阪市立工業研究所生物化学課研究主任/
2012 年大阪市立工業研究所生物・生活材
料研究部研究主任/2015 年同研究所生物・
生活材料研究部研究室長<研究テーマと
抱負>応用微生物学,酵素工学(リパー
ゼ),脂質工学.他人が思いつかない視点
と発想での研究を心掛けている<所属研究
室ホームページ>http://www.omtri.or.jp/
research/bio/lit/<趣味>ガーデニングで
野菜や果物を作ること.植物栽培は実験と
共通する部分が多いと感じている
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Copyright © 2016 公益社団法人日本農芸化学会
DOI: 10.1271/kagakutoseibutsu.54.448
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