地獄と極楽の違いは?

朝会の話
地獄と極楽の違いは?
280613
村松
今日は、私が子供の時に聞いたお話をします。
ある人が、地獄とはどんなところか見に行ったそうです。(「地獄」というカードを見せ
る)みなさんはどんなところか想像できますか。すごく恐いところというふうに思います
よね。
行ってみると、ちょうど食事の時間でした。なんと、テーブルには豪華なおいしそうな
食べ物がたくさん並んでいます。そこにやせ細った地獄の人たちが入ってきて席に着きま
した。見ると、長いお箸が置いてあり、1mくらいあります(お箸をみせる)。地獄では、
それを使って食べなくてはならない決まりだそうです。
地獄の人たちは、その長いお箸を使って、食べ物を自分の口に運ぼうとします。しかし、
お箸が長すぎて、食べ物を口に入れることができません。みんな口に入れようと必死にな
っているのですが、一口も食べられずに苦しんでいます。そして食事の時間が終わりにな
ってしまいました。誰一人食事をとることができませんでした。
次に極楽に行ってみました。(「極楽」という表示を見せる)極楽というのは、アジア・
日本的な言い方で、ヨーロッパ・外国では天国という人もいますね。さて、極楽も食事の
時間でした。ここも地獄と同じように豪華な食事
がいっぱい並んでいます。そこに楽しそうな表情
で、すごく健康そうな人たちが入ってきて席に着
きました。そして地獄と同じように、長いお箸を
使って食べ始めました。ところが、極楽では、自
分で食べようとするのではなく、お向かいの相手
に食べさせてあげるのです。食べさせてもらった
人は、お返しに相手の口に食べ物を運んであげま
す。こうして、お互いに食べさせあうことで、楽
しく食事をしているのです。
みなさんは地獄と極楽の違いがわかりましたか。
自分のことだけを考えて行動すると地獄。
他人のことを思いやって行動すると極楽。
地獄と極楽、それはどこか知らない遠いところにあるのではなく、私たちの心のなかに
あるのかもしれません。
極楽にするためには、どんな行動をしたらいいかクラスでも考えてみてください。
きょうの朝会の話を終わります。
(裏面に「先生方へ」があります)
<先生方へ>
きょうの話は仏教説話として有名で、先生方もどこかで聞いたことがあるのではないで
しょうか。またこの話を、子どもたちに話した先生がいるかもしれませんね。私は、平成
19年6月に小平第六小で、平成23年5月には小平第十四小でこの話をしています。
さて6月は、東京都教育委員会が定める「ふれあい月間」、いじめ防止が中心のテーマ
です。いじめ防止をするには、各学級の基盤がしっかりしていなくてはなりません。相手
のことを考えて行動できる子が学級に増えれば、自然といじめはなくなっていきます。
今月は各学級で、いじめをなくすにはどうすればいいかを考えさせることと思います。
そのときにきょうの話を活用してください。
私は担任時代、「情けは人の為ならず」という言葉を教えるときに、この話をよくしま
した。「情けは人の為にならない」ということではなく、人に情けをかけていけば、巡り
巡って自分に戻ってくるんだよ、そんなことを教えていました。
仏教では「因果」ということを教えます。原因があれば結果があるということです。こ
の話も、「因果」ということをわからせるいい話だと思います。学年・学級でも実態に合
わせて、補足しておいていただけるとありがたいです。
6月も半ばです。湿気と気温の上昇で、新年度の疲れが出てくる頃です。調子が悪いと
きは無理をせずに休むことも大切です。時間を上手に使うことを常に意識していきましょ
う。
<資
料>
トマトはトマトの種からしか実らない(こんな話もしてみたらどうでしょうか)
キュウリを収穫したければ、キュウリの種をまきます。
トマトを収穫したければ、トマトの種をまきます。
トマトを収穫したいのに、キュウリの種をまく人はいません。
キュウリの種からキュウリが育ち、トマトの種からトマトが育つ。これは自然の法則で
す。
ところが、この自然の法則を理解しない人がいます。
「勉強はしたくないけれど、試験には合格したい」
「私には人のことを思いやる余裕はないが、人は私に親切に
すべきだ」
キュウリの種をまいておきながら、トマトの収穫を願って
いるようなものです。
勉強をするから、試験に合格できるのです。 人を思いや
ることができるから、人から親切を受けられるのです。
自然はキュウリの種からトマトを実らせることはありませ
ん。よい結果 が得たければ、よい種をまくことが必要です。