朝会の話 日本女子初の金メダリスト 前畑 秀子さん 270518 村松 2020年、あと5年すると東京でオリンピックパラリンピックがありますね。今から 楽しみです。十四小は今年オリンピックパラリンピック教育推進校として、オリンピック パラリンピックの勉強をしていきます。特に、外国の人や車いすバスケットボールをやっ ている人たちから、多くのことを学びたいと思っています。ところで、オリンピックで日 本の女子が最初に金メダルを取ったのは、誰だか知っていますか。 それは前畑 秀子(まえはた ひでこ)さんという人です。今から79年前、1936 年にドイツという国で開かれた「ベルリンオリンピック」で、 水泳:女子平泳ぎ200mで優勝したのです。 前畑さんは、ベルリンの4年前のオリンピックでは、2位 で銀メダルでした。だから、なんとしても1位になって金メ ダルをと思っていました。しかしベルリンオリンピックが近 づくにつれ、「負けたらどうしよう」とか「負けたら日本には 帰れない」という不安な気持ちがいっぱいだったといいます。 試合当日も、負けたらどうしようというマイナスのことばか り考えていたそうです。 ところが、プールのスタート台に上がると「私は誰よりも練習をしてきたのだから、負 けるはずがない」という気持ちになったといいます。ここがすごいところですね。 前畑さんの時代は、温水プールなどありませんから、真冬でも冷たいプールで何時間も 泳ぎ続けました。毎日2万メートル、20キロメートルをいつも泳いだそうです。十四小 のプールで言うと、往復は50メートルですから、その往復50メートルを一日に400 回も毎日泳いだことになります。 そんなすごい練習をしてきたのですから、負けるはずがありません。試合中もリラック スして、自分一人だけが大歓声の中で泳いでいる感じだったそうです。 前畑さんは、のちにこんなことを言っています。 「私がみなさんに讃えられるとしたら、自分に勝ったからでしょう。私は他人に勝つより も自分に勝つことの方が難しいと実感しました。」そう話しています。 人に勝つよりも、怠けたいとかさぼりたいという、自分の弱い気持ちに勝つことが大事 なのですね。きょうは、日本女子初の金メダリスト:前畑秀子さんについて話しました。 そうそう、あさって5月20日が前畑の誕生日です。これで朝会の話を終わります。 <裏面に「先生方へ」があります> <先生方へ> 学期に一人くらいは偉人などの伝記を扱いと思っています。今年度も折に触れ取り上げ ていく予定です。また卒業式の式辞でも、ある日本人の生き方を通して話す予定です。 今回はだいぶ古くて恐縮なのですが、日本女子初の金メダリスト:前畑秀子さんを取り 上げました。オリンピアンを取り上げたのは、十四小がオリンピックパラリンピック教育 推進校でもあるからです。(また市野先生が研究員として所属する教育課題部会で、「オリ ンピックパラリンピック教育推進」を主題として取り上げているので、その応援でもあり ます。) 前畑さんは、前年度が生誕100年だったのでそのときに取り上げれば良かったのです が、諸事情で1年延期しました。前畑さんは5月20日生まれなので、ちょうどこの時期 に話すことにしました。 前畑さんは現役を退いたあとご結婚され、マスコミなどでは兵藤秀子さんとして、ご活 躍されました。晩年も、ママさん水泳教室を開くなど水泳普及の活動をされていました。 テレビでも何度もお見かけしました。脳溢血で倒れたあともリハビリで何とか快復され、 水泳指導にあたられていました。そんな前畑さんの言葉「他人に勝つよりも自分に勝つこ とのほうがむずかしい」を子どもたちに知らせたいと思い、きょうのような話をしました。 学級の実態に合わせて補足などをお願いします。 さて、学習に最適な5月です。ただこの時期は、学級の人間関係のトラブルなどが起こ る時期でもあります。子どもたちの様子を多面的に見るために、教師が意図的に多くのチ ャンネルを用意して、学級経営をしていきましょう。 前に書いたことがありますが、私は担任時代に、毎日書かせる日記から多くの情報を得 ていました。また、代表委員(学級委員)との話合い、係長会での話合いを月に2回程度 実施し、子どもたちの人間関係情報を得ていました。さらに、休み時間の遊び調査、人間 関係調査なども定期的に実施し、データからも把握するよう努めました。(ちなみに若い 頃は休み時間に一緒に遊ぶことを通して、一番多くの情報を得ていました。40代近くな ると、それも厳しくなりました(-_-;)) また、学級の問題を自分だけで何とかしようとしないで、学年・ブロックで情報共有し て対処することが大切です。組織で対応、これが大原則です。お互い心して進んでいきま しょう。よろしくお願いいたします。 <資 料 前畑 秀子さん> 1914 年(大正 3 年)5 月 20 日 - 1995 年(平成 7 年)2 月 24 日)、和歌山県伊都郡橋本 町(現・橋本市)出身の水泳選手。結婚後の姓は兵藤(ひょうどう)といい、 「兵藤秀子」 の名前でもよく知られている。1932 年(昭和 7 年)に開催された第 10 回大会ロサンゼル スオリンピックの 200m 平泳ぎに出場し、銀メダルを獲得している。
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