日記④ 肉体のミルフィーユ

■肉体のミルフィーユ■
男子の寮長に依頼したことを女子の寮長にもお願いするため、再び女子棟へと向かった。
先ほどは逢えなかった女子の寮長・3年兵庫女子が、女子談話室で談笑していた。
ふと見ると、この日入寮してきた1年埼玉女子も笑いの輪に加わっている。何やらヨガ
のポーズを取って、出来たの出来ないので笑い転げている。
「右足をこう組んで、左足はその上に乗っけるンです」
1年埼玉女子がコーチ役らしい。
「どれどれ……(すぐにバランスを崩し、コテンと倒れ込み)あ、ダメだ。全然出来ない」
2年板橋区女子が挑戦したが、1秒と持たずに横転したので全員大笑いとなった。箸が
転んでもおかしい年頃なのだ。
「みんなで楽しそうだね」
「楽しいですよ。コーチョーもどうですか?このポーズ出来ます?」
「無理無理。(1年埼玉女子に向かい)どうだい?部屋の方は少しは落ち着いたの?」
「はい」
「そう。それはよかった。分からないことや困ったことがあったら、遠慮せずに彼女たち
に相談してね。君たちも相談を受けたら、親切に教えてあげてね」
「そ。何かあれば云って」
任せてとばかりに、2年中央区女子が胸を叩いた。
テーブルにマドレーヌカップの残骸がある。
「あれ!?2年中央区女子、もうケーキ作っちゃったの?」
「全部食べました」
「えぇ――、少しは愚輩に気を遣って残しておいてくれればいいのに!」
「アハハハハ、みんな残さず食べちゃったもンね。美味しかった」
2年板橋区女子が、すべてを栄養に変えた後で哀れむように愚輩に告げた。
「ま、次の時にはコーチョーの分、残しておいてあげるから」
「ぜひそうしてくれ」
2年板橋区女子が1年埼玉女子に愚輩のことを
「この先生、コーチョー先生だって知らなかったでしょ?クックック」
と笑いながら聞いた。
1年埼玉女子は少し驚いたのか小さく口を開け、無言で頷いたが、愚輩をきっと寮の職
員とでも思っていたにちがいない。確かに人様から指摘されるまでもなく、愚輩には校長
としての品性信望威厳風格知力体力視力貯金頭髪英語力が無いことは知っている。だが、
無いものは仕方ない。無い物ねだりは空しいだけだ。有るもので自分なりに精一杯やるし
かないではないか。
「ところで、愚輩は何の教科の先生に見える?」
1年埼玉女子に尋ねてみた。
「ん――、英語?」
やはりどんなに隠してもインターナショナルな風情が滲み出てしまうのかもしれない。
正解を知っている3年兵庫女子と2年中央区女子、2年板橋区女子の3人は愚輩を指さし、
「アハハハハ、英語だって-!」
「ありえなーい」
と毒キノコにでもあたったかのように笑い転げた。余りの七転八倒ぶりに、笑いながら3
年兵庫女子が2年板橋区女子の上に重なるように横たわった。
「お前ら、まるでザ・タッチの『幽体離脱』じゃないか!」
2年中央区女子が舌鋒鋭い突っ込みを入れたが、愚輩にはまるで肉体のミルフィーユに
見えた。ケーキを残らず食べられてしまった恨みは根深いのだ。
その後、3年兵庫女子を廊下へ呼び出し、男子の寮長に依頼した件を同じように話した。
「分かりました」
3年兵庫女子は神妙な顔で頷いた。
「それから、もうひとつ」
「?」
「悩み事やストレスがあったら、自分ひとりで抱え込まず、先生方に相談すること。あな
たの心が乱れて何かあったら、多くの人が辛い思いをするのだからね」
3年兵庫女子は、数週間前に心のストレスをうまく処理できずに苦しんでいたのだ。
「いいね」
「はい」
3年兵庫女子は愚輩の目をじっと見詰め返し、コクンと頷いた。ティーン雑誌に出てく
る少女のような笑顔だった。
再び、男子棟を巡回すると3年秋田男子が
「よし、風呂行こう!」
と宣言し、廊下でいきなり衣服を脱ぎはじめ
た。ゲッ!こんなところで脱ぐのかよ。しか
も、アンダーウェアは鮮やかな朱色。巣鴨の
ツルさんカメさんでも赤面するような「朱」
である。加えて脱いだ衣服は廊下に放りっぱなしだから、それだけ見たら透明人間の出現
かと思ってしまう。さらに。3年秋田男子の後を追うように3年大阪男子も、腰にバスタ
オルを巻いた半裸姿で廊下に現れたから目眩がした。
「服は脱衣所で脱げと家庭で教わらなかったのかっ!!」
悲鳴のように叫んだが、3年秋田男子は何事もないかのように返答した。
「いつもはここ(廊下)から脱いで風呂まで行くンすけど、今日はコーチョーがいるので気
を遣ってるンすよ」
どこが気を遣っているのか。裸族、恐るべし。
就寝前の清掃では、この日入寮した新入生も早速メンバーに加えられた。
「じゃあ、各グループのトップの人はちゃんと新入生にも掃除の要領を教えてやってね」
3年秋田男子が寮長らしいリーダーシップを発揮した。
玄関前では、3年岩手男子が丁寧に1年函館男子に清掃のやり方を指導している。
「ここをこうやって、それからこうする。アト、ここは一寸掃除しづらいので、こうして
から、こうやってするンだ。じゃあ、やってみて」
指導には人柄が表れる。愚輩は以前、3年岩手男子に「君の経験を新入生に話してやっ
てほしい」と頼んだことがある。新入生の中には、中学時代にいろいろな悩みを抱えた者
もおり、その者達にとって3年岩手男子の経験が、我々教師では決して出来ない共感を持
った助言になると確信したからだ。優しいだけでもダメだし、厳しいだけでも勿論ダメで、
共感してもらえることが、とりわけ日高の高校生にとってどれだけ大切なことか。3年岩
手男子が、そのことを証明してくれることを愚輩は疑っていない。
担当区域の掃除が終わったのか、2年埼玉男子が玄関前に来て相撲部屋の新弟子のよう
な座り方で新聞を読み出した。鉄道関係の記事をストックしているらしい。健全な趣味で
ある。かつて地方の過疎化が叫ばれた頃、「何もないからと田舎を出て行く若者」と「何
もないなら自分たちでつくってやれと田舎に残った若者」の2タイプがいた。国を挙げて
地方創生が叫ばれる今、豊かな暮らしをしているのは圧倒的に後者のタイプではないかと
愚輩は思う。「何もない」と云う者には、工夫や知恵が断然足りないとも感じている。
2年埼玉男子は、自分の好きなことを上手に生かして楽しみを創り出している。これも立
派な、日高高校生のモデルプランであろう。