新宮鐡道と木材について

新宮鐡道と木材について
かつて熊野川を筏に組んで流送されてきた木材は全て河口の新宮に集まりました。新宮が
「木材の街」といわれる由縁です。
新宮の木材業としての歴史は古く、豊臣秀吉が大坂城を築城するにあたり良材を熊野地方
に求めたといわれています。江戸時代には、新宮材は帆船で熊野川口の池田港から主に江戸
深川市場に送られていました。最盛期には和歌山と新宮からの「紀州材」で江戸入荷材の
20%以上を占めていたそうです。ところが明治時代に東北線が開通し安価な東北材が東京市
場に入ってくるようになり、シェアを奪われた新宮材は新たな市場を開拓する必要にせまられました。
当時の新宮木材業界では新宮から海外への木材輸出を検討しましたが、熊野川にある池田
港には大型船が着岸できず、また熊野川口での船舶事故も相次いだことから、危険をさけて海
外取引をするためには門戸を勝浦港に求めねばなりませんでした。そこで新宮から勝浦港まで木
材を運送するための手段として鉄道の敷設が求められたわけです。
まず明治 43 年(1910 年)津田長四郎氏の提唱で木材業者を中心とした発起人が集まり新
宮鐡道株式会社を創立することに合意し、
大正元年(1912 年)12 月 4 日に勝 浦~三輪崎間が竣工、
翌大正 2 年(1913 年) 3 月 1 日、三輪崎~新 宮 間が完成し全線が開通、
新宮の木材は新宮鐡道で勝浦まで運ばれ、勝浦港から大阪や遠く海外の台湾にまで輸出さ
れるようになりました。
その後新宮鐡道は昭和 9 年(1934 年)紀勢中線として鉄道省に買収されましたが、それ以後
も木材業者らは「熊野地驛」を専用駅として使用してきました。その「熊野地驛」も昭和 57 年
(1982 年)廃止になりましたが、木材輸送で栄えた「熊野地驛」の看板は国鉄から新宮木材協
同組合が譲り受け、今も新宮木材協同組合に残っております。