西浦上地区の歴史

西浦上地区の歴史
今から、140余年前、滑石村、浦上北村、浦上西村、浦上家野
村など近隣村が合併し、
「西浦上村」が誕生しました。当時、西彼杵
郡に属した「西浦上村」は、明治22年に長崎市市制が実施された
後も、村内の学校の誕生、里道の開通などで人口も増え栄えていき
ます。大正6年12月末での西浦上村の戸数は、680 戸、人口 4,414
人。 昭和 13 年に長崎市に編入された当時は、3226 世帯、人口 17,627
人と記録されています。
原爆により壊滅的な被害を受けた西浦上地区は、目覚ましい復興
を遂げますが、昭和 57 年 7.23 長崎大水害により、甚大な被害を受け
ます。
今日、西浦上地区は、戦禍、大災害などの様々な試練を乗り越え、
長崎市北部の文化・商業・教育の中心的な地域として発展を遂げて
います。
歴史へタイムスリップ
西浦上支所に所蔵されている『郷村記』。青色の表紙にうっすらと残る「浦
上北村」の文字が何とか読み取れる。(発行年不詳)
江戸時代には、大村藩が、村の様子を知る資料として『郷村記』
を編集した。全部で、79巻が長崎県立図書館に残っている*1。
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*:西浦上東部地区長崎市編入記念誌「郷土のあゆみ」地区と大村藩