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三岸好太郎と北海道立三岸好太郎美術館について
札幌に生まれ、大正・昭和の洋画界を駆け抜けた三岸好太郎
三岸好太郎(1903 年~1934 年)は、大正末から昭和初期の道産子画家です。
札幌第一中学(現・札幌南高校)を卒業後上京し、働きながら独学で絵画を学
んで、1923 年の春陽会第 1 回展に入選、翌年には春陽会賞を受賞して、その感
性と才能が脚光を浴びました。その後 1930 年の独立美術協会創立には、最年少
会員として参加し、意欲的な活動を続けますが、さらに活躍を期待されるなか、
画業の半ばで病に倒れます。享年 31 歳でした。短い生涯ながらも、進取の精神
に富み、つねに新たな境地をめざして挑戦を重ねた三岸好太郎の活躍はめざまし
く、日本近代洋画を代表する画家のひとりとして近代日本美術史上にあざやかな
三岸好太郎
光を放っています。
のこされた作品は、どれもが繊細な詩情とロマンに満ち、憂愁
や幻想をただよわせて、いまも多くの人に新鮮な感動をもたらし
ています。
《のんびり貝》1934 年
妻で画家・三岸節子の願いが
「小さな宝石箱のような」美術館に
1967 年、好太郎の妻であり、画家である三岸節子ら遺族から、三
岸好太郎作品 220 点が北海道に寄贈されたのを契機に、「北海道立
美術館[三岸好太郎記念室]」がオープンしました(札幌市中央区北 1
条西 5 丁目。現在の「北菓楼札幌本館」)。三岸好太郎がこよなく愛
した故郷、北海道・札幌の街にこそ作品を返したい、という節子夫
人の想いが、北海道で初めての美術館誕生につながったのです。
その後美術館は、道立近代美術館が開館した 1977 年に「北海道
北海道立三岸好太郎美術館外観
立三岸好太郎美術館」と改称して新たなスタートをきり、1983 年
には知事公館の庭園内(北 2 条西 15 丁目)に新築・移転します。緑に囲まれ、広いガラス面を備えた
建物は、三岸好太郎のアトリエのイメージを生かした心地よい空間。静かで落ち着いた雰囲気のな
か、三岸芸術を存分に味わえる、そして節子夫人の願った「小さな宝石箱のような」美術館として、
全国から美術ファンが訪れています。
若い音楽家と美術家の活動の場、三岸研究の拠点、
特別展や多彩なイベント
道立三岸好太郎美術館では、全国に先駆けて展示室内でのコンサ
ートに取り組んできました。特に若い音楽家たちの発表の場として
定着しており、絵に囲まれた空間のなかで明るく初々しい響きを楽
しんでいただいています。また、若手美術家にも様々な機会に活動の
PMF アンサンブルコンサート
場を提供しています。
(2014 年)
同時に三岸好太郎の研究拠点として、資料調査や多彩な特別展の開
催を続けるとともに、子どもから大人まで三岸作品にいっそう親しん
でいただくためのイベントを開催しています。